週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

Hazel English 『Just Give In / Never Going Home』

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ポップソングでありながら
「讃美歌」の響きをもつ声


「English」という苗字が本名なのか芸名なのかハッキリしないのですが、Hazel English自身はイギリス人ではありません。出身はオーストラリアのシドニーで、現在はアメリカのオークランドを活動拠点にしています。

 彼女の出身がオーストラリアであることは、かなり意外でした。だって、オーストラリアのアーティストというと、ジャンルにかかわらずアクが強いイメージがあったのですが、彼女はむしろ淡く控えめな印象だったから。その一方で、アメリカのアーティストという匂いも僕は感じてはいませんでした。

 じゃあやはりイギリスっぽいのか。彼女はインタビューで好きなアーティストを聞かれて、Cocteau TwinsThe SmithsThe Cureといったイギリスのバンドばかりを挙げています。彼女自身もイギリス音楽志向であることを認めています。でも、少なくとも僕は彼女がイギリスっぽいという印象も持ちませんでした。

 Hazel Englishは特定の国や地域を連想しづらい、無国籍なアーティストです。その理由は、彼女の声。機械的とまで言えるほど淡々としていて体温が低いのに、声が折り重なって空間に広がっていくような不思議な響きをもっています。サビで、普通だったらエモく歌いそうなところを、彼女の場合はスーッと力を抜いていくように歌うのです。この特別な歌い方と声の響きは、「イギリスっぽい」「アメリカっぽい」といった、思い込みによる安易な紐づけを跳ね返します。

 僕が最初に聴いたときに真っ先に惹かれたのも、この不思議な声と歌い方でした。16年の5曲入りEP『Never Going Home』だったと思うのですが、まだそのときはCDでのリリースはなかったので、ひたすらSoundCloudとSpotifyで聴いてました。僕にとって17年にもっとも新譜を待ち望んでいたアーティストの一人は、彼女でした。



 5月にリリースされた『Just Give In/Never Going Home』は、正確に言うとアルバムではなく、前半に新たな5曲入りEPを収録し、後半には前述した昨年のEPを入れて2作のEPをくっつけた「ダブルEP」という扱い。「ダブルEP」なんて僕初めてだったんですけど、本来は別々の作品をくっつけてるぶん、ある意味フルアルバムよりもメリハリが利いていて、ベスト盤を聴いてるみたいな感覚で、これはこれでいいかも。

 再度「無国籍なアーティスト」ってことに話題を戻すと、今回のダブルEPで一気に聴ける音源が増えたわけですが、集中的に彼女の声を聴いていると、ふと、ずいぶん前にブログに書いた、Bill Douglasの音楽の響きが頭をよぎりました。

 針葉樹に覆われた深い森にゆっくりと朝が訪れる様子を描いた『A Place Called Morning』というアルバムは、ロックという、基本的には人間社会をモチーフにする音楽よりも、より普遍的で時間軸の長い作品です。Hazel Englishの不思議な声によって描かれる風景は、オーストラリアでもアメリカでもイギリスでもなく、『A Place Called Morning』のあの風景に近いんじゃないかと感じたのです。

 ポップソングでありながらも「聖なるもの」をも射程に捉えられる。そんなスペシャルでユニークな声を、おそらくいずれ発表されるであろう1stアルバムでどう生かしてくるのかが、今からとても楽しみです。








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ザ・クロマニヨンズ 『ACE ROCKER』

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「大好きなものがあると
人生は楽しくなる」ということ


 活動してきた全てのバンドのアルバムを持ってるし、本や雑誌のインタビューも大事にとってあるし、自分で作った芝居でも何度も曲を流したし、多分、日本のアーティストで一番多く歌を知ってるのも彼らだと思います。

 にもかかわらず、これまで一度も彼らのことをブログで取り上げなかったのは、受けた影響の大きさを、とてもじゃないけど言葉に言い表せられないと思ったから。それに、この人たちの魅力は既にみんな十分すぎるほどわかってるから、今更僕なんかが語ることなんてないし、そもそも、彼らの音楽を言葉に直すことほど野暮なこともないと思ってました。

 甲本ヒロトと真島昌利。ヒロトとマーシー。

 この2人のことを、多くの人が「変わらない」といいます。確かに、ブルーハーツハイロウズという伝説的なバンドを経て、今なおクロマニヨンズで歌を歌い、ギターを弾き続けてる2人の姿は、「海」とか「山」とかと同じレベルで、いつ見ても変わらない風景という感じがします。あの2人の姿をたまにTVとかで見かけると、「本当に30年以上経ったのかな?」とさえ思います。

