週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

2017年4月の3冊 〜海外在留日本人とストーン・ローゼズとトランプ支持者層〜

『ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち』橋口譲二

 昭和初期、日本の植民地政策や戦争で外国(主にアジア)に赴き、さまざまな事情で日本に戻らずに現地で一生を終えようとする日本人のインタビュー集。
 途中、書かれている内容の重さに何度となく読み進めるのを断念しようかと思いました。けど、ページを繰る手は止まらない。そんな本でした。「重い」といっても、凄惨であるという意味ではありません。日々の生活の営みや将来の夢、そうした人の人生をあまりにも簡単に吹き飛ばしてしまう時代(戦争)というものの重さ。そして、その中で一人の人間が下してきた決断の重さです。
 聞いたことのないような南の島で一生を畑作りに費やした人や、外国人のもとに嫁ぎ、日本人であることを隠しながら生活し、その結果今では日本語を忘れてしまった人。人の人生はなんて重く、同時になんて儚いんだろう。僕は何度もページを繰る手を止めては、胸に迫る何かをやり過ごさなくてはなりませんでした。
 このインタビューが収録されたのは10年も前。おそらく、今ではもう何人もの人が亡くなっているでしょう。




『ザ・ストーン・ローゼズ 自ら激動なバンド人生を選んだ異才ロック・バンドの全軌跡』サイモン・スペンス

 バンド結成前から2011年の再結成までを記録した、ローゼズの最新にして唯一の評伝。上下2段組で全365ページというボリュームもさることながら、メンバー含む100人近くの関係者へのインタビューによって構成された内容は、とにかく“濃い”です。来日公演に合わせて余裕を持って読み始めたのに、1ヶ月くらいかかって読み終えたのは結局公演直前でした。
 邦題サブタイトルは「自ら激動なバンド人生を選んだ異才ロック・バンドの全軌跡」。本を開く前はマユツバだろ?大げさなコピーだな?と思ってたのですが、いざ読んでみると、本当にこのバンドは無茶苦茶でした。
 テレビ出演やアメリカツアーといった、いわゆる「チャンス」を、「えええ?」みたいな理由でことごとくドブに捨ててしまう破天荒ぶり。それでも圧倒的ともいえる支持を得ているのが不思議でもあり、じゃあ90年当時、抜群のコンディションでアメリカに上陸してたらどうなったんだろうという想像も掻き立てられます。
 伝説のあの1stアルバム完成が、本の中ではちょうど全体の半分あたり。猛烈なスピードで向こうからやってきて、あっという間に姿を消してしまう。まさに暴風のようなグループであったことがわかる本です。




『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』J.D.ヴァンス

 米ケンタッキー州の片田舎に育ち、現在は法律家として活躍する著者による自伝的ノンフィクション。といっても、著者J.D.ヴァンスが本書で描きたかったのは、自身のサクセスストーリーではなく、自分が育った故郷の町ジャクソンとそこに住む人々のことでした。ジャクソンは、住民の1/3が貧困状態にあり、離婚や薬物などの問題を抱えているといわれる白人労働者階級の貧しい街です。著者自身も父親がおらず、母親は薬物中毒で何度もリハビリ施設に入所しています。ジャクソンのような、アパラチア山脈周辺の田舎の町に暮らす白人労働者たちは、ヒルビリー(=田舎者)と呼ばれます。
 ジャクソンは、元々は巨大な自動車工場を中心に、そこで働く人々とその家族によって作られた街でした。巨大資本に依存した町は、当然ながらその資本が縮小、撤退すると、途端に苦しくなります。政府の支援によって手厚く守られている黒人系やヒスパニック系と異なり、街を出ていく金も支援もなかったヒルビリーたちは、貧しくなる街に取り残されるしかありませんでした。そうして彼らの中に、厭世的な気分や既存の政府への不信感、自分たちの仕事を奪う外国人たちへの恨みが醸成されていったのです。
 本書の中に明記はされていませんが、読み終わって真っ先に感じるのは、彼らヒルビリーこそトランプ大統領の支持者層なのだろう、ということです。あとがきにも書いてありますが、実際本書は昨年の大統領選後「トランプを支持したのは誰なんだ?」という動機で手に取られ、ベストセラーにまで上りました。ヒルビリーの貧困は社会構造的な背景をもつものですが、著者はその解決には公的な支援だけでは不十分で、ヒルビリー自身の「貧困から抜け出そう」という意思が不可欠だと述べます。ところが、現実には多くのヒルビリーが、その意思(とその基になる平和な家庭や小さな成功体験)を持つことを自ら放棄している。きっと、本書を読んだ人はみんな途方に暮れたんじゃないでしょうか。
 僕自身は、実は本書を一種の「子育て指南書」として読みました。著者が、ヒルビリーの環境に生まれながら薬物中毒にも犯罪者にもならずにすんだ大きな背景には、姉による絶対的な愛情と、祖母による「あんたはやればできる子だ」という絶え間ない励ましがありました。「子供の成長には安心して過ごせる家庭が必要」ということはよく言われることですが、本書を読むと、それを極めて実際的なレベルで痛感できます。







