週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る〜

41MKS5HHR9L

短3度転調のドラマ性と
マイナーコードの胸の痛み


 先週から書き始めたZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」

 第1回は、所属レーベルであるビーイングについて書きました。第2回はいよいよZARDの曲の話に踏み込んでいきます。

 前回軽く触れたとおり、ZARDがブレイクするきっかけとなったのは4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>(1992年)でした。オリコンランキングで過去最高位となる8位にランクインし、初のテレビ出演も果たします。

 しかし、具体的に<眠れない夜を抱いて>のどこがそんなにも支持されたのでしょうか。実はこの曲は、後にZARDの人気を不動のものとした、ある「必勝パターン」の原型が隠されています。それをひも解くために、まず下の一覧を見てください。

<不思議ね>(‘91)★
<眠れない夜を抱いて>(‘92)★
<あの微笑みを忘れないで>(〃)
<負けないで>(‘93)★
<雨に濡れて>(〃)
<サヨナラは今もこの胸に居ます>(‘95)
<マイフレンド>(‘96)★
<心を開いて>(〃)★
<DAN DAN 心魅かれてく>(〃)★

 これは、ZARDの全盛期であるデビューから7枚目のアルバム『Today Is Another Day』期までの楽曲のうち(なぜこの時期までを「全盛期」と呼ぶのかという話は次回)、ある共通点をもつものを時系列に並べた一覧です。

 その共通点とはズバリ「カノン進行」。

 上記に挙げた9曲のうち、シングルカットされたのは6曲にのぼります。<心を開いて>が18枚目のシングルなので、実に3割以上のシングルがカノン進行をベースにした楽曲だったことになります。ZARD最大のヒットとなった<負けないで>が含まれていることから見ても、カノン進行はZARDが人気を獲得する大きな起爆剤の一つであり、「顔」だったともいえます

 そして、その多くを手掛けた作曲家が織田哲郎でした。上記の一覧で「★」マークがついているのが、織田哲郎が作った楽曲です。なんと9曲中6曲。しかも、セルフカバーの<DAN DAN〜>も元はFIELD OF VIEWのシングルであることを考えれば、全てがシングルカットされた曲ということになります。織田哲郎はまさに、ZARDの人気を中心になって支えたクリエイターでした。

 んで、話は<眠れない夜を抱いて>に戻ります。先ほどこの曲を「ZARDの必勝パターンの原型」と書きましたが、前掲の一覧を見てもらうとわかるとおり、カノン進行としては<不思議ね>の方が先です。しかし、2つのポイントにおいて、<眠れない〜>の方がZARDの歴史により重要な役割を果たしました。

 一つは転調。この曲はAメロからカノン進行に入り、サビで再びカノン進行を繰り返すという、かなり純度の高いカノン進行楽曲になっていますが、単調に聴こえないのは途中で入るBメジャー→Dメジャーという短3度の転調が利いているからです

 絶妙なのは転調する位置。Bメロで短3度上がってサビで戻るというパターンはポップスでは比較的多い手法ですが、この曲の場合はAメロの途中で転調するのです。これは歌詞と連動しています。まず「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」という冒頭部分がBメジャー。ここは言ってみればプロローグで、歌詞は情景描写に徹しており、これからどんなドラマが起きるのかはまだ分かりません。

 転調するのはこの後。Aメロはまだ続いていて、この後もう一度同じメロディを繰り返すのですが、キーはBからDに変わります。歌詞はこう続きます。「もしもあの時出逢わなければ 傷つけ合うことを知らなかった」。我々はここで初めてこの曲が別れの歌だと気付くわけですが、このタイミングで転調することで客観から主観へと曲調の面においても視点が劇的に変わり、一気に気持ちを奪われるのです

 やや専門的な話になりますが、肝なのは「短3度の転調」という点です。よくある半音もしくは全音上がる盛り上げ系の転調とは異なり、短3度の転調は平行調の同主調への転調なので、スムーズに変化しつつも視点や風景を変える効果があります(有名なところだとビートルズの<Here, There, And Everywhere>)。この「Aメロ途中での短3度転調」によって生み出されたドラマ性は、同じカノン進行の先行曲<不思議ね>よりも一段深い奥行きを与えています。

