週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

人生で初めて「劇団四季」を見てきた〜後編

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「新人役者を入れること」と
「再演を繰り返すこと」は矛盾する


 前回の続きです。

 人生で初めて劇団四季を見て感動したのと同じ週に、演劇集団キャラメルボックスの活動休止(運営会社の倒産)という報にふれて、「演劇で食う」ことは可能だけど「劇団で食う」ことは不可能だと考えた、という話です。

 去年の暮れのことでした。Twitterかなにかでキャラメルの最新公演の情報を偶然目にして、何年ぶりかに彼らのHPを覗いたことがありました。んで、「えっ?」と驚いたんです。

 何に驚いたかというと、公演期間がわずか2週間しかなかったこと。僕が知ってる時代は、どんなに短くても1か月は東京公演をやっていました。つまり、いつの間にか動員力がかつての半分にまで落ち込んでいたのです。そのときの衝撃があったので、その半年後に倒産というニュースを聞いたときは、正直納得する部分もありました。

 さて、ここから書く内容は「だからキャラメル(の運営会社)は倒産した」という話ではなく、あくまで「僕がキャラメルを見なくなった理由」です。ただし、これが「劇団で食う」ことは不可能と考える理由と深く結びついています。まず、前回の続きで、定期的なオーディションによる「人材の確保」と、再演の多用による「作品の確保」では、なぜ「劇団で食う」には不十分なのか、という話です。

 そもそも今回の話は、演劇特有の<チケット料金×劇場の座席数×総ステージ数>という売り上げの上限問題について、劇団四季は「役者を交換可能にする仕組み」によってそれを克服したものの、演劇は一般的に「その役者であること」が重要なので、「役者を交換可能にする仕組み」を導入できる劇団は限られている、というところから出発しています。つまり、「その役者である必然」を担保することが前提になっています。

 んで、ものすごく当たり前の話ですが、役者は年を取ります。年を取れば、演技の質も変わるし、演じられる役柄も変わってきます。ある役者が、20代のころに演じた役を、40代、50代になってもう一度演じようとしても、ふつうは成立しません(本当は、そこで成立する場合があるのが演劇の面白さなのですが、ここでは端折ります)。とすると、劇団が過去の人気作を何度も再演していくためには、若い役者を確保し続けなければなりません。

 しかし一方で、「過去の人気作」がそもそもなぜ人気を博したかといえば、「今は40代、50代になってしまった役者」である彼/彼女が出演していたからともいえます。リメイク作品が「やっぱりオリジナルで主役を演じてたあの俳優のほうがよかった」などといわれるのは、よくあることです。

 だから、優れた若い役者が入ったのだとすれば、本来は過去の作品の再演などではなく「その若い役者にしかできない作品」を新たに作るべきなのです。「その役者である必然」とは、役者が一人ひとり異なることを前提とすることだからです。新しい人材を入れることと、再演を繰り返すことは、この点で根本的に矛盾しているのです。

レノン&マッカートニーは
「ライバル」だからうまく機能した


 ここで、いったん話題を変えて、「集団」ということについて話をしてみたいと思います(以下に述べる「集団」は、家族や友達グループではなく、作品など何らかの成果物を共同で作る生産集団のことだと思ってください)。

 僕らアラフォー世代には有名な話なのですが、90年代初めに人気のあったWANDSという音楽グループが、あるとき突然バックの一人を除いてメンバー総入れ替えをしたことがありました。ボーカルも別の人間に代わり、だけど名前はWANDSのままなのです。

 元々このグループはビーイングが作った即席バンドという成り立ちだったので、レーベル側の認識としては同じ要領を繰り返しただけだったのかもしれません。けれど、さすがにファンからすれば、元のメンバー=WANDSと認知されていたので、新生WANDSはすぐにそっぽを向かれて解散しました。

 ここからいえることは、バンドでも劇団でも、集団において重要なのは看板(=集団の名前)ではなく、中身(=構成員)であるということです。これは決してイメージだけの話ではありません。構成員が変われば、集団としての作品まで変わるからです。WANDSの例でいえば、いくら楽曲や演奏は裏方が支えたとしても、ボーカルは間違いなく変わってしまいます。それはグループの作品としては、同じWANDSであるという説得力を失うほど、決定的な違いです。

