週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

The Full Teenz 『ハローとグッバイのマーチ』

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「あの頃の自分の声」を
ハァハァせずには聞き返せない


 HomecomingsだったりHAPPYだったりAnd Summer ClubだったりHearsaysだったり、最近だとNum Contenaだったり、そのあたりの、つながってるんだかいないんだかよくわからない西日本のインディシーンを、ここ数年僕はよく聴いているのですが、その中で「この人たちは毛色が違うな」と感じるバンドがいます。京都の3ピース、The Full Teenzです。

 彼らの楽曲を聴いてまず真っ先に思ったのは、「この人たちの曲を『嫌い』っていう人いるのかな?」ということ。最初に音源化されたEPは非常に実験的だったそうですが、少なくとも2016年にリリースされた彼らの1stアルバム、『ハローとグッバイのマーチ』に詰まっているのは超陽性のメロディに平易な言葉で綴られる歌詞、バンド名のteen=10代の甘酸っぱさをそのまま封じ込めたような普遍的世界観。とにかく、このバンドのポップネスというのは、こちらが思わず恥ずかしくなってしまうくらいの“ど”ポップです。



 レーベル(Second Royal)メイトであるHomecomingsや、メンバーがMV出演しているAnd Summer Clubももちろんポップですが、彼らが英語詞であるのに対してThe Full Teenzは日本語詞である点に象徴されるように、どこかツウ好みっぽさを残すホムカミ、アンサマに比べると、The Full Teenzはごく一般のリスナー層にまで届きそうな波及性を備えています。一体どこからこのバンドは紛れ込んできたのでしょうか。

 ただし、サウンドは決して軽くはありません。僕が彼らを知ったのも、Second Royal経由ではなく、Kili Kili Villa所属のCAR 10NOT WONKといったパンクバンド経由でした。そういったバンドに通じるハードなサウンドと、彼ら自身のキャラクターや青臭いほどにポップな世界観とが不思議と融合しているのが、The Full Teenzというバンドの大きな個性になっています。

 でも、このバンドの魅力として僕が一番に挙げたいのは、ボーカル伊藤祐樹の声です。

 伝わるかどうかわからないんですけど、10代の頃、僕の頭の中に響いていた僕自身の声は、多分彼の声だった気がするのです。「生きる意味とはなんだ?」という哲学という名の遊びに耽り、「●●とキスしてええ!(←だいぶソフトに表現しています)」と性欲をたぎらせる。そんな脂臭い脳内ボイスに、もしアフレコするのであれば、それは僕自身の声よりも、伊藤祐樹の声の方が近いような感じがするのです。

 そしてさらにいえば、伊藤とボーカルを分け合う(時にメインボーカルを務める)ドラムの佐生千夏の声もまた、10代の頃に脳内プレイしていた「好きな子」の声だった気がするのです(この点についてはラブリーサマーちゃんもホムカミ畳野彩加もみんなそうですけど)。要するに、彼らの声を耳にするだけで、僕は10代の頃にタイムスリップするような気がしてハァハァしてくるのです。

 アルバムラストに収録された<ビートハプニング>の、「自分が誰かに影響するなんて思ってもいなかった」という歌詞なんて、最高ですね。ちょっと舌足らずで、日本語としてあか抜けない言い回しが逆にリアル。価値がないと思い込んでた自分が、思いがけず誰かの役に立った。そのときのうれしいような恥ずかしいような気持ちが蘇ってくるようで、このフレーズを聴くたびにくすぐったくなります。

 でも、この「あか抜けないフィーリング」を、楽曲という「あか抜けた表現」へと昇華させていくのって、めちゃくちゃすごいことなんじゃないかと思います。








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『雷電本紀』飯嶋和一(小学館文庫)

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雷電という「鏡」に
名もなき人々の涙が映る


 江戸時代後期に活躍した大相撲力士、雷電爲右エ門は、身長6尺5寸(197cm)、体重45貫(169kg)という当時としてはまさに巨人と呼ぶべき恵まれた身体で、1790年から1811年まで21年もの間土俵に上がりました。その間の通算成績は、254勝10敗2分14預5無勝負。勝率は実に9割6分2厘。あらゆる面において史上最強と呼ぶのに相応しい力士です。その雷電を主人公に描いた小説が、飯嶋和一『雷電本紀』

