週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

2017年3月の3冊 〜UWFとアントニオ猪木とクラッシュ・ギャルズ〜

『1984年のUWF』柳澤健

 結末の決まっているプロレスとは違うリアルファイトを標榜し、アントニオ猪木の新日本プロレスから独立した格闘団体UWFのノンフィクション。増田俊也の『七帝柔道記』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(←この数年で読んだ本の中でNO.1)そして『VTJ前夜の中井祐樹』にハマった身からすると、同じ『VTJ〜』を完結編とするもう1つのサーガを読んだ気がしました。
 10年以上前、当時バイトしてた男性ばかりの職場では、大晦日だけは控室のテレビをつけていいという決まりがあり、そこで毎年みんながチャンネルを合わせていたのが、PRIDEやK-1といった格闘技の大会でした。格闘技に大して興味がなかった僕はそこで初めて「こんなに人気があるんだなあ」と、選手の名前や技術よりも、その人気の高さに興味をもったのでした。
 エンターテインメントであるプロレスとスポーツである総合格闘技。両者はルールも目的もまるで異なるものですが、歴史を紐解けば、実は密接につながっていることがわかります。本書はいわば、僕がバイトの控室で目撃した熱狂が生まれるまでの、日本の格闘技の歩みを記録した「歴史書」です。




『1976年のアントニオ猪木』柳澤健

 前述『1984年のUWF』の前日譚にあたるノンフィクション。プロレスが総合格闘技へと進化を遂げようとする最初の一歩は、1976年にアントニオ猪木が戦った4つの試合にあった、というのが本書のあらすじ。
 なかでももっとも有名であり、決定的な役割を果たしたのが、6月に行われたモハメド・アリとの一戦です。立って構えるアリに対してリングに寝たままの猪木という異様な光景は格闘技に詳しくない僕でも知っている。そして、後に「猪木−アリ状態」という言葉まで生まれたこう着状態は、この試合が華々しい技の応酬と物語で観客に興奮と満足を与えることを目的としたプロレス(エンターテインメント)ではなく、ガチのリアルファイトだったからこそ生じたものでした。
 ところが、現在でこそ、ボクサーとレスラーが戦ったらああいう形でこう着状態に陥ることは合理的だと語られるそうですが、当時は観客もメディアも「つまらない試合」と酷評しました。「プロレスこそ最強である」とリアルでの強さを掲げた猪木が、ジャイアント馬場の全日本プロレスを超えるためにむ切った最大のカードだったアリ戦は、期待したような評価は得られず、猪木がその後プロレスから離れていく大きなきっかけになってしまいます。
 結局、あの試合の当事者は誰一人得をしなかったのですが、猪木がアリ戦で初めて日本にもたらした「異種格闘技戦」という概念と「プロレスこそ最強である」という幻想が、「プロレスから総合格闘技へ」という外国には例を見ない独自の進化を生むことになるのです。ある事件をマクロ的な視点から歴史の中に再定位するという点で、本書もやはり歴史書だと思います。




