週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

Skaters 『Manhattan』

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陰ってるし、湿ってる

2012年に米NYで結成された4ピース、Skaters
いかにもパンク/ガレージをイメージさせる名前の通り、
このバンドの音楽のベースにあるのは、ノイズの強いギターと疾走感です。
14年に1stアルバム『Manhattan』をリリースしたときは、
同じNYのバンドということで「ストロークス直系」なんて紹介もされたようです。

でも、ひと筋縄でいかないのがこのバンドの面白いところ。

確かにアルバム1曲目<One Of Us>などは
いかにもNYパンク的なバラけた疾走感がありますが、
続く<Miss Teen Masachusets>はグランジ的な重たいヴァースと哀切なコーラスとが
交互に繰り返すドラマチックな1曲。

<Deadbolt>は打って変わって、不穏な浮遊感溢れるギターが、
パンクというよりもさらに一歩進んでニューウェーブに足を踏み入れた感じだし、
<Bnad Breaker>にいたっては、なんとレゲエです。

要するに「パンク」「ガレージ」という言葉では括りきれないほど、
このSkatersという4人組は雑食性の強いバンドなのです。


実は、NYで結成されたといってもメンバーの出身地はバラバラです。
ボーカルのマイケル・イアン・カミングスはボストンだし、ドラムのノア・ルビンはLA。
ギターのヨシュアはロンドンなので国も違います。
ボストンとLAとロンドンの音楽的土壌って、全く重ならないんじゃないでしょうか。
バンドの音楽的雑食性は、メンバーの異なるバックグラウンドによるものかもしれません。

「マンハッタン」というと、よく人種のるつぼなどと言われますが、
Skatersの音楽的な多様性やメンバーのバラバラな出自を、
彼らの活動拠点であるこの街の名前に引っかけてるのかも、と思いました。


と、いろいろ書いてますが、僕がskatersに惹かれる本当の理由は、
実はこんなところじゃないんです。
完全に僕の個人的感覚なんですけど、彼らの楽曲って、どこか「哀しい」のです。

<Miss Teen Masachusets>のイントロの、揺れ動く心の葛藤のようなギターとか、
<I Wanna Dance (But I Don't Know How)>の足元にすがりついてくるような歌声とか、
何かと引っかかりスンナリ流れていってくれません。
首筋にまとわりつく真夏の湿気のように、モワッとしたものが耳に残るのです。

<Band Breaker>なんて、「モテモテあの娘がバンドを壊しちまった」という他愛のない内容だし、
MVも、いかにも「キッズ!」という感じの享楽的なものです。
なのに、聴いていると、つながりなんてものはいつか必ず壊れるんだ、
そして壊された側は常に無力なんだという、
なんかもう根本的圧倒的敗北的虚無感が静かに湧きあがってくる気がするのです。

彼らの音楽はどこか陰ってるし、湿ってる。
僕にはそう映ります。
その原因を、メロディとかマイケルの声とか歌詞とか、細部に求めてもしっくりきません。
「バンドそのもののメンタリティ」としか言えないんじゃないかなと思います。
そういう意味で言うと、僕は彼らの音楽が好きというよりも、
「ウマが合う」と表現した方がいいのかもしれません。

Skatersは3/24、3年ぶりとなる2枚目のアルバムをリリースします。
『Rock and Roll Bye Bye』という、やたらと挑発的なタイトルの作品です。








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最終少女ひかさ 『グッドバイ』

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愛に対して誠実だからこそ
愛に対してブチ切れる


かっこいいものからウケ狙いの外したものまで、
世の中にはいろんなバンドの名前がありますが、
「ヘンな名前」という点では彼らは相当上位に食い込むと思います。
2013年結成の5人組、最終少女ひかさ

最終少女ってなんだよ。ひかさって誰だよ

そして、名は体をあらわすといいますが、
彼らの音楽も、その強烈に胡散臭いバンド名に負けず劣らず、
かなりエッジが利いています。


なんかもう自由すぎる。
だいたい<いぎありわっしょい>ってタイトルはなんだ。
ほかにも<すし喰いたい><かつき>なんていう、
それだけで濃厚にアクの強さが漂ってくる曲のタイトルとか、
BPM速めで踊れる風なのに合いの手とかが入って「音頭」みたいになっちゃうところとか、
紅一点ラモネスの鳴らす妙にオリエンタルなシンセとか、
このバンドの放つ「異物感」はなかなか強烈です。

