週刊「歴史とロック」

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平成が終わる前に「ZARD」を語る〜最終回:「音楽とはメロディだ」と信じられていた時代〜

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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>〜
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<後編>

 年明けから延々書いてきたZARDの話も、今回でようやく最終回です。とはいっても、元々書こうと思ってた話は前回で終わっているので、今回は余談的な内容。「なぜ今ZARDのことを書いたのか?」です。

90年代に「思い入れが薄い」

 きっかけは、大きく二つあります。

 ひとつは、以前書いた『カセットテープ少年時代』の話に遡ります。あの記事で僕は「80年代ブームが過ぎればその次に90年代ブームがくるはず。80年代と違って90年代は自分が当事者として過ごした時代。ブームが到来したとき、自分は当事者として、何がそこで語られれば納得できるのだろう」と書きました。

 実は、あのときにはうまく書ききれなかったことがあります。それは、「当事者」と書いたものの、こと音楽に関して言えば、実は90年代に対して僕自身はそこまで思い入れが持てていない、ということでした。先日、たまたま自宅にあるCDを60年代、70年代、というふうにリリース年別に分類していたのですが、一番少なかったのが90年代でした。自分が青春時代を過ごし、世の中的にもCDがもっとも売れた時代だったにもかかわらず。

 そういう自分に、90年代という時代について納得できるものや、ましてや語れるものって何があるんだろうかという疑問が、折しも新元号への改元に伴い「平成の総括」が流行り始めたこともあって、むくむくと大きくなってきたのです。ちなみに、去年の暮れにサザンについて書いたときに、70〜80年代ではなく、あえて90年代の曲を取り上げたのも、実はこのことが頭にあったからでした。

 一方で、ここ数年「洋楽邦楽問わず、最近の曲って、メロディがあまり重視されてないんじゃないか」という感覚を抱くようになったことも背景の一つにありました。漠然とした言い方になりますが、「曲というものが歌(メロディ)ではなくグルーヴによって作られるようになった」「メロディは歌ではなくグルーヴの一要素になった」、そんな感覚です。

 音楽そのもののトレンドがグルーヴ重視になったのかもしれないし、アーティスト自身が曲を作って歌う自作自演が当たり前になり、メロディは他人に提供するものから自分で消化するものに変わったことで、アーティストのメロディに対する意識が相対的に低くなったといえるのかもしれません。ポップスにおけるメロディの位置づけの変化自体は歴史の自然な流れとしても、僕個人としては職業作曲家の手によってメロディが今よりも“立って”いた時代の音楽のほうに愛着があります。

 そう感じるようになったのは、ここ数年よく聴いている1950年代後半から60年代前半にかけて、リーバー&ストーラーやゴフィン&キングといった職業作曲家が活躍した時代のアメリカンポップス、俗に「ブリル・ビルディング・サウンド」とよばれる音楽からの影響があります、また、その日本版といってもいい松田聖子薬師丸ひろ子といった80年代アイドルの音楽からの影響もあります。

 以上に挙げた「90年代とは?」と「メロディはどこへいった?」という2つの関心のベクトルが、僕の中でちょうど交わったところにいたのが、ZARDだったのです。

「3つの時代」に分かれる90年代

 ところで、当時の空気を実際に吸ったひとりとして90年代という時代を振り返ってみて思うのは、音楽に関しては大きく3つの時期に分かれていたということです。

 まず前期は91年から94年の夏まで。米米CLUBの<君がいるだけで>が爆発的にヒットし、B’zがハードロック路線を定着させ、CHAGE&ASKAが怒涛の快進撃を見せ、ミリオンセラーが急速に日常化した時代です。僕らの世代の大半は、この時期にCDを初めて買ってるはずです(僕の年齢だとチャゲアスの<SAY YES>が定番でした)。ZARDもこの時期に含まれます。

 この時代に主力となって活躍したアーティストは、ほとんどが80年代にデビューした人たちでした。なので、90年代に入ったといっても楽曲のもつ雰囲気はどこか80年代の余韻が残っていたように思います。

 中期は94年夏から97年いっぱいまで。この時期はなんといっても小室哲哉です。94年の夏に出た篠原涼子<恋しさとせつなさと心強さと>とtrfの<Boy Meets Girl>が、まさに時代の幕開けを告げる号砲でした。ここから始まるえげつないまでの「小室時代」については周知の通り。

 小室哲哉自身は80年代から活動していましたが、彼がこの時代に手がけたアーティストはどれも新人ばかりでした。音楽的にもそれまでの邦楽にはないほどダンスミュージックに傾倒していて、実質的な「90年代」の始まりはこの時期だったと思います

 一方で、Mr. ChildrenやJudy And Mary、The Yellow Monkeyといった90年代に入ってからデビューしたバンドが人気を獲得します。これらのバンドは80年代のHR/HMの流れからは切り離された「90年代のバンド」と呼ぶべき一群で、彼らが認知されていくことで、ZARDをはじめとする80年代の流れを汲んだビーイング勢は徐々にその役割を終えていきます。

 よく覚えているのが、織田哲郎のプロデュースでデビューした相川七瀬です(95年)。当初2〜3枚のシングルは大ヒットしたし、未だに僕ら世代の女性はカラオケ行くとかなりの確率で彼女の曲を歌いますが、個人的にはああいう「ロック=不良」みたいなイメージ戦略は、当時の時点ですでに古臭く映っていました