 とても不思議な小説でした。「雷電を主人公」と書きましたが、厳密にいえば彼だけが主人公ではありません。雷電に化粧まわしを贈ったことで彼と友人のように親しくなる、鉄物卸問屋「鍵屋」の助五郎と妻のさよ、雷電の弟弟子の千田川、医者の恵船先生と彼の元に通う名もない人々、そして雷電の地元信州の力士であり悲劇的な最期をとげる日盛(ひざかり)。彼らは、雷電よりもむしろ強い印象を読後に残します。特に助五郎は第二の主人公というべき人物で、物語の中盤は一時雷電を完全に離れて彼の物語になります。

 不思議なのはもう一つ。時間の進み方がユニークなところです。時系列に沿って丹念にたどっていくのではなく、ある場面の後、いきなり10年ほど時間が飛んだりします。おまけに視点も次々と人物を乗り換えていくので、例えば人物Aの現在が描かれた後に、人物Bの過去の話になったりします。だからといって、物語の密度が薄いということはなく、むしろ潔いまでの時間軸のぶった切り方は、かえって描かれていない「余白」に対する想像を育みます

 その一番の例が、助五郎の妻・さよ。幼い頃に親に売られ、深川の花街で三味線の腕だけを頼りに生きてきたさよは、あることをきっかけに出会った助五郎に見初められ、身請けされます。そこまでの経過は丹念に描かれ、これでようやく彼女に平穏な生活が訪れるんだと思いきや、次の場面ではいきなり何年も時間が飛んで、既に彼女は病気で亡くなっているのです

 読者は意表を突かれ、突き放されたようにすら感じるのですが、このあっけなさは、実は時間というものの本質でもあります。ついこないだまで元気だった人が、急に亡くなってしまったり、そして癒えることなどないと思っていた悲しみも、時間が経てばいつの間にか消えてしまうように。この物語の、無慈悲のようにも思える時間の切り取り方は、だからこそ、そこに生きる人々の健気さや美しさを際立たせます。

 江戸時代は大きな戦争こそなかったものの、人々は飢饉や火事といった災害に怯えながら生きていました。一方で、幕府官僚の不正は日常化し、相撲においても各藩の見栄の張り合いなどを背景とした「拵え相撲」と呼ばれる八百長が横行しました。

 そこに突如現れたのが、八百長が入り込むスキすらないほどに常識はずれの強さを誇る雷電でした。人々は自らの苦しみを束の間忘れられる存在として、あるいは日頃の不満やうっぷんを晴らしてくれる存在として、雷電に夢を見たのです。この物語は雷電の評伝というよりも、雷電を巨大な鏡に仕立て、そこに映る江戸庶民たちの姿を描いた群像劇なのだという気がします。

 物語の序盤、雷電の少年時代の出来事として出てくるのが上州一揆です。そこでは、限界に達した人々の不平不満が巨大な奔流となって藩や幕府といったシステムを押し流していく様が、濃厚な筆致で描かれます。それと同じエネルギーが物語の終盤、もう一度江戸の町で巻き起こり、間接的に雷電の窮地を救う展開は、とても痛快です。一方で、一身に罪を被って死を受け入れる助五郎の姿には、人間の尊厳と、どんな権力者にも冒すことのできない魂の高潔さが表れています。山本周五郎の『さぶ』に通じるものを感じます。

 現代よりも制約が多い過去の時代に物語の舞台を移すことで、人間の本質をより露わにするのが歴史小説・時代小説なのだとしたら、まさにこの小説は、その鑑というべき作品だと思います。






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V.A.『Gold Collection〜Oldies Best Artist 22』

「愛すべき孤独」を教えてくれた
正体不明の1枚


 先週、コニー・フランシスの話を書きました。彼女がもっとも人気を博したのは1950年代後半から60年代前半。今から60年近くも前になります。

「60年前の音楽を聴く」というと、一般的にはどう受け取られるだろう。やっぱり「マニア」「好事家」と思われちゃうんでしょうか。確かに、ただでさえ音楽を聴く人は(30代も後半になると特に)少ないのに、その中でもあえて昔の音楽にまで手を出すなんて、よほどのきっかけでもない限りはありえないのかもしれません。

