週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

人生で初めて「劇団四季」を見てきた〜前編

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「面白くないはず」が
実は面白かった


 3歳の娘のお供で、人生で初めて劇団四季を見てきました。演目は『キャッツ』。娘は半年ほど前に初めて見に行って以来(そのときは僕は同行せず)この作品にハマってしまい、毎日のようにロンドン版のBlu-Rayを見たり四季のパンフレットを読んだり、あまりにどっぷりと世界に漬かっているので、「じゃあもう1回見に行こう」ということになったのでした。彼女は3歳にして観劇2回目、僕は38歳にして初めて

 たぶん、こういうきっかけでもない限り、劇団四季なんて見なかったと思います。ミュージカルという形式にも、ショービジネス界のど真ん中をいくような一連の作品の華やかな雰囲気にも、僕自身はまったく興味はありませんでした。食わず嫌いという自覚はあったものの、それを克服しようとする強い動機は、少なくとも自発的にはなかったのです。子供がいるといろいろ変わるもんですね。

 んで、実際に見てみてどうだったのか。

 想像以上でした。めちゃくちゃ面白かったです。ちょっと泣いちゃったもん。もうね、これまででトップ3に入るほどの観劇体験でした。

 歌と踊りがいかに雄弁なのかってことをまざまざと見せつけられたし、照明や役者の動きによって演出された客席との一体感も素晴らしかった。ストーリーもキャラクターも歌もほとんど頭に入っていたのですが(なにせ娘と一緒に毎日見てるから)、その確認作業というだけでない、もっとそれ以上の価値がある体験でした。

 そして、ある意味では作品以上に圧倒されたのが、「このクオリティの舞台を、劇団四季は毎日、全国複数箇所で上演している」という事実でした。四季が誇るロングランシステムは有名ですが、改めてすさまじいことだなと衝撃を受けました。

 まず専用劇場をもっていること。劇団が期限を決めずに長期にわたって公演を打ち続けるのに、一般の貸し劇場を転々としているだけではあまりに無駄が大きいってことはわかりますが、だからといってリアルに自前の劇場(しかもキャパ500〜1000クラス)を建てるってのは、演劇経験者からすると驚異的のひとことです。資金力もすごいし、それでペイできてしまうという動員力もすごい

 そして僕がもっとも唸ったのが、配役の仕組みです。劇団四季は一つの役に対して複数の役者を配役していることはよく知られています。プロ野球チームの1軍と2軍のように、1つのポジション(役)に対して常にバックアップが用意され、1軍選手になにかあればすぐに2軍選手が穴を埋められるような仕組みです。

 同じ役者が何か月もステージに立ち続けることは不可能です。怪我や体調不良といった体力的な問題もあるし、人間なので同じ役を延々と繰り返しているとダレるというリスクもあります。なのでロングラン公演を可能にするためには、役を1人の役者に固定せず、常に複数の役者を準備さておくしかありません。もちろん、そのためにはコストも手間もかかります。

 ですが、僕が唸ったのはコストや手間に対してではなく、そもそも「役を一人の役者に固定しない」というコンセプトそのものでした。これは、「役者を交換可能にしている」とも言い換えられます。 

 なぜこのことに唸ったかといえば、僕が考える優れた作品とは「この役者だから感動する」や「この人だから面白い」というように、役者の個性や人間性と物語が深く結びついたものだからです。以前、『朝日のような夕日をつれて』でも書いたように、芝居は舞台に立つ人間そのものの魅力や、相手役者との普段の関係性が如実に反映されるものです。その役者という存在を交換可能とすることは、僕からすれば「面白い」という概念の大前提を放棄しているようにすら見えました。

 にもかかわらず『キャッツ』は面白かった。自分がいままで「面白くないはずだ」と思っていたものが、実は面白かったのです。「面白い」ということのあまりの多様さを思い、観劇後僕は心地よい混乱を感じていました



 奇しくも、僕が『キャッツ』を見に行ったのと同じ週に、演劇集団キャラメルボックスの活動休止と、運営会社のネビュラプロジェクトの倒産が発表されました。

 キャラメルは80年代半ばに、早稲田大学の演劇サークルを母体にして旗揚げされた劇団で、90年代には年間数万人の動員数を誇る、国内では屈指の人気劇団へと成長しました。