いかにも関西出身のバンドっぽいのですが、
実は北海道の札幌発というのも面白い。
彼らのキャラクターはブッチャーズピロウズではなく、
村八分ミドリと同じ土壌から出てきたと言われたほうが納得できる。

そして、このバンドのキャラクターを最も体現しているのが、ボーカルの但野正和です。
メロディに載せない、歌と喋りの中間くらいのスタイルにしても、
わざと投げやりに言葉を放ってくるところにしても、今時珍しいくらいに反抗的です。
4つ打ちの性急さとここまでマッチした言語感覚は彼以外に知らないかも。
4畳半アパートとか飲み屋横丁とか、そういう昭和っぽいロケーションが似合いそうな
但野のアングラ詩人のような退廃的な佇まいも、時代に逆行している感じで痛快です。

ただ、表面上は退廃的で投げやりでも、
彼の真意は真逆な場所にあります。

たとえば先ほどの<いぎありわっしょい>。
「愛とか恋とか分かってますから、私もう歌いませんから」
これ、「歌いませんから」と口では言いながらも、
世の中に流れる愛や恋の歌なんて全部偽物で、自分だけがそれを歌えるんだ!という、
バカ真面目さと自負心が透けて見えます。

この後にくるフレーズもそう。
「愛の始まりはまずセックスから」
これも「セックスすりゃいいんだよ」という反モラル的なことを歌いたいのではなく、
セックスが先になって愛が生まれることもある。
愛の結果がセックスだとばかり思ってたのに、その逆が成立してしまうなんて、
俺はこの先何を「愛」と信じればいいのだろう。
そんな「愛に対して誠実であるがゆえの愛への怒り」みたいなものを感じます。

このバンドって、ほかの曲を聴いても常に何かしらに対して激しく憤ってるのですが、
全てその裏側には誠実さや優しさが見え隠れしています。

最初から最後まで怒りまくって、タイトルに「グッドバイ」とつけて、
ジャケットにはビルの屋上から飛び降りた写真を載せる。
こんな1stアルバムを作ってしまって、彼らはこの先どういう道へ進むのでしょうか。
そんな後先のことなんて考えてないんだろうなあと思わせる向こう見ずなところが、
とても愛しく、そして頼もしく感じさせるバンドです。

最終少女ひかさは3月22日に、
久々の音源となる1stミニアルバム『最期のゲージュツ』をリリースします。








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2017年2月の3冊 〜小池重明とJ-POPの「ヒット曲」と日本人の渡来ルート〜

『真剣師 小池重明』団鬼六

金銭を賭けた将棋で生計を立てる非プロ=アマの棋士「真剣師」。その中でも最強と言われた小池重明の評伝。先月読んだ『赦す人』から、団鬼六つながりで手に取ったんだけど、これはねー、めちゃくちゃ面白かったです。
2年連続アマ名人位を獲得したばかりか、当時将棋連盟の会長を務めていたプロの名人にも完勝してしまうという、無類の将棋の強さ。しかし、棋力とは裏腹に私生活は破滅的。金を盗んで女と逃げること5回(うち3回は人妻)。けれどすぐに生来の酒好きとギャンブル好きが祟って愛想を尽かされる。困り果てた小池を見かねた友人知人が援助の手(金)を差し伸べると、その時は涙を流して「今度こそ生まれ変わる!」というものの、舌の根も乾かないうちに借りた金で再び酒とギャンブルに溺れる…という、読んでて気持ちいいくらいのクズっぷり
将棋の才能がなければ本当にただのダメ人間ですが、しかし小池の破滅っぷりは将棋の才能の代償のようにも見えてきます。すさまじい光はその分深く濃い影を生むように。間違いなく後世にも語り継がれる不世出の天才ですが、本人にとってはあれほどの将棋の才能を持ったことが果たして幸せだったのかはわかりません。一種の寓話のような読後感を味わった一冊でした。