 そして、後期は98年以降の時代。98年に何があったかというと、まず2月にMISIAが<つつみ込むように…>でデビューします。続いて5月に椎名林檎が<幸福論>でデビュー。そしてなんといっても宇多田ヒカルの登場です。彼女が12月に<Automatic>でデビューします。

 宇多田ヒカルのデビューを小室哲哉自身が「自分の時代の終わりがきたと感じた」と語っているように、彼女たちのように豊かな音楽的バックボーンをもち、訓練された技術をもつ本格派SSWがデビュー当初から一気に支持を集めたのは、オーディションで選ばれた素人を歌手デビューさせて稼ぐ小室時代的スタイルに対する「そういうのはもういいよ」の表れだったと思いますハイスタミッシェルというモロに海外と直結したグループがこの時期に前後して人気を拡大したのも、やはり大きくはこの文脈だったんじゃないかと思います。

 個人的にインパクトが強く残っているのはMISIAです。当時僕が知るレベルをはるかに超えた歌の上手さでした。上手いというか、声の質も曲調も何もかもが、それまで聴いていた日本の音楽とは根本的に違っているように感じました。余談ですが、今から10年ほど前にMISIAの歌を生で聴く機会があったのですが、本当にすごかったです。CDよりも上手いと思いました。僕が生で歌を聴いたことのある歌手のなかでは、いまだにMISIAがNo.1です。

「職業作曲家」はどこへいった

 話を元に戻します。

 職業作曲家は、レコード会社や音楽出版社から依頼を受けて曲を作ります。そこで重視されるのは、曲を通じて作曲家自身が自己表現をすることではなく、いかにクライアントのニーズを満たすか、そしていかにターゲット層に聴いてもらえるかです。そのようにして作られるメロディは、必然的に狙いが明確で形がハッキリしたものになるはずです。僕が「メロディが重視されなくなった」と感じるのは、職業作曲家の減少と無縁ではないと思うのです

 90年代の中期から後期への流れを今振り返ってみて、つくづく悔しいな〜と思うのは、小室哲哉やつんくによって「プロデューサー」という職業が脚光を浴びたものの、それが音楽を聴く際の切り口の一つとしては根付かずに、「有名タレントがプロデュースした●●」みたいな形でしか発展しなかったことです。「プロデューサー」が宣伝文句の一つに矮小化され、その反動として椎名林檎や宇多田ヒカルといったSSWが一挙に人気を集めたことが、結果的には「職業作曲家離れ」を加速させたんじゃないかという気がします。

 そういう意味でZARDは、職業作曲家が裏方に徹していて、なおかつヒットを放っていた最後の時代に位置するアーティストの一人でした第1回でZARDの所属レーベルであるビーイングをフィレス・レコードに例えたのは、単に音楽の生産システムだけを指していたわけではなく、音楽そのものも僕には似ているように映っていたからでした。

 先ほど僕は実質的な90年代の始まりは、小室時代が幕を開ける中期からと書きましたが、僕個人の好みとしては90年代前期がもっともフィットするので、中期以降の「90年代の音楽」に思い入れが持てないのはそのへんが関係しているのかもしれません。

「意外なところ」に息づいていた遺伝子

 と、なんとなくネガティブなトーンで話は終わりそうなんですが、実はつい最近、(僕が個人的に考える)職業作曲家の空気を、ある人の楽曲に発見しました。誰あろう、米津玄師です。

 彼が作詞作曲した<パプリカ>という曲が、娘とよく見るEテレの番組で流れるのですが、この曲が不思議と耳に残るんですね。いい意味でサラッと聞き流せないというか、お風呂でついつい口ずさんじゃうようなフックがあって、娘もこの曲が流れると必ずTVをじっと見つめます。ということでパパはこの曲のコード進行を調べてみたんですが、とても面白い構成をしていたんですね。

<パプリカ>コード進行

 AメロはAで始まり、BメロはF#m(つまり平行調)に変わります。本来であればBメロラストでF#mもしくはAのドミナントのEとかに持っていくところですが、実際にはF#に切り替わって、そこから長2度上がってサビでBに転調するのです。つまり、BメロのF#mの同主調であるF#にまず移行して一瞬の「揺らぎ」を表現し、さらにそのF#をドミナントに利用してBに転調しているのです。



 非常にロジカルで、ロジカルだからこそとてもシンプルで、見ているだけで楽しいコード進行です。ちょうどブログを書いていたタイミングだったのもあり、織田哲郎栗林誠一郎がZARD楽曲でたびたび見せてきた職人芸の数々と<パプリカ>には重なるものを感じました。

 娘といえば、日曜朝9時にテレ東で放映している少女向け特撮ドラマ『マジマジョピュアーズ』では、今やあまり聴かなくなった「大サビ半音上げ盛り上げ転調」がガンガン使われていて、これも驚きでした。

 職業作曲家って減ったなあと勝手に思っていたけど、子供向けのプログラムにはちゃんと息づいていて、その職人技はちゃんと若いリスナーの耳に向けて発揮されているんですね。そのことを自分の娘から教えてもらったことにしみじみとしたのでした。はい。






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平成が終わる前に「ZARD」を語る〜第5回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<後編>〜

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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>

 前回の続きです。ZARD史上最高傑作『OH MY LOVE』の、その最高傑作たるゆえんが、ラスト2曲。9曲目<来年の夏も>(#9)、と10曲目<あなたに帰りたい>(#10)です。