 この劇団の大きな特徴は、中学や高校の部活演劇に広く支持されたことです。SFやラブストーリー、時代劇など、エンタメ性の強い戯曲と演出は、部活演劇には取っつきやすく、「キャラメルで演劇に出会った」という人は、いま20〜30代の世代にはものすごく多いはずです。かくいう僕も、高校3年生で初めて演劇というものを体験したのは、やはりキャラメルの作品でした。

 僕自身はキャラメルの作品を見なくなって10年以上経ちますが、それでも彼らの活動休止は少なからずショックでした。そして、その同じ週に劇団四季という大成功例を見たことで、僕はあることを考えました。それは「演劇で食う」ことは可能だけど、「劇団で食う」ことは不可能だ、ということでした。

 すいません、長くなってきたので次回に続きます。




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特集「タイトルに”Rain”が付く曲 10選」

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 もうすぐ梅雨ですね…。

 大滝詠一のラジオ番組『Go Go Niagara』で以前「タイトルに“Blue”がつく曲特集」というのがありましたが、それをまねて、今回は「タイトルに“Rain”がつく曲特集」っていうのをやってみたいと思います。

“Rain”が付く曲、めちゃくちゃあります。古今東西の楽曲の、タイトルに使われている単語ランキングというものがあったら、相当上位にランクインするんじゃないでしょうか。到底、全部の曲なんか聴けないので、対象は「僕のiPhoneに入っている曲」に絞らせてもらいます。iPhoneのミュージックで「Rain」で検索して引っかかった曲のなかから10曲選んでみました。

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<Singin’ in the Rain
Frankie Vaughan


 この曲は外せないでしょう!「“Rain”が付く曲」のなかでもクラシック中のクラシック。オリジナルは1929年というから90年も前の曲になります。1952年にミュージカル映画でジーン・ケリーが歌うシーンがあまりに有名ですね。僕がもってるのは、イギリス人男性歌手のフランキー・ヴォーガンが85年にカバーしたもの。この曲聴いてると、うっとうしい雨も楽しく思えてきます。


Raindrops Keep Falling On My Head>
B. J. Thomas


 続いてこちらもクラシック。69年10月リリースで 全米1位を獲得したこの曲は、映画『明日に向かって撃て』の挿入歌で有名です。あの映画のポール・ニューマン、めちゃくちゃ好きです。ちょっとボブ・ディランに似てる。

 曲を書いたのはハル・デイヴィッドバート・バカラックの黄金コンビ。バカラックの曲って「わかってても泣いちゃう」みたいなところがありますよね。いずれ止むのだからこの雨を静かに眺めていよう、というような穏やかな気持ちになれる1曲。


<Buckets Of Rain
Bob Dylan


 75年にリリースされた、ボブ・ディランのキャリアのなかでも特に人気の高いアルバム『Blood On The Tracks(血の轍)』に収録されている1曲。

冒頭の歌詞が「Buckets Of Rain, Buckets Of Tears」とあり、この曲は雨を悲しいものと描いているようですが、歌全体を見ると、何年も連れ添った夫婦のような日常的でささやかな愛を歌っているように思えます。ちょうどこの時期にディラン自身が離婚したってことが頭にあるからかもしれませんが、なんとなくそう感じます(ディランの歌詞は難しいので正解はわかりませんが)。


<So. Central Rain
R.E.M.


 世界でもっとも愛するバンドの一つ、R.E.M. が84年にリリースした2nd『Reckoning』に収録されている曲。タイトルに「Rain」とついていますが、実は歌詞のなかには一度も「Rain」は出てきません。

 そして、何度も繰り返される印象的な「I'm Sorry」。なぜ「I'm Sorry」なのか、何を懺悔しているのかは歌詞には明快に書かれてはいません。ただ、その哀切な響きは、意味というものを超えてたまらなくセンチメンタルな気分にさせます。


<The Rain, the Park & Other Things>
The Cowsills


 米ロングアイランドのカウシル家の家族で結成されたファミリーバンド、カウシルズが67年にリリースし、全米2位まで上がったグループ最大のヒット曲。邦題は<雨に消えた初恋>。