『ヒットの崩壊』柴那典

90年代と違い、今はミリオンセラーの曲といってもほとんどの人がタイトルすら知らない。売上と「流行ってること」がイコールではなくなり、その結果ヒット曲が見えなくなった。じゃあ「今流行ってる音楽」はどこにあるの?というのが本書のあらすじ。今起きている変化を整理して一つひとつ言語化してくれているので「なるほどー」という感じ。いい意味でサラッと読めます。
でも、なんとなく思ったんだけど、みんなが同じ曲を聴いて盛り上がったり、後でその曲を聴いて一緒に懐かしんだりという価値観そのものが今後は消えていくんじゃないかという気がします。個人的にもみんなバラバラの音楽を聴いてる状況の方が好き
本書では、人々の興味が細分化された現代においてもなお「共通体験」になりうるものもの(つまりヒット曲が生まれる基盤)として卒業式や結婚式というイベントを挙げているんだけど、僕は卒業式や結婚式のような極めて個人的なイベントだからこそ、「ヒット曲」なんかに蹂躙されたくないと思う。結婚式に<Butterfly>なんか流されたら、「私だけの大切なイベント」がたちまち他の人と交換可能なありふれたものになっちゃう気がしません?
とりあえず、ヒット曲でもなんでもないのに「これがヒット曲です」というツラをしたり、それが通用しないとなったら過去の(本物の)ヒット曲を引っ張り出して「音楽って素晴らしいですね」と臆面もなく語り始める音楽番組(大晦日のあの番組とかね)とか本当に滅びて欲しいですね




『日本人はどこから来たのか?』海部陽介

タイトルにもなっているこの謎は古典的といってもいいくらいお馴染みのもので、僕もこれまで何冊か同じテーマの本を読んだことがあります。が、その中では本書が最も面白かったです。理由は、とにかくロジカルなこと。国立博物館の博士を務める著者はこの本を書くにあたり「信頼に足る証拠(遺跡や化石)以外は参考にしない」という態度を徹底しています。数ある既存の学説や可能性を、証拠を基に一つひとつ排除していき、最後に残ったのが真実(だろう)という本書の進め方は、推理小説的な興奮があります。なかでも対馬ルートと沖縄ルートがぶつかる奄美大島の石器の話や、井出丸山遺跡(静岡県)から出土した3万7000年前の石器の中から、伊豆七島である神津島産の黒曜石が見つかった話なんかは「おおおう!」と唸りました。人類史や古代史って、一つの発見で簡単に定説が覆るから、歴史時代の研究よりもむしろ日進月歩な分野なんだなあ。
ただ、ひとつ言えるのは、渡来ルートについてはさまざまな説があるにせよ、日本人という民族の大半が大陸から渡ってきたことは明らかです。最近は在日外国人のことを悪く言う人が目立ちますが、日本列島に来たのが早いか遅いかというタイミングの違いがあるだけで、所詮は我々みんな「在日」なわけです。この極めて単純な事実にすら気づかずに聞くに堪えないヘイトをまき散らすああいうアホな輩には心底うんざりします。







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Num Contena 『Smile When You're Dead』

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「熱狂に代わる何か」を見つけるまで
僕は彼らの音楽を携えていくだろう


先日唐突に、以前劇団の芝居で作ったセットのことを思い出しました。
舞台の上手と下手に一本ずつ、「木」を立てることになったのですが、
僕らはそれを全て手作りで作ろうとしました。
「木」ということはつまり幹があって枝があり、その枝の先には「葉っぱ」があります。
必要な葉っぱの枚数は、2本合わせて数千枚という量でした。
そして僕らはその数千枚もの葉っぱを、本当に手作りで作ってしまったのでした。

客席から見える最小限の部分だけ作るとか、
お金を払って業者に頼むとかすればいいものを、
愚直さとエネルギーだけがあり余っていた(お金はなかった)学生だった当時の僕らは、
「全部手作り」という選択肢以外考えませんでした。
結果、ただでさえ朝から晩まで稽古をしているのに、
稽古が終わってから集まって徹夜でチョキチョキ葉っぱを作るという無茶苦茶な毎日を、
数週間にわたって送ることになったのです。