『OH MY LOVE』収録曲
#1 Oh my love
#2 Top Secret
#3 きっと忘れない
#4 もう少し あと少し…
#5 雨に濡れて
#6 この愛に泳ぎ疲れても
#7 I still remember
#8 If you gimme smile
#9 来年の夏も
#10 あなたに帰りたい

「強がり」と「本音」の間で揺れ動く

 #9は「来年の夏も大好きなあなたと一緒にいたい」というシンプルなテーマのラブソング。耳触りのよいボサノヴァ調のアコースティックギターもあって、ようやく平穏が訪れたかのように思うのですが、引っかかるところが2つ。

 ひとつは、冒頭の歌詞「同じ血液型同士ってうまくいかないというけど 私達例外ね 今も2年前の気持ちと変わらない」に出てくる「2年」という数字が、#7で出てきた数字とピタリと重なること。#7では、付き合ったけど結局別れてしまう(その悲しみはちっとも癒えない)までの時間として「2年」が出てきたので、不気味な符合です。

 そしてもうひとつは、この曲の異様な構成です。最初はボサノヴァ調で始まるこの曲は、中盤でハードロックに変化、ブリッジを経た大サビからさらにギアが上がり、最後は40秒以上にも及ぶ壮大なピアノソロになだれ込むという怒涛の展開を見せます。もはやプログレのような、異様なまでのハイテンション。

 僕はこのアルバムを初めて聴いたとき、最後に「ジャンジャジャンッ!」とピアノが締めた瞬間、「これでエンディングだな」と思いました。アルバムのストーリーとしても演奏のテンションとしても、「もうこれ以上はないだろう」と納得させるなにかがあるように感じました。

 ところが、これで終わらないのです。ラテン風の乾いたギターの音とともに#10が始まります。そしてギターがひとしきりフレーズを弾き終わると、今度はピアノが入り、なんとも寂寥感のあるメロディを奏で始めます。この曲のイントロは90秒。ZARDの全ての曲のなかで最長級です。

 そして歌が始まります。最初のフレーズは「泣いてばかりいた あなたと別れてからずっと」。そうなのです、なんとここで再び別れの曲になるのです。ただし、#5#7のように別れの直後ではなく、「もうすぐ桜の咲く頃 この頃変わりました」とあるとおり、別れてから一定の時間が過ぎたタイミングに視点が設定されています。

 そしてサビ。「髪を切って明るい服を着て 目立たなかったあの日の私にgood-bye」と、悲しみを乗り越えるためにあえてそれまでの自分とは違った外見になったことが綴られ、もし街であなたに「今度会っても そう気付かないでしょう」と続きます。そして締めのフレーズが「そしてもう一度 あなたに帰りたい」

「私に気付かない」ことが、なぜ「もう一度あなたに帰りたい」につながるのか。それは、気付かれないことで「あなた」との最後の繋がりが断たれ、その瞬間に私の中の未練も無くなる。そうなって初めてあなたのことが思い出に変わる。つまり「あなたに帰りたい」というのは、「復縁したい」という意味ではなく「あなたを乗り越えたい」という意味のレトリックなのだ。そう考えれば、痛々しさには満ちているけれど、とても力強く前向きな響きがあります。

 ところが、です(今回何度「ところが」「しかし」と書いただろう)。2コーラス目、そして大サビになるとこの肝心の部分の歌詞が変わるのです。「今度会ったら私に気付いてね そしてもう一度悲しい思い出にgood-bye(大サビは”そしてもう一度 あなたに帰りたい”

 やっぱり気付いて欲しいのかーい! いや、もちろん気持ちはわかる。むしろ「気付いて欲しい」と思うほうが自然だと思う。でも、「きっとあなたは気付かない(=それでいい)」で締めていれば美しかったのに、あえて「やっぱり気付いて欲しい」という本音をその後に持ってくるのは、良くいえば正直、悪くいえば身もふたもない。

 でも、強がりと本音の間で揺れ動くさまは、実はアルバム全体を通じて何度も繰り返されてきたことでした#1、#2と来て#3で落とすのも、直後の#4で歌われる情念も、#6のシリアスさの後で#7の身もふたもなさがくるのも、結局は人と人が愛し合うことの綺麗ごとだけではすまないリアルさを表しているように思うのです(ここまでくれば、前述の#7#9との「2年」の符合は意図的と考えるべきでしょう)。

 そして、それがもっとも凝縮されているのが#9#10の2曲でした。もっと言ってしまえば#9のアウトロから#10のイントロ終わりまでの2分強。歌詞こそないものの、終わった!と思っても終わらないというあの展開そのものに、今作のテーマが端的に表れています。この2分強こそ、ZARDというアーティストの創造性が、全キャリアを通じてもっとも発揮された瞬間だったと思います

「落差」をコントロールする職人芸

 それにしても、なぜこの『OH MY LOVE』というアルバムは前作『揺れる想い』とは真逆と言ってもいいトーンに変わったのでしょうか。しかも、明らかにコンセプチュアルな意思のもとに。

 まず挙げられるのは、第1回でも書いたように、プロデューサーの長戸大幸はじめビーイングのクリエイターの多くがロック畑出身で、トータルアルバム志向が自明のものとして共有されていたからだろうという点です。坂井和泉によるセルフプロデュースに切り替わった『Today Is Another Day』以降、ベストアルバム的内容に変わったことが、それを逆に証明しています。ビーイングのスタッフたちは、商売人として売れるシングルをガンガン切りながらも、一方でアルバムにはポップさを残しつつシングルとは異なる創造性を追求していた。個人的には、なんとなくそういうロマンを見たくなります。