 でも、あえて言うけど、僕は、バンドごとに彼らは変わってきたと感じているし、バンドごとに異なる微妙なキャラクターの違いを楽しんでいます。

 ブルーハーツは3つのバンドの中で一番、世の中にコミットしようとしてるバンド。その分だけ、感情が一番爆発してるバンドでもあります。いつか僕がよぼよぼの老人になっても、ひとたびブルーハーツを聴けば、きっと一発でアドレナリンがぶわーっ溢れてきて、胸がいっぱいになるんだろうなあ。

 ハイロウズは、ブルーハーツの反動か、ちょっと世捨て人になった感じ。でも、その分3つのバンドの中でもっとも情緒に溢れ、一番キラキラしてます。音楽的にももっともバラエティに富んでいて、楽しさでいえば僕はハイロウズがNo.1だと思う。

 そしてクロマニヨンズは、ブルーハーツ、ハイロウズに比べると、よりサウンド先行型のバンド。<ギリギリガガンガン>とか<ニャオニャオニャー>とか、曲のタイトルを見てもわかる通り、言葉すらも音とイメージだけで紡ぐようになりました。ひたすら心地よい音とリズムを追求し、そのためには歌詞の意味やメッセージすらも、余分なものとしてそぎ落とす。極限まで肉体を絞り込んだボクサーのようなバンドです。

 ただ、クロマニヨンズの近年の作品では、歌詞にも変化が見られます。例えば、15年のアルバム『JUNGLE 9』に収録された<エルビス(仮)>。この曲の歌詞には、忘れられて朽ち果てていく者の哀れさやいじらしさがあります。聴き終えた後にカタルシスではなく、疲労感にも似た苦い後味が残るなんて、それまでにはなかったことです。


 契機となったのは、12年のアルバム『ACE ROCKER』だと思います。<他には何も><ハル><バニシングポイント>そして<欲望ジャック>という幕開けの4曲には、それまでの作品にはなかったシリアスさがありました。

やらずにいられない ことがあります
やらずにいられない ことをやるだけなんだ
ただ それだけ
他には何も 他には何も 何も何も何も

<他には何も>

 ここには、ブルーハーツのような感情の爆発や、ハイロウズのような詩情ではなく、透明になるまで研ぎ澄まされた、求道者のような姿勢があります。それはまさに、クロマニヨンズというバンドの姿勢そのものです。

 言葉すらも音とみなすという点で、それまでの歌詞は、サウンドとはいわば主従関係にありました。ところが彼らはこの作品でついに、歌詞までもをサウンドと同じストイックな領域に踏み込ませたんだと思います。僕は『ACE ROCKER』でむしろクロマニヨンズが好きになりました。


 ヒロトとマーシー。2人のことを、多くの人が「変わらない」といいます。何が変わらないのか。
50歳を過ぎてもパンクを続けてるのがすごいという人もいれば、それを永遠の初期衝動という言葉で表現する人もいます。2人の体型と答える人もいるかもしれません(あれは本当にすごい)。

 以前、ヒロトがある雑誌のインタビューで、「なんでそんなに長く続けられるんですか?」という記者の質問に対し、こんな風に答えていました。
「よく聞かれるんだけどさ、続けようと思って続けてるわけじゃないの。ロックンロールがすごすぎるんだよ。だってこんだけ続けててもまだ飽きないんだもん。だから長く続ける秘訣を聞きたいならロックンロールに聞いてくれって思うよ」と。

 この言葉を思い出すと、彼らの中でもっとも「変わらないもの」は、「音楽が好き」という気持ちなんじゃないかという気がしてきます。30年以上も音楽が好きで、ロックが好きで、おじさんになってもなお、「僕はこれが好きなんだ」と大声で言い続けてる。僕が彼らの音楽から教わった一番のこと。それは「大好きなものがあると、人生は楽しくなる」ということです。

 クロマニヨンズは結成以来、(ほぼ)毎年1枚アルバムをリリースし続けていますが、今年もまた10/11にニューアルバム『ラッキー&ヘブン』をリリースします。










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2017年8月の3冊 〜岡っ引きと渡世人と座頭市〜

タカとユージの生きる場所は
「捕物帳」の中しか残ってないんじゃないか


 7月に東郷隆作品を読んでいたら止まらなくなって、結局8月も引き続き彼の作品に手を出してました。

 ただ、7月に読んでいたのは歴史小説だったのに対し、8月に読んだのは時代小説。同じジャンルと思われがちですが、過去に実在した人物を主人公にして、史実に基づいた物語を描いている作品が歴史小説で、歴史上の一時代を舞台にしているものの登場人物も物語もあくまでフィクションであるのが時代小説…というのが僕の解釈です。