 もう一つのポイントは、要所で挟まれるマイナーコードです。ここまで<眠れない夜を抱いて>をカノン進行と言ってきましたが、正確には「カノン進行をベースにした」というべきであり、実は細かいところでいわゆるカノン進行とは異なる和音が混じります。この「異なる和音」がミソなのです。

 例えば、先ほども紹介したAメロ冒頭のフレーズ「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」を見てみます。

「ざわめく」から「止まる」までの前半のコードは、B→F#→G#m→D#mで、ここまでは普通のカノン進行。問題は後半です。いわゆるカノン進行であればE→B→E→F#なのですが、実際にはE→Bと来た後にG#m→C#mと2つのマイナーコードを挟んでからF#に行きます

 これと似たパターンはサビのカノン進行部分にも登場します。「眠れない夜を抱いて 不思議な世界へと行く」の後半部分。ここでもE→Bと来てEではなくC#mを挟んでからF#にいきます

 共通するのは、どちらもメジャーコードを使うべきところをマイナーコードに切り替えていること。マイナーコードを挟むことで、明るい光沢を放っていたそれまでの世界に一瞬だけ陰影が生まれます。まるで、忘れたと思ってもふとした瞬間に別れの痛みが蘇って胸を刺すかのように。これらの「カノン進行にはないマイナーコード」は、使われているのは一瞬なものの、この曲のテーマを考えると、実は極めて重要な存在なのです。

 このように<眠れない夜を抱いて>にはさまざまな演出や仕掛けが施されており、そのために単なるカノン進行とは一枚も二枚も違う新鮮さがあります。使い古されたはずのカノン進行で、繰り返しヒット曲を放った織田哲郎の「カノン進行職人」たる所以がこの曲に詰まっているのです。さらに言えば、この曲に関しては明石昌夫・池田大介両巨頭によるアレンジも素晴らしく(特にイントロのマリンバのようなあの音)、あらゆる面で後のヒット曲の原型を見ることができます。

 ちなみに、最後にマイナーコードの話に触れましたが、ZARDというと一般的には「さわやか」「透明感」「キラキラしてる」といった、コードでいうとメジャーのイメージが強いと思います。しかし、ZARDのリリース履歴を見てみると、<もう少しあと少し>、<この愛に泳ぎ疲れても>、<Just Believe In Love>など、意外とマイナー調の曲も頻繁にシングルを切っていることがわかります

 考えてみれば当たり前の話で、ずっと同じような調子の楽曲ばかりでは早々に飽きられてしまいます。ZARDが長らく人気を誇ったのは、カノン進行をはじめとするメジャーコード楽曲の裏でマイナー調の楽曲がうまくコントラストをつけていたからでした。<負けないで>があそこまでの爆発的ヒットを記録したのも、<眠れない夜を抱いて>からの連続リリースではなく、その間に<In My Arms Tonight>というワンクッションを挟んだからこそだったのです。そういう意味では、ZARDのイメージを支えていたのは、むしろマイナーコードの楽曲の方だったともいえます。

 そして、ZARDのマイナー調の楽曲を一手に手掛けていたのが、織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。次回は栗林誠一郎に触れつつ、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます(マジでいつ終わるんだろう)。








sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第1回:ビーイングという名の「工場」〜

51KKPRBH3FL._SX355_

元をただせば
実は「メタル」だった


 新年1回目は「ZARD」です。そう、あの<負けないで>で有名な、坂井和泉のZARDです。今週から何回かにわたってZARDについて書きたいと思います。これまで散々インディーロックについて書いてきた後でなぜZARD?と訝しむ方もいそうですが、理由は追々説明していきます。

 第1回はZARDの所属レーベル「ビーイング」を切り口に語ってみます。

 僕は1981年生まれなので、10代というもっとも音楽を聴く時期とZARDの全盛期とがちょうど重なっている世代なのですが、こないだたまたま同い年の人と当時の音楽の話をしたところ、その人はビーイングという名前を知りませんでした。