 僕が50年代や60年代の音楽を聴き始めたのは20歳のときでした(10代の頃、自覚的に聴いていたのはビートルズサイモン&ガーファンクルくらいでした)。きっかけは、あるコンピ盤でした。『Gold Collection』というありがちすぎなタイトルに、マンハッタンの夕景(国際貿易センタービルがまだある時代です…)という雰囲気だけのジャケット写真。早い話が何の変哲もないコンピだったのですが、この1枚が、大げさに言えばその後の僕の音楽人生を大きく変えたのです。理由は収録曲。以下がその一覧です。

#1 Unchained Melody/The Righteous Brothers
#2 Only You/The Platters
#3 California Dreamin'/The Mamas And Papas
#4 A Whiter Shade Of Pale/Procol Harum
#5 The Sound Of Silence/Simon & Garfunkel
#6 Rhythm Of The Rain/The Cascades
#7 My Girl/The Temptations
#8 I Can't Stop Loving You/Ray Charles
#9 Stop! In The Name Of Love/Diana Ross & The Supremes
#10 Moon River/Andy Williams
#11 Can't Help Falling In Love/Elvis Presley
#12 Save The Last Dance For Me/The Drifters
#13 Stand By Me/Ben E. King
#14 San Francisco/Scott McKenzie
#15 Yesterday/The Beatles
#16 When A Man Loves A Woman/Percy Sledge
#17 The Green Green Glass Of Home/Tom Jones
#18 Una Lacrima Sul Viso/Bobby Solo
#19 Mona Lisa/Nat King Cole
#20 Only The Lonely/Roy Orbison
#21 Mr. Lonely/Bobby Vinton
#22 What A Wonderful World/Louis Armstrong

 伝わるでしょうか、この網羅性。Amazonのミュージックカテゴリで、「オールディーズ」で検索をかけると500件以上がヒットします。そのくらいオールディーズのコンピ盤ってたくさんありますが、複数枚組のものを除けば、1枚でこれほど幅広く有名曲をカバーしているアイテムは、ほとんどないはずです

 具体的に挙げるなら、まず#5、#8、#13、#15、#22。このあたりはビッグネームすぎてコンピには滅多に入りません。#9もかなりレア。シュープリームスがこういうコンピに顔を出すのも珍しいです。

 また、わずか22曲でありながら時代が広いのも特徴です。多くのオールディーズコンピが「50s」「60s」とディケイド区切りなのに、このアルバムには#1(55年)から#3(66年)までと、両方の時代をまたいでいます。その結果、映画音楽(#10)にジャズ(#22)、フォーク(#5)にロック(#4)にソウル(#8)と、ジャンルが異様に幅広くなっています。

 改めて曲目リストを見ると、感慨深いです。プロコル・ハルムドリフターズテンプテーションズ、このブログでも書いたカスケーズなどは全部このコンピで知りました。以前、劇団での選曲のことを書きましたが#6#12はまさにこのアルバムから流しています。ドリフターズはドゥーワップを聴きなおす流れでこの1年くらいで再燃しているし、ナット・キング・コールもちょうど春から聴きなおしているところ。未だに僕はこの身元不明のコンピ盤から影響を受けているのです。数あるオールディーズコンピから最初にこの1枚に出会ったことは、僕のこれまでの音楽人生における最大のラッキーだったかもしれません。



 再び「なぜ古い音楽を聴くようになったのか」という冒頭の話題に戻ってみるのですが、今思い出してみると、古い音楽=今は流行ってない音楽=自分しか聴いてない音楽、という優越感みたいなものはあった気がします。自分だけが知っているという文字通りの優越感だけでなく、流行や同世代性といったものを気にせず、一人でとことんその音楽に没入できるという、自分だけが独り占めできている安心感もありました。もしかしたら、音楽がもたらしてくれる「愛すべき孤独」を最初に教えてくれたのが、オールディーズだったのかもしれません。

 SpotifyやApple Musicで、ネット上に公開されている大量のライブラリから自由にプレイリストを作れるようになったいま、コンピ盤はもはや衰退していく運命でしょう。だから僕の娘とか、これから音楽を聴く世代には、僕がこの『Gold Collection』との出会いを「奇跡だ!」「ラッキーだ!」と言ってることが理解できないのかもしれないなあ。