今だったらやりません。
時間がないというのが一番の理由ですが、多分、時間があったとしてもやらないと思います。
それは、「数千枚の葉っぱを手作りで作る」ということに、もう高揚できないからです。
当時は、そういう意味不明な作業に(意味不明であればあるほど)熱中できたし、
それを仲間と一緒にやるということも楽しかった。
でも、今は多分、(少なくとも僕は)楽しめない気がします。



福岡を中心に活動する4ピース、Num Contena
昨年12月にリリースした1stフルアルバム『Smile When You’re Dead』
「ギターロックの金字塔」などといった鼻息の荒い宣伝文句とは裏腹に、
実際の中身はReal Estateなどを彷彿とさせる、
クリーンギターを基調としたミドルテンポ&良質メロディの柔らかなタッチの楽曲ばかり。
落ち着いた声質のボーカルとマッチすることで、アコースティックな印象すらあります。

Dead Funny Recordsの所属ということもあって(僕このレーベル大好きなんです)、
聴く前から絶対好きだろうなあと思ってたのですが、
聴いてみたら期待以上でした。



この『Smile When You’re Dead』というアルバムに収められた楽曲は、
そのどれもが「僕」「今はここにいない(どこかへ行ってしまった)君」の物語です。
かつての恋人を歌っているラブソング、というのが素直な解釈かもしれません。
けれど僕は、この「君」という存在は必ずしも異性とは限らない、
もっと違う解釈があるんじゃないかという気がします。

僕たちはいつも探している 君のことを
今は何も分からない 天気さえも
(中略)
僕たちは相変わらず探している 僕のことを
きっとずっと分からない 僕の目の前にいる何かのことを

<Follow Me Not Forget>

君のことは忘れていた 忙しくしてた
楽しい日々 バンドもある 仲間もいる
でもふとした瞬間 君のことがよぎる
スミスが天国で 僕に優しく笑う

<Smile When You’re Dead>

1曲目の<Follow Me Not Forget>は、最初は「君のことを探している」と言いながらも、
最後は「僕のことを探している」と問題が深く掘り下げられます。
何より主語が「僕たち」であることに、単純なラブソングに収まらない複雑さと深刻さがあります。

2曲目の表題曲も、「君のことは忘れていたけどたまに思い出す」というフレーズはラブソング的ですが、
その後の「スミスが」のくだりが入ることで、歌われているのは「君との思い出」などではなく、
「バンドもいるし仲間もいるのに満たされない自分」のように僕には思えるのです。

僕は、このアルバムで歌われている「君」を、
「かつての自分」と解釈しながら聴きました。
いつの間にか自分は「かつての自分」とは別の人間になってしまった。
そのことに対する鈍い痛みと、
それでも前を向こう(向く以外ない)とする姿勢との間で揺れ動く心のさまを歌った、
「永遠の喪失の物語」だと僕は感じるのです。


先週、For Tracy Hydeの記事の中で、
「16年の後半は自分の中の何かが失われてしまったことを痛感した」と書きました。
Num Contenaを聴いたのも、ちょうどフォトハイと同じ時期でした。
(そういえば『Smile When You’re Dead』のジャケットも青い)
僕が彼らの曲の「君」を「かつての自分」だと解釈したのは、
僕の心境がそういう状態だったからです。

数千枚の葉っぱを手作りすることに、いつの間にか熱狂できなくなっている。
そのことに気づいたとき、
僕は、人生の大半が既に過ぎ去ってしまったような錯覚に陥りました。
何を大げさな、と思われるかもしれませんが、
このまま何に対しても熱狂できずにいるとしたら、
それはもう「余生」以外の何物でもありません。

とはいえ、いくら努力したところで、
あの頃の自分が戻ってくることはありえない。
「あの頃」は文字通り「過ぎ去ったもの」であり、どんなに足掻いたところで、
再び数千枚の葉っぱを手作りすることに熱狂していた自分は戻ってこないし、
数千枚の葉っぱを手作りしてでも成し遂げたかった「何か」は永久にわかりません。
今の僕がすべきなのは、以前の自分を取り戻そうとすることではなく、
年々深くなる喪失感や虚無感を淡々と受け入れていくことなのでしょう。
(…ということに気づくまで、かなり長い時間がかかりました)