 レーベルの名前こそ一般的じゃないのかもしれませんが、手掛けたアーティストは錚々たる面子です。ZARDをはじめT-BOLAN、大黒摩季、WANDS、FIELD OF VIEWなど、90年代前半のJ-POPを代表する名前ばかり。所属アーティストのCD売上枚数を合計したら、軽く3,000万枚は超えるはずです。まさに一時代を築いたレーベルでした。

 ヒット曲の量産を可能にしたのは、ビーイングの特殊な音楽生産システムでした。それはどういったものかというと、オーディションで別々に集めたボーカルやミュージシャンでその場でバンドを組ませ、お抱えの作曲家とアレンジャーに曲を書かせ、ビジュアルからメディア露出までレーベルが主導し管理するという、徹底的なトップダウンの手法でした。ひとつのアーティストを、あちこちから部品を集めて組み立てて、いわば工業製品のように売り出すわけです。ちなみに、日本最大のヒットグループの一つであるB’zは、ビーイングのこの手法で生まれたユニットがそもそものはじまりでした。

 仲間とのサクセスストーリーも情緒もへったくれもないわけで、保守的な音楽ファンは鼻白みそうですが、ある意味では究極に音楽主義的ともいえます。なかでも、明石昌夫池田大介、春畑道哉、川島だりあいった作曲家・アレンジャーたちの仕事は素晴らしかった。単にメロディがキャッチーでアレンジにフックがあってというだけではなく、アーティストをまたいで「ビーイングの音」として認知されるような共通のサウンドを、彼ら腕利きの職人集団が作り上げていました

 ところで、話はそれるのですが、アメリカだとこういう風に一つのレーベルがお抱えのクリエイターやミュージシャンを駆使してブランド感のあるサウンドを作り上げ、所属する大勢のアーティストを通じて世の中に供給するっていうスタイルはわりとよく見ます。フィレス・レコードなんていうのはまさにそうですよね。モータウンもそう。

 ところが日本だとそういう例は見当たりません。90年代半ばに小室哲哉が出てきますが、彼の場合はほとんど一人でコントロールしているので、集団でサウンドをマネージしていたフィレスやモータウンとは違います。そういう意味で中田ヤスタカもちょっと違いますね。

 ベビメタは複数のクリエイターをチーム制で回していますが、複数のアーティストに曲を提供しているわけじゃないので、これも該当しない。なので、フィレスやモータウンスタイルの、日本における唯一にして最大の成功例がビーイングなんじゃないかと僕は思うんですね。

 話を戻します。

 では、その「ビーイングの音」というのは具体的にどういったものか。ひと言でいえば「ハードロック」です。それも、80年代のLAメタルを継承した、歪み系よりも空間系を強調されたエレキギターを中心に据えたサウンドです。これはマーケティングによるものというよりも、プロデューサーでありレーベルトップの長戸大幸をはじめ上記の腕利きクリエイターたちの多くがロック畑出身で、且つ80年代から活動していたからということの自然ななりゆきのような気がするんですけど、どうでしょう。

 んで、ZARDも例外じゃないんですね。ZARDとメタルってイメージは結びつきづらいと思うんですけど、実は初期の頃の曲ってよくよく聴くとエレキギターがめちゃくちゃ強い。イントロなどでフレーズを奏でるのは大体ソリッドなギターの音だし、メタル色が顕著です。

 デビュー当初のZARDが「バンド」だったということはよく知られていますが、当時の曲を改めて聴いてみると、最初はビーイングももっとゴリゴリのロックバンドとして彼女たちを売り出したかったんだろうなあと感じます。2ndアルバムの『もう探さない』なんて、後年のさわやかなイメージが想像つかないほど暗くて重い。ジャケットもアルバムタイトルもえらいダークですよね。