 さらに例を出します。ビートルズの<We Can Work It Out>はポールが書いた曲ですが、ポール一人の力によってあの曲が完成したわけではありません。ポールの甘いヴァースの後に、ジョンが「Life Is Very Short...」とニヒルなフレーズを歌い、その後にジョージがアイデアを出したワルツのリズムを、リンゴが独特のバラけたリズムで叩くことで、ようやくこの曲は完成形にたどりつきます。このうち誰か一人でも欠けたら、僕らが知っている「あのフィーリング」は生まれなかったはずです。

 このように、集団の作品は、異なる人間の嗜好やキャラクターが複雑に絡み合うことで作られます。個人でつくるものよりも、集団でつくる作品のほうが、構成員一人への依存が少ないと一般的には考えられがちですが、5月にリリースされたヴァンパイア・ウィークエンドの4thがロスタム・バドマングリの不在を強く感じさせたように、むしろ、個人よりも集団のほうが、「その人である必然」が目立つともいえます

 でも、それは特別「集団」という形でなくたって、たとえば演劇でいうところのプロデュース公演のような、その場限りで作られたグループによる作業でも同じだと思われるかもしれません。確かに、原理的には同じでしょう。でも、一つの作品だけのために集められた即席グループよりも、作品をまたいで何年も共同作業を続ける「集団」のほうが、その時間の蓄積により、構成員同士の相互理解が圧倒的に深いはずです。集団の作品が構成員のパーソナリティーを強く反映するのは、この「相互理解の深さ」が背景になっています。

 相互理解が深いとは、仲が良いという意味とはちょっと違います。むしろ、関係が深まるほど見えてくるお互いの違いを乗り越えて、どうやって全員が納得できる作品をつくるかという、一種の緊張感のある関係のことです。レノン&マッカートニーがなぜあれほどの名曲を短期間に量産できたかといえば、2人が単に仲が良かったからではなく、相手の才能が分かっているからこそ「負けたくない」と考えるライバルのような関係が、二人の間にあったからです。

 これは完全に余談ですが、最近のポールのインタビューで「あなたはいろんなアーティストとコラボしているけど、もっとも相性がよかったのは誰か?」という質問に対し、彼が「ジョンに決まってるじゃん」と即答していたのには、ちょっと涙が出ました。

 んで、レノン&マッカートニーにしろ、モリッシー&マーにしろ、バラー&ドハーティにしろ、そこからいえることは、集団の作品やそのなかで行われるコミュニケーションの質は、構成員の関係がイーブンに近く、一定の緊張感があるほどうまくいく、ということです。

 さっき、若い役者が入ってきたら、その若い役者のための作品を別に作るべきだと書きました。しかし、実際にやろうと思っても、それは難しいだろうと思います。なぜなら、作・演出家(普通は劇団の旗揚げメンバーでしょう)は年を取っていく一方で、毎年入団してくる役者は常に若いため、年齢とキャリアの差は年々広がっていくからです。成井豊は、西川浩幸・上川隆也・近江谷太朗という同世代トリオがいたからこそ『サンタクロースが歌ってくれた』が書けたのであって、若い役者で同じ成果を目指そうとしても、本質的に無理だろうと思うのです。

 僕がキャラメルを見なくなったのは、端的に「役者が魅力的ではなくなったから」でした。その境目がちょうど、ベテランと若手の年齢差がひと回りを迎えたであろう劇団結成15年目あたり(2000年ころ)だったのは、偶然じゃないと思っています。

「劇団で食えない人」に支えられる
劇団という文化


 ここで、話をもう一度整理します。多くの劇団は「その役者である必然」が問われる。過去の人気作を定期的に再演していくために若い役者を入れても、それは過去のコピーに過ぎず、いずれ劣化することは免れない。一方で、集団は構成員のキャリアや年齢が一定以上離れると機能しない。若い役者のための作品をベテラン作家が書こうと思っても、それは本質的に難しい…という話でした。

 キャラメルボックスが、もしこの悪循環に陥ったのだとしたら、どうしたらよかったのだろうと考えます。

 すぐに思いつくのは公演ペースを落とすことです。1年に1回、あるいは数年に1回に公演ペースを落とせば、役者を新しく確保する必要もなくなり、そうすればベテラン劇団員たち同士で、相応に年を取った作品を作ることができます。それは、『サンタクロースが歌ってくれた』のようなエネルギッシュに舞台を走り回る物語ではないかもしれないけれど、年齢を重ねた成井豊と劇団員だからこそできる「その役者である必然」のある作品のはずです。