 この曲は、一編の物語になっています。雨のなか、髪に花飾りをした女の子に出会って主人公は一目ぼれをするんだけど、雨が上がって太陽が顔を出すと彼女は幻のように消えてしまう…というストーリー。詳しくは実際の歌詞を読んでほしいのですが、薄暗い雨が周囲の風景を目隠しするなかで、少女の花飾りだけが鮮やかに目に飛び込んでくるような、映像的なイメージを湧かせる曲です。雨のもつ幻想性みたいなものを巧みに描いた名曲だと思います。


<She Brings The Rain
Can


 クラウト・ロックの先駆者、カンが70年にリリースしたアルバム『Soundtracks』のなかの1曲。

 これも不思議な曲ですね。基本的に1つのヴァースを延々繰り返し、必ず毎回「She brings the rain」という歌詞で締めるというだけの曲なのですが、「Rain」という言葉が聴くたびにいろいろなイメージを生むので、不思議な中毒性があります。


<Summer Rain
Star Tropics


 今回挙げた10曲のなかではもっとも新しい曲。シカゴの4人組スター・トロピックスが2015年にリリースした曲で、17年の彼らの1stアルバム『Lost World』にも収録されました。

「Summer Rain」というタイトルをもつ曲は世の中にたくさんありますが(僕のiPhoneにもほかにパステルズとハイ・ヘイゼルズがいる)、この言葉のもつイメージとサウンドの組み合わせとしては、僕はこの曲が一番だと思います。なんでこのバンドがもっと売れないのかいつも不思議。ちなみにこの曲のシングルでB面に入ってる<Swept Away>という曲も名曲です。


<I Wish It Would Rain All Summer>
Jo Ann Campbell


 アメリカの女性歌手、ジョー・アン・キャンベルが62年にリリースした曲。エリー・グリニッチトニー・パワーのコンビで作られています。チャートアクションは不明なのですが、同じ年に彼女の最大のヒット曲<I'm the Girl from Wolverton Mountain>(全米38位)がリリースされています。

 彼女はダンサーから歌手になったという異色のキャリアの持ち主で、歌手としてデビューしたあとはカントリー系のレパートリーを多く歌いました。そのなかでこの曲は比較的カントリー色の弱い、いわゆるガールズポップ仕立ての曲で、60年代初期特有のノリがいいですね。ちなみにこの曲はサブスクリプションにはアップされてません。


<Vain Dog(in Rain Drops)>
Noodles


 今回選んだ10曲のなかで唯一の日本人アーティスト。オリジナルはピロウズで、01年のアルバム『Smile』に収録されています。

 実はオリジナルを聴いたときはさほど気に留めてなかったのですが、04年にピロウズのトリビュートアルバム『Synchronized Rockers』に入っていたこのヌードルス版を聴いたときに「うおお!なんていい曲なんだ!」と思ったのでした。「雨の中で捨てられた犬」っていう表現がなんとも山中さわおイズムです。


<Walking In The Rain
The Ronettes


 最後はこの曲。ロネッツが64年にリリースし、全米23位になったシングルで、邦題は<恋の雨音>。

 作詞作曲はシンシア・ワイルバリー・マンの夫婦コンビですね。でも、この曲はなんといってもサウンドでしょう。カスケーズの上をいく序盤の雨と雷(エンジニアのラリー・レヴィンはこのイントロでグラミーを獲ったらしいです)から静かにボーカルが入って、コーラスでグワッとフルボリュームに駆け上がる、なんともドラマチックな展開は、いかにもフィル・スペクター的です。これ、アレンジはジャック・ニッチェですよね?こんなの嫌いな人いるのかよっていうくらいの名曲です。

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 以上、タイトルに“Rain”がつく10曲でした。雨はうっとうしいけど、梅雨が明けるとそのあとにはさらにうっとうしい暑い夏がやってくるんですよねえ…。




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特集「Beverly Warrenという生きざま」

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華やかなスポットライトを
浴び続けられなくても


 以前、作曲家エリー・グリニッチが夫のジェフ・バリーと共に結成したコーラスグループ、レインドロップスについて取り上げたことがあります。レインドロップスのレコードはエリーとジェフの多重録音によって作られており、もう一人のメンバーであるエリーの妹ローラは、レコーディングには関わっていませんでした。ローラはコンサートや撮影など、グループとして露出するときにだけ参加する、いわば「形だけのメンバー」という存在だった・・・という話まではふれました。