 ただ、そのうえで、このアルバムを支えた重要なファクターとして挙げたい人物が3人。

 ひとりはアレンジャーの明石昌夫。実はこのアルバム、収録曲全てが彼のアレンジです。ZARDでアルバム1枚が丸々ひとりのアレンジャーに投げられたのは、後にも先にもこの1作のみ。前期ZARDのアレンジャーというと明石昌夫と池田大介、葉山たけしのトリオですが、明石昌夫が3人のなかでもっともロック寄りです。別の言い方をすれば、派手で、重たく、ケレン味が強い。前述の#9アウトロ〜#10イントロなんかはまさにこの「ケレン」の部分が生きています。全編、明石昌夫のトーンで統一されていたということが、このアルバムの世界観をより強固にしていると思います。

 ふたり目は、他ならぬ坂井和泉です。第1回からここまで、ほとんど彼女について触れてきませんでした。しかしZARDとは言わずもがな坂井和泉そのものであり、ここまでたびたび書いてきた「透明感」「さわやか」といったZARDのパブリックイメージも、つまりは坂井和泉のイメージということです。

 そのイメージの根拠となっているのは、彼女のビジュアル以上に、彼女の作る歌詞の力が大きいのではないかと僕は思っています。たとえば「負けないで」「揺れる想い」「きっと忘れない」のように、シンプルだけどインパクトのあるパワーワードをサビの頭にぶつけて、しかもそれを曲タイトルにまでしてしまうという、ある種キャッチコピーのような歌詞の作り方は、ZARDの都会的で清潔感のあるイメージを大きく支えていました。

 しかしここまで見てきたように、『OH MY LOVE』の歌詞には、個々の曲を1つのシーンとしながら、それをつなげることで大きなストーリーを作ろうという意図が見えます。しかも、新しい恋人のことを想像して「きっと私より素敵な人に違いない」と自虐的になったり、不倫相手の生まれた家を訪ねるというエキセントリックな行動を取ったり、あるいは「乗り越えた」と口にはするものの、やっぱりあなたのことが忘れられないと告白したりと、J-POPというよりも演歌に近いような情念的な世界で統一しようとしているところも、従来にはほとんどなかったことです。

 コピーライター的な歌詞が、一瞬のインパクトで鮮烈なイメージを残そうとする絵画的な手法だとしたら、『OH MY LOVE』の歌詞の作り方は、アルバムという長い時間軸のなかで統一された世界を作ろうとする映画や小説の手法です。坂井和泉のこうした作家性は、この作品を「トータルアルバム」にするうえでは不可欠なものだったはずです。余談ながら、僕は坂井和泉の評価すべきポイントは何よりも作詞家としての彼女だと思っています。

 そして、最後のひとりが栗林誠一郎です。このアルバムでは10曲中6曲が彼の作曲。1枚のアルバムに占めるひとりの作曲家の曲数としては、ZARD史上最多です。そして、前作『揺れる想い』は織田哲郎カラーに寄せていたと書きましたが、このアルバムでは栗林本来のテイストがふんだんに発揮されています。それは前回も書いた通り、コードでいうと「マイナーコード」のトーンで、#4#6にとても顕著に表れています。

 ただ、僕がもっとも「栗林誠一郎すげえ」と思ったのは、(しつこくてすいません)#9#10です。前述の通り、この2曲は連続することでアルバムのなかで最大の「落差」を作っており、それを演出しているのが明石昌夫のハイテンションなアレンジであり、坂井和泉による真逆の歌詞だったわけですが、実はそれを裏で支えていたのが彼の絶妙なコード進行でした

 2つの曲の、サビの部分のコード進行を比較してみます。

#9<来年の夏も>
E♭M7 F Gm7 
来年の 夏も
E♭M7 F B♭M7
となりに いるのが
E♭M7 D7 Gm7
どうか あなたで
Cm7 Dm7 Gsus4G
ありますように


#10<あなたに帰りたい>
B♭ C   Dm    F C  Dm
髪 を切って 明るい服を着て
B♭  C   Dm     Gm7 Am7   Dm
目立たなかった あの日の私 に good-bye
B♭ C   Dm     F  C    Dm
今度会っても そう気付かないでしょう
B♭   C   Dm     Gm7 Am7 D7sus4 D7
そして もう一度 あなたに帰 りたい

 楽器やっている人ならすぐに気付くと思います。実はこの2曲のサビのコード進行は、キーこそ異なるものの、IV(とその平行調)→V(とその平行調)→I(とその平行調)という同じ構造をしているのです

 明石昌夫と坂井和泉が#9から#10にかけて「落差」を作りました。しかし、2つの曲が「ただ違う」というだけなら、それは落差にはならず単なる「異物感」で終わったはずです。2曲のつながりが異物感ではなく、狙ったとおりの「落差」を演出できるように、裏にいる栗林誠一郎がコード進行を揃えるという手法で最低限の統一感が維持されるようコントロールしていたのではないでしょうか。なんという職人芸。書いていて震えてきます。

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 延々と書いてきた『OH MY LOVE』の話もこれでようやく終わりです。ZARDのことを書こうと決めたときに、まず触れなければいけないと思ったのが、このアルバムのことでした。

