週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

Christopher Owens 『A New Testament』

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源流をたどって再発見した
「白人アメリカンポップス」の血


 米インディーロックバンド、Girlsが2009年に1st『Album』をリリースしたとき、かなり話題になったし実際に何度か試聴したのですが、そのときはいまいち僕には響きませんでした。09年というと、ちょうどペインズと同期になるわけですが、ある意味「ど」がつくほどシンプルなペインズに比べて、屈折して陰影のあるGirlsには食指が動かなかったのかもしれません。

 とにかく、そんな風に関心が薄かったので、Christopher Owensのアルバム『A New Testament』を聴いても、彼がGirlsのフロントマンであったことなど知る由もなく「誰、この新人!すごくいいじゃん!」と思ってたくらいでした。

 ただ、「すごくいい!」といっても、やたらと斬新だったという意味ではありません。このアルバムに並んでいるのは、カントリー、ソウル、R&Bといったアメリカのオールドスタイルな音楽ばかり。Girlsがアメリカンポップスをベースに独特すぎる新しい音楽を「発明」したのと比べると、この作品はオーセンティックなものを素直にそのまま再現しようとしている印象。

 なので、むしろ古典的といってもいいくらい、レトロな空気に満ちています。例えとして適当かわかんないですけど、カバーアルバムを聴いている感覚に近い。クリストファーの他のソロ作品を聴いてないんですけど、バンド解散後の彼のトレンドはこういう感じなのでしょうか。

 ただ、味付けは素朴で懐かしいものであっても、ギターの音のセレクトや女性コーラスのアレンジなどは、(変な言い方ですが)50年代の音源よりもハマってる感じがします。小気味よく曲を展開していくアルバム全体のリズムの良さも素晴らしい。Girlsとソロとでアプローチは違っていても、やはりこの人は超一流のポップ職人だなあと思います。



 話はとりとめもなく変わるのですが、本作を聴いたことで、かつてはそっぽを向いてたGirlsも今ではよく聴くようになりました。「現代のペット・サウンズ」なんて言われてるそうですが、一度聴いただけでは到底理解しきれないような凝りに凝った世界観は、確かにブライアン・ウィルソンの狂気的創造性を感じます。

 ただ、僕がクリストファー、Girls(そしてブライアン・ウィルソン)を聴いて感じたのは、「白人アメリカンのポップミュージック」とでも呼ぶべきフィーリングでした。明るく華やかで、ノリよりもメロディ重視。強烈なレイドバック感。言い方を変えればそれは“黒っぽさ”と距離を置いた、ある意味ではとてもコンサバな音楽ともいえます(まあ『A New Testament』そのものは黒っぽくもあるのですが)。

 この源流をたどろうとすると、ビーチボーイズがいて、フィル・スペクターがいて、そしてその他多くの50〜60年代のポップスがあるわけですが、21世紀の現在からみると、一部の例外を除いてそれら白人アメリカンポップミュージックのほとんどは、名盤として歴史化・資産化されている“黒っぽい”ロックンロールと異なり、ワゴンセールで980円でたたき売られ、中高年の無聊をかこつだけの存在に成り下がっている有様です。大体、ロックだと60年代の音楽は「名曲」「名盤」と呼ばれるのに、ポップスだと「オールディーズ」と呼ばれるのも変な話です。

 昨年末、And Summer Clubの記事でも書きましたが、16年は自分の音楽に対する「好みのルーツ」が、「白人ポップス」であることを実感した1年でした。そのきっかけとして、記事ではThe LemonsThe Schoolの名前を挙げましたが、実はこの『A New Testament』という作品も大きなヒントでした。

 Girls時代よりもソロ時代の方が長くなったクリストファーですが、なんと最近新しいバンドを組んだらしいです。そのバンドの名前が「Curls」って聞いたときは思わず吹きました。ガールズの後にカールズって!でも曲はめちゃくちゃ素敵です。この記事で音源聴けます。








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The Crotches 『Ein Ahot La Mifsaot』