 実は、このローラには「影武者」がいました。そもそもローラ自身が影武者みたいな存在なのに、さらにそこに影武者がいたなんてややこしすぎるのですが、長いツアーなどを回る際はこの影武者がローラとして帯同したそうです(ちなみにジェフにも影武者がいる)。

 ただし、この「影武者」はローラと違い、歌が歌えました。なぜなら本物の歌手だったから。この「影武者」が、今回取り上げるビヴァリー・ウォーレンです。

 ビヴァリーは1962年、ブレントウッズというコーラスグループのメンバーとして活動するところからキャリアをスタートさせます。当時14歳でした。やがてブレントウッズが解散すると、今度はリッキー&ホールマークスというグループの一員になります。

 リッキー&ホールマークスはBell Records傘下のAmy Recordsから1枚だけシングルをリリースするのですが、大して売れずにグループは解散。しかしこのときにエリー・グリニッチと知り合ったビヴァリーは、彼女の作った<It Was Me Yesterday>でUnited Artistsからソロ歌手としてデビューします。ちなみに僕が最初にビヴァリーを知ったのは、エリーのコンピに入っていたこの曲でした。



 結局、このシングルも大して売れなかったのですが、このときのエリーとの縁が、レインドロップスの「影武者」としての活動につながっていきます。その後、65年にはゴフィン&キングスキーター・デイヴィスに作った<Let Me Get Close To You>をカバーしてLaurie Records傘下のRustからリリースするのですが、こちらも大して売れなかったもよう。



 72年には(この時点でまだ20代前半)、<It Hurts To Be Sixteen(なみだの16歳)>で知られるアンドレア・キャロルとB.T. Puppy Recordsから『Side By Side』というタイトルのスプリットLPを出します。A面がアンドレアでB面がビヴァリー。ここではシフォンズが63年にNo.1ヒットをさせた<He’s So Fine>を、本家シフォンズをコーラスに迎えてカバーしたりしています。

 ちなみに、このアルバムのリリース元であるB.T. Puppy Recordsは<ライオンは寝ている>で有名なトーケンズが設立したレーベルで、ビヴァリーが吹き込んだ<A Few Casual Words>と<Papa Bill Is Home>を作曲したポール・カハンはトーケンズの楽曲を手掛ける作曲家。この頃のビヴァリーはトーケンズの周辺で仕事をしていたようです(ちなみにアンドレアの<It Hurts To Be Sixteen>を作ったのはトーケンズのオリジナルメンバーであるニール・セダカ)。

 その後、ビヴァリーはカントリーバンド、ヴィンス・ヴァンス&ヴァリアンツやリッキー&ホールマークスの元メンバーが作ったブレンドエアーズ、ドゥーワップグループのティーンコーズといったグループを渡り歩きながらキャリアを重ねていきます。還暦を迎えても現役バリバリで、08年時点ではNYのターセルズというコーラスグループで活動していたそうです。

※2011年の映像


 さて、ここまで延々と、ビヴァリー・ウォーレンという一人の女性歌手のキャリアを紹介してきました。彼女はお世辞にも有名とはいえません。むしろ「ど」がつくほどマイナーなアーティストです。けれど10代の前半からずっと、途切れることなくアメリカの音楽業界のなかで生きてきました

 彼女のキャリアの特徴は、グループの一員として出てきて、途中ソロ歌手として活動をするも、再びグループの一員に戻っていくところです。このときに、自分がリーダーとなるのではなく、既存のグループに途中から加わり、「お手伝いさん」の位置に甘んじ続けるのは、何かを悟って諦めた結果なのか、それとも本心では忸怩たるものがあったのか。いずれにせよ、長いバックコーラス稼業を経てソロになり、世界的なヒット映画『ホーム・アローン2』の主題歌を歌ったり、さらには自身をモデルにした映画が作られたりするダーレン・ラブとはまったく異なります。

 ビヴァリーの50年以上に及ぶキャリアは傍目には低空飛行に映るかもしれません。でもね、僕は声を大にしていいたいんだけど、彼女は素晴らしい歌手です。前述のようにエリー・グリニッチのコンピに入っていた<It Was Me Yesterday>で初めて聴いたんだけど、あまりの声の良さに一瞬時が止まったような気さえしました。