 このアルバムがリリースされた当時、僕は中学生でした。1枚3,000円もするアルバムは、中学生には何枚も買えるものではなくて、ZARDに限らず音楽に触れるメディアは必然的にシングルが主流でした。確かこのアルバムも、最初は友達に借りて聴いた気がします。

 しかし、ここでも繰り返し書いたように、アルバムを聴いた最初の印象は、それまでシングルを通じて思い描いていたものとだいぶ違ったものでした。そういう意味では、僕にとって初めて「アルバム」という概念に触れた最初期の1枚でした

 コード進行のことや、細かい歌詞のつながりなどは今回書くうえで改めて聴きなおしていて気付いたことです。その作業は、自分が四半世紀近く前に抱いた漠然としたイメージを、焦点を絞ったり余計な埃を払ったりしながら、鮮明な像にブラッシュアップしていくかのようで、とても面白かったです。

 ZARDの話はほぼこれでおしまい。次回はほとんど余談です。






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平成が終わる前に「ZARD」を語る〜第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>〜

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甘いオープニングは
一気に落とすための「罠」である


 まだまだ続いてます、ZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD

 前回は、ZARDの「アルバムアーティスト」という側面について書きました。今回はそのなかから5thアルバム『OH MY LOVE』を取り上げて、なぜこの作品がZARD史上最高傑作なのかについて書きます。長くなったので今回は前編です。

このアルバムについて、僕は前回、春夏秋冬の”秋”に例えました。空気は冷え、木々の葉は散り、終わりに向かってゆっくりと坂を下り始める季節のように、この『OH MY LOVE』というアルバムは前作『揺れる想い』とは打って変わり、悲しさや切なさに溢れた作品となっています

1曲目から順番に見ていきましょう。

#1 Oh my love
#2 Top Secret
#3 きっと忘れない
#4 もう少し あと少し…
#5 雨に濡れて
#6 この愛に泳ぎ疲れても
#7 I still remember
#8 If you gimme smile
#9 来年の夏も
#10 あなたに帰りたい

 #1「もう友達のエリアはみ出した」「あなたといるときの自分が一番好き」など、恋の始まりを瑞々しく歌った曲。#2は、同棲を始めたものの恋人が忙しくて一緒にいる時間が少ないことを不満に感じている女性が、思わず「昔の彼に電話」してしまうんだけど、結局最後は「やっぱりね、あなた(=今の恋人)の方がいい」と、聴いてて思わず赤面してしまうくらいにのろける曲。

 そうなのです。実は幕開けの2曲は悲しさなんて微塵も感じさせない、底抜けに甘いラブソングなのです。サウンド面で見ても、#1のイントロが清潔感のあるピアノと60年代ぽいコーラスで始まるように、聴き始めた瞬間は『揺れる想い』よりもむしろ明るい印象すら抱くほどです。実はこの2曲が、この後に襲いかかる悲劇に向けて仕掛けられた巧妙な罠だとも知らずに

 続く#3も非常にポップなナンバー。織田哲郎の手によるシングルカットもされた曲で(ただしアレンジはアルバムとシングルで微妙に異なる)、個人的にはZARD楽曲の最高傑作はこの曲だと思っています。なんてシンプルな歌詞とメロディ。

 しかしこの曲、よくよく聴くと「別れの曲」です。しかも「every day every night 泣いたりしたけど 誰にも話せなくて(中略)暮れゆく都会 あふれる人波 今にも笑顔であなたが現れそうで」などとあり、単なる失恋などではなく、恋人はもうこの世にいないことを匂わせます

 #3を単独で聴いたときはそこまで気にならないでしょう。しかし、#1、2からの流れで聴くと、#3なんて残酷な歌だろうと感じざるをえません。恋の始まりの甘酸っぱさや、恋が愛へと変わっていく模様が歌われた直後に、いきなりその恋人が死んでしまうわけですから、あまりの落差に呆然とします。というか、この落差を表現したいためにわざと#1、2にああいう曲を配置したようにも思えます。その証拠に#3以降、このアルバムはひたすら重く、苦しく、悲しみに満ちた展開を見せるからです。いよいよこのアルバムの正体が姿を現します

 #4は、ZARDでは珍しい不倫をテーマにした曲。「想い出の神戸の街」「あなたへの手紙をしたため」、その手紙の末尾に「追伸: あなたの生まれた家を見てきました」と書くなど、歌の端々から主人公の怨念めいた感情が見えてきます。『揺れる想い』にはありえなかった湿度の高さです

 続く#5は再び別れの曲。「今日で二人は他人同志だから別々に帰ろう」「雨に濡れて想い出ごと流して あなたのこと忘れられたら」と、リアルでなんとも悲しいフレーズが連発します。

 作曲は栗林誠一郎。第2回でも触れたとおりこの曲はカノン進行がベースになっているのですが、同じく栗林カノン進行である名曲<サヨナラは今もこの胸に居ます>を先取りしたような、哀切感のある楽曲です。織田哲郎のカノン進行楽曲と比べると対照的で、2人の資質の違いを端的に表しているようで面白いですね。Wikipediaによるとこの曲のドラムは青山純が叩いているらしい。そうなのか。

 ここで折り返しですが、まだまだこのダウナー系の流れは続きます。

 #6は別れの歌ではないものの、非常にしんどい恋愛の歌。「傷ついてもいい、愛したい」「もうひき返せないふたつの足跡」「失くすものなんて 思う程ないから」などと、明確には歌われていないもののこの曲も#4と同じく不倫を歌っているようにも読み取れます。曲調がシリアスなのこともあって、ZARDのシングルのなかでは1、2を争うくらい重たい曲なんじゃないでしょうか。