 実はこのアルバム、長い間データでしか持ってなかったのです。なので先日、ふと思い立ってCDを買い直したところでした。アマゾンでもタワレコでもブックオフでも見つからず(というかタイトルすらうろ覚えだったので、収録曲とかで検索してました)諦めかけてたところ、ヤフオクに出品されてたのを偶然発見しました(ジャケットの写真が決め手でした)。しかも、まさにその日が出品初日。ここでも「奇跡」が起きたのでした。






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Connie Francis 『Rock 'n' Roll Million Sellers/Country & Western Golden Hits』

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比喩ではなく事実として
僕は彼女に「人生を変えられた」


 コニー・フランシスのどこにそんなに惹かれるのかと聞かれたら、やはりあの「声」という答えになると思います。少女の初々しさと大人の女性の色気。その両方を併せ持ち、強く前向きな意志を感じさせると同時に、その裏にある不安や怯えもにじませる。コニーの声には、世俗性と神秘性の両方がなぜだか同居してしまう、不思議な寛容さがあります

 最初に聴いたのは、映画『青春デンデケデケデケ』で流れた<Where The Boys Are(邦題:ボーイハント)>でした。あの切なく狂おしく歌い上げるコーラスを聴いて、中学生だった僕は「演歌みたいだなー」と思いました。でも、演歌はまったくピンとこないけど、この曲は「なんかいいな。なんか懐かしい感じがするな」と思ったのです(日本の演歌よりもアメリカのオールディーズに「懐かしい」と感じるのも不思議ですが)。だいぶ後になって、この曲を録音した当時、彼女はまだ20歳そこそこだったと知って驚きました。

 1938年生まれ。レコードデビューは1955年で17歳のとき。しばらくは鳴かず飛ばずでしたが1958年にシングル<Who’s Sorry Now?>がチャート4位に上るヒットとなって、コニー・フランシスは人気歌手の仲間入りをします。

 ヒットシングルが出たことでレコード会社(MGM)も彼女のアルバムを作り始めるのですが、記録を見るとその制作ペースはすさまじいものがあります。58年からMGMを移籍する69年までの12年間で、彼女が制作したアルバムは50枚を超えます。もっともすごいのは59年で、1年間になんと8枚ものアルバムを作りました。日本の80年代アイドルは「一つの季節に1枚のシングル=1年に4枚」というペースが慣例だったそうですが(これでさえ今の感覚からすると多いなと思いますが)、コニーはその倍のリリース量を、しかもシングルでなくアルバムでこなしてたわけですから、その怒涛っぷり、レコード会社のえげつなさっぷりがわかります。

 彼女が残したアルバムのうち、半分以上はカバーアルバムです(既存の曲を流用したからこそ、驚異的なペースでの制作が可能だったともいえます)。最初に作られたのは59年の『Connie Francis Sings Italian Favorites』で、その名の通り<帰れソレントへ>や<サンタ・ルチア>といったイタリアの伝統歌を歌っています。この「ご当地もの」はシリーズ化して、その後『Spanish & Latin American Favorites』、『Jewish Favorites』、『Irish Favorites』、『German Favorites』などが作られます。

 当時のコニー・フランシスは、あくまで流行歌を歌うポップス歌手でした。今でいうアイドル歌手です。その彼女が各地の伝統歌をレパートリーにもつところに、当時の歌手に求められていた資質がどういうものだったかがうかがえます

 一方で、彼女は同時代のヒット曲をカバーしたアルバムもたくさん作っています。中でも僕が好きなのは59年11月にリリースされた2枚のアルバム(繰り返すようですが、ひと月の間に2枚のアルバムがリリースされるということがすごい)、『Rock 'n' Roll Million Sellers』『Country & Western ? Golden Hits』

『Rock 'n' Roll Million Sellers』はエルヴィスの<Heartbreak Hotel>や<Don’t Be Cruel>、ファッツ・ドミノの<Ain't That a Shame>といったロックンロール最初期のナンバーをカバーしたアルバム。今見ると「オールディーズベスト」みたいな印象になっちゃいますが、当時はどれもリアルタイムのヒット曲です。タイトルに「ロックンロール」とついていますが、多分この言葉が生まれてすぐの頃だったはずです。

 このアルバムで唯一のオリジナル曲が、<Lipstick on Your Collar(邦題:カラーに口紅)>大滝詠一ラッツ&スターに書いた<Tシャツに口紅>のタイトル元ネタですね。僕はコニー・フランシスの中ではこの曲が一番好き。この曲はなんといってもイントロです。あの「Yeah Yeah Yeah・・・」っていう声、今聴くとものすごいパンクだと思いませんか