『1985年のクラッシュ・ギャルズ』柳澤健

 単にプロレスの試合を戦うだけでなく、レコードを出して大ヒットさせ、TVCMにも出演し、ミュージカルまでこなす。試合会場には連日、女子中高生を中心とした熱狂的な「親衛隊」が詰め掛け、涙を流しながらリングに向かってテープを投げる。そんな空前絶後の人気を誇った女子プロレスラー、クラッシュ・ギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)を題材にしたノンフィクション。クラッシュ2人の評伝が中心ですが、本書には第3の主人公として、クラッシュ全盛期に親衛隊に入り、その熱狂が高じて女子プロレスの編集者・ライターになった伊藤雅奈子が登場し、独白形式で自身の人生とクラッシュとの関わりを語ります。彼女の存在によって、本書は単なる女子プロレスを題材にしたノンフィクションという枠に留まらず、人が何かに熱狂する「青春」とその終わりという普遍的なテーマにまで踏み込んでいます。
 長与千種というと僕にとっては、つかこうへい『リング・リング・リング』の印象なので、舞台の人という印象が強い。ただ、確かに女子プロレスラーがなぜ「つか芝居」をこんなにもモノにしてるのだろうかというのは長年不思議でした。それが、前掲『1984年〜』『1976年〜』と本書によって、プロレスラーにとって重要なのは単なる肉体の「強さ」だけでなく、身体一つで観客の心理をつかんで物語に引き込む、肉体を通じた一種の「演技力」であること、そして女子プロレスにおける最高の天才が長与千種であったことを知り、一気に氷解しました。
 本書は苦い読後感を残します。タイトルになっている1985年、すなわちクラッシュ・ギャルズの全盛期は、実は本書の半分くらいで通り過ぎます。残りの半分は「その後」のクラッシュの2人の話。何らかの成功を遂げた人物の人生を第三者が見ると、あたかも成功の瞬間がその人の人生のゴールであるかのように見えますが、実際にはその人の人生はその後も続いていきます。ましてや、クラッシュのように若い頃に成功した場合は、むしろその後の人生の方が長い。そして、手にした成功が大きいほど、相対的にその後の人生は「陰」になりがちです。当たり前ですが、成功は永遠に続きはしない。90年代、自らが主宰するプロレス団体を立ち上げ後進の育成にあたった長与千種ですが、結局自分を超えるスターを生み出すことはできず、団体は逼迫します。2000年にクラッシュ・ギャルズは復活を果たしますが、それは観客を集めるためにとった窮余の一策であり、自分の理想が崩れたことを意味していました。本書では「時代の流れ」という言葉に込めていますが、抗いようのない何かによって光が徐々に輝きを失っていく様は、無常感の一言です。




 ということでひたすら柳澤健のプロレスノンフィクションをひたすら読んだ3月でした。実はこの後、さらに柳澤氏の『1993年の女子プロレス』、そして『1985年〜』にも登場するノンフィクション作家・井田真木子の大宅賞受賞作『プロレス少女伝説』も読みました。柳澤健は元『Number』のデスクを務めていた人物でスポーツ関連の著作が多いですが、実は僕が初めて読んだのはラジオTBSの伝説の深夜番組を題材にした『1974年のサマークリスマス』でした。この本も最高に面白かったです。











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The Collectors 『Roll Up The Collectors』

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ファンタジックな未来を語る
「ストーリーテラー」としてのコレクターズ


先週に続きコレクターズの話。
コレクターズは今年結成30周年で、3/1には初の武道館公演を開催しました。
行きたかったなあ。

武道館公演の1か月くらい前だったかな?
彼らがNHK BSの『The Covers』に出演してたのをたまたま見たのですが、
そこで披露した新曲<悪の天使と正義の悪魔>があまりにかっこよくて、
すぐにアルバム『Roll Up The Collectors』を買いました。

いやー、すごい。
キャリア30年でなんでこんなにもフレッシュで、
まるでベスト盤のようなテンションのアルバムを作れるのか。
この作品を聴き終えたときの感想は「圧倒された」という一言に尽きます。

大滝詠一の執筆した原稿や、インタビューや対談での発言をまとめた、
『大滝詠一Writing & Talking』という本があるのですが、
その中でポップソングのメロディには「ドライ」と「ウェット」の2種類がある、
というような言葉があります。
ざっくり言うと、欧米のポップソングのメロディは「ドライ」で、
日本の歌謡曲のメロディは「ウェット」という分類になります。
僕は、前者はクラシック発祥で後者は民謡発祥、という風におおざっぱに理解しています。

んで、この表現を使うのであれば、
僕は以前からコレクターズの加藤さん(どうしてか加藤ひさしは「さん」付けになる)は、
日本では少数派の「ドライ」なメロディの書き手だなあと思ってたのです。
ただ、大滝詠一のドライをアメリカンポップス的とするならば、
加藤さんのドライはイギリス的と呼びたくなります(そんなのがあるのか?)。

イギリス的というのは、アメリカにくらべるとより情緒的でドラマチックで、
もっといえば青臭い感じ(アメリカはもっと産業的で理性的でシステマチック)。
僕は特に、ピート・タウンゼントのメロディとの間に共通するものを感じます。
フーキンクスといったモッズバンドを聴きこんでいた頃は、
どっぷり浸かりすぎて逆に気付けなかったのですが、
両者とも、オープンDコードをジャーンと弾く!みたいな衒いのなさと、
妙に生真面目で物語性の強いところがそっくりな気がする。

