週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

Hal Blaine追悼特集

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「ドッドドン、ダン!」の
系譜について


 今年3月、ドラマーのハル・ブレインが亡くなりました。アメリカ西海岸の腕利きミュージシャン集団「レッキング・クルー」の中心人物として、ビーチボーイズサイモン&ガーファンクルをはじめ数々の名曲/名盤のレコーディングに参加し、彼の叩くドラムが録音された曲は35,000曲を超えると言われる、現代のポップミュージックを代表する名ドラマーです。「彼の名前は知らなくても、彼がドラムを叩いた曲は知っている」という、セッションミュージシャンの鑑のような人でした。

 とにかく膨大な録音を残した人ですので、全ての曲を把握するなんて無理なのですが、拙い知識のなかで1曲だけ選べと言われたら、ベタベタなんですけど、やはりロネッツの<Be My Baby>を選びます。


 なんといっても、イントロの「ドッドドン、ダン!」っていうリズムですよね。最初に聴いたのがいつだったのかもう覚えてないですけど、何度聴いてもうっとりとした気持ちになります。ドラムだけでなんでこんなにも雄弁なフレーズが作れるんでしょう。

 もちろん、この曲はアレンジも声もメロディも全てが素晴らしいのですが、やはりあのイントロを抜きにしては語れません。女性ボーカルもののポップミュージックを、ジュディ・ガーランドとかアンドリュー・シスターズとかの時代から順々に聴いていくと、ロネッツにたどりついた瞬間に「あ、完成した」という”これ以上はない”感みたいなものがあります。単にドラムだけを根拠にしたのではなく、楽曲の果たした歴史的役割みたいなものから逆算して、この曲を「ハル・ブレインのベストドラム」に選びました。

 さて、そのように歴史的名演であるがゆえに、この「ドッドドン、ダン!」のフレーズは以降さまざまな楽曲でカバーされてきました。そのなかの数曲を以下に挙げてみたいと思います。既にいろんなメディアで取り上げられてきたテーマではあるのですが、自分なりの視点で選んでみました。

<Just Like Honey>
The Jesus And Mary Chain
(1985年)

 やっぱり何を置いてもこの曲を挙げないと始まらないでしょう。<Just Like Honey>自体がロック史に残る名曲ですが、そのイントロが<Be My Baby>というのが面白いというか、歴史が受け継がれていくのを強く感じますね。

 余談ですが、僕はこの曲を聴くとソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出して毎回泣いてしまいます。


<Gentle Sons>
The Pains Of Being Pure At Heart
(2009年)

 愛するペインズにも「ドッドドン、ダン!」がありました。もっともこの曲は<Be My Baby>というよりも、ジザメリの系譜といった方がよさそう。実際ペインズが登場したときはシューゲイザーという文脈で語られましたが、眩暈のなかで眠りに落ちていくようなこの曲のダル重い感覚は、<Just Like Honey>に近いと思います。そういう意味では、<Be My Baby>の「孫」といえるかもしれません。


<Ghost Mouth>
Girls
(09年)

 ペインズと同じく09年に発表されたのがこの曲。NMEやPitchforkをはじめ音楽誌で軒並み高評価をたたき出した、その年を代表する1枚となったガールズの1stに収録されています。

 バンドの中心人物であるクリストファー・オーウェンズは、以前このブログでも取り上げたことがありますが、明らかにフィル・スペクター→ブライアン・ウィルソンの系譜を継ぐ作家なので言わずもがな、です。


<Time’s Passing By>
Lia Pamina & Dario Persi
(18年)

 今回選んだ曲のなかでもっとも新しいのがこれ。スペインのSSWリア・パミナと、イタリアのパワーポップバンド、レディオ・デイズのボーカルであるダリオ・パーシがコラボした4曲入りEPが昨年リリースされたのですが、そのラストに収録されているのがこの曲。

 リアはElefant Records所属のアーティストで、最新のアルバムではレーベルメイトであるヤーニングジョー・ムーアがプロデュースしており、このEPもElefantから出ています。ここまで「状況証拠」が揃ったのだから、この曲のリズムパターンは間違いなく「クロ」でしょう。


<You May Dream>
シーナ&ザ・ロケッツ
(79年)

 続いて邦楽編です。まず筆頭に挙げなければならないのはこれでしょう。打ち込みで見えにくくなっていますが、間違いなく「ドッドドン、ダン!」が隠れています。しかもこのフレーズ叩いてるのは高橋幸宏ですよね?

