週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

Family Basik『A False Dawn And Posthumous Notoriety』

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秘密の場所で作り続けた
自分だけの「最終兵器」


 10代の頃、僕にはいくつかの「好きなもの」がありました。ギターだったり、アニメだったり、特撮だったり、そのときどきで対象は変わったのですが、共通していたのは、どれも「一人で楽しむもの」だった点でした、クラスには他にもアニメが好きな友達はいたし、バンドを組んだりもしたけど、その対象に情熱を注いでいる時間の大半は、一人でした。

 だから、僕が世界で一番好きな場所は、学校でも放課後の街でもなく、自分の部屋でした。家に帰って部屋に入りドアを閉めた瞬間が、楽園の時間の始まりでした。エヴァの第13話『使徒侵入』を1日に何回も繰り返し見たり、マクロスの<愛・おぼえていますか>を流しながら朝までギターとキーボードで耳コピしたり、部屋は僕にとってまさに秘密基地であり、どこまでも自由な場所でした。

 加藤遊加藤りまによる兄妹デュオFamily Basikが、2014年にリリースした1stアルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』を聴いて最初に思い浮かんだのは、一人部屋で過ごしたそんな時間のことでした。

 古ぼけたラジオから記憶のトンネルをくぐりぬけて聴こえてくるような遠い音。誰にも向けられていない独り言のようなボーカル。自己主張が少ない、パステルカラーのように淡いメロディ。このアルバムにはどこにも「他者」の存在が感じられません。そのような閉鎖性と、閉じているからこその甘美さが、部屋で過ごしていた時間にそっくりなのです。

 メインコンポーザーは兄の加藤遊ですが、妹りまが以前組んでいたフォークデュオ、ストロオズや、後にソロで出したアルバム『Faintly Lit』(←素晴らしいアルバムです)を聴いていると、彼女の影響も非常に大きいように感じます。ちなみに、2人の父親は村八分でベースを弾いていた加藤義明だそうです。サウンドの表層はだいぶ違いますが、インディースピリットみたいなものは父子でそっくりですね。

 Family Basikは18年に2枚目のアルバム『Golem Effect』をリリースしましたが、世界から隔絶された場所で誰にも知られずに作っていた最終兵器のような1stに比べると、2ndは外の世界に開かれた作品になっています。僕は断然1stのほうが好き。

 でも、僕が1stのほうに惹きつけられるのは、「ベッドルームポップ」という言葉の極致のような閉鎖性(とそこから生まれる甘美さ)だけではありません。その甘美さと背中合わせで、「孤独」や「さみしさ」といった感情も一緒に含まれているからです

 誰にも干渉されない自分だけの世界。誰も知らない自分だけの秘密の楽しみ。それは裏を返せば、誰とも共有できないということでもあります。「好き」を追求すればするほど、誰かとその「好き」を分かち合うことからはどんどん離れていきました。そういう痛みの感覚もまた、このアルバムの音には込められているように思います。

 いま大人になってみると、そんなほろ苦さをひっくるめて、すべてを懐かしく感じます。「ほろ苦い」などと使い古された表現で茶化してしまえるほど、今の自分はさみしさや孤独といったものに鈍くなってしまいました。いま、僕が痛みを感じるとしたら、10代の頃からずいぶんと遠いところまできてしまった、その距離に対してかもしれません。








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The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』

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リスナーが待ち望んでいたものが
すべて「そこ」にある


 すげえライブアルバムと出会ってしまいました。佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』です。

 映画『No Damage』に映ってたのが、まさにこのときのライブですよね、たしか。映画を見たときも「かっけえなあ」と思ったんですけど、映像が無い分、かえってこっちのアルバムの方がライブのすさまじさを端的に伝えてくる気がしました。

 じゃあ何がすごいのか。大きく2つあります。

 まずは演奏のエネルギー。佐野元春とザ・ハートランドって、都会的で洗練されてて、汗なんかかきそうにないイメージがありますよね。でもこのライブの彼らはまるで暴走列車。猛烈なエネルギーとスピード感は、ほとんどパンクです。10分超の壮大な<ロックンロールナイト>を終えてからの<悲しきRADIO>の高速イントロは、なんかもう涙が出そうでした。

 ライブ盤の醍醐味の一つに、スタジオ音源とは異なるアレンジやニュアンスを聴くことで、アーティストのその曲に対する解釈や音楽的バックグラウンドを知ることが挙げられます。そういう意味でいうと、このアルバムから感じる佐野元春(とハートランド)は、非常にビートを重視するアーティストだということ。