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Paul McCartney 「One On One Japan Tour 2017」

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今回ポールが覚えた日本語:
「ゴォルデンウィークゥゥ!」


ポールのライブについては過去に2回も書いてるので、
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」
もう書くことなんてないだろうと我ながら思うのですが、
それでも何かを書きたくさせるのがポールです。

ということで、4月末に行われた、
ポール・マッカートニーの来日公演を見に行ってきました。

前回の来日が2015年のちょうど同じ時期でしたから、
ぴったり2年ぶりという短いスパンでの再来日です。
しかし今回は、16年から始まった新しいツアー、
「One On Oneツアー」としての日本初上陸になります。

メンバー的にもタイミング的にも、
前回の「Out Thereツアー」から地続きで始まっているツアーなので、
今までと大きく印象が変わったわけではありません。
まあ、あのクラスになると観客が聴きたい曲もだいたい決まってるから、
ある程度パッケージ化された内容にせざるをえないんでしょうけど。

その中で、主にセットリストの面で、
「One On Oneツアー」について僕がグッときたことを3つ、挙げてみました。

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■<In Spite of All the Danger>にグッときた
ライブ前半、バンドをアコースティック編成に変えたポールが、
「ビートルズが初めてレコーディングした曲をやるよ」と言って披露したのがこの曲。

録音されたのは1958年。
ジョンもポールもジョージもみんな10代で、
まだビートルズがクオリーメンと名乗ってた時代の、とにかくめちゃくちゃ古い曲です。
『アンソロジー1』に収録されてますが、まさかこんな曲を選んでくるとは。
ちなみに、ビートルズの歴史上、唯一ポールとジョージの2人で書いた曲でもあります。


リバプール郊外に暮らす無名の10代の少年2人が作った曲を、
60年近く経って、アジアの島国で何万人もの観客が歌ってる。
ううむ。うなるしかない光景です。

選曲の意外さもさることながら、
アコースティック編成のアレンジもよかったです。
同じ編成のまま<You Won’t See Me>、そして<Love Me Do>と続く、
Early Daysな一連のセクションはうっとりするものがありました。


■新曲<FourFiveSeconds>がフツーに良かった
「一番新しい曲をやるよ」といって突然披露したのがこの曲。
発売されてないから歌詞をバックスクリーンに映しながら演奏してました。
この曲、良かったですねえ
いかにもポールらしい、サラッと5分くらいで書いたような「小曲」ですが、
バンド向けにアレンジしていく中で凝ったような形跡もあり、早く音源として聴いてみたい。
いまアルバム作ってるって話ですが、そこに収録されるんでしょうか。

それにしても、「新曲をライブで初めて聴く」というのはよくあることですけど、
まさかそれをもうすぐ75歳になる人のライブで体験するとは思いませんでした。
しかもその新曲と60年近く前(!)の<In Spite of All the Danger>とが同じセットリストに入るって…。
つくづくポールのキャリアの長さを感じます。


■ついに<Get Back>を生で聴けた
いや〜、これは嬉しかった。
ライブに行くたびに毎回期待してたんだけど、
滅多に演奏しない曲なので、なかなか巡り会えませんでした。
今回も、武道館含め全4回のステージのうち、
この曲を演奏したのは東京ドームの最終日だけ。

ドーム2日目が終わった時点で「あ〜今回もやらないんだな」と、
最終日は期待すらしてなかったんですが、そこにきてのあのイントロ!
さすがに泣きました、これは
とにかく全部歌ってやろうと思って、
ギターソロのメロディとかまで「ティロリロ」言いながら歌いました

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以上の3曲が、今回のツアーのセットリストで特にグッときたのですが、
一方で、リイシューされたばかりの『Flowers In The Dirt』からは1曲も演奏してくれなかったとか、
おいおい<My Valentine>いつまで歌うんだよ?とか、
不満というか期待というか、突っ込みどころもあります。
それに、前述の通り、半分以上は「いつも演奏する曲」で占められているので、
総じていえば「新鮮味」はありません。

けれど、やっぱり<Ob-La-Di, Ob-La-Da>はワクワクするし、
<Band On The Run>は毎回「うおおおおぅ!」と叫んじゃうし、、
<Carry That Weight>は歌ってるとジワッときます。
何より「ポールがそこにいる」という空間はいつだって楽しくスペシャルです。

ということで、今回のツアーで、結局のところ一番強く感じたのは、
「ポールのライブは何度見ても超楽しい」ということでした。
そろそろ飽きるかな〜と思ったけど、全然飽きねえ!!