 #7は三たび別れの曲。ピアノをメインにしたアコースティックなアレンジでパッと見、温かな印象を受けますが、「無言で切った電話に私だと気付くわ そう願いをかけてあなたの連絡どこかで待ってた」「今頃あなたの横には私よりやさしい彼女がいると想像が先走る」「出合って2年の月日は長くて短かった 終わってしまえば花火のようね」など、実はこのアルバムのなかでもっともウジウジしている曲です。タイトルも、なんともストレート。

 続く#8で、ついに少しだけ光が射します。「なんてちっぽけな夢だったの 恋なんて季節のボーダーライン」「しがらみ捨てて明日を探そう」「恋はルーレット 巡りめぐる 気のいい家族が恋しい」と、別れの悲しさを乗り越えて前へ進もうとする姿が歌われます。

 さて、ここまで8曲分を見てきました。#1、2でバラ色の未来を想像させておいて#3で地獄に叩き落とし、そこから延々と辛く悲しい曲が続き、ようやく#8で道が開けたかも?というのがここまでの流れでした。残すところあと2曲#8の勢いで、再び#1、2のような明るい未来が訪れるのでしょうか。

 残念ながらそんなことはありません。むしろこのアルバムの真骨頂はここから。これまでの8曲は、最後の2曲に向けての伏線でしかなかったのです。

(後編へ続く)







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平成が終わる前に「ZARD」を語る〜第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD〜

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「春夏秋冬」で見る
前期アルバム4作品


 ここまですでに2回も書いてきたZARDの話ですが、まだ終わりません。

#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る

 第3回の今回はタイトルの通り、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます。

 ZARDをアルバムアーティストとして見たことがある人って、ほとんどいないんじゃないでしょうか。シングルとベスト盤しか知らないっていう人の方が圧倒的に多いと思います。

 でも、実は1990年代の前半から中盤にかけて、ZARDは年に1枚のペースでオリジナルアルバムをリリースしていました。各作品にはシングルとは異なるカラーをもったアルバムオリジナル曲が数多く収録され、明らかにそこには一つひとつのアルバムを、あるコンセプトやトーンで統一しようというトータルアルバム的思想がありました。誰もが知ってるシングルのヒット曲は、あくまでZARDの一面でしかない!ということが今回の記事のテーマになります。

 ただ、ZARDはキャリアを通じて全部で11枚のアルバムをリリースしていますが、「アルバムアーティスト」としての全盛期は、先ほど書いたとおり90年代の前半から中盤にかけてです。具体的には3rd『HOLD ME』(’92)から6th『forever you』(’95)まで。7th『Today Is Another Day』以降は既発曲やストックの流用が収録曲の半分以上を占めるようになるため、純粋な意味での「オリジナルアルバム」からは遠ざかります。また1st『Good-bye My Loneliness』と2nd『もう探さない』(共に’91)は収録曲数・時間が少なく、僕が個人的に考えるアルバムの定義から外れるため除外しました。

 ということで『HOLD ME』、『揺れる想い』、『OH MY LOVE』、『forever you』の4枚ということになるのですが、シングルでいえば4th<眠れない夜を抱いて>から14th<Just believe in love>までになり、もっともZARDが売れていた全盛期と重なります。ZARDと言われて多くの人が名前を挙げるであろう代表曲を連発していたその裏で、作品ごとに異なるカラーをもったアルバムをコンスタントに作っていたというそのギャップがまずはすごい。

 では具体的にどう異なっていたのかという話ですが、この4枚のアルバムはちょうど「春夏秋冬」のイメージで説明することができます。

 まず”春”の3rd『HOLD ME』は、花があちこちで咲き始める季節のごとく、一言でいえば「カラフル」。背景には作曲家のバランスのよさがあり、織田哲郎、栗林誠一郎、川島だりあ、和泉一弥、望月衛介の5人ものクリエイターが参加しています。前回<眠れない夜を抱いて>の話で織田哲郎について書きましたが、実は彼がこのアルバムに提供したのはこの1曲しかありません。

 反対に存在感を発揮しているのが川島だりあ。栗林誠一郎と並んで11曲中4曲も提供していますが、川島だりあの4曲はすべてアルバムオリジナル曲です(栗林は内2曲がシングルB面)。

 織田、栗林、川島というZARD前期を代表する作曲家3人のなかでもっとも「洋楽ハードロックの匂い」を感じさせるのが川島だりあだと僕は思っているのですが、そういう彼女のトーンがそのままアルバムのカラーになっています。ラストの<So Together>なんていかにもって感じですね。第1回で「ZARDは元々メタルだった」と書きましたが、そのコンセプトがギリギリ残っているのがこのアルバムです。

 続いて4th『揺れる想い』。大ヒットした同名シングルをアルバムのタイトルにももってくる(しかも1曲目に)なんて、よほど自信があるんだなあと当時(中学生)から思っていましたが、ポカリスエットのCMソングだった表題曲のイメージどおり、スカッと突き抜けるようにポップな曲が連続する、まさに”夏”なアルバムです。おそらくZARDのパブリックイメージにもっとも近いのがこの作品

 次の『OH MY LOVE』は、タイトル通りラブソングが多いアルバムなのですが、『揺れる想い』に比べると別れや恋愛のしんどさを感じさせる歌詞が目立つ作品です。ポップさでは『揺れる想い』に比肩しますが、全体のトーンは淡いセピア色の雰囲気で、例える季節としては間違いなく”秋”です。