 昨年NHK福岡放送局で制作された、若き日のシーナと鮎川誠を描いたドラマ『You May Dream』で、鮎川誠と出会う前のシーナ(石橋静河)が部屋で聴いていたLPがまさにロネッツの1stで、なかなかグッときました


<一千一秒物語>
松田聖子
(81年)

 個人的には、この曲が世界中の<Be My Baby>インスパイア楽曲の頂点だと思っています大滝詠一松田聖子というトップアイドルを得て、「時はきた!」と伝家の宝刀を抜いたのがこの曲。あのドラムパターンが聴こえた瞬間に「いよいよやるんだな!」ってことがこっちにもわかります。ヴァース冒頭はコード進行まで揃えるという徹底ぶり。本家に引けを取らない美しい曲です。ちなみにブリッジにはクリスタルズの<Then He Kissed Me>が出てきますね。

 この曲が収録されたアルバム『風立ちぬ』については去年こちらで書きました。


<ハートせつなく>
原由子
(91年)
※YouTubeなし!Fuck!

 作詞作曲は桑田佳祐。イントロが<Be My Baby>で、そこからブライアン・ウィルソンに変化していくという、必殺コンボが炸裂するイントロ。好きな人にはたまりません。大滝詠一といい桑田佳祐といい、どうも男性作曲家は「これだ!」という女性歌手を得ると<Be My Baby>をやりたくなるんでしょうね


<世界中の誰よりきっと>
中山美穂&WANDS
(92年)

 邦楽史上もっとも売れた「ドッドドン、ダン!」です。僕も小6のときにシングル買いました。

 作曲は織田哲郎、アレンジは葉山たけしという、ビーイングのシングル制作における鉄壁コンビ。「イントロはロネッツでいこう!」と言い出したのはどっちなんでしょうね。でもどっちであっても、これも「男性作曲家はここぞというときに<Be My Baby>をやりたがる理論」を実証する楽曲といえそうです。

 こうして見ると、海外は現在もなお<Be My Baby>の系譜が生き続けているのに対し、日本は30年近くも絶えてしまっているように見えます(もちろん、僕が知らないだけって可能性もありますが)。日本と海外の本質的な違いの一端を示唆する差のように思える…のは気のせいでしょうか。

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 最後に、ハル・ブレインが参加した日本のアーティストの楽曲を1曲紹介。島倉千代子の<愛のさざなみ>(68年)です。録音はロスだったらしく、そこにハル・ブレインが参加したそうです。確かにこの曲はサウンドが全然違いますね(やっぱり浜口庫之助は海外のサウンドと相性がいい)。しかしハル・ブレイン、本当になんでもやってるんですね。








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ザ・キングトーンズ『Soul Mates』

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「口当たりの良さ」にこそ
彼らの歴史が表れている


 今年2月、ザ・キングトーンズのリーダーでありメインボーカルの内田正人が亡くなりました。82歳でした。

 キングトーンズといえば<グッドナイト・ベイビー>ですが、僕にとって<グッドナイト・ベイビー>というと真っ先に思い出すのは第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』です。あの作品の序盤で、第5のキャラクター「少年」が登場するときに流れるのが、この曲でした。

 派手な衣装を着た役者が振付つきで歌うという演出のインパクトもあって、僕はこの曲のことを長らくムード歌謡の一つとしか見ていませんでした。グループとしてのキングトーンズ、そして彼らのキャリアのなかでの<グッドナイト・ベイビー>というものを自分なりに解釈できるようになるのは、ドゥーワップを聴くようになってからのことでした。



 日本では現代にいたるまで、海外で最新の音楽スタイルが生まれると、耳の早いアーティストやミュージシャンが輸入してきて、カバーしたり自作曲に取り入れたりしながら、あの手この手で日本のマーケットに浸透させる、というパターンがあります。ドゥーワップに関しては、間違いなくキングトーンズがその「輸入業者」の代表格でした

 結成は1960年(母体となるグループは58年)。内田正人は「プラターズの<Only You>をカバーしたい」という動機でグループを作ったと語っていますが、<Only You>のリリースって1955年なので、当時の情報伝達速度を考えると、かなり早いリアクションだったのではないでしょうか。