 でも、1年に1度の公演じゃ、とても食えません。劇団員は、劇団の外に食い扶持(TVとか客演とか)をみつけてもらうしかない。そのうえで、劇団はある種趣味として続けるのです。大人計画NYLON100℃といった超有名劇団のほとんどはこのスタイルです。ただ、当然ながらこれは「劇団で食う」ことにはなりません。

 あるいは、劇団☆新感線のように、何本も公演を打つものの、出演者の大半は外部から連れてくる、劇団といいながら実質的にはプロデュース公演スタイルという選択肢もあるでしょう。これなら、過去の人気作を半永久的に再演し続けることが可能です(実際、キャラメルも00年代半ばあたりから、主役など一部の出演者を外部から呼ぶスタイルを採用し始めたようですが、結果的には人気の回復には至らなかったということでしょう)。ただし、これもやはり「劇団で食う」ことにはなりません。

 結局、キャラメルは公演をハイペースで打ち続けました。僕には、彼らはあくまで「劇団で食う」ということにこだわっていたように見えます。でも、しつこいようですが、「劇団で食う」ためには「原理的な売り上げの限界」問題をどうにかしなくてはいけません。そのためには、四季のように役者を匿名性のベールで包んでしまうしかない。「その役者である必然」を残して、出演者の大半を自前の劇団員でまかない、なおかつオリジナルの作品にこだわる、つまりはオーソドックスな「劇団」のスタイルを貫いたままで「食う」ことは、ここまで書いてきたように不可能であるという結論にならざるをえないのです。これが、僕が「演劇で食う」(役者や作家が個人で食う)のは可能だけど「劇団(の売上だけ)で食う」のは不可能だと考える理由です。

 ここまで3回にも分けて延々と書いてきて、「劇団で食うのは無理」という結論は、我ながらなんとも虚しい。けれど、他の収入に頼らず、純粋に「劇団だけで食う」ことは可能なのかという問いは、おそらくたくさんの演劇人がこれまでに考えてきた命題であり、きっとそのほとんどが「無理!」という同じ結論に至ったはずです。僕が前回、「これから書こうとしている話は『何を今更言ってんだ』という内容」と書いた理由はそれでした。

 個人的には、「劇団で食う」ことよりも「劇団を続ける」ことのほうがはるかに大事だと思っています。僕の所属する劇団theatre project BRIDGEが、早々と社会人劇団という形に移行したのも、ある意味では食い扶持を他で見つけて劇団は課外活動化するという手法の亜種だったともいえます。だから、「劇団では食えない」という結論そのものは、大してショッキングではありません。

 ただ、本当にそれでいいのか?という問いは多分これからも考えていく気がします。劇団という文化が、プロにしろアマにしろ、劇団外で稼ぐ劇団員たちの、一種の自助努力によってのみ支えられているという状況が、演劇全体にとってどういう意味があるのかという問いです。




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人生で初めて「劇団四季」を見てきた〜中編

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演劇は稼ごうと思っても
原理的に限界がある


 前回の続きです。

 演劇集団キャラメルボックスが運営会社の倒産により活動休止を発表したのと同じ週に、人生で初めて劇団四季を見てきたことで、「演劇で食う」ことは可能だけど「劇団で食う」ことは不可能だと考えた、という話です。

 最初に断っておくと、これから書こうとしている話は、多分「何を当たり前のこと言ってんだ」という内容だろうという気がします。ただ、演劇に関わったことのある人間として、どうもこの話は無視できないので、たとえ結論は自明なものだとしても、考えを整理するために一つひとつ順を追いながら書いてみます。

 まず、演劇は売り上げの上限というものが存在するメディアです。上限はすなわち<チケット料金×劇場の座席数×総ステージ数>です。音楽や映画であれば、フィジカルにせよストリーミングにせよ、物理的な限界というものはないので、原理的にはどこまでも売り上げを伸ばすことができます。演劇だけが、「どれだけ売れてもここまで」という上限が引かれているのです。これが生(LIVE)=再生産できないことの、興業という面における最大の弱点です。

 劇団四季がすごいのは、ずばりこの弱点を乗り越えているところです。「再生産できない」のはつまり「生身の人が演じるから」ですが、四季は前回書いた「役者を交換可能にする仕組み」に徹することでこの制約を乗り越え、さらに専用劇場をもつことで「総ステージ数」の上限も外しました。これにより、劇団四季は本来演劇がもっていた「どんなに売れても限界がある」という弱点を克服し、「劇団で食う」を成し遂げたのです。