 そこから夢中で彼女の情報を追い求めて、なんとか入手できたのが、2008年にリリースされた彼女の唯一のアルバムであり、キャリアのほぼすべてを網羅したベスト盤『The Secret’s Out』。私、手違いでこれ2枚持ってます。日本はおろか、世界中を探してもこのアルバムを2枚所有している人ってレーベルと本人以外他にいないんじゃないか

 さっき「低空飛行」と書いたけど、音楽業界には華やかなスポットライトが当たり続ける人だけじゃなく、彼女のような存在もたくさんいるんですよね。でもそれってよく考えてみたら現実も一緒で、「100点の人生」を夢見ても、ほとんどの人が「62点」とか「45点」しか取れず、その中途半端な点数と自分の満足感とを折り合い付けながら生きているはずです。

 そう考えると、彼女のキャリアの重ね方っていうのは、大スターの華やかな経歴よりもかえってシンパシーが湧く気がします。そして、淡々とキャリアを積んで確かな実力があれば、いつかこういう形(ベストアルバム)でギフトがもらえるってところも、なんか勇気をもらえます。








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Spotifyを2年半使って思うこと〜「アーカイブ性」の限界

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古い音源の「アーカイブ性」向上と
クレジット情報へのアクセスが課題


 Spotifyを使い始めて2年半が経ちました。Spotifyについてはこれまで、使い始めた直後、使って1年後と、2回記事を書きました。
#第1回 ついに「ストリーミング配信」に手を出した
#第2回 Spotifyを1年使ってあれこれ思うこと

 正直「もう書くことはないかなー」と思っていたのですが、最近、これまでとは少し違うことを考えるようになりました。今回は、そのことについて書いてみます。

 2016年の年末にサービスを利用し始めたとき、何よりも驚いたのは、どんな曲名/アーティスト名でも、検索したらほぼヒットする圧倒的な登録曲数でした。ひと月にたった1,000円払うだけで、世界のどのレコードショップよりも豊富なライブラリが手に入るということに、喜びを通り越してただただ呆然としました。

 ところが最近、それが錯覚だったと思うようになったのです。確かに、相変わらず「ど」がつくほどインディーなアーティストでもカバーされているし、それどころか新譜をサブスクリプションでしかリリースしないという流れは(特に若いアーティストのなかで)確実に強くなっているし、2年前は海外勢に比べて参入率が低かった国内勢も、ユーミンやYUKIなど大物の参入が続いたことで一気に加速しそうな気配があります。

 でもそれは、あくまで“最近の”アーティストの話。

 僕は年明けからずっと、1960年代以前のアメリカンポップスをたくさん聴いているのですが、その頃のアーティストの音源がSpotify上でヒットしない事態にたびたび出くわします。厳密にいうなら、音源は上がっていても、当時と同じカタログで聴けないケースが多いのです。

 例えば、以前紹介したエキサイターズの1stアルバム『Tell Him』。Spotifyにはシングル<Tell Him>が上がっているだけで、アルバムは上がっていません。19年3月現在、オリジナルと同じ形で聴ける彼女たちのアルバムはセルフタイトルの2ndだけです。

 過去にブログに書いたアーティストでいうと、さらに驚いたのはシャングリラス。全米1位を獲ったことのあるグループにもかかわらず、彼女たちのアルバムもオリジナルの形で上がっているのは1枚もありません。ベスト盤や編集盤がいくつか上がっているので、音源そのものはカバーされているのですが、当時Red Birdからリリースされたカタログ通りに年代に沿ってフォローしようとしても、少なくともSpotify上では無理なのです

 コニー・フランシスもダメ。以前紹介した『Rock’n’Roll Million Sellers』も『Country & Western Golden Hits』もありません。彼女の場合はカバー曲こそ素晴らしいのに、Spotifyで聴けるのはイタリアのカンツォーネなどごく一部だけという状況です。