 ビート、つまりリズムでありリフです。彼の場合は、それをギターではなくピアノとサックスで表現しようとしたところに独自性がありました。日本語ロックのイノベーターとして歌詞が注目される佐野元春ですが、実はその前提として、言葉を乗せるビートへのリテラシーが極めて高い人なんだということを、このアルバムは証明しています。佐野元春とほぼ同時代に、同じく日本語ロックのブレイクスルーを果たした桑田佳祐と初期サザンが、同じく「リズムのグループ」であったことは、必然的な符合なのでしょう。

 もう一つのすごいところは、観客の熱狂です。観客の熱狂と、それを受ける佐野元春とが生み出す会場全体の空気、みたいな風に表現したほうがいいかもしれません。なんていうんでしょう。どんな曲を演奏しても、そのすべてが観客が待ち望んでいたサウンドや歌詞にぴったりとはまるような、無敵の全曲アンセム感

 時代と呼吸してるっていうんでしょうか。メディアによる作られた流行なんかじゃなくて、街のストリートから押し上げられてきた「俺の」「私の」ムーブメントって感じがするんですよね。リスナーと深くコミットしてるからこそのアンセム感だってことがわかるから、余計にグッときます。

 歌詞のところどころには、今の感覚からすると正直古いなって感じるワーディングはあるし、MCのあの話し方なんて何度聞いても笑っちゃいます。そういう意味では、83年当時を生きていた世代だけのテンポラリーなムーブメントではあるわけです。

 にもかかかわらず、2018年の今聴いてもこのアルバムの佐野元春を「かっこいい」と感じることは、改めて考えると不思議です。ライブアルバムって瞬間を切り取るものですが、同時にその場の熱気やアーティストの体温すらも封じ込めるから、かえってスタジオ音源よりも古びないのかもしれません

 でも、このアルバムを聴いてちょっと悲しくなるのは、ロックというフォーマットが今ではもう現実とコミットする力を失い、趣味的で享楽的な音楽に変わってきていることが、逆説的に分かるからです。もちろん、それはアーティストだけの責任ではなく、声を上げなかったリスナーにも責任があるのかもしれません。そういうのをひっくるめて、ロックの役割は終わったといえるのかもしれません。感動が深い分、最後に苦い気持ちになるアルバムでした。








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Spice Girls『Spiceworld』

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「グループだからみんな同じ」ではなく
「グループだけどみんな違う」


 スパイスガールズは今年、再結成ツアーを行うことを発表しています。昨年11月にこのニュースが流れて以来、たびたびスパイスガールズを聴きなおしています。実は僕、アルバム全部持ってるんです。ファンには不評だった3rd『Forever』も含めて。

 スパイスガールズのデビューは1996年で、僕はわりと直撃世代(当時15歳)なんですが、当時はほとんど無視していました。アルバムを買い揃えたのは、確か2000年とかそこらだったので、活動休止するかしないかといった頃だったはずです。なぜそのタイミングでハマったのか、まったく記憶がないのですが、世間より数年遅れで彼女たちの曲を聴きまくっていました。

 なので、15年ぶりとかそのくらいになるのでしょうか。今聴きなおすと、いろいろ発見があって面白かったです。まずなんといっても唸るのは、ど真ん中のポップスマーケットで大成功したガールズグループ(しかもイギリス!)が、彼女たち以降出ていないこと

 60年代は違いましたよね。ロネッツがいたし、シュープリームスもいました。でも、その後はほとんど見当たらない気がします(僕、ノーランズけっこう好きなんですけど)。ソロ歌手だとたくさんいるけど、グループってなると極端に少ないんですよね。なので、デビューから20年以上経った今聴いても、その存在の珍しさは未だに新鮮です。

 あとは、やっぱり曲がいいと思いました。良いというか、強い。<Wannabe>なんか一度聴いたら絶対忘れられないし、なんとなく歌うことすらできちゃいますよね。好きか嫌いかは別として、それだけの強度をもつ曲ってやっぱり名曲なんだと思う。

 僕が一番好きだったのは2ndに収録された<Stop>。彼女たちの曲の中ではトラディショナルなタイプの曲で、どこか60年代のガールズグループを模倣しているような曲ですが、今自分がブリルビルディングサウンドなんかをたくさん聴いていることを思うと、ある意味当時からブレてないのかも。



 一方で、聴きなおしていて意外だったのは、記憶にあるよりもブラックミュージックの比率が高かったこと。<Naked>とか<If U Can’t Dance>とか。当時は無視していたなあ。なんとなく1st、2ndはベタベタなポップスで、3rdで脱皮を図ろうとR&Bに振り切ったようなイメージを持っていたのですが、実は初期の頃から楽曲のバラエティはカラフルだったんですね