 作者はエドナ・ルイス(詞)とジョージ・ゴーリング(曲)。ジョージ・ゴーリングはこの曲のほかに<Robot Man>という曲をコニーに提供していますが、エドナ・ルイスは<Lipstick on Your Collar>1曲だけのよう。コニー・フランシスというと<Vacation>や<Stupid Cupid>、前述の<Where The Boys Are>でニール・セダカのイメージが強いですが、もうあと数曲だけでもこの2人のチームを起用してくれてたら印象が変わっていたんじゃないかという気がします。



 さて、もう1枚の『Country & Western Golden Hits』のほうですが、こちらもカバーしているのはハンク・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザーズなど、同時代の人気歌手のナンバー。このアルバムと『Rock 'n' Roll Million Sellers』とを並べてみて、収録曲の違いやこの2枚が同時期に発売されることなどをあれこれ考えると、当時のポップス界の雰囲気が想像できるような気がします。

 こっちのアルバムにコニーのオリジナル曲はありません。ですが、なんといってもこっちには<Tennessee Waltz>が入っています。何人ものアーティストがカバーしている名曲中の名曲ですが、もっともヒットしたパティ・ペイジ版(1950年)と比べても、このコニーのバージョンのほうが素晴らしいと思う。夜空に浮かぶ月のように静かな彼女の歌い方には、かつての悲しい出来事を乗り越えてようやく平穏を取り戻せたという過去との距離が表れています。しかし優しさすら感じさせる歌声には、だからこそそこにいたるまでのを苦しみや葛藤も想像させます。ものすごく人生の重みを感じさせる歌声です。この曲を歌ったとき、彼女は若干21歳でした。



 とりとめもなくコニー・フランシスについて書いてきました。なんのかんので、この1年くらいで一番聴いているのは、実は彼女の曲かもしれません。それくらい好き。彼女と、そして同時代のドゥーワップが、とりあえず現時点での僕の「ゴール」っていう感じすらあります。そして彼女に関しては、単に好きというだけでなく、「生活スタイルを変えられる」という極めて物理的現実的な影響も受けています。

 SNSやニュースサイト、個人のブログなどを利用してインターネットに広く網を張り、新しいアーティストの新しい曲をできる限りフォローして、気になればアルバムを買って聴く。そういう生活を10年近く続けてきました。ネットのサービスはどんどん進化しているので情報収集の効率は上がり、ここ数年は1年で買うアルバムが100枚を超えるようになりました。単純計算で1週間に2枚は新作が手元に届いていることになります。

 次から次へと新しい音楽を聴くことをずっと楽しんでいたのですが、実はここ1年ほどは、疲れを感じることのほうが多くなりました。気に入ったアルバムが見つかったら本当は1週間でも1か月でも繰り返しリピートしたいし、たとえ初めは気に入らなくても、じっくり聴きこめば好きになることがあるかもしれない。だけど、新作が続々と届くので1枚のアルバムにかけられる時間は削られていく。音楽を「聴く」というよりも「消化する」と表現したほうがいいような接し方をしていることに、嫌気がさしてきたのです。

 そんなときに手に取ったのがコニー・フランシスでした。なぜ彼女だったのかはよく覚えてません。多分、どこかで彼女の名前を見たか音楽を耳にするかして、久々に(というか腰を据えて聴くのはほぼ初めて)手に取ったのです。新作がどんどん届くから、彼女だけを聴いている時間なんてないのに、なぜか来る日も来る日も彼女の音楽を聴いていました。

 正直、それがめちゃくちゃ楽しかった。「やっぱ音楽は、いかにたくさん聴くかではなく、いかに深く聴くかだよなあ」と思いました。気に入った曲を、骨までしゃぶりつくすように何度も繰り返し聴いていた10代の頃に戻ったようでした。このことをきっかけに、僕はそれまでの「質より量」「ストックよりフロー」な生活を改めて、「好きな曲を好きなだけ聴く」というシンプルなスタイルに戻すことにしたのです。