 今聴くと「<グッドナイト・ベイビー>のどこがドゥーワップ?」と感じるかもしれません。しかし50年も前に、本場のフィーリングをそのまま持ってきて受け入れてくれるリスナーが、果たしてどれだけいたかは疑問です。あくまで演歌や歌謡曲をベースにしつつ、ファルセットやコーラスといったエッセンスをまぶしながら、徐々にリスナーを啓蒙し、開拓していくしかなかったわけで、<グッドナイト・ベイビー>のもつ昭和歌謡とドゥーワップが混じりあったような不思議な味わいには、そんなパイオニアの苦闘が表れています。(実際、彼らのレコードデビューが69年にまでずれこんだのは、歌謡曲化してしまうことを躊躇したからといわれています)

 シングル<グッドナイト・ベイビー>のB面は<捨てられた仔犬のように>という曲なんですが、メンバーの加生スミオが書いただけあって、グループの個性をそのまま出したような黒っぽい曲になっています。A面の取っつきやすさとB面の個性というメリハリもまた、彼らなりの折り合いの付け方のように見えます。



 そんなキングトーンズの代表的なアルバムといえば、なんといっても81年の『Doo-Wop! STATION』なのですが、僕はあえて『Soul Mates』(95年)を選びたい。グループ結成35年周年の記念盤で、高野寛や大沢誉志幸、上田正樹、佐野元春といった多彩な作家が曲を提供しています。

 スタンダードナンバーを中心に選曲された、ドゥーワップグループの面目躍如ともいうべき『Doo-Wop! STATION』に比べると、作家陣書き下ろしの新曲が中心の『Soul Mates』は、よりレンジの広い「ポップスアルバム」といった仕上がりです。けれど、この口当たりの良さと消化力の高さにこそ、キングトーンズというグループの歴史が表れているように思うのです

 白眉はなんといっても、1曲目に収録された、作曲山下達郎、作詞伊藤銀次の<Down Town>。僕はシュガーベイブ版しか知らなかったのですが、実は元々、75年前後に山下・伊藤コンビがキングトーンズの15周年記念盤への提供曲として作った曲だったのです(紆余曲折を経て当時はお蔵入り)。20年の時間を経て、本来歌うはずだったキングトーンズの元へ曲が帰ってきたことになります。

 キングトーンズ版の<Down Town>は見つからなかったので、カバーを2曲貼ります。なんてすばらしい歌声。








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Family Basik『A False Dawn And Posthumous Notoriety』

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秘密の場所で作り続けた
自分だけの「最終兵器」


 10代の頃、僕にはいくつかの「好きなもの」がありました。ギターだったり、アニメだったり、特撮だったり、そのときどきで対象は変わったのですが、共通していたのは、どれも「一人で楽しむもの」だった点でした、クラスには他にもアニメが好きな友達はいたし、バンドを組んだりもしたけど、その対象に情熱を注いでいる時間の大半は、一人でした。

 だから、僕が世界で一番好きな場所は、学校でも放課後の街でもなく、自分の部屋でした。家に帰って部屋に入りドアを閉めた瞬間が、楽園の時間の始まりでした。エヴァの第13話『使徒侵入』を1日に何回も繰り返し見たり、マクロスの<愛・おぼえていますか>を流しながら朝までギターとキーボードで耳コピしたり、部屋は僕にとってまさに秘密基地であり、どこまでも自由な場所でした。

 加藤遊加藤りまによる兄妹デュオFamily Basikが、2014年にリリースした1stアルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』を聴いて最初に思い浮かんだのは、一人部屋で過ごしたそんな時間のことでした。

 古ぼけたラジオから記憶のトンネルをくぐりぬけて聴こえてくるような遠い音。誰にも向けられていない独り言のようなボーカル。自己主張が少ない、パステルカラーのように淡いメロディ。このアルバムにはどこにも「他者」の存在が感じられません。そのような閉鎖性と、閉じているからこその甘美さが、部屋で過ごしていた時間にそっくりなのです。

 メインコンポーザーは兄の加藤遊ですが、妹りまが以前組んでいたフォークデュオ、ストロオズや、後にソロで出したアルバム『Faintly Lit』(←素晴らしいアルバムです)を聴いていると、彼女の影響も非常に大きいように感じます。ちなみに、2人の父親は村八分でベースを弾いていた加藤義明だそうです。サウンドの表層はだいぶ違いますが、インディースピリットみたいなものは父子でそっくりですね。

 Family Basikは18年に2枚目のアルバム『Golem Effect』をリリースしましたが、世界から隔絶された場所で誰にも知られずに作っていた最終兵器のような1stに比べると、2ndは外の世界に開かれた作品になっています。僕は断然1stのほうが好き。