 ただ、残念ながらこのハードな路線のZARDは売れませんでした。多分、この路線をそのまま突き進んだら、今我々の知るZARDはなかったでしょう。そのような状況を打破したのが92年8月に出た4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>でした。ZARDはこの曲でオリコンランキングのトップ10内に入り、ブレイクのきっかけをつかみます。

 ではこの曲の何が良かったのか。ここには、後にZARDとヒット曲を量産し、90年代を代表する大作曲家となる織田哲郎の素晴らしい職人芸が発揮されているのですが、長くなってきたのでこの話は次回。ちなみにこのあと、織田哲郎の話、アルバムアーティストとしてのZARDの話、そして「90年代」という話にまでいこうと思ってるんですが、おお、一体何回書けば終わるんだろう。






sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

Say Sue Me『Where We Were Together』

81Tl6WxZORL._SY355_

近づきたいのに
決して近づけない


 インパクトという点では先週紹介したHoney Hahsですが、総合点でいえば2018年のNo.1はこのアルバムでした。韓国の釜山出身の4人組、Say Sue Meの2ndアルバムです。

 曲はもちろんいいし、紅一点のボーカル、チェ・スミの声も素晴らしい。<Let It Begin><But L Like You><Old Town>という冒頭3曲の展開は、何度聴いても心を持っていかれます。<B Lover>のようなフィジカルを感じさせる衝動的な音を出せるところも、このバンドのポテンシャルの高さを感じさせてゾクゾクします。

 しかし、このアルバムで好きなところを一つだけ挙げろと言われたら、僕は音の肌触りと答えます。「音像」と言い換えてもいいでしょう。このアルバムの曲は、どんなタイプのものであっても、特有の色や匂い、感触があります。それが、僕にはとてもフィットするのです。

 では、そのフィーリングは具体的にどういうものなのか。1曲目の<Let It Begin>にもっとも顕著に表れているのですが、街のネオンを窓越しに眺めているような遠さというか、古い8mmフィルムの映像のような温かさというか、そういった温かさと寂しさが同居したような感覚です。「サーフミュージックをルーツにした」「釜山の気候を感じさせる明るくてのどかな」など、陽性なイメージで紹介されることの多いSay Sue Meですが、少なくともこの2ndに関しては、音の核となっているのはもっとパセティックな何かだと思う。



 この、近づきたいけど決して近づけない距離感のようなものは何なんだろうと思っていたのですが、ライナーノーツを読んで納得しました。

 実はこのアルバムの制作前に、初代ドラマーのガン・セミンが転落事故で重い怪我を負い、一時的にバンドを離脱せざるをえなくなったそうです(現在は2代目ドラマーが加入)。そのため、このアルバムは、セミンの不在が大きなテーマになりました。なるほど、『Where We Were Together』というタイトルの意味はそういうことだったのか。

 このような経緯を踏まえると、例えば<Funny And Cute>の「そこに居てはだめ、君の場所じゃない」「寒くなる頃には君を待っているよ 場所はわかるよね 居心地のいいわたしたちのバー」といったフレーズなど、メンバーがセミンへ向けたメッセージとも取れる歌詞が端々にあることに気づきます。

 前述の<Let It Begin>がもそう。締めの「Let it begin Let it all begin Let it all begin again」というフレーズが、決してかなわないと分かっていながら、時間を巻き戻したいと願う祈りの言葉に聴こえてきます。1曲目から「全てをやり直そう、もう一度」というメッセージで始めるのって、考えようによってはなかなか重たい。

 ただ、このアルバムの素晴らしいところは、バンドに起きた出来事を知って歌詞の意味が深まるところではなく、むしろそうした背景を知らなくても、バンドが抱いている感情を、音を通じて共有できるところにあります。もちろん、厳密にいえば彼らの感情そのものであるわけはないのですが、それまでは凪の状態だった聴き手の心の水面を、音だけでブクブクと泡立たせてしまうことがシンプルにすごい。