その先に「熱狂に代わる何か」が見つかるまで、
フォトハイやNum Contenaやその他の多くの音楽を、
僕は自分の「テーマ音楽」として携えていくのだろうと思います。








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For Tracy Hyde 『Film Bleu』

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僕にとっての「青」は
喪失の色だった


東京で活動する5ピース、For Tracy Hyde(フォトハイ)が、
昨年12月にリリースした『Film Bleu』
フルアルバムとしてはこれが初になります。

以前もこのブログで取り上げたEP『Born To Be Breathtaken』などの
過去の楽曲と新しい曲とがほぼ同じ量盛り込まれていて、
収録曲の顔ぶれでいえば、現時点での彼らのベストアルバム的な作品。
ただ、バンドとしては『Born To Be Breathtaken』リリース後、
ボーカルのラブリーサマーちゃんが脱退し、
新ボーカルeurekaが加入するという大きな変化がありました。
今回の『Film Bleu』に収録された過去の曲もeurekaボーカルで録りなおされているので、
「知ってる曲なのに新しい」という、不思議な感覚を味わえるアルバムでもあります。

ラブリーサマーちゃんが思い出だけを残して転校していった淡く儚い少女だとすれば、
新ボーカルeurekaは少年のひたむきさやあどけなさを併せ持つ、中性的な存在。
「僕」という一人称や、その相手(異性)としての二人称「君」という歌詞は、
彼女の方がよりなじむ感じがします。
既発曲はどうしても他人の服を着せられてるような落ち着かなさは正直あるのですが、
<Shady Lane Sherbet>はeureka版の方がいい!)
eurekaを念頭に作られたであろう新曲は
「おお、これが今のフォトハイか!」というような納得感があります。



このアルバムで、彼らは「青」をキーカラーにしています。
10代の記憶を思い起こさせる夏の日の空や、「未完成」「未熟」というような青に結びつくイメージは、
元々フォトハイが描いてきた世界観でしたし、1stフルアルバムにこの色を持ってきたのを知った時は、
「やる気だな!」「ついに刀を抜いたな!」と思いました。

でも、ふと周りを見れば、例えばラブリーサマーちゃんのメジャー1st『LSC』も青でしたし、
『Film Bleu』と同日発売だったローリングストーンズの新作も、『Blue & Lonsome』でした。
そういえばビートルズの『Live At The Hollywood Bowl』もやはりジャケットは青でした。
ストーンズは原点回帰のブルースカバーアルバムに「青」を選んでいますし、
ビートルズのライブアルバムも、彼らの青春時代の終わりを記録したものでした。
16年後半はそうした若さや純粋さの象徴としての「青」を、
やたらと目にする機会が多かったのです。

そういうたくさんの「青」を見るたびに僕は、実はイヤ〜な気持ちになっていました
なぜなら、「青」という色に込められたさまざまな感情や思いを、
僕自身はもう失ってしまったことを痛感してしまうからでした。
「何かをやりたい!」という情熱や、未知のものに対する興味、
あるいは「自分を良く見せよう」という虚栄心や異性に対する憧れ。
そういったものが以前に比べて(元々多い方ではないけど)はるかに少なくなって、
ひたすら内へ内へとこもるようになっていることに気付いたのが、まさに16年の後半でした。

単調な仕事によって何かが摩耗してしまったのか、
子供が産まれたことによる意識の変化なのか、
それらをひっくるめて単に「年を取った」ということなのか。
いずれにせよ、そんなときに目にする「青」は、僕にとっては喪失の色でしかなかったのです。
逆に言えば、僕はまだそんな自分を「俺も年取ったな〜」と茶化せるほどには、
大人にはなりきれていないのです。

『Film Bleu』のラストに収録された<渚にて>の中に
「この休暇を終えたら、ちゃんと大人になろうね。」という歌詞があります。
このフレーズを聴くたびに、
「そんな簡単に大人になれねえぞ」と歌に対して説教を垂れつつ、
「僕は休暇を終えたことは間違いない。でも、大人になれたのだろうか」と、
僕はぼんやりと途方に暮れてしまうのです。








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