前回の「Out Thereツアー」では1つのツアーで2度の来日を果たしました。
そう考えると、今回の「One On Oneツアー」でも、もう1回来てくれるかも。
来てくれてもいいんじゃないか。
来てくれ頼むよポール






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The Stone Roses 日本武道館公演

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「This Is The One She Waited For」だなんて
なんかもう出来すぎたドラマのようです


ストーン・ローゼズの武道館公演を見てきました。
来日自体は2013年のソニックマニア以来4年ぶりですが、単独としてはなんと22年ぶり
ロック史に残る気まぐれ&アクシデント続きのバンドなので、
このチャンスを逃したら、もう二度と見られないかもしれません。
だいたい、再結成後初の単独来日だって、
元々は去年予定されていたんですから(レニの骨折によりキャンセル)。

なので、「行かない」という選択肢などハナからなく、
真っ先にチケットを押さえたのですが、
当日を迎えても、武道館の座席についても、
4人が出てきて演奏を始めるまでは安心できないという、
非常に緊張感のあるイベントでした。

んで、肝心のステージの内容ですが、これが期待以上の素晴らしさでした。
いやあ、本当に見に行ってよかった。

どう素晴らしかったかというと、結局「あのローゼズを生で見た」という一言に尽きちゃうんですが、
でもそれは、<I Wanna Be Adored>のあのベースリフをついに大合唱できたとか、
人生でトップ10に入るほど繰り返し聴いた1stアルバムの全収録曲を生で、
しかもフルメンバーによる演奏で聴けたとか、
単に夢のような時間を過ごした感激だけを指してるわけじゃありません。
そうした、頭の中でイメージしてきたことの確認の意味だけでなく、
反対に、生で見たことでそれまでの印象がガラッ変わったという、
まさにライブに行くことでしか得られないものが、少なからずあったからです。

具体的にいうと、初めて見た生のローゼズは、
想像していたよりもはるかにフィジカルなバンドでした。

キレッキレなギターで麻薬的な陶酔感を生み出すジョンと、
ポップなのに挑発的で不穏なベースラインを鳴らすマニ。
(いかにも人の好さそうなおじさんというマニのルックスとのギャップもいい)

そして、僕の目をくぎ付けにしたのは、レニのドラムでした。
15曲前後しか演奏してないのに、レニが叩いたフレーズは軽く200種類はあったんじゃないでしょうか。
「本当に20年近くドラムを叩いてなかったのかよ?」
と突っ込みたくなるくらいに変幻自在。
2階席という利点もあり、途中から僕はずっとレニを見てました。

ジョン、マニ、そしてレニの3人が生み出す、まるで音の洪水を浴びているかのようなグルーヴは、
それまで抱いていた「歌(シング・アロング)のバンド」というイメージを覆すほど強烈でした。
ストーン・ローゼズの核は、あのグルーヴ感なんだなあというのが、生で見た一番の実感。
だから、<Adored>も<Waterfall>ももちろんよかったけど、
それよりも<Fools Gold>や2ndアルバムからの3曲のほうが、ガツン!ときました。
(あ〜、<One Love>やってほしかったなあ。あれだけが心残りだなあ)

じゃあ、一方で「歌(シング・アロング)」を担当するイアンはどうだったかというと、
Twitterでいろんな人が呟いていた通り、音外しまくってました
イアンが音を外すのは有名なので知ってたんですけど、
あんなにド派手に外すとは思ってなかった!
だって<She Bangs The Drums>というキメ曲で、フルコーラス最後まで外してましたからね。
ラストの<I am the Resurrection>もほとんど合ってなかった。
あと、何の曲だったか忘れたけど、歌の入りが遅れてレニが苦笑いしてたときもありました。
あれだけのビッグネームのバンドで「ボーカルが音痴」って逆にすごい。

でもそうすると、前述したようにローゼズの核は、
<I am the Resurrection>のアウトロのような非イアン部分にあるんだから、
「イアン要らないじゃん」って話になっちゃいそうですが、
それでも結局バンドの顔は彼以外にいないと感じるのが不思議です。