 カラフルということで気づいたのですが、普通グループだと衣装や髪形を揃えたりして、メンバーの個性は消していくパターンが多いですが、スパイスガールズは最初から5人の衣装もキャラクターもバラバラで売っていましたよね。「スポーティ」とか「ベイビー」とか、それぞれの個性に合わせてあだ名をつけたりして。これってかなり珍しいんじゃないでしょうか。

 そういう意味で、僕がスパイスガールズの最高傑作だと思うのは、2ndのリード曲<Spice Up Your Life>。セクシーなイントロ、声質の違いをそのまま残したドタバタのAメロ、コール&レスポンスのBメロ、そしてすさまじい音圧のサビ。個々のシークエンスのバラバラっぷりと、それをたたみかけるようなテンポでつなぎ合わせていく怒涛の勢いに圧倒されます。ラテンというセレクトも媚びてなくてかっこいい。グループのカラフルなイメージを最も体現した曲が、この曲じゃないかと思います

「グループだからみんな同じ」ではなく「グループだけどみんな違う」という姿勢は、(どこまで本人たちがそこに意味を込めていたかは別として)個人的にはとても好きです。あれから20年以上経ちましたが、今の世界を覆うムードを見ると、彼女たちの姿勢は当時よりも重要な意味をもっている気がします。








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『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』

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オーケストラによる
オリジナルの「アップデート」


 買うまいと思ってたけど、結局CD買っちゃいました、『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』。その名の通り、ビーチボーイズのオリジナルのボーカル音源に、ロンドンのロイヤルフィルによる演奏をミックスした企画盤です。以前、同企画のエルヴィス・プレスリー版について触れたことがありますが、そのシリーズの最新作ですね。

 正直、そこまで期待してませんでした。最初に公開されたプロモーション映像を見たときもピンとこなかったし、「またぞろレコード会社がオールディーズ引っ張り出して、シニア層向けに商売始めやがったな」くらいに思ってました。なので、Spotifyで全曲視聴が始まったときも、半信半疑のまま一度だけのつもりで聴いてみたのですが…予想に反してめちゃくちゃ良かったのです!

 プレスリー版は、音のバランスもアレンジも主役はオーケストラで、プレスリーのボーカルはあくまでモチーフの一つに過ぎませんでした。それゆえ、プレスリーのアイテムとしては企画盤の域を出ない、どこか中途半端な代物でした。

 しかし今回のビーチボーイズ版は、オリジナルの音源を生かすことに重点が置かれており、オーケストラの音はとても控えめです。リアレンジは最小限にとどめられており、オリジナルのアレンジをオーケストラの音に置き換えるという、とてもシンプルな方針でまとめられています。

 その結果どうなったかというと、オリジナルのフィーリングはそのままに、音がよりクリアで分厚くなったのです。特に(意外なことに)リズムが強調された感があり、オリジナルにはなかった迫力が加わりました。楽器編成はクラシックでありながら音源はオリジナルよりもむしろロックっぽいという、面白い逆転現象が起きています。つまり、印象的にはオリジナルの楽器の音を現代の音質・音圧に入れ替える作業が行われており、結果としてこのアルバムは「ビーチボーイズのアップデート」を実現しているのです。


 ブライアン・ウィルソンの「60年代当時から僕らの音楽はオーケストラに合うと思ってたんだ」という言葉が本気なのか後付けのリップサービスなのかはさておき、ビーチボーイズとオーケストラとの親和性が高いのは間違いありません。流麗なメロディやアレンジの妙、そして美しいコーラス。彼らの音楽の核となる要素はどれも、オーケストラと混ざると一層際立ちます。

 逆に言えば、ギターやドラムといったいわゆるロック的なファクターへの依存度が高いバンドであれば、たとえ同じコンセプトでオーケストラと共演しても、「アップデート」にはならなかったはずです。そういう意味で、ビーチボーイズはこのロイヤルフィルシリーズの大本命だったのではないでしょうか。

 それにしても、やっぱビーチボーイズのコーラスは本当にきれいです。今回の作品のボーカル音源はオリジナルのマスターテープにまで遡ってミックスされたため、コーラスの音質が非常にとても良いのですが、このアルバムの最大の聴きどころでありもっともインパクトのあるアップデートは、実は彼らのコーラスワークが高音質で聴けるところかもしれません。

 以前、ビーチボーイズの音楽は演奏者の入れ替えが可能な「型」としたうえで、オリジナルメンバーの存在意義は「コーラスという必殺の武器をブライアンに授けた点にある」と書きましたが、今回のアルバムでは改めてその意を強くしました。








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