 これが今年の年明けのこと。なので、もう半年以上が経ちました。実は、その後に読書という僕のもう一つの趣味についても似たようなスタイルの見直しをしたので、今の僕の生活はものすごくスローです。新しい情報には疎くなったけど、今のところそれで困ったことはありません。(現時点では)という但し書きつきではあるものの、一つの作品にかけられる時間が増えたぶん、今のスタイルの方が楽しいです。

 比喩ではなく事実として、僕はコニー・フランシスに人生を変えられたのです








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Alvvays『Antisocialites』

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あなたがあなたであることで
困る人は誰もいない


 カナダのトロント出身のバンド、Alvvaysの2ndアルバム。2017年9月のリリースなので超がつくほど今更なんですけど、いやー、あの衝撃的な1stアルバムと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の大名盤です。大好き。何度言っても足りないくらい大好き。

 もはやこのバンドのトレードマークになった、夏の陽炎のように輪郭の淡い音像モリー・ランキンのボーカルも変わらず瑞々しく繊細ですが、1stの頃よりも声の伸びが良くなった印象を受けます。

 そしてなんといっても歌メロが相変わらず素晴らしい。確か最初にこのアルバムから公開されたのは、<Dreams Tonite>だったと思うのですが、最初に聴いた瞬間に「あ〜、これこれ!」と思った記憶があります。



 ただ、今回のアルバムで特にいいなあと思ったのは、実はサウンドよりも歌詞の方でした。例えば前述の<Dreams Tonite>のコーラス部分の歌詞。
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight?
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight, tonight?

 ある意味ではとてもありふれたフレーズなのに、モリーの声やメロディの効果もあって、とても映像的に響きます。


 この曲と並ぶリード曲<In Undertow>も好き。
"What's left for you and me?"
I ask that question rhetorically
Can't buy into astrology, and won't rely on the moon for anything

No turning
There's no turning
There's no turning back after what's been said
No turning
There's no turning
There's no turning back

 この曲が試聴開始された日は、1日中Spotifyで聴いてた気がする。この「There’s no〜」の繰り返しが本当に切ない。繰り返されることで、心の内で自分に言い聞かせている様子が伝わってくる気がします。

 両方の曲に共通するのは、ある人との間に横たわる深い溝の存在です。その溝は、かつてはまったくなかったのに、いつの間にか生まれてしまったことがうかがえます。本当はその人と近づきたいのに、なぜかすれ違ってしまってばかりで、本心と現実とのギャップに主人公たちは途方に暮れています。

 アルバムタイトルの“Antisocialites”は、実は造語。“socialites”(社交的な人、社交術に長けた人)の“Anti-”(反対)ということで、「引っ込み思案な人」「人づきあいが不器用な人」というような意味になるでしょうか。思い切って声をかけて本心を話せば済みそうなものを、一人心の中で逡巡しているだけだった歌の主人公たちは、まさに「Antisocialites」といえます。

 自分で自分のことを「社交的な人間だ」と思える人は、あまり多くはないはずです。こないだ、会社の同僚で周囲の誰もから「社交的な人」と思われている人が、ポツリと「俺ももっと社交的にならないとダメだな」と呟いているのを聞いて「この人のレベルでもそう感じるのか」とのけぞったことがありました。「社交的でなければならない」という強迫観念と、その「社交的」が要求するレベルには常に届かないというジレンマは、現代人が普遍的に抱えるものなのかもしれません。

 ただ、このアルバムのテーマは決して「Antisocialites」であることを否定したり、克服しようとしたりすることではなく、「Antisocialites」としての悩みや悲しさ、喜びといったものを示しながら、寄り添い共感しようとするところにあります。

 僕が一番いいなと思ったのは、9曲目<Saved by a Waif>のコーラス直前にサラッと歌われるこのフレーズ。
Stay where you are
State what you are
Stay where you are
And no one gets hurt

 最後の「And no one gets hurt」というのがとてもいいですね。これ、日本盤の訳詞だと「誰も傷つけないように」とその前の”stay”と”state”の動機を説明している句になってるんだけど、僕は「あなたがあなたであることで、困る人は誰もいない」という単独の一節だと読みました。「Antisocialites」だけでなく、例えばLGBTQなども含めて、社会に生きるみんなに投げかけてるメッセージのようで、僕は自分の誤読のほうがしっくりくるんだよなあ。

 今年の11月、ついに初の単独来日公演が実現します。絶対に行きます。








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