どんなに音を外そうが、やっぱりステージ上で一番目を引くのはイアンだし、
あの独特なパフォーマンスをはじめ、
彼にはなぜか人の目を奪ってしまうカリスマ性があります。
音楽的にも、3人のすさまじいグルーヴ感に釣り合うのは、
イアンのあの低体温な声しか考えられません。
だって、ロバート・プラントみたいな絶叫系の熱いボーカリストがあのノリに乗っかってしまったら、
楽曲のもつスペシャルな感じが生まれないばかりか、鬱陶しくて仕方ないもの。

「ジョン・マニ・レニによるローゼズ」という発見だけでなく、
イアンのキャラクターの再確認も、やはり生で見たからこそできたことでした。

ちなみに、この日僕がもっともグッと来た曲は<Sally Cinnamon>
初期のリボルバーレコード時代のシングルで、
ローゼズのキャリアを見ればもっと優れた楽曲は他にいくらでもあるんですが、
<Sally Cinnamon>にはブレイク前夜の緊張感や若さゆえのもろさみたいな、
この曲にしかない何かがあります。
全員50代のおじさんになった4人が演奏した<Sally Cinnamon>は、
不思議なほど当時のきらめきを失っていませんでした






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Jens Lekman 『Life Will See You Now』

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「30歳」からはじまる
ポップネス


最近、娘(1歳)が星野源の音楽に興味を示しています。
Perfumeとかベビメタには見向きもしないのに、
星野源のMVは手をたたきながら楽しそうに見てます。
なのでパパは『Yellow Dancer』を買ってしまいました。

宇多田ヒカル『Fantome』に続いて、
自分一人だったらおそらく買わなかったであろうアルバムです。
でも、聴いてみたらめちゃめちゃいいですね。
評判が良いのは知ってましたが、超納得。


んで、娘はこういうファンキーなノリのシティポップが好きなのかなー、
でもそういうアルバムなんて持ってないなー、
なんて思ってたところ、たまたま出会ったのが、
スウェーデン出身のシンガーソングライター、イェンス・レークマンでした。

今年の2月にアルバム『Life Will See You Now』をリリースしたばかりで、
そのレビュー記事をネットで見かけて知りました。
このアルバムが4枚目になるそうですが、僕が聴くのは今回が初めて。

まるで流れる水のようにサラサラと進む美しいメロディと、
それを取り囲むように配置されたいろんな楽器の音。
めちゃくちゃ垢抜けてるな〜!という第一印象でした。
本人はギタリストでもあるそうですが、
このアルバムではピアノの音がもっとも効いています。

全体にどこかソウルのフィーリングが漂っているので、
いわゆる「スウェディッシュポップ」のイメージとは違うのですが、
華やかでありながらも決して押しつけがましくないところは、
やっぱり他の北欧勢と似ているなあと僕は感じます。
ソウルのノリとポップネス、そしてイェンスのバリトンボイスは、
どこか星野源に通じるものを感じさせます。



でも、ほかのアルバムを聴いてみたところ、
今のスタイルが出来上がったのは2012年の3枚目『I Know What Love Isn’t』で、
1、2枚目のアルバムは今とは雰囲気が違います。
2枚目『Night Falls Over Kortedala』(2007年)は評価が高いそうですが、
僕は今のほうが好きだなあ。

Wikipedia見てみたら、彼は僕と同い年でした。
それどころか誕生日もわずか4日違いという近さ。
おそらく世界で最も「同世代」と呼ぶに相応しいアーティストなんじゃないでしょうか。
「自分と同じだけの時間を生きてきた人」の鳴らす音や綴る歌詞だと思うと、
なんだか聴き方が変わってくる気がします。

1枚目と2枚目は今と比べるとより実験的で、その分内省的です。
雑な言い方をすると、すごく「暗い」。
キャリアが長くなるにつれて、
ポップからアバンギャルドな方向へ舵を切るアーティストはたくさんいますが、
イェンスの場合は逆だったわけです。
そして彼の場合、その境界線は20代以前と30代以降に引けます。

前者を、いかに自分自身を探究するか、
いかに「個性」を出すかに執心していた時期、
後者を、自分探しなんかよりも社会とコミットしていこうとする時期とするならば、
僕もおそらく20代と30代との間に大きな境界線を引けます。
現在のイェンスの音楽が、ハッピーで華やかなものであることは、
同い年として(全ては僕の一方的な想像だけど)とても納得できるし、
なんだか誇らしい気持ちになります。