 しかし、全ての劇団が「役者を交換可能にする仕組み」を採用できるわけではありません。バックアップの人間を用意しておくということは、その分コストがかかることを意味しているからです(舞台に出ていない役者を一定数確保しておけるのは、そもそも劇団が「食える」ほど稼げているからであるともいえます)。

 それに、一般的に劇団の魅力とは、所属している役者の魅力です。劇団を作品と言い換えてもいいでしょう。観客にとって「誰が出演しているか」は、ときに「どんな作品をやるか」以上に重要です。過去に何万回と上演され、誰もがストーリーを知っている『ロミオとジュリエット』が、なぜ未だに観客を呼び続けているかといえば、「誰が2人を演じるのか」にみんなが興味をもっているからです。現に、一定規模以上の演劇興行において、チラシなどの宣伝媒体でもっとも大きくスペースを割いているのは、出演者の情報です。

 もちろん、これは映画やTVでも同じことがいえるでしょう。しかし、演劇は観客の目の前に役者が直に肉体をさらすぶん、その人自身のパーソナリティが露呈してしまうメディアです。映像であれば、たまたまかっこよく映った画だけを切り取ってつなげることもできますが、演劇はそれができません。その人が力を抜いている瞬間も、取り繕おうとしている瞬間も、全部が目撃されます。それゆえに演劇は「その役者である必然」がもっとも問われるメディアであり、役者の魅力が作品の魅力を凌駕するのです(だからこそ、その常識を覆しながら観客を呼び続けている劇団四季に僕は「すげえええ!」と思ったのです)。

 話が横にそれてしまいました。「演劇は稼ごうと思っても原理的に限界がある」という話です。

 では、劇団で食おうと思ったら、他にどんな選択肢があるのか。作品的にも興行的にも役者を交換可能にしてロングラン公演を打つのが難しいのであれば、作品数を増やすしかありません。

 最盛期のキャラメルボックスがとっていたのが、まさにこの方法でした。総ステージ数は1〜2か月に収まる程度に抑えて、そのかわりに何本も公演を打つのです。そうすれば、役と役者を固定したうえで(つまり「その役者である必然」を担保したうえで)、なおかつ劇団全体としてのステージ数をギリギリまで増やすことができます。確か、当時のキャラメルは年間6本くらい公演を打っていたんじゃないでしょうか。

 ただし、この方法には大きく2つの問題があります。

 1つは、リソースの問題。1〜2か月の公演を年に6本やるとしたら、単純計算でほとんど毎日稼働することになります。これでは結局のところ体力的な問題をクリアできないし、そもそも次の作品の準備ができません。

 そのため、最低でも劇団員を2チームに分けて、片方がある作品を上演しているあいだに、もう片方のチームが稽古場で次の作品の準備をする、というようなサイクルで回していく必要があります。当然、そのためには2チーム組めるだけの人数を確保しなくてはなりません。これは、レベルの高い人材をどうやって確保するかという問題もセットになります。

 もう1つの問題は、作品の確保です。仮に年に6本の公演ができるとしても、それだけの数の作品をどうやって供給し続けるのか。一人の作家が、質を落とさずに年に6本も新作を書くのは(断言しますが)不可能です。これもある意味ではリソースの問題ですね。

 では、キャラメルボックスはこれらの問題にどう対処していたのか。僕の考えでは、前者の人材確保については定期的なオーディション開催が、後者の作品確保については過去の人気作の再利用(=いわゆる再演)という手法が、その対策でした。90年代後半から00年代初頭あたりは、このシステムは非常にうまく回っていたと思います。

 しかし、10年20年という中長期的な視点でみたときに、つまり「劇団で食う」という前提で考えたときに、これらの手法は、実は不十分だったのではないかと思うのです。ようやく本題に近づいたのですが、すいません、長くなってしまったので次回に続きます。




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人生で初めて「劇団四季」を見てきた〜前編

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「面白くないはず」が
実は面白かった


 3歳の娘のお供で、人生で初めて劇団四季を見てきました。演目は『キャッツ』。娘は半年ほど前に初めて見に行って以来(そのときは僕は同行せず)この作品にハマってしまい、毎日のようにロンドン版のBlu-Rayを見たり四季のパンフレットを読んだり、あまりにどっぷりと世界に漬かっているので、「じゃあもう1回見に行こう」ということになったのでした。彼女は3歳にして観劇2回目、僕は38歳にして初めて