 ちなみに、以前紹介した『国銅』や、2014年の本屋大賞を受賞した『村上海賊の娘』は、主人公はフィクションなものの周辺の登場人物や物語は史実に基づいているので、僕の感覚ではギリギリ歴史小説の範疇です。

 んで、東郷隆の時代小説です。まず読んだのは、芝の増上寺前を縄張りとする目明しが事件を解決していく、王道の捕物小説「とげぬきの万吉」シリーズ。『異国の狐』を皮切りに『のっぺらぼう』、『くちなわ坂』と計3作品があります。

 目明しというのはいわゆる「岡っ引き」のことで、正規の警察官である町奉行の下について実際の捜査を行う現場担当者のこと。警察といっても、当時はもちろんいわゆる法治国家なんかじゃないですから、賄賂を握らせて情報を聞き出したり、疑わしいと思えば多少強引でも捕えてしまったりと、なかなか手荒です。なので、目明しに任命されるのも、自ずと腕っぷしが強くて、なおかつその土地に顔が利く「ワル」が多かったそうです。当然、正規の武士ではなく、今風に言えば地元の祭を仕切るヤンキー上がりのおじさんを、非正規雇用で現場の警察官にしちゃうみたいなイメージでしょうか。

 話は変わるんですけど、こないだTVで『あぶない刑事』の再放送を見てたら、タカとユージがほとんどヤクザみたいで笑いました。囮を仕掛けて犯人にわざと証拠を出させたり、口を割らない容疑者を射撃場に連れて行って的の横に立たせてガンガン銃を撃って脅したり、当時はそれが痛快に映ったんだろうけど、今見るともはやリアリティを失い過ぎて、ただただ「古ッ!」という感じでした。

 乱暴だけども正義感が強く人情もあって痛快な江戸の目明しの捕物帳。それを現代に置き換える形で刑事ドラマが生まれたのだとしたら、昭和の刑事ドラマがコンプライアンスなんてものよりも人情に重きを置いていたのは必然だったのかもしれません。しかし、『踊る大捜査線』(1997年)の登場によってそうした刑事ドラマが一気に時代遅れになってしまった今、タカとユージみたいなタイプが生きられるのは、江戸の目明しという、永久に古びない歴史の世界の中しかないのかなあなんて思いました。



 次に読んだのは『いだてん剣法―渡世人 瀬越しの半六』。武士に生まれたものの、理由があって全国の博徒(平たく言えばヤクザ)専門の飛脚として生計を立てている男、半六の物語で、大前田英五郎大垣屋清八、若い頃の会津の小鉄といった幕末の大侠客たちが登場します。悪を懲らしめる捕物帳が時代小説の代表的な「陽」のジャンルだとすれば、「陰」の代表格が本書のようなアウトローものです。

 東郷隆のアウトローものだと他に『御用盗銀次郎』シリーズがあってこちらも滅法面白いのですが、ガンガン人を斬っていく銀次郎のほの暗い狂気がハラハラ感を生むのに比べると、『瀬越しの半六』は春風のようにさわやかな読後感があります。

 なかでも読んでて面白かったのは、彼ら渡世人の細かい所作の描写です。彼らは、世間のしがらみには縛られない代わりに、裏社会だけの厳格なルールがはりめぐらされた、ある意味では堅気の人よりもがんじがらめの世界で生きています。宿場に入ったらまず誰に仁義を切る(挨拶をする)のか、そしてその仁義の切り方はどういう段取りとセリフで行うのか、全部がきっちり決まっていて、それを一つでも間違えると瞬く間に自分の評判が落ちるのです。本書ではそういう細かい描写が随所に出てきます。



 この本を読んでいるとき、録りためておいた『座頭市物語』のTVシリーズ(74年)をたまたま見てたんですが、座頭市にもああいう博徒たちの所作なんかが細かく出てきます(座頭市自身が渡世人ですから)。んで、『瀬越しの半六』や『座頭市』を見ながら、今こういう江戸時代のアウトローたちのドラマを作ろうと思ったら技術的(知識の蓄積的)にできるんだろうか、と思いました。