 でも、僕が1stのほうに惹きつけられるのは、「ベッドルームポップ」という言葉の極致のような閉鎖性(とそこから生まれる甘美さ)だけではありません。その甘美さと背中合わせで、「孤独」や「さみしさ」といった感情も一緒に含まれているからです

 誰にも干渉されない自分だけの世界。誰も知らない自分だけの秘密の楽しみ。それは裏を返せば、誰とも共有できないということでもあります。「好き」を追求すればするほど、誰かとその「好き」を分かち合うことからはどんどん離れていきました。そういう痛みの感覚もまた、このアルバムの音には込められているように思います。

 いま大人になってみると、そんなほろ苦さをひっくるめて、すべてを懐かしく感じます。「ほろ苦い」などと使い古された表現で茶化してしまえるほど、今の自分はさみしさや孤独といったものに鈍くなってしまいました。いま、僕が痛みを感じるとしたら、10代の頃からずいぶんと遠いところまできてしまった、その距離に対してかもしれません。








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The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』

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リスナーが待ち望んでいたものが
すべて「そこ」にある


 すげえライブアルバムと出会ってしまいました。佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』です。

 映画『No Damage』に映ってたのが、まさにこのときのライブですよね、たしか。映画を見たときも「かっけえなあ」と思ったんですけど、映像が無い分、かえってこっちのアルバムの方がライブのすさまじさを端的に伝えてくる気がしました。

 じゃあ何がすごいのか。大きく2つあります。

 まずは演奏のエネルギー。佐野元春とザ・ハートランドって、都会的で洗練されてて、汗なんかかきそうにないイメージがありますよね。でもこのライブの彼らはまるで暴走列車。猛烈なエネルギーとスピード感は、ほとんどパンクです。10分超の壮大な<ロックンロールナイト>を終えてからの<悲しきRADIO>の高速イントロは、なんかもう涙が出そうでした。

 ライブ盤の醍醐味の一つに、スタジオ音源とは異なるアレンジやニュアンスを聴くことで、アーティストのその曲に対する解釈や音楽的バックグラウンドを知ることが挙げられます。そういう意味でいうと、このアルバムから感じる佐野元春(とハートランド)は、非常にビートを重視するアーティストだということ。

 ビート、つまりリズムでありリフです。彼の場合は、それをギターではなくピアノとサックスで表現しようとしたところに独自性がありました。日本語ロックのイノベーターとして歌詞が注目される佐野元春ですが、実はその前提として、言葉を乗せるビートへのリテラシーが極めて高い人なんだということを、このアルバムは証明しています。佐野元春とほぼ同時代に、同じく日本語ロックのブレイクスルーを果たした桑田佳祐と初期サザンが、同じく「リズムのグループ」であったことは、必然的な符合なのでしょう。

 もう一つのすごいところは、観客の熱狂です。観客の熱狂と、それを受ける佐野元春とが生み出す会場全体の空気、みたいな風に表現したほうがいいかもしれません。なんていうんでしょう。どんな曲を演奏しても、そのすべてが観客が待ち望んでいたサウンドや歌詞にぴったりとはまるような、無敵の全曲アンセム感

 時代と呼吸してるっていうんでしょうか。メディアによる作られた流行なんかじゃなくて、街のストリートから押し上げられてきた「俺の」「私の」ムーブメントって感じがするんですよね。リスナーと深くコミットしてるからこそのアンセム感だってことがわかるから、余計にグッときます。

 歌詞のところどころには、今の感覚からすると正直古いなって感じるワーディングはあるし、MCのあの話し方なんて何度聞いても笑っちゃいます。そういう意味では、83年当時を生きていた世代だけのテンポラリーなムーブメントではあるわけです。

 にもかかかわらず、2018年の今聴いてもこのアルバムの佐野元春を「かっこいい」と感じることは、改めて考えると不思議です。ライブアルバムって瞬間を切り取るものですが、同時にその場の熱気やアーティストの体温すらも封じ込めるから、かえってスタジオ音源よりも古びないのかもしれません

 でも、このアルバムを聴いてちょっと悲しくなるのは、ロックというフォーマットが今ではもう現実とコミットする力を失い、趣味的で享楽的な音楽に変わってきていることが、逆説的に分かるからです。もちろん、それはアーティストだけの責任ではなく、声を上げなかったリスナーにも責任があるのかもしれません。そういうのをひっくるめて、ロックの役割は終わったといえるのかもしれません。感動が深い分、最後に苦い気持ちになるアルバムでした。








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