 特にこのバンドの場合は、映像的に音を聴かせる力に長けていると思います。僕自身も先ほど「ネオン」「8mmフィルム」といった表現を使いましたが、聴いていると頭の中で自分だけの架空のMVが再生し始めるんですよね。その架空のMVのなかには、Say Sue Meのメンバーも離脱したセミンも映りませんが、その代わりに僕自身の痛みが映っているのです

 ちなみにこのアルバム、発売元はイギリスのDamnably Records(おとぼけビ〜バ〜や少年ナイフも所属するレーベル)ですが、日本盤はTugboat Recordsから出ています。このレーベルには昨年、Tashaki MiyakiFazerdazeHazel EnglishThe Drumsとお世話にになりまくったのですが、今年もやっぱりお世話になりました。








sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

Honey Hahs『Dear Someone, Happy Something』

CS699725-01A-BIG

ふやけた耳を叩きのめす
「未完成」という名のカウンターパンチ


 2018年最大の衝撃作が、このアルバムでした。南ロンドン出身の3ピース、Honey Hahsのデビュー作『Dear Someone, Happy Something』です。

 Honey Hahsは、ギターとピアノを担当するローワン、ベースのロビン、ドラムのシルヴィーという3姉妹からなるファミリーバンド。ローワンから順に16歳、13歳、11歳の、平均年齢わずか13歳という超若年バンドです。若いというよりも「幼い」といったほうがいいような年齢にもかかわらず、彼女たちは自分たちでオリジナル曲を書くばかりか、名門中の名門レーベル、ラフ・トレードと契約するという偉業を成し遂げました(ちなみに、ラフトレと契約したとき、一番下のシルヴィーはわずか9歳だったそうです)

 ただし、僕が衝撃を受けたのは、彼女たちの年齢ではなく、あくまで音楽です。その魅力をひとことでいうと、異物感。聴き始めこそ「仲のよい少女たちが歌うフォークソング」といった牧歌的な印象をもちますが。耳を傾けるうちに「おや、なにかおかしいぞ」と気づくはずです。何かが決定的に欠けているような、これまでの常識では解釈しきれないような、そんな不穏な空気が漂いだし、胸がざわつき始めるのです



 なぜHoney Hahsの音楽は「ざわつく」のか?ポイントは2つあります。

 1つはコーラスワーク。CDの帯には「姉妹ならではの息の合ったコーラス」というような文句が載っていましたが、僕はむしろ彼女たちのコーラスには、どこか舌足らずで調子が外れた印象を受けます。つまり、ある種の危うさをもっているわけですが、1曲目<Forever>に見られるように、その危うさがなんともいえない緊張感や寂寥感を生みだすのです。

 もう1つはアレンジです。彼女たちの楽曲は、アコースティックギターとベースとドラムのみという、音数を絞ったシンプルなスタイルが基本。ですが、ところどころに他の楽器が顔を出します。<A Way>や<I Know You Know>で入ってくるトランペット。<River>の後ろで鳴ってるグロッケン。<Rain Falls Down>のドラムマシーンなど。こうした楽器のセレクトと使い方が、非常に洗練されています

 危ういコーラスとあか抜けたアレンジ。この2つの組み合わせが、「整っているのにどこかアンバランス」という、ちぐはぐさを曲全体にもたらしています。これが、呑み込めそうに見えて容易には呑み込めない異物感の正体なんだろうと思うのです。僕はアルバムを聴きながら、何度も「ロックの名曲をカラオケで歌ってる」というイメージを思い浮かべました。



 フランク・ザッパやカート・コバーンが評価していたことで有名なThe Shaggs(シャッグス)というアメリカのバンドがいます。Honey Hahsの異物感について考えるとき、僕が連想したのはThe Shaggsでした(そういえばあのバンドもファミリーバンドだ)。

 The Shaggsは、楽器未経験者ばかりのメンバーでいきなりレコーディングをしたという伝説のバンドで、できあがったアルバムは当然、演奏も曲も強烈に下手くそな代物だったのですが、産業化したロックに嫌気を覚えていた人たちには、逆にそれが音楽の原点を感じさせる純粋で貴重なものに映りました。