 まあねー、当時はあくまでシングルが主流の時代だったので、アルバムというフォーマットは「ヒット曲が溜まったら出す」程度の認識の、アーティストよりもレーベル側の意図が強く反映されたものでした、そういう時代のアルバムについて、「オリジナルであること」をストイックに求めても、あまり意味はないのかもしれません。原盤権の保有者からしても、50〜60年代の古い音楽なんて、オリジナルカタログ通りにアップしたところで、そもそも聴く人がほとんどいないと見切りをつけている可能性もありそうです。

 いずれにせよ、圧倒的に見えたSpotifyのアーカイブ性も、古い時代の音源となると途端に精度が落ちてしまうことが徐々にわかってきました。ですが、個人的にSpotifyにもっとも期待していたのは、この「アーカイブ性」だったのです。

 CDを頻繁に買う人はわかると思うのですが、CDというのは放っておくとすぐに廃盤になる代物です。マイナーな作品に限った話ではなく、例えばニューオーダーなんていう超大物のアルバムでさえ、初期のころのアルバムをCDで手に入れようと思ったら中古しかありません。CD離れという世界的な潮流もあって、廃盤になるサイクルは昔よりも確実に加速しています。だからこそ、サブスクリプションのアーカイブ性は希望だったのですが、やはり完ぺきではなかったようです。なんでもそうですけど「100点」ってのはなかなかないものですね

 ということで、古い音楽に的を絞ってCDやレコードをまた買い始めたのですが、そこでもう一つ気づいたフィジカルのメリット(サブスクリプションのデメリット)があります。それは、作曲家やプロデューサー、演奏者、レーベルといった周辺情報に対するアクセスの良さ

「今更?」「そこかよ?」と言われそうですけど、やっぱりインナースリーブや裏ジャケからクレジット系の情報がその場でわかるのは非常に大きいですよ。もちろん、ネットで探すことはできるんですけど、断片的な情報しかなかったり、ヒットしてもWikipediaなど非オフィシャルな情報だったりと、目当ての情報を網羅的に入手するには、実はそこそこ高いリテラシーが要求されるんですよね。

 まあね、インナースリーブなんて見ないよって人が大半かもしれませんけど、僕も一度も目を通さないまま放置した経験ありますけど、でもね、見るか見ないかにかかわらず、「誰がこのアルバムを作ったか」という情報が、誰もが(少なくともその作品を聴いている人には)アクセスできる場所に保管されているということが重要なんです。だってクレジットってそういうものだから。

 映画は、映画館であれブルーレイであれネット配信であれ、必ず最後にクレジットが流れます。見る見ないは観客の自由だけど、クレジットも作品の一部として常に本編とセットで管理されています。音楽だけが今のところ、それら裏方情報の引っ越しに失敗しているんです。いつかフィジカルが完全になくなったとき、これらの情報は誰がどこで管理するんでしょうね。

 ということで、最後ちょっと脱線しちゃいましたが、Spotifyを使い始めて2年半経ち、重宝はしているものの、CDに完全に取って代わる手段にはまだなりえない…という話でした。前回の記事では「気持ち」の面でCDを完全には脱却できないという話を書きましたが、もうちょっと実際的というか、物理的な面からもCDへの評価が再燃しそう、という結論です

 最後にSpotifyのポジティブな面を取り上げてフォローしたいんですけど、カスタマーサービスのクオリティはめちゃくちゃ高いです。以前、DLした音源がUI上で再生できない事態になって困ってしまい、愚痴をTwitterで呟いたところ、そのツイートを見つけた公式アカウントがリプライをくれて、そのままDMでやりとりして小一時間で解決してくれた…ということがありました。対応のスピードと細やかさは素晴らしかったです




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Vampire Weekend『Father Of The Bride』

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黒と白のように、昼と夜のように
僕らは一緒にやっていこう


 あるアーティストを追い続けていると、新作が出るたびに以前の作品から何がどう変わったか(変わってないのか)に敏感になってしまうものですが、ヴァンパイア・ウィークエンドが今年5月にリリースした新作『Father Of The Bride』も、前作『Modern Vampire of the City』(2013年)から6年のあいだに起きた変化を如実に反映したアルバムとなりました。

 一つは、トランプ政権の誕生。多くのアーティストが、「トランプ以降」の世界について、作品を通じて何らかのアティチュードを表明していますが、ヴァンパイア・ウィークエンドも例外ではありませんでした。<Harmony Hall><This Life>は、明らかにトランプ政権下のアメリカを視野に入れた曲だと思います。<This Life>の下記の歌詞なんて、思わずハッとしました。