 これは春日太一『時代劇はなぜ滅びるのか』『あかんやつら』に詳しいことですが、『水戸黄門』を最後に地上波から時代劇のレギュラー放送枠が消えたことは、単にブームの終焉というだけでなく、一つの技術体系が失われることを意味しています。21世紀において時代劇や時代小説は、エンターテインメントコンテンツというだけでなく一種の歴史的史料という面も持つのかもなあと思ったりします。(実際、映画『男はつらいよ』に映る1970年代の地方の風景なんて、もはや社会民俗学上の重要な史料になりえる気がします)

『座頭市』シリーズを見返しつつ、映画専門誌『シナリオ』の座頭市特集号(2014年9月号別冊)を買って読んでいたら、池広一夫監督がロングインタビューの中で「映画は一人じゃできない。いろんな人の力でできるもの」というようなことを語っていました。言葉自体は決して目新しいものではないものの、この一言には「技術体系が一度失われれば容易に取り戻せない」ということの証明のようにも思えて「うーん」と唸らざるをえなかったです。






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Tashaki Miyaki 『The Dream』

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「ドリームポップ」の本当の意味を
初めて知ったのかもしれない


「タシャキ・ミヤキ」ってずいぶん変わった響きのバンド名だけど、何語なんだろう?と思っていたら、なんと日本語でした。映画監督の「三池崇史」の言い間違いをそのままバンド名にしたそうです

 このエピソードからも想像がつく通り、バンドのメンバーは相当なシネフィル揃いで、中でもボーカル&ドラムのペイジ・スタークは、音楽を始める前からモデル・女優としても活動していたようです(確かにケイト・ブランシェットみたいな美しさ)。Tashaki Miyakiはペイジにギターのルーク・パキン、ベースのドーラ・ヒラーを加えた、男女3人による3ピースバンド。2011年にLAで結成されました。

 僕が彼女たちを知ったのは、確か14年のシングル『Cool Running』のときだったと思います。当時はペイジが「ルーシー」、ルークが「ロッキー」などと名乗っていました。聴いてみたらめちゃくちゃ良かったので、(そのときはSound CloudとYouTubeにしかなかったのですが)過去の音源を漁ったり、Facebookをフォローしたりしていました。

 15、16年はほとんど活動らしい活動はなく、Facebookの更新も途絶えがちで「大丈夫かな?」という感じだったのですが、17年に入って突如1stアルバム『The Dream』のリリースを発表。タイミングを同じくして公開されたアルバムからのリードトラック<Girls On T.V.>は、およそ2年ぶりに聴くこのバンドの音源だったにもかかわらず、初めてこのバンドを聴いたときと同じように「あああ…」と息が漏れました。



 サイケデリックというには"臭み"がないけれど、単なるギターロックと呼ぶにはあまりに官能的。サウンドはグラマラスと呼べるほど分厚いのに、底へ底へとどこまでも沈んでいく気だるい楽器の音に対して、ボーカルだけが浮き上がってくるような、奇妙な遠近感のあるプロダクション。このボーッとした感覚が忘れられなくて、ずっとこのバンドの新譜を待っていたのです。

 今回のアルバムで初めて歌詞も目にしたのですが、サウンドに負けずこっちもかなりユニークでした。
Look At The World.
It Is Big, I Am Small And We Are Living

<City>

All I Got Is Time
I'm Waiting For Something Else
I'm Waiting For Someone To Change
(中略)
I Want To Be Out Of My Head For Just One Day
I Wanna Go Somewhere Else And Feel Okay

<Out Of My Head>

 中学生の教科書か?ってくらい、シンプルな英語です。でも、「無駄をそぎ落とした、一分の隙もない言葉」という印象はありません。<City>の「It Is Big, I Am Small And We Are Living」というフレーズが、単に「私はちっぽけだ」と嘆いているわけでもなく、反対に「私は生きているんだ」と力を込めているわけでもないように、シンプルだからこそ、言葉と言葉のあいだに想像をめぐらせる余地があります

 揺らぐ。ぼやける。混ざる―。Tashaki Miyakiの音楽を表すキーワードを挙げるなら、そんな言葉を選ぶべきでしょう。陽だまりの中で、夢と覚醒の間を行きつ戻りつするような恍惚感。気の抜けたぬるいサイダーのように、物憂い甘ったるさ。

 今回のアルバム『The Dream』ジャケットの帯には「ドリームポップ」と書かれています。ドリームポップというと僕はこれまで、もっとリズムが速くて高音が利いていて、エレクトロポップと非常に近いイメージを持っていました。ふわふわと軽くて享楽的なところが「ドリーム=夢」を指しているんだろうと。