 たぶん、こういうきっかけでもない限り、劇団四季なんて見なかったと思います。ミュージカルという形式にも、ショービジネス界のど真ん中をいくような一連の作品の華やかな雰囲気にも、僕自身はまったく興味はありませんでした。食わず嫌いという自覚はあったものの、それを克服しようとする強い動機は、少なくとも自発的にはなかったのです。子供がいるといろいろ変わるもんですね。

 んで、実際に見てみてどうだったのか。

 想像以上でした。めちゃくちゃ面白かったです。ちょっと泣いちゃったもん。もうね、これまででトップ3に入るほどの観劇体験でした。

 歌と踊りがいかに雄弁なのかってことをまざまざと見せつけられたし、照明や役者の動きによって演出された客席との一体感も素晴らしかった。ストーリーもキャラクターも歌もほとんど頭に入っていたのですが(なにせ娘と一緒に毎日見てるから)、その確認作業というだけでない、もっとそれ以上の価値がある体験でした。

 そして、ある意味では作品以上に圧倒されたのが、「このクオリティの舞台を、劇団四季は毎日、全国複数箇所で上演している」という事実でした。四季が誇るロングランシステムは有名ですが、改めてすさまじいことだなと衝撃を受けました。

 まず専用劇場をもっていること。劇団が期限を決めずに長期にわたって公演を打ち続けるのに、一般の貸し劇場を転々としているだけではあまりに無駄が大きいってことはわかりますが、だからといってリアルに自前の劇場(しかもキャパ500〜1000クラス)を建てるってのは、演劇経験者からすると驚異的のひとことです。資金力もすごいし、それでペイできてしまうという動員力もすごい

 そして僕がもっとも唸ったのが、配役の仕組みです。劇団四季は一つの役に対して複数の役者を配役していることはよく知られています。プロ野球チームの1軍と2軍のように、1つのポジション(役)に対して常にバックアップが用意され、1軍選手になにかあればすぐに2軍選手が穴を埋められるような仕組みです。

 同じ役者が何か月もステージに立ち続けることは不可能です。怪我や体調不良といった体力的な問題もあるし、人間なので同じ役を延々と繰り返しているとダレるというリスクもあります。なのでロングラン公演を可能にするためには、役を1人の役者に固定せず、常に複数の役者を準備さておくしかありません。もちろん、そのためにはコストも手間もかかります。

 ですが、僕が唸ったのはコストや手間に対してではなく、そもそも「役を一人の役者に固定しない」というコンセプトそのものでした。これは、「役者を交換可能にしている」とも言い換えられます。 

 なぜこのことに唸ったかといえば、僕が考える優れた作品とは「この役者だから感動する」や「この人だから面白い」というように、役者の個性や人間性と物語が深く結びついたものだからです。以前、『朝日のような夕日をつれて』でも書いたように、芝居は舞台に立つ人間そのものの魅力や、相手役者との普段の関係性が如実に反映されるものです。その役者という存在を交換可能とすることは、僕からすれば「面白い」という概念の大前提を放棄しているようにすら見えました。

 にもかかわらず『キャッツ』は面白かった。自分がいままで「面白くないはずだ」と思っていたものが、実は面白かったのです。「面白い」ということのあまりの多様さを思い、観劇後僕は心地よい混乱を感じていました



 奇しくも、僕が『キャッツ』を見に行ったのと同じ週に、演劇集団キャラメルボックスの活動休止と、運営会社のネビュラプロジェクトの倒産が発表されました。

 キャラメルは80年代半ばに、早稲田大学の演劇サークルを母体にして旗揚げされた劇団で、90年代には年間数万人の動員数を誇る、国内では屈指の人気劇団へと成長しました。

 この劇団の大きな特徴は、中学や高校の部活演劇に広く支持されたことです。SFやラブストーリー、時代劇など、エンタメ性の強い戯曲と演出は、部活演劇には取っつきやすく、「キャラメルで演劇に出会った」という人は、いま20〜30代の世代にはものすごく多いはずです。かくいう僕も、高校3年生で初めて演劇というものを体験したのは、やはりキャラメルの作品でした。

 僕自身はキャラメルの作品を見なくなって10年以上経ちますが、それでも彼らの活動休止は少なからずショックでした。そして、その同じ週に劇団四季という大成功例を見たことで、僕はあることを考えました。それは「演劇で食う」ことは可能だけど、「劇団で食う」ことは不可能だ、ということでした。