 最後の『forever you』は、再び前向きなラブソングに戻ってくるのですが、明らかに「1周回ってきた」感があります。

 それが端的に表れているのが、1曲目の<今すぐ会いに来て>と表題曲<Forever you>。<今すぐ〜>はシャッフルリズム、<Forever〜>はアコースティックと、どちらもZARDではかなり珍しいアレンジの楽曲です。ラストに収録されたDEENのセルフカバー<瞳そらさないで>もアコースティックアレンジで、全体的にオーガニックな温かさが目立つアルバムです。

 そういう意味で”冬”なのですが、ハードなギターサウンドが中心だったかつてを思えば、音楽的にも季節が一巡したことを感じさせます。この後7枚目から、既発曲が大半を占める実質的なベストアルバムへと変わっていくのは、自然な流れだったのかもしれません。

 ここまで4枚のアルバムをざっと紹介しました。「春夏秋冬」というのは僕の例えですが、少なくともそれぞれが異なった色をもっている、すなわち一つひとつのアルバムが異なるコンセプトによって作られていることがなんとなくわかってもらえたかと思います。特に『揺れる想い』からの3作は1枚ごとにガラリと変わるので、その変化自体が聴きどころであり、シングルだけではわからないZARDの一面を見ることができます。

 そして、このアルバムごとの変化の立役者となったのが織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。

 前回、織田哲郎はシングル曲を多く作ったと書きましたが、実はアルバムオリジナル曲は栗林誠一郎の方が多いのです。実際、ここに挙げた4作品で栗林は常に提供曲数がもっとも多い作曲家であり、『揺れる想い』からの3作に関しては、どれも半数以上を彼の楽曲が占めています。シングルは織田、アルバムは栗林という意図的な役割分担があったのでしょう(したがってZARDに書いた曲数は栗林の方が多い)。必然的に、アルバムのカラーを演出する役割は彼が背負っていました。

 それを象徴するのが4th『揺れる想い』。前述の通り、このアルバムは表題曲のもつ「さわやか」「透明感」なイメージをそのまま拡大したアルバムなのですが、言い換えればそれは「織田哲郎っぽいアルバム」なわけです。しかし実際に収録された織田曲は3曲(しかも内2曲は既発シングル)のみで、一方の栗林曲は全体の半分に及ぶ5曲。

 本来この2人の作風は正反対と言っていいくらい違うのですが、それでもこのアルバムが「織田哲郎っぽい」と感じるのは、(実際そこまであからさまだったかは置いといて)栗林が織田哲郎の作風に寄せているということです。正直に言うと、僕は今回この記事を書くためにクレジットを確認するまで<Season>、<君がいない>、<あなたを好きだけど>の3曲は織田哲郎の曲だと思ってました。この僕の長年の勘違いこそ、栗林のアルバムへの貢献度合いを逆に証明しています。

 しかし、栗林誠一郎の本来の持ち味は、前回触れたとおり「マイナー調」。織田哲郎が心を湧き立たせるメジャー調の世界だとしたら、栗林は心をギュッと締め付ける淡く切ないモノトーンの世界です。

 そして、その魅力が大爆発しているアルバムが、5枚目のアルバム『OH MY LOVE』。僕はこのアルバムがZARDの最高傑作だと思います。思いますが、長くなってきたのでこのアルバムの話は次回。やべえ。マジで終わらねえ。








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平成が終わる前に「ZARD」を語る〜第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る〜

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短3度転調のドラマ性と
マイナーコードの胸の痛み


 先週から書き始めたZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」

 第1回は、所属レーベルであるビーイングについて書きました。第2回はいよいよZARDの曲の話に踏み込んでいきます。

 前回軽く触れたとおり、ZARDがブレイクするきっかけとなったのは4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>(1992年)でした。オリコンランキングで過去最高位となる8位にランクインし、初のテレビ出演も果たします。

 しかし、具体的に<眠れない夜を抱いて>のどこがそんなにも支持されたのでしょうか。実はこの曲は、後にZARDの人気を不動のものとした、ある「必勝パターン」の原型が隠されています。それをひも解くために、まず下の一覧を見てください。

<不思議ね>(‘91)★
<眠れない夜を抱いて>(‘92)★
<あの微笑みを忘れないで>(〃)
<負けないで>(‘93)★
<雨に濡れて>(〃)
<サヨナラは今もこの胸に居ます>(‘95)
<マイフレンド>(‘96)★
<心を開いて>(〃)★
<DAN DAN 心魅かれてく>(〃)★

 これは、ZARDの全盛期であるデビューから7枚目のアルバム『Today Is Another Day』期までの楽曲のうち(なぜこの時期までを「全盛期」と呼ぶのかという話は次回)、ある共通点をもつものを時系列に並べた一覧です。

 その共通点とはズバリ「カノン進行」。

 上記に挙げた9曲のうち、シングルカットされたのは6曲にのぼります。<心を開いて>が18枚目のシングルなので、実に3割以上のシングルがカノン進行をベースにした楽曲だったことになります。ZARD最大のヒットとなった<負けないで>が含まれていることから見ても、カノン進行はZARDが人気を獲得する大きな起爆剤の一つであり、「顔」だったともいえます

 そして、その多くを手掛けた作曲家が織田哲郎でした。上記の一覧で「★」マークがついているのが、織田哲郎が作った楽曲です。なんと9曲中6曲。しかも、セルフカバーの<DAN DAN〜>も元はFIELD OF VIEWのシングルであることを考えれば、全てがシングルカットされた曲ということになります。織田哲郎はまさに、ZARDの人気を中心になって支えたクリエイターでした。

 んで、話は<眠れない夜を抱いて>に戻ります。先ほどこの曲を「ZARDの必勝パターンの原型」と書きましたが、前掲の一覧を見てもらうとわかるとおり、カノン進行としては<不思議ね>の方が先です。しかし、2つのポイントにおいて、<眠れない〜>の方がZARDの歴史により重要な役割を果たしました。

 一つは転調。この曲はAメロからカノン進行に入り、サビで再びカノン進行を繰り返すという、かなり純度の高いカノン進行楽曲になっていますが、単調に聴こえないのは途中で入るBメジャー→Dメジャーという短3度の転調が利いているからです

 絶妙なのは転調する位置。Bメロで短3度上がってサビで戻るというパターンはポップスでは比較的多い手法ですが、この曲の場合はAメロの途中で転調するのです。これは歌詞と連動しています。まず「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」という冒頭部分がBメジャー。ここは言ってみればプロローグで、歌詞は情景描写に徹しており、これからどんなドラマが起きるのかはまだ分かりません。

 転調するのはこの後。Aメロはまだ続いていて、この後もう一度同じメロディを繰り返すのですが、キーはBからDに変わります。歌詞はこう続きます。「もしもあの時出逢わなければ 傷つけ合うことを知らなかった」。我々はここで初めてこの曲が別れの歌だと気付くわけですが、このタイミングで転調することで客観から主観へと曲調の面においても視点が劇的に変わり、一気に気持ちを奪われるのです

 やや専門的な話になりますが、肝なのは「短3度の転調」という点です。よくある半音もしくは全音上がる盛り上げ系の転調とは異なり、短3度の転調は平行調の同主調への転調なので、スムーズに変化しつつも視点や風景を変える効果があります(有名なところだとビートルズの<Here, There, And Everywhere>)。この「Aメロ途中での短3度転調」によって生み出されたドラマ性は、同じカノン進行の先行曲<不思議ね>よりも一段深い奥行きを与えています。

 もう一つのポイントは、要所で挟まれるマイナーコードです。ここまで<眠れない夜を抱いて>をカノン進行と言ってきましたが、正確には「カノン進行をベースにした」というべきであり、実は細かいところでいわゆるカノン進行とは異なる和音が混じります。この「異なる和音」がミソなのです。

 例えば、先ほども紹介したAメロ冒頭のフレーズ「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」を見てみます。

「ざわめく」から「止まる」までの前半のコードは、B→F#→G#m→D#mで、ここまでは普通のカノン進行。問題は後半です。いわゆるカノン進行であればE→B→E→F#なのですが、実際にはE→Bと来た後にG#m→C#mと2つのマイナーコードを挟んでからF#に行きます

 これと似たパターンはサビのカノン進行部分にも登場します。「眠れない夜を抱いて 不思議な世界へと行く」の後半部分。ここでもE→Bと来てEではなくC#mを挟んでからF#にいきます

 共通するのは、どちらもメジャーコードを使うべきところをマイナーコードに切り替えていること。マイナーコードを挟むことで、明るい光沢を放っていたそれまでの世界に一瞬だけ陰影が生まれます。まるで、忘れたと思ってもふとした瞬間に別れの痛みが蘇って胸を刺すかのように。これらの「カノン進行にはないマイナーコード」は、使われているのは一瞬なものの、この曲のテーマを考えると、実は極めて重要な存在なのです。

 このように<眠れない夜を抱いて>にはさまざまな演出や仕掛けが施されており、そのために単なるカノン進行とは一枚も二枚も違う新鮮さがあります。使い古されたはずのカノン進行で、繰り返しヒット曲を放った織田哲郎の「カノン進行職人」たる所以がこの曲に詰まっているのです。さらに言えば、この曲に関しては明石昌夫・池田大介両巨頭によるアレンジも素晴らしく(特にイントロのマリンバのようなあの音)、あらゆる面で後のヒット曲の原型を見ることができます。

 ちなみに、最後にマイナーコードの話に触れましたが、ZARDというと一般的には「さわやか」「透明感」「キラキラしてる」といった、コードでいうとメジャーのイメージが強いと思います。しかし、ZARDのリリース履歴を見てみると、<もう少しあと少し>、<この愛に泳ぎ疲れても>、<Just Believe In Love>など、意外とマイナー調の曲も頻繁にシングルを切っていることがわかります

 考えてみれば当たり前の話で、ずっと同じような調子の楽曲ばかりでは早々に飽きられてしまいます。ZARDが長らく人気を誇ったのは、カノン進行をはじめとするメジャーコード楽曲の裏でマイナー調の楽曲がうまくコントラストをつけていたからでした。<負けないで>があそこまでの爆発的ヒットを記録したのも、<眠れない夜を抱いて>からの連続リリースではなく、その間に<In My Arms Tonight>というワンクッションを挟んだからこそだったのです。そういう意味では、ZARDのイメージを支えていたのは、むしろマイナーコードの楽曲の方だったともいえます。

 そして、ZARDのマイナー調の楽曲を一手に手掛けていたのが、織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。次回は栗林誠一郎に触れつつ、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます(マジでいつ終わるんだろう)。








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