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YUKI 『まばたき』

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わたしは何度でも
「わたし」を歌う


YUKIの通算8枚目のアルバム『まばたき』が3月にリリースされました。

前作『FLY』が非バンドサウンドを中心だったのに対し、
今作は再びバンドサウンド回帰。
YUKIの声はやっぱバンドだろ!と思ってる僕にとっては、うれしい変化でした。

なので、サウンド的には前々作『megaphonic』の路線と基本的には同じ。
曲数も同じだし、曲のタイプのバリエーションも大体一緒。
ところが、アルバム全体を通して聴くと、
聴き心地は過去の作品とはかなり異なります。

それはおそらく、歌詞の変化によるものだろうと思います。

1曲目<暴れたがっている>の一言目は、
「あがいてたら振り出しに戻ってた」
このフレーズでアルバム全体が幕を開けることに象徴されるように、
この作品は、原点回帰や初期衝動といったテーマに貫かれています。

<こんにちはニューワールド>では、函館にいた10代の頃や、
東京に出てきた20代はじめの頃をイメージさせるエピソードが登場し、
終盤「思い出は雨音に紛れ 消えた これからは 私次第」と歌われます。

<私は誰だ>という、タイトルからしてとても若い楽曲では、
「私はあまりいい人間(ひと)じゃない だから地獄に堕ちるかもしれない 時間がない」
「『生きてたい』より『生きたい』」

と、若いがゆえに感じがちな人生の残り時間に対する焦燥感が歌われます。

アルバムを聴いた後でいくつかインタビューを読んでいたら、
やはりYUKI自身も今作のキーワードとして「思春期」という言葉を挙げていました。
「思春期は10代特有のものだと思ってたけど、本当は人生に何度でも起きる」と、
今再び反骨心や自己主張の欲求が芽生えてきたんだそうです。

んで、これがなぜ「変化」なのかというと、
(このブログでフォローし始めた)2010年『うれしくって抱き合うよ』から『FLY』まで、
YUKIの歌のモチーフは基本的には「他者」でした。
家族だったり友人だったり、自分の大切な人への目線がどこかにあったし、
自分を主人公にしている歌でも、それは他者が感情移入し、
自己を投影するための「鏡」としての自分だったように思います。
それが、今作では「自分」をモチーフにした歌を歌うようになったのです。

ソロデビュー15周年というアニバーサリーイヤーゆえの原点回帰、
という面もあるのかもしれません。
歌詞のボキャブラリーはいたってソフトなのですが、
アルバム全体から受ける印象は、青臭いといってもいいほどに若く、
それゆえにどこか不器用でザラついたものです。


「ソロデビュー15周年」と書きました。
それってつまり、ジュディマリ解散の年に生まれた子が、今年高校生になるってことです。
信じられねえ。てゆうか信じたくねえ。

『まばたき』がリリースされるということもあり、
先日SpotifyでJudy And Maryの全アルバムを順番に聴き返しました。
今更ですけど、ジュディマリがメジャーで活動してたのって10年もないんですね。
それなのに『J.A.M』(1994年)から『WARP』(2001年)にいたる猛烈な振れ幅と濃密感。
「ビートルズみてえじゃん!」と思いました。

YUKIはバンド時代から歌詞を書いていましたが、
ソロ時代と比べて聴くと、雰囲気が違うのがわかります。
バンド時代の歌詞は記号的で遊戯的でフィクショナル(<くじら12号>や<そばかす>)、
一方ソロ時代は、今作『まばたき』がまさにそうであるように、
より平易な言葉を好むようになり、リアルさを重視する傾向があります。

僕は個人的には、今こそジュディマリ時代のような、
キャラクター性の強い、フィクショナルな歌詞の方が聴きたい。
ジュディマリが全盛だった10代の頃は今とは逆で、
YUKIの歌詞なんて、ウソ臭くて「軽い」と思ってました。
むしろ、今のYUKIが書くような、生な言葉をストレートにぶつけてくる曲の方が
なんとなく「本物っぽい」と感じていたのです。
皮肉だなあっていうか、「俺ってずれてるなあ」とつくづく思います。

YUKIについては、『うれしくって〜』以来ずっと、
新作が出るたびにこのブログで何かしら書いてきました。
めちゃくちゃ気合い入れてフォローしてるってわけでもないのに、
何かしら言いたくなる、どこかしら気になるアーティストなのです。
それは数少ない、リアルタイムで変化を目撃しているアーティストだからかもしれません。








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