 いかに効率的に聴衆を興奮させ、快感を与えるかだけに特化した、即効薬のような音に馴染んだ耳に「そうじゃねえだろ」と食らわせる強烈なカウンターパンチ。Honey Hahsの異物感もまた、The Shaggsと同じ一種のアンチテーゼとしてのインパクトがあると思うのです。

 ただし、異物感はあっても彼女たち自身は決して異端ではありません。なぜなら、ロックとは本来アンチテーゼだったはずだから。Honey Hahsの3人は確かに若く、それゆえ未完成で未熟ですが、彼女たちのスタイルは既に完成されているのです。








sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

2018年の俺のランニング

 2018年も間もなく終わるので今年のランニングを総括しようと思います。完全に個人メモです。

■2017年よりもたくさん走れた

 去年1年間の総走行距離は1,436kmでした。しかし今年は、11月下旬の時点でこの距離を超えました。12/9現在、1,590km。最終的には1,700kmくらいで終えられたらいいなというところです。

 また、アクティビティ数(走った回数)を比較してみても、同じ距離を走るのに要した回数は、去年よりも今年の方が少なくなっていました。つまり、今年の方が1回に走る距離が長くなっているということ。

 トータルの走行距離でいえば、娘が生まれる前とは比ぶべくもないのですが(年間2,000kmは走っていた)、1回に走る距離は今のほうが長いんじゃないだろうか。おかげで、持久力はむしろ今の方が高い気がします。あんま疲れない。


■アクティビティ数が1,000回を超えた

 11年9月に走り始めて以来ずっと使用している記録アプリ「Runkeeper」によると、今年の10月頭にアクティビティ数が1,000回を超えました

 7年間で1,000回なのでいばれるようなペースではないですが、それでもとりあえず、大したブランクもなくコンスタントに1,000回走ったのは誇らしい。

 ただ、前述の「1回に走る距離が長くなっている」という話は、裏を返せば走る回数は減っているということなので、次の1,000回はさらにもっと多くの時間がかかりそうです。


■つなぎの企画「川越街道ラン」をやった

 東海道ランが停滞気味なので、つなぎの企画として「川越街道ラン」をやりました。

 川越街道は、江戸日本橋から川越まで伸びる街道で、整備されたのは江戸時代なんですが、道そのものは太田道灌の時代からあったという歴史のある道です。僕が走ったのは、中山道と分岐する平尾追分(JR板橋駅近く)から川越までの約35km。

 事前にルートを調べて地図アプリに登録し、沿道の史跡を調べ、着替えとかを詰めたザックを背負って走る…という一連の作業を久々にやりましたが、やっぱり超楽しかったです。

 ただ、東海道と比べると残っている史跡は少なく、これといった特徴のある風景にも出会わないので、かえって東海道ランを再開することの飢餓感が募る結果にもなりました

 川越街道ランは後日ブログに書きます。


■「東海道ラン」を3年ぶりに再開した

 今年最大のトピックがこれ。

 11月初旬、川越街道ランがきっかけになって、ついに東海道ランを再開しました前回、藤枝宿(静岡県藤枝市)で中断したのは2015年の8月。なので、3年ぶりになります。娘が生まれてから初の東海道ラン。藤枝駅に降りたときの解放感と武者震いたるや。

 今回は藤枝から島田宿(静岡県島田市)まで走って1泊し、翌朝掛川宿(静岡県掛川市)まで走るという比較的短い行程(40km弱)だったのですが、大井川を渡ったり、金谷〜日坂の峠越えがあったりと、イベント多めのルートでした。特に金谷〜日坂の登りは薩埵峠や宇津ノ谷峠よりもキツくて、「これぞ東海道ラン!」という感じムンムンでした。
IMG_4966

 いやー、控えめにいっても死ぬほど楽しかったです。やっぱ。

 掛川までたどり着いたことで、ついに静岡県の終わりが見えてきました。来年1Qには浜松まで行きたいなあ。そうすれば、いよいよ名古屋が視野に入ってきます。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
記事検索
プロフィール

RayCh

twitter
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: