週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

『地域と演劇 弘前劇場の三十年』長谷川孝治(寿郎社)

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「地域のリアル」は
演劇だからこそすくい取れる


 僕は、仲間と作った劇団で戯曲を書いたり演出したりすることをかれこれ18年も続けていますが(もっともここ数年は活動休止中ですが)、一人の観客・一人の消費者としては、演劇よりも音楽や読書のほうに圧倒的な時間と情熱を注いでいます。演劇なんて、最後に劇場に足を運んだのはいつだろう。

 でも、演劇にしかできないものがあるということは、はっきりと理解しているつもりです。

 まず、演劇は言葉を使います。言葉を使うことで、音楽や絵画に比べると圧倒的に多い情報量を作品に載せることができます。単に伝達手段としての言葉だけではなく、例えばモノローグや群唱(複数の人間による台詞のユニゾン)といった、理性よりも肉体に訴えかけるような詩的な言葉まで、あらゆる言葉を扱うことができます。

 また、演劇は物語を得意とします。ある人物の変化やある出来事の推移を観客に見せる、時間を使った表現ができます。その一方で、一瞬の光景でインパクトを与える視覚的な表現もできます。照明や音楽、ダンスといった手段もあります。

 このように、具体的なものから抽象的なものまで、あらゆる表現手段を詰め込むことができる許容度の深さ、いわば雑食性が、演劇の強いアドバンテージです。もし「何かを表現したいけどどう表現していいかわからない」という人がいたとしたら、僕は演劇をやればいいと思う。

 話は変わります。

「地域演劇」という言葉があります。その名の通り、大都市で職業俳優によって行われる商業演劇ではなく、主として地方において、その土地の住人自らが作り、演じる演劇のことです。「リージョナル・シアター」といって、海外ではその地域の名物ともなっている有名なカンパニーがたくさんあります。

 日本において、地域演劇の草分けとも呼べる存在が、1978年の旗揚げから一貫して地元・弘前を拠点に活動を続ける劇団、弘前劇場です。その主宰者である長谷川孝治が、劇団の歴史と自身のキャリア、そして地域演劇への思いについて書きおろした『地域と演劇 弘前劇場の三十年』という本があります。この本のなかで著者は、単に地元の仲間と趣味で活動するアマチュア劇団と地域演劇とを明確に区別しています。

 峽は何故演劇をやっているの?」
◆峽たちは何故劇団をやっているの?」
「しかも、公的な助成を受けて」
の問いかけがない場合の答えは簡単である。「好きだから」「やりたいから」でよろしい。それ以外の答えなど不要だ。しかし、私たちはに対しての答えを完全に導き出すことができるだろうか。

 著者は地域演劇を、単に地方在住の人間が参加するだけではなく、公的な助成金をもらって活動するものと捉えています。「公的な助成金をもらう」ということは、その地域に住む人にとってなんらかの恩恵やプラスの効果が期待できることが前提になります。じゃあ、演劇が地域に還元できるものって何なのでしょうか。

 本書の中に、このような一節があります。

ことさらに役など作らなくても人間は充分に演技する存在である。(中略)ならば、商業的に役を演じ分ける必要がない地方の演劇で成立する演技とは、中央のプロと呼ばれる俳優たちの演技とはおのずから違ってくるのではないか。

 弘前劇場の劇団員は、主宰である長谷川孝治も含めて、昼間は別の仕事をしています。会社員や公務員として働きながら、家庭をもち、地域社会ともコミットしながら暮らしています。つまり、「普通の生活」を送っている人たちです。

 その「普通の生活」は彼らに、例えば「中間管理職である自分」や「夫/妻である自分」「親である自分」など、何らかの「役」を演じることを要求します。生活者だからこそ、演技をすることが常態化しているのです。だとしたら、舞台に上がって今更「殺人犯と刑事」や「王子と姫」を演じることに意味はあるのか。そんなことは中央の職業俳優による商業演劇に任せておけばよい。地域に根差している者だけが体現できるリアルな「演技」は他にあるんじゃないか―。

 著者がこの命題に対する一つの解として取り入れたのが、淡々とした日常会話が中心の物語進行と、標準語で書かれた台詞を役者が自分自身の手(口)で使い慣れた津軽弁に「翻訳する」という手法でした。

 例えば、リンゴ農家を舞台に登場人物が津軽弁で喋るシーンがあるとしたら、東京の人間には言葉すら聞き取れない可能性がありますが、地元の観客にはごく日常の馴染みのある場面でしょう。標準語よりもむしろ細かいニュアンスが伝わるかもしれません。