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「ミサイルの下で書いた曲」は
どこまでもポップだった


 イスラエルの3ピース、The Crotches。出身はイスラエルだけど活動拠点は欧米、というパターンではなく、所属するGarzen Recordsもテルアビブのレーベルですし、Facebook見てると、実際現地で頻繁にイベントやったりライブしたりしてるので、正真正銘、イスラエルで活動中のバンドです。

「イスラエルにバンドがいる」ということ自体が正直驚きでした、でも、さらに驚いたのは、肝心の音楽を聴いたとき。彼らが4月にリリースした2ndアルバム『Ein Ahot La Mifsaot』だったのですが、これがめちゃくちゃかっこよかったのです。

 基本はグチャッとしたローファイなガレージロックなんだけど、メロディにしてもアレンジにしてもとにかく洗練されていて(正確に述べるなら「わざと洗練しない風」にしているところが洗練されている)、Burger Records好きにはたまらないクセや空気感をもっています。

 3曲目<Gan Ha Hashmal>や5曲目<1996>のように、ぼろぼろのトラックが暴走してるようなぶっ壊れた感じもあれば、2曲目<Kever Achim>のように、夏の日の午後のような心地よい気だるさを感じさせるメロウな曲もあり、非常に多彩なアイディアに満ちています。さらに、ヘブライ語(?)の独特な発音が乗っかるので、英語に馴染んだ耳には新鮮で、余計にかっこよく聴こえます。

 ちなみに、Garzen RecordsのBandcampを覗いてみたのですが、所属する他のイスラエルのアーティストも個性的でよかったです。僕はAbraoというソロアーティストが気になった。トロピカルなんだけどダークなサイケデリックという感じがして妙にクセになります。なんて熱い街なんだ、テルアビブ。

 でも、やはりさまざまな争いの火種を抱える国であることと無縁ではないようです。The Crotchesのプロフィールには、14年の戦争(ガザ侵攻のとき?)ミサイルが飛び交う中で曲を書き、廃墟のような場所でライブを続けてきた…というような内容が書かれています。歌詞には強い政治的メッセージが込められているそうなので、おそらく相当ラディカルなことを歌っているのでしょう。

 僕は残念ながら歌詞を理解することはできませんが、その分、純粋な「音」として聴けているはずです。そして、音として聴くThe Crotchesは、「政治的メッセージを歌うバンド」といわれて抱くイメージとはまるで無縁の、陽気でリラクシングで、ユーモラスな印象すら与えるバンドです。僕はそこに(想像ではありますが)過酷な状況だからこそポップであろうとする彼らの強い意志を感じます。

 Yellow FangManic Sheep、そしてThe Crotchesと、「母国語で歌う非英語圏バンド」が徐々に僕のライブラリに増えてきました。

 Yellow Fangのときに書きましたが、ロックという様式の、言語の違いを飛び越える伝播力の強さに驚く一方で、ロックのもう一つの側面である「自由さ」や「多様性」を考慮すると、日本人の僕がイスラエルのThe Crotchesを「かっけえ!」と感じるような、どの国でも共通のフィーリングを持つことは、手放しで喜べるものでもないんだよなあとも思います。もちろん、僕が単に「その文化でしか生まれえない音楽なんだけど、同時にポップミュージック足りえる音楽」をまだ知らないってだけかもしれませんが。

Sound Cloudで全曲聴けます↓







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The Courtneys 『II』

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「技術じゃねえ。ハートだ」は
やっぱり真実です


 カナダのバンクーバー出身の3ピースガールズバンド、コートニーズ。2013年にリリースされた1stアルバム『The Courtneys』は、地元の小さなレーベルでの扱いだったにもかかわらず人気を呼び、アメリカの有名インディーレーベルBurger Recordsをはじめ、世界各国のレーベルが彼女たちの音源をアイテム化しました。

 15年にはニュージーランドの老舗レーベル、Flying Nunと契約し、現在はバンド自身も拠点をオセアニアに移して活動しています。そして今年、Flying Nun移籍後初のフルアルバムとなる『II』がリリースされました。

 コートニーズのメンバーは、クラシック・コートニー(Gt.)、クレイジー・コートニー(Ba.)、キュート・コートニー(Dr.)と、全員が同じ「コートニー」姓を名乗るスタイル。ちなみにキュートがドラムを叩きながらメインボーカルも務めます。

 メンバー全員が同じ苗字を名乗るというと、真っ先に浮かぶのはラモーンズですが、コートニーズはその音楽スタイルまでもがラモーンズの直系ともいうべきものです。ひたすら続く直線的な8ビートとシンプル&ポップなメロディ。楽器はギターとベースとドラムだけ。演奏も歌もすごく拙いんだけど、その素朴さが逆に初期衝動を真空パックしています。



 コートニーズを聴いていると、「こんなに楽器が下手くそでもロックできるんだな!」とつくづく思います。「技術じゃねえ。ハートだ。」と口にすると綺麗ごとだと一笑に付されがちですが、いやいや、間違いなく真実ですよ。初めてバンドを組む中学生や高校生がいたら、僕は間違いなくコートニーズを(男子だったらラモーンズを)勧めると思うな。

 ただ、わが身を振り返ってみると、バンドを初めて組んだ中学3年生当時、コートニーズやラモーンズを聴いたとしても、希望を持つどころか、そのシンプルさを「単純すぎる」「子供っぽい」とバカにしてたかもしれません。「俺は他人と違う」という思春期特有の自己顕示欲を満たすことしか頭になかった当時の僕には、いかに難しい曲を、いかに他人より早くマスターできるかにしか関心がなかったからです。

 ではラモーンズをいつ好きになったのかというと、たしか20代、それも後半になってから。それは、かっこよくいえば、大人になってようやく、真っ直ぐでシンプルな生き方が、いかに尊いかを理解するようになったからです。

「俺このままこの仕事続けられるのかな」
「『アクションアイテム』ってなんだよ」
「今夜の会社の飲み会ホント行きたくねえ」
そんなことばかり考えながら、それでも仕事に向かってしまう自分を思うと、ラモーンズのシンプルで愚直で自由なスタイルが、途端に眩しく感じられたのです。

「ありえたかもしれない自分」というわけじゃないけど、コートニーズを聴いてると、もし中学生の頃に彼女たちに出会って、そしてめちゃくちゃ好きになっていたら、その後僕はどういう人生の選択をしたんだろうなあ、なんて思います。








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Satellite Young 『Satellite Young』

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90年代生まれによる
「80年代」の再発見


 日本の3人組ポップユニット、Satellite Young。彼らが今年5月にリリースしたセルフタイトルの1stアルバムが、めちゃくちゃ面白いです。

 いい!でも感動した!でもなく「面白い」と表現したのはなぜなのか。その理由は、彼らの音源を聴いてもらえば一発で理解してもらえるはずです。

 キッパリハッキリしたメロディに、気恥ずかしくなるくらいにギラギラしたビート。この匂いは…そう、80年代です。80年代以外にありえません。Satellite Youngは「80年代アイドル歌謡」をコンセプトに活動するグループなのです。

 僕はサウンドもさることながら、歌詞に激しく惹かれます。「胸さわぎとまらない午前零時 通知がきてるわ エメラルドのアイコン」<ジャック同士>なんてたまりません。アルバムにはほかにも、<ブレイク ブレイク ティクタク><卒業しないで、先輩!>なんていう、タイトルからしてたまらない曲もあります。

 ちっともおしゃれじゃないガリ勉(これも死語だな)タイプのボーイフレンドを歌った<Geeky Boyfriend>も、いかにも80年代センスでいいですね。でも、80年代当時は「ギーク」なんて言葉は使われてなかったので、あくまで視点は2017年の今ということがうかがえます。こうした、80年代テイストに隠れた現代の感覚を探すことも、Satellite Youngを聴く楽しさの一つです。

 僕は81年生まれなので、リアルタイムで80年代カルチャーを味わった世代よりは、少し下になります。にもかかわらずSatellite Youngを「懐かしい」と感じるのは、子供だったぶん、アニメをたくさん見ていたからです。当時のアニメ番組の主題歌はアイドル歌謡の主戦場だったので、メイン視聴者層だった僕らは、アニメを見る一環でアイドル歌謡の雰囲気も味わっていたのです。Satellite Youngを聴いていて頭に浮かんだのも、<悲しみよこんにちは>(斉藤由貴)とか<水の星へ愛をこめて>(森口博子)とかでした。<Sniper Rouge>なんて、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の主題歌<愛はブーメラン>にそっくりです。

 んで、Satellite Youngを最初に聴いたとき、僕はてっきり80年代をリアルに経験してきた人たちが、「青春をもう一度」的に始めたグループなんだろうと思ってました。でも、だとしたら、メンバーは最低でも40代後半でないと辻褄が合いません。なのに、Satellite Youngのメンバーの見た目はせいぜい30代。後から調べたら、ボーカルの草野絵美は90年生まれで、80年代生まれですらありませんでした。つまりSatellite Youngが描いている「80年代」は、実際には80年代をまったく経験していない人たちの手によるものだったのです。僕はこれがすごい面白いなあと思いました。

 ものすごく当たり前の話ですが、元々「80年代」という言葉は、音楽のジャンルやコンセプトを指す言葉ではありません。にもかかわらず、80年代の音楽って、ジャンルを問わず、なんかこう同じ匂いがします。知らない曲でも「あーこれ80年代だな」となんとなくわかる。

 洋楽に目を向けてみても、80年代のポップスってやっぱり独特です。<Girls Just Wanna Have Fun>のMVで見せたシンディ・ローパー派手なメイクと、オリビア・ニュートン・ジョンの<Physical>のあのチカチカしたMV、あとデュラン・デュランの<Reflex>でステージの上から滝が落ちてくる、今でいうAR映像みたいないやつ。80年代の洋楽と言われて僕がパッと思い浮かぶのはこのあたりなんですが、日本とは多少趣きが違うとはいえ、ギラギラとしたバイタリティに溢れているところは共通しています。

 80年代って、今振り返ってみると、テクノロジーに対する信頼がもっとも厚かった時代という気がします。音楽業界ではそれがシンセやリズムマシーンといった電子サウンドの一般化と、映像との結びつきの強化によるド派手化ショー化になって表れたのかなあと。80年代の音楽が共通してもつ匂いは、そのような「未来に対する無邪気な憧れ」なのかもしれません。90年代のグランジの登場やオアシスのような「古典派」の復権は、享楽的な80年代からの揺り戻しという文脈で捉えられる気もしてきます。

 Satellite Youngを聴いていて、キッパリハッキリとニュアンスを出す80年代的思い切りの良さが、「あか抜けない」ではなく「眩しい」と映るのは、それが(大げさに言えば)未来を信じているがゆえのものだからです。そして、未来を信じていることが「眩しい」と感じるのは、何かとキナ臭い2017年の日本社会に僕が生きているからです。

 この点で、Satellite Youngがやっていることは、単なる80年代サウンドのリバイバルではなく、新たな文脈に基づいた「再発見」と呼ぶべきものだと思います。








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Car10 『Car10』

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大きくなった彼らの背中を
僕は呆然と見送るだけ


 大滝詠一の長年の盟友である音楽家・井上鑑は、初めて『A Long Vacation』のデモを聴いたとき、「曲が“上等”になったな」と感じたそうです。今年6月にリリースされたCar10(カーテン)の新作アルバムを聴いて、僕の頭にパッと浮かんだのも、まさに「上等」という言葉でした。3枚目にして初めてバンド名をタイトルに冠したこの作品は、セルフタイトルに相応しい彼らの最高傑作だと断言できます

 ただし、このアルバムは、2枚目『Rush To The Funspot』(2015年)やEP『Best Space』(16年)の、単なる延長線上にはありません。このことは1曲目<くらい夜に>を聴けばすぐにわかります。

 まずは、この曲が「日本語詞」であること。これまでこのバンドには日本語の曲が圧倒的に少なかったことを思えば、プレイボタンを押すといきなり日本語詞が聴こえてくること自体が意外です。アルバム全体でみても、英語詞と半々くらいのバランスにまで、日本語詞の曲が増えています。新曲は全て日本語詞じゃないでしょうか。

 重要なのは数が増えたことではなく、日本語詞の曲の「存在感」が強くなったことです。<くらい夜に>や2曲目の<マチフェス>といった曲では、メロディへの言葉の載せ方や言葉自体の選び方が過去の日本語詞の曲とはまったく異なります。特に<マチフェス>は川田晋也の脱力ボーカルともかみ合って、相当にユニークな世界観を生んでいます。これまではCar10のことを「英語詞のバンド」と認識している人が多かったと思うのですが、今作を機に「日本語詞のバンド」にパブリックイメージが変わるんじゃないでしょうか

 そして、<くらい夜に>で日本語詞以上に驚くのは、この曲の展開です。サビに入り、これまでならギターがガツン!と鳴って全力疾走し始めるところを、この曲の場合はゆったりしたシャッフルリズムに切り替わるのです。しかも、ビーチボーイズのようなコーラス付きで。

 似たような印象を受けるのはアルバムラストの<Block Party>で、こちらは<くらい夜に>よりもさらにめまぐるしくテンポが変わります。コーラスもやはりビーチボーイズ風。これらの曲に見られる今までになかったアレンジには、完全に意表を突かれます。特にコーラスなんて、絶叫系の「ギャングコーラス」こそ彼らの代名詞だったわけですから。

 ちなみに、インタビューを読んで後で知ったのですが、川田晋也はこのアルバムの制作前に映画『ラブ・アンド・マーシー』を見て、ブライアン・ウィルソン(そしてそこからの大滝詠一)を聴きこんでいたそうです。なので「ビーチボーイズ風」と書いたのは。あながち間違いではなかったらしい。そういわれると<Block Party>の、さまざまなシークエンスをつなぎ合わせながら曲が進んでいく感じは、どことなく<Heroes And Villains>っぽいです。

 んで、話を戻して、結局これまでの作品とアルバム『Car10』は何が違うのか。日本語詞の増加と楽曲のバリエーションが広がったことの2つのポイントで書いてきましたが、それらは単なる「現象」にすぎません。それらの現象の結果として、このアルバムからトータルで受ける印象は、彼らが「大人になった」という言い方が一番しっくりきます。

 今作で最初に公開された楽曲は<マチフェス>でしたが、この曲は過去の楽曲とは明らかに次元が違っています。パンクやインディーの世界を飛び越えて、もっとメジャーでライトな層までをも捉える射程の広さを備えています。僕が冒頭に述べた「上等」という表現で指したのは、この射程の広さのことです。

 彼らがそれだけの器量をもつバンドであることは、例えば『Best Space』の<ミルクティー>などで明らかでしたし、この作品でこれまで以上に人気が広がっていったとしても、それは正当な評価だと思います。ただ、自分自身で勝手だなあと思うのですが、こうなると逆に『Rush To The Funspot』の頃の、あの青さが途端に懐かしくなってきてしまう気持ちもあるのです。一度も後ろを振り返らずに遮二無二前へと突っ込んでいくようなエネルギーが。

 成熟していくことは喜ばしいことなのに、もう二度と元には戻れないことに寂しさも覚えてしまう。そういう感覚を表現すると「大人になる」という言葉が、僕にはもっともしっくりくるのです。

 ただ、最高傑作であることは間違いありません。いつのまにか自分よりも背が高くなった少年の顔を仰ぎ見るような、そんな気持ちにさせられるアルバムです。








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