 けれど、本当の夢っていうのは、謎めいていて、曖昧で、個人的なものです。現実との境界線を認識することもできない。そういう意味では、夢は怖いものでもあります。夢という言葉がもつ本来のイメージを考えるならば、僕はTashaki Miyakiの音楽で初めて、本当の「ドリームポップ」を耳にしたのかもしれません。








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The Trash Can Sinatras 『Cake』

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The SmithsとThe Stone Roses
その「隙間」


「トラッシュキャン・シナトラズ」というバンド名だけを聞くと、いかにもひねくれ者っぽい風変わりな音楽を鳴らしそうですが、実際には情緒あふれるメロディと粒だったギターを特徴とした、とても繊細で優しい印象を与えるバンドです。イギリスのバンドですが、ロンドンやマンチェスター、グラスゴーといった都会ではなく、スコットランドの沿岸部の町、アーヴァインという出身地の風土が、(勝手なイメージですが)その音の中に込められているような気もします。

 彼らの結成は1986年。まさにどんぴしゃの「C86」世代なわけですが、彼らのデビューアルバム『Cake』を聴くと、当時のネオアコ勢特有の「不健康そう」「日光を浴びてなさそう」といったイメージはなく、むしろ<Obscurity Knocks>のイントロのリフにみられる「踊れるノリ」からは、マッドチェスターを経たフィジカルさを感じてしまいます。

 実際、この『Cake』というアルバムがリリースされたのは、マッドチェスター全盛期ともいえる90年。Wikipediaによると、彼らは結成1年後の87年に早くもポール・ウェラーやラーズらを擁するレーベルGO!DISCと契約するのですが、契約の前払い金が入ると彼らは自分たちのスタジオを購入し(なんて堅実なんだ)、そこでじっくり3年もの時間をかけて、1枚目のアルバムに取り組んだそうです。

 結果、本作はC86とマッドチェスターの両方の時代の空気を吸った作品になりました。そういう意味で、僕の中でトラッシュキャン・シナトラズというバンドは、スミスストーンローゼズという2つの大好きなバンドの隙間を埋めるような存在なのです。

 ストーン・ローゼズと書きました。シナトラズをなぜ今さらで聴いていたかというと、ローゼズ来日に合わせて彼らの周辺の音楽をいろいろ聴いていたからでした。

「ローゼズ」という文脈で聴いたので、例えば<Maybe I Should Drive>が<Waterfall>に重なったし、<Circling The Circumference>が<She Bangs The Drums>に重なったりしました。ただ、ローゼズが日本を去って熱が冷めた今、改めてシナトラズを聴いていると、僕の頭に浮かんできたのは、遠く離れたアメリカのバンド、R.E.M.でした。

 以前も書いたように、僕の中でスミスとR.E.M.は似た印象を持つバンドなので、シナトラズとスミスの近さを思えば、その流れでR.E.M.が連想されても不思議じゃありません。そしてこの連想によって僕は、以前スミスの記事で書いたことを、改めて感じることになりました。

 それは、音楽との「好き」「嫌い」を超えたゆるい連帯感です。

 ある音楽を初めて聴いたときに「自分のもの」と感じるか「他人のもの」と感じるか、あるいは「近い」と感じるか「遠い」と感じるか、その大きな分水嶺が、僕にとってはまさにこのあたりの、80年代半ばから90年にかけての音楽にあるんだなあと感じるのです。

 スミスの記事では、僕は「優しさ」という表現を使いました。シナトラズについても、僕は冒頭「優しい」と書きました。ですが、C86にしてもカレッジ発オルタナミュージックにしても、
その定義が「優しさ」だったわけではありません。これは、あくまで僕個人の感じ方です。

「モテないから勉強しかすることなかったガリ勉」という、悲しい少年時代の性か、僕はこれまで、音楽を聴くときでさえも、例えばその作品のリリース年と当時の時代背景や、ポップス史におけるその作品の位置付けといった「正しい知識」と絡めないと、どうも落ち着かないところがありました。

 でも、そんな聴き方をして、何が楽しいんだろうと最近しみじみ思うのです。シナトラズやR.E.M.を「優しい」と感じ、80年代半ば〜90年に分水嶺がある、そういう、「正しい知識」と切り離された、僕だけの音楽世界を描くことの方が、ずっと大事だよなあと30半ばを過ぎて感じています。はい。

 ちなみにシナトラズは現在までに計5枚のアルバムを発表していますが、僕としては断トツでこの1stが好きです。








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