 すいません、長くなってきたので次回に続きます。




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特集「タイトルに”Rain”が付く曲 10選」

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 もうすぐ梅雨ですね…。

 大滝詠一のラジオ番組『Go Go Niagara』で以前「タイトルに“Blue”がつく曲特集」というのがありましたが、それをまねて、今回は「タイトルに“Rain”がつく曲特集」っていうのをやってみたいと思います。

“Rain”が付く曲、めちゃくちゃあります。古今東西の楽曲の、タイトルに使われている単語ランキングというものがあったら、相当上位にランクインするんじゃないでしょうか。到底、全部の曲なんか聴けないので、対象は「僕のiPhoneに入っている曲」に絞らせてもらいます。iPhoneのミュージックで「Rain」で検索して引っかかった曲のなかから10曲選んでみました。

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<Singin’ in the Rain
Frankie Vaughan


 この曲は外せないでしょう!「“Rain”が付く曲」のなかでもクラシック中のクラシック。オリジナルは1929年というから90年も前の曲になります。1952年にミュージカル映画でジーン・ケリーが歌うシーンがあまりに有名ですね。僕がもってるのは、イギリス人男性歌手のフランキー・ヴォーガンが85年にカバーしたもの。この曲聴いてると、うっとうしい雨も楽しく思えてきます。


Raindrops Keep Falling On My Head>
B. J. Thomas


 続いてこちらもクラシック。69年10月リリースで 全米1位を獲得したこの曲は、映画『明日に向かって撃て』の挿入歌で有名です。あの映画のポール・ニューマン、めちゃくちゃ好きです。ちょっとボブ・ディランに似てる。

 曲を書いたのはハル・デイヴィッドバート・バカラックの黄金コンビ。バカラックの曲って「わかってても泣いちゃう」みたいなところがありますよね。いずれ止むのだからこの雨を静かに眺めていよう、というような穏やかな気持ちになれる1曲。


<Buckets Of Rain
Bob Dylan


 75年にリリースされた、ボブ・ディランのキャリアのなかでも特に人気の高いアルバム『Blood On The Tracks(血の轍)』に収録されている1曲。

冒頭の歌詞が「Buckets Of Rain, Buckets Of Tears」とあり、この曲は雨を悲しいものと描いているようですが、歌全体を見ると、何年も連れ添った夫婦のような日常的でささやかな愛を歌っているように思えます。ちょうどこの時期にディラン自身が離婚したってことが頭にあるからかもしれませんが、なんとなくそう感じます(ディランの歌詞は難しいので正解はわかりませんが)。


<So. Central Rain
R.E.M.


 世界でもっとも愛するバンドの一つ、R.E.M. が84年にリリースした2nd『Reckoning』に収録されている曲。タイトルに「Rain」とついていますが、実は歌詞のなかには一度も「Rain」は出てきません。

 そして、何度も繰り返される印象的な「I'm Sorry」。なぜ「I'm Sorry」なのか、何を懺悔しているのかは歌詞には明快に書かれてはいません。ただ、その哀切な響きは、意味というものを超えてたまらなくセンチメンタルな気分にさせます。


<The Rain, the Park & Other Things>
The Cowsills


 米ロングアイランドのカウシル家の家族で結成されたファミリーバンド、カウシルズが67年にリリースし、全米2位まで上がったグループ最大のヒット曲。邦題は<雨に消えた初恋>。

 この曲は、一編の物語になっています。雨のなか、髪に花飾りをした女の子に出会って主人公は一目ぼれをするんだけど、雨が上がって太陽が顔を出すと彼女は幻のように消えてしまう…というストーリー。詳しくは実際の歌詞を読んでほしいのですが、薄暗い雨が周囲の風景を目隠しするなかで、少女の花飾りだけが鮮やかに目に飛び込んでくるような、映像的なイメージを湧かせる曲です。雨のもつ幻想性みたいなものを巧みに描いた名曲だと思います。


<She Brings The Rain
Can


 クラウト・ロックの先駆者、カンが70年にリリースしたアルバム『Soundtracks』のなかの1曲。

 これも不思議な曲ですね。基本的に1つのヴァースを延々繰り返し、必ず毎回「She brings the rain」という歌詞で締めるというだけの曲なのですが、「Rain」という言葉が聴くたびにいろいろなイメージを生むので、不思議な中毒性があります。


<Summer Rain
Star Tropics


 今回挙げた10曲のなかではもっとも新しい曲。シカゴの4人組スター・トロピックスが2015年にリリースした曲で、17年の彼らの1stアルバム『Lost World』にも収録されました。

「Summer Rain」というタイトルをもつ曲は世の中にたくさんありますが(僕のiPhoneにもほかにパステルズとハイ・ヘイゼルズがいる)、この言葉のもつイメージとサウンドの組み合わせとしては、僕はこの曲が一番だと思います。なんでこのバンドがもっと売れないのかいつも不思議。ちなみにこの曲のシングルでB面に入ってる<Swept Away>という曲も名曲です。


<I Wish It Would Rain All Summer>
Jo Ann Campbell


 アメリカの女性歌手、ジョー・アン・キャンベルが62年にリリースした曲。エリー・グリニッチトニー・パワーのコンビで作られています。チャートアクションは不明なのですが、同じ年に彼女の最大のヒット曲<I'm the Girl from Wolverton Mountain>(全米38位)がリリースされています。

 彼女はダンサーから歌手になったという異色のキャリアの持ち主で、歌手としてデビューしたあとはカントリー系のレパートリーを多く歌いました。そのなかでこの曲は比較的カントリー色の弱い、いわゆるガールズポップ仕立ての曲で、60年代初期特有のノリがいいですね。ちなみにこの曲はサブスクリプションにはアップされてません。


<Vain Dog(in Rain Drops)>
Noodles


 今回選んだ10曲のなかで唯一の日本人アーティスト。オリジナルはピロウズで、01年のアルバム『Smile』に収録されています。

 実はオリジナルを聴いたときはさほど気に留めてなかったのですが、04年にピロウズのトリビュートアルバム『Synchronized Rockers』に入っていたこのヌードルス版を聴いたときに「うおお!なんていい曲なんだ!」と思ったのでした。「雨の中で捨てられた犬」っていう表現がなんとも山中さわおイズムです。


<Walking In The Rain
The Ronettes


 最後はこの曲。ロネッツが64年にリリースし、全米23位になったシングルで、邦題は<恋の雨音>。

 作詞作曲はシンシア・ワイルバリー・マンの夫婦コンビですね。でも、この曲はなんといってもサウンドでしょう。カスケーズの上をいく序盤の雨と雷(エンジニアのラリー・レヴィンはこのイントロでグラミーを獲ったらしいです)から静かにボーカルが入って、コーラスでグワッとフルボリュームに駆け上がる、なんともドラマチックな展開は、いかにもフィル・スペクター的です。これ、アレンジはジャック・ニッチェですよね?こんなの嫌いな人いるのかよっていうくらいの名曲です。

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 以上、タイトルに“Rain”がつく10曲でした。雨はうっとうしいけど、梅雨が明けるとそのあとにはさらにうっとうしい暑い夏がやってくるんですよねえ…。




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特集「Beverly Warrenという生きざま」

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華やかなスポットライトを
浴び続けられなくても


 以前、作曲家エリー・グリニッチが夫のジェフ・バリーと共に結成したコーラスグループ、レインドロップスについて取り上げたことがあります。レインドロップスのレコードはエリーとジェフの多重録音によって作られており、もう一人のメンバーであるエリーの妹ローラは、レコーディングには関わっていませんでした。ローラはコンサートや撮影など、グループとして露出するときにだけ参加する、いわば「形だけのメンバー」という存在だった・・・という話まではふれました。

 実は、このローラには「影武者」がいました。そもそもローラ自身が影武者みたいな存在なのに、さらにそこに影武者がいたなんてややこしすぎるのですが、長いツアーなどを回る際はこの影武者がローラとして帯同したそうです(ちなみにジェフにも影武者がいる)。

 ただし、この「影武者」はローラと違い、歌が歌えました。なぜなら本物の歌手だったから。この「影武者」が、今回取り上げるビヴァリー・ウォーレンです。

 ビヴァリーは1962年、ブレントウッズというコーラスグループのメンバーとして活動するところからキャリアをスタートさせます。当時14歳でした。やがてブレントウッズが解散すると、今度はリッキー&ホールマークスというグループの一員になります。