一方で、僕は『Roll Up The Collectors』を聴いて、コレクターズの中にある、
レトロでクラシックなモッズというスタイルとは真逆のキャラクターも感じています。
それは、歌詞にみられる「近未来的な世界観」です。

例えば<ロマンチック・プラネット>では宇宙人が登場します。
<That’s Great Future>はタイトルからして既に「未来」ですが、
前後左右にも動くエレベーターやレストランで食事を運ぶドローンといった光景が歌われます。
こういった、近未来をイメージさせるアイテムが、
コレクターズの歌詞の中にはちょいちょい登場します。

過去に目を向けても、タイムマシーンが登場する<僕の時間機械>などの曲もそうですし、
そもそもデビュー曲<僕はコレクター>の「コレクター」という概念からして非常に未来的です。

重要なのは、これらのアイテムは歌詞の中で近未来そのものを描くためではなく、
「恋人と過ごしていたあの頃に時間を戻してほしい」と歌われる<僕の時間機械>のように、
あくまで普遍的で素朴な感覚を歌うメタファーとして使われていることです。
PerfumeやかつてのTM Networkが体現するのが、
先端的なテクノロジーに彩られた「ありえそうな未来」だとしたら、
コレクターズの描くのは「ファンタジーとしての未来」といえるかもしれません。

何らかの感情を表現する際にどんなものに例えるかによって、
そのアーティストの個性が表れるとすれば、近未来的アイテムを選ぶ感性は、
少なくとも僕がこれまでなんとなくとらえていた「コレクターズ像」からすると意外なものです。
ですが、この「ファンタジーとしての未来」を軸にすると、
おしゃれすぎるモッズファッションも、
加藤さんのキッパリハッキリしたボーカルも、
実は元々「ファンタジーとしての未来」を物語るための仕掛けだったようにも思えてきます。
つまりコレクターズが、デヴィッド・ボウイにも通じるような、
演劇的な感覚に満ちたストーリーテラーのように見えてくるのです。

前述の『The Covers』で、コレクターズは「同期のバンド」としてブルーハーツを挙げ、
<リンダリンダ>をカバーしました。
僕がブルーハーツの<リンダリンダ>に「おおお!」となったのはまだ10代の頃でした。
それに比べ、コレクターズの音楽にハッ!としたのは20代の終わりになった頃。
「同期」でありながらこのようなタイムラグが起きたのは、
コレクターズの方は、彼らの代名詞でもあるモッズのファッションや音楽スタイルが、
実はストーリーテラーとしての衣装であり仕掛けにすぎないという、
目に見えるものとその内側とに微妙なギャップがあり、
それを(少なくとも僕は)大人になるまでわからなかったからじゃないかという気がします。








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The Collectors 『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

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「楽曲提供」という
不思議なトリビュートの形


スタイルもジャンルも異なるアーティストが一堂に会し、
あるアーティストの楽曲をそれぞれの歌い方、
それぞれのアレンジでカバーすることで、
元々の楽曲の新しい見え方が提示され、そのアーティストへの理解や思いが一段と深くなる。
そして同時に、カバーする側の個々のアーティストにも興味が湧いてくる――。

それがトリビュートアルバムの意義であるとしたら、
昨年12月にリリースされた銀杏BOYZのトリビュート『きれいなひとりぼっちたち』は、
本当に素晴らしいトリビュートアルバムでした。
トリビュートって、少なくとも僕は継続的に聴く作品ではないのですが、
『きれいなひとりぼっちたち』に関しては、
リリースから3か月経つ今も頻繁に聴き続けています。

麻生久美子の<夢で逢えたら>も、クボタタケシRemixの<ぽあだむ>も、
Going Under Groundの<ナイトライダー>も本当に最高。
ミツメの<駆け抜けて性春>なんて「卑怯だ!」とすら思います。
聴くたびに「ああ…銀杏は最高だなあ」という思いを改めて噛みしめると同時に、
食わず嫌いだったクリープハイプにも興味が湧いてきます。




ただ、世の中には「カバー」という形ではなく、
まったく別のスタイルでアーティストへのトリビュートを示したアルバムもあります。
その一つが、『きれいなひとりぼっちたち』にも参加しているコレクターズのトリビュートアルバム、
『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