Baby, I know hate is always waiting at the gate
I just thought we locked the gate when we left in the morning
And I was told that war is how we landed on these shores
I just thought the drums of war beat louder warnings



 しかし、バンドにとってこの6年間に起きたもっとも大きな変化は、なんといってもロスタム・バトマングリの脱退でした。

 ロスタムの脱退は、単に1人のプレイヤーがバンドから抜けたというだけに留まらなかったはずです。なぜなら、過去3作のプロデューサーを務めたのは他でもないロスタムであり、彼こそがヴァンパイア・ウィークエンドというバンドのサウンドの核を担っていたからです。

 なので、今回の『Father Of The Bride』は、ロスタムがこれまでバンドのなかで果たしていた役割を、逆説的に証明するような作品になっています。

 まず、音数がぐっと減りました。特にロスタムが主に担っていたシンセ系の音が減り、必然的にギター主体のサウンドに変わっています。ビートルズ<Blackbird>を思わせるギター弾き語りの<Hold You Now>を1曲目に配置しているところに、僕はなにか「宣言」めいたものを感じました。

 もう一つ、「これがロスタムの個性だったんだなあ」と感じたのはビートに対する感覚です。今回のアルバムを聴くと、過去3作がいかにビートを強調していたかがよく分かります。デビュー作の頃、よくヴァンパイア・ウィークエンドは「アフロビート」というような形容をされましたが、そのキャラクターを作っていたのはロスタムだったんですね。

 では逆に、ロスタムが抜けてバンドに残ったものは何か。僕はエズラ・クーニグの「メロディ」と「声」だと思います。やはりというか、エズラのメロディは絶対的な「華」のようなものがあり、さらにそれを歌う彼自身の声にも心を揺さぶる力があります(決して美声というわけではないのに、不思議ですね)。

 このことは、ロスタムがバンド脱退後リリースした最初のソロアルバム『Half-Light』が(これもまた逆説的に)証明していました。この1stソロを聴いたとき、サウンドはまんまヴァンパイア・ウィークエンドだったのですが、決定的に欠けていたのがメロディと、エズラのあの声だったのです。

 このように、『Father Of The Bride』というアルバムは、「変わったもの」と「変わらないもの」とがせめぎあっている作品です。18曲というボリュームと、それをメドレー的につなぎ合わせた構成は、「ポスト・ロスタム」の葛藤と混沌の表れのようであり、いくつかのメディアが指摘するように、確かにこのアルバムはビートルズの『ホワイト・アルバム』を彷彿とさせます。

 ただ、『ホワイト・アルバム』はメンバー4人それぞれが曲を持ち寄っていたのに対し、『Father Of The Bride』のコンポーザーは、基本的にエズラ一人だけ。残る二人のメンバー、クリス・バイオとクリス・トムソンはレコーディング自体に参加していない曲なんかもあって、ヴァンパイア・ウィークエンドは徐々にエズラの個人プロジェクトになっていくのかもしれません

 TVに出演してる映像なんかを見ると、サポートミュージシャンを大量に入れていて、以前よりもアンサンブル感は強まっています。一人の作曲者の頭のなかで鳴っている音を、何人ものミュージシャンで再現し、増幅していくというあり方に、僕はブライアン・ウィルソンに近いものを感じました。



 脱退したロスタムですが、実はこのアルバムにも一部の曲でプロデューサーとして参加しています。関係は切れてないんですね。よかったよかった。そのうちの1曲は前述の<Harmony Hall>で、実はアルバムを最初に聴いたときに「おっ、これいいじゃん!」と思ったのがこの曲でした。後で調べてロスタムが関わっているとわかり納得。

 そしてもう1曲が、<We Belong Together>。この曲でロスタムはプロデュースだけでなく、エズラとともに作曲者としても名を連ねています。タイトルからしてウルッときてしまいますが、歌詞も「僕らはずっと名コンビとしてやってきた。でも、それは二人が似ていたからではなくて、むしろ僕らは常に真逆だった。真逆のまま、これからも一緒に歩いていこう」というような内容で、なんて美しく前向きな友情の描き方だろうと、激しく感動しちゃいました。








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