 リッキー&ホールマークスはBell Records傘下のAmy Recordsから1枚だけシングルをリリースするのですが、大して売れずにグループは解散。しかしこのときにエリー・グリニッチと知り合ったビヴァリーは、彼女の作った<It Was Me Yesterday>でUnited Artistsからソロ歌手としてデビューします。ちなみに僕が最初にビヴァリーを知ったのは、エリーのコンピに入っていたこの曲でした。



 結局、このシングルも大して売れなかったのですが、このときのエリーとの縁が、レインドロップスの「影武者」としての活動につながっていきます。その後、65年にはゴフィン&キングスキーター・デイヴィスに作った<Let Me Get Close To You>をカバーしてLaurie Records傘下のRustからリリースするのですが、こちらも大して売れなかったもよう。



 72年には(この時点でまだ20代前半)、<It Hurts To Be Sixteen(なみだの16歳)>で知られるアンドレア・キャロルとB.T. Puppy Recordsから『Side By Side』というタイトルのスプリットLPを出します。A面がアンドレアでB面がビヴァリー。ここではシフォンズが63年にNo.1ヒットをさせた<He’s So Fine>を、本家シフォンズをコーラスに迎えてカバーしたりしています。

 ちなみに、このアルバムのリリース元であるB.T. Puppy Recordsは<ライオンは寝ている>で有名なトーケンズが設立したレーベルで、ビヴァリーが吹き込んだ<A Few Casual Words>と<Papa Bill Is Home>を作曲したポール・カハンはトーケンズの楽曲を手掛ける作曲家。この頃のビヴァリーはトーケンズの周辺で仕事をしていたようです(ちなみにアンドレアの<It Hurts To Be Sixteen>を作ったのはトーケンズのオリジナルメンバーであるニール・セダカ)。

 その後、ビヴァリーはカントリーバンド、ヴィンス・ヴァンス&ヴァリアンツやリッキー&ホールマークスの元メンバーが作ったブレンドエアーズ、ドゥーワップグループのティーンコーズといったグループを渡り歩きながらキャリアを重ねていきます。還暦を迎えても現役バリバリで、08年時点ではNYのターセルズというコーラスグループで活動していたそうです。

※2011年の映像


 さて、ここまで延々と、ビヴァリー・ウォーレンという一人の女性歌手のキャリアを紹介してきました。彼女はお世辞にも有名とはいえません。むしろ「ど」がつくほどマイナーなアーティストです。けれど10代の前半からずっと、途切れることなくアメリカの音楽業界のなかで生きてきました

 彼女のキャリアの特徴は、グループの一員として出てきて、途中ソロ歌手として活動をするも、再びグループの一員に戻っていくところです。このときに、自分がリーダーとなるのではなく、既存のグループに途中から加わり、「お手伝いさん」の位置に甘んじ続けるのは、何かを悟って諦めた結果なのか、それとも本心では忸怩たるものがあったのか。いずれにせよ、長いバックコーラス稼業を経てソロになり、世界的なヒット映画『ホーム・アローン2』の主題歌を歌ったり、さらには自身をモデルにした映画が作られたりするダーレン・ラブとはまったく異なります。

 ビヴァリーの50年以上に及ぶキャリアは傍目には低空飛行に映るかもしれません。でもね、僕は声を大にしていいたいんだけど、彼女は素晴らしい歌手です。前述のようにエリー・グリニッチのコンピに入っていた<It Was Me Yesterday>で初めて聴いたんだけど、あまりの声の良さに一瞬時が止まったような気さえしました。

 そこから夢中で彼女の情報を追い求めて、なんとか入手できたのが、2008年にリリースされた彼女の唯一のアルバムであり、キャリアのほぼすべてを網羅したベスト盤『The Secret’s Out』。私、手違いでこれ2枚持ってます。日本はおろか、世界中を探してもこのアルバムを2枚所有している人ってレーベルと本人以外他にいないんじゃないか

 さっき「低空飛行」と書いたけど、音楽業界には華やかなスポットライトが当たり続ける人だけじゃなく、彼女のような存在もたくさんいるんですよね。でもそれってよく考えてみたら現実も一緒で、「100点の人生」を夢見ても、ほとんどの人が「62点」とか「45点」しか取れず、その中途半端な点数と自分の満足感とを折り合い付けながら生きているはずです。

 そう考えると、彼女のキャリアの重ね方っていうのは、大スターの華やかな経歴よりもかえってシンパシーが湧く気がします。そして、淡々とキャリアを積んで確かな実力があれば、いつかこういう形(ベストアルバム)でギフトがもらえるってところも、なんか勇気をもらえます。








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