2006年にリリースされたこのアルバムは、
他のアーティストがコレクターズをカバーするのではなく、
コレクターズのために曲を書き下ろし、それをコレクターズ自身が歌う
という形をとっています。

楽曲を提供したアーティストは、
奥田民生、真島昌利、山口隆、曽我部恵一、ヒダカトオルスネオヘアーなど、
記名性の高い楽曲を書く、“濃い”メンツばかり。

山中さわお曰く、みんなコレクターズが大好きなので、
ぞれぞれが一番出来のいい楽曲を用意してきたらしく、
さながらトリビュートする側の意地の張り合いのようなところがあったそうです。
実際、例えば松本素生の書いた<19>などは、
「なぜ自分のバンドでやらないんだ?」と思うくらいの超絶名曲。
ヒダカトオルの<LAST DANCE>なんかもめちゃくちゃかっこいい。

しかも、コレクターズのために書き下ろしたとはいえ、
それぞれの楽曲には各アーティストの個性が発揮されているので、
コレクターズがGoingやビークルをカバーしているようにも聴こえてきて不思議です。

ただ、結局何よりすごいのは、
バラバラの色をもった楽曲を全て受けて立って、さも当然のように歌い倒す、
当のコレクターズ自身です。
だって、このアルバムを聴き終わって何が一番印象に残るかといえば、
結局加藤ひさしの声なんだもの。
トリビュートアルバムは基本的にVarious Artistsのコンピレーションですが、
このアルバムについては、間違いなく「コレクターズの作品」になっています。

各ソングライターの個性を感じられる一方で、
コレクターズの作品という説得力もある。
なんとも言えない、不思議な味わいが残る作品です。






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Skaters 『Manhattan』

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陰ってるし、湿ってる

2012年に米NYで結成された4ピース、Skaters
いかにもパンク/ガレージをイメージさせる名前の通り、
このバンドの音楽のベースにあるのは、ノイズの強いギターと疾走感です。
14年に1stアルバム『Manhattan』をリリースしたときは、
同じNYのバンドということで「ストロークス直系」なんて紹介もされたようです。

でも、ひと筋縄でいかないのがこのバンドの面白いところ。

確かにアルバム1曲目<One Of Us>などは
いかにもNYパンク的なバラけた疾走感がありますが、
続く<Miss Teen Masachusets>はグランジ的な重たいヴァースと哀切なコーラスとが
交互に繰り返すドラマチックな1曲。

<Deadbolt>は打って変わって、不穏な浮遊感溢れるギターが、
パンクというよりもさらに一歩進んでニューウェーブに足を踏み入れた感じだし、
<Bnad Breaker>にいたっては、なんとレゲエです。

要するに「パンク」「ガレージ」という言葉では括りきれないほど、
このSkatersという4人組は雑食性の強いバンドなのです。


実は、NYで結成されたといってもメンバーの出身地はバラバラです。
ボーカルのマイケル・イアン・カミングスはボストンだし、ドラムのノア・ルビンはLA。
ギターのヨシュアはロンドンなので国も違います。
ボストンとLAとロンドンの音楽的土壌って、全く重ならないんじゃないでしょうか。
バンドの音楽的雑食性は、メンバーの異なるバックグラウンドによるものかもしれません。

「マンハッタン」というと、よく人種のるつぼなどと言われますが、
Skatersの音楽的な多様性やメンバーのバラバラな出自を、
彼らの活動拠点であるこの街の名前に引っかけてるのかも、と思いました。


と、いろいろ書いてますが、僕がskatersに惹かれる本当の理由は、
実はこんなところじゃないんです。
完全に僕の個人的感覚なんですけど、彼らの楽曲って、どこか「哀しい」のです。

<Miss Teen Masachusets>のイントロの、揺れ動く心の葛藤のようなギターとか、
<I Wanna Dance (But I Don't Know How)>の足元にすがりついてくるような歌声とか、
何かと引っかかりスンナリ流れていってくれません。
首筋にまとわりつく真夏の湿気のように、モワッとしたものが耳に残るのです。

<Band Breaker>なんて、「モテモテあの娘がバンドを壊しちまった」という他愛のない内容だし、
MVも、いかにも「キッズ!」という感じの享楽的なものです。
なのに、聴いていると、つながりなんてものはいつか必ず壊れるんだ、
そして壊された側は常に無力なんだという、
なんかもう根本的圧倒的敗北的虚無感が静かに湧きあがってくる気がするのです。

彼らの音楽はどこか陰ってるし、湿ってる。
僕にはそう映ります。
その原因を、メロディとかマイケルの声とか歌詞とか、細部に求めてもしっくりきません。
「バンドそのもののメンタリティ」としか言えないんじゃないかなと思います。
そういう意味で言うと、僕は彼らの音楽が好きというよりも、
「ウマが合う」と表現した方がいいのかもしれません。

Skatersは3/24、3年ぶりとなる2枚目のアルバムをリリースします。
『Rock and Roll Bye Bye』という、やたらと挑発的なタイトルの作品です。








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最終少女ひかさ 『グッドバイ』

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愛に対して誠実だからこそ
愛に対してブチ切れる


かっこいいものからウケ狙いの外したものまで、
世の中にはいろんなバンドの名前がありますが、
「ヘンな名前」という点では彼らは相当上位に食い込むと思います。
2013年結成の5人組、最終少女ひかさ

最終少女ってなんだよ。ひかさって誰だよ

そして、名は体をあらわすといいますが、
彼らの音楽も、その強烈に胡散臭いバンド名に負けず劣らず、
かなりエッジが利いています。


なんかもう自由すぎる。
だいたい<いぎありわっしょい>ってタイトルはなんだ。
ほかにも<すし喰いたい><かつき>なんていう、
それだけで濃厚にアクの強さが漂ってくる曲のタイトルとか、
BPM速めで踊れる風なのに合いの手とかが入って「音頭」みたいになっちゃうところとか、
紅一点ラモネスの鳴らす妙にオリエンタルなシンセとか、
このバンドの放つ「異物感」はなかなか強烈です。

いかにも関西出身のバンドっぽいのですが、
実は北海道の札幌発というのも面白い。
彼らのキャラクターはブッチャーズピロウズではなく、
村八分ミドリと同じ土壌から出てきたと言われたほうが納得できる。

そして、このバンドのキャラクターを最も体現しているのが、ボーカルの但野正和です。
メロディに載せない、歌と喋りの中間くらいのスタイルにしても、
わざと投げやりに言葉を放ってくるところにしても、今時珍しいくらいに反抗的です。
4つ打ちの性急さとここまでマッチした言語感覚は彼以外に知らないかも。
4畳半アパートとか飲み屋横丁とか、そういう昭和っぽいロケーションが似合いそうな
但野のアングラ詩人のような退廃的な佇まいも、時代に逆行している感じで痛快です。

ただ、表面上は退廃的で投げやりでも、
彼の真意は真逆な場所にあります。

たとえば先ほどの<いぎありわっしょい>。
「愛とか恋とか分かってますから、私もう歌いませんから」
これ、「歌いませんから」と口では言いながらも、
世の中に流れる愛や恋の歌なんて全部偽物で、自分だけがそれを歌えるんだ!という、
バカ真面目さと自負心が透けて見えます。

この後にくるフレーズもそう。
「愛の始まりはまずセックスから」
これも「セックスすりゃいいんだよ」という反モラル的なことを歌いたいのではなく、
セックスが先になって愛が生まれることもある。
愛の結果がセックスだとばかり思ってたのに、その逆が成立してしまうなんて、
俺はこの先何を「愛」と信じればいいのだろう。
そんな「愛に対して誠実であるがゆえの愛への怒り」みたいなものを感じます。

このバンドって、ほかの曲を聴いても常に何かしらに対して激しく憤ってるのですが、
全てその裏側には誠実さや優しさが見え隠れしています。

最初から最後まで怒りまくって、タイトルに「グッドバイ」とつけて、
ジャケットにはビルの屋上から飛び降りた写真を載せる。
こんな1stアルバムを作ってしまって、彼らはこの先どういう道へ進むのでしょうか。
そんな後先のことなんて考えてないんだろうなあと思わせる向こう見ずなところが、
とても愛しく、そして頼もしく感じさせるバンドです。

最終少女ひかさは3月22日に、
久々の音源となる1stミニアルバム『最期のゲージュツ』をリリースします。








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