 大都市から発信される最大公約数化された「中央のリアル」とは別に、そこに住む人たちのなかでのみ共有される「地域のリアル」があるのだとすれば、それを反映した作品を作ることが、「公的な助成」を受けた地域演劇の役割である。…本書を読んで僕はそう考えました。

 なぜ「地域のリアル」を反映することが、その地域にとって恩恵になるのか。それは、同じ土地に住む人が作り、その土地の言葉で語られる物語は、単なるエンターテインメントという枠を超え、「自分たちの物語」になる可能性を秘めているからです。以前『オオカミの護符』僕自身のファミリーヒストリー豊島氏の話などで書いてきたことと同じように、「自分たちの物語」は、その土地に住んでいることに意味を与え、ひいてはその人のアイデンティティを強化してくれます。自治体が地域の史跡を整備したり、郷土資料館を公開したりするのと本質的には同じことです。

 そして、「地域のリアル」を反映しようとしたときに、音楽や絵画などさまざまなアートがあるなかで、演劇は非常にそれに向いているメディアだと思います。一つは冒頭に書いた雑食性です。言葉や物語を持ち、視覚も聴覚も使い、具体から抽象まであらゆるタイプの表現に対応できるからこそ、中央のリアルとの微妙な差をすくい取ることに長けています。

 また、祝祭という側面をもつ演劇には、観客として見るだけでなく、自ら参加するという楽しみ方もあります。地元の祭りが地域の結びつきや土地の人のアイデンティティを強化するのと同じような役割を、演劇が果たすことも可能かもしれません。このように考えていくと、「地域音楽」や「地域絵画」という言葉をなかなか聞かない一方で、地域演劇という概念が成立している理由がわかってくる気がします。


 僕らの劇団は結成して最初の4年間を、地元である神奈川県の藤沢で活動していました。でも当時、自分たちが藤沢の地域演劇であると考えたことはありませんでした。

 藤沢は、ほんの一時間電車に乗るだけで新宿や渋谷、銀座といった大都市の中心部にたどり着けます。経済面でも文化面でも東京圏に属する藤沢に、あの町だけのリアルというものがあったのだろうかと、本書を読んで考えてしまいました。あのまま藤沢で活動を続けていたら、もしかしたら今頃僕は「故郷の再発見」をできていたのかもしれません(それができずに今に至るという話は『あまちゃん』のときに書いたとおりです)。

 ただ、本書は別に、地方在住の演劇人のみに向けて書かれた本ではありません。「中央と地域」というファクターを取り除いてみれば、本書に書かれているのは「結局、その作品は誰にとってのリアルを反映しているのか」という、アーティストにとっては根本的で普遍的な問題だからです。






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『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』(KADOKAWA)

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来たるべき「90年代ブーム」では
何が語られるのか


 宮藤官九郎『あまちゃん』で80年代カルチャーネタをふんだんに盛り込んだように、当時を青春時代として過ごした世代が働き盛りに突入したことで、一種の80年代リバイバルが起きています。その一つの典型が、「おじさんたちが青春を過ごした80年代の音楽を語り合う」というコンセプトの番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』(BS TwellV、金曜深夜、10月からはゴールデンに移動)。

 マキタスポーツスージー鈴木という、80年代に青春時代を過ごしたおじさん2人による音楽トークは、ひたすら独断と偏見と過剰な思い込みに満ちていて最高です。ポカンとしているカセットガールに対し、おじさん2人が「仕方ねえな」という感じでコードや歌詞や時代背景を熱く説明するんだけど、実はカセットガールがおじさん2人を「かまってあげている」という構図も、自分の将来を見るようでたまりません。

 僕は第1回から全て見ているのですが、最高だったのは「春の名曲フェア〜マキタの春〜」という回。「意気揚々と上京してきたマキタスポーツが大学デビューに失敗して、部屋で悶々としながら聴いた曲」なんていう個人史すぎる曲ばかりを紹介するのですが、「知らねーよ!」と突っ込みながらもめちゃくちゃ面白かったです。スージー鈴木の著書を紹介した時にも書いたことですが、そういう主観的で個人的で偏った文脈とともに知った音楽のほうが、客観的な分析や解釈とともに知った音楽よりも、むしろ「聴いてみたい」と思ったりするんですよね。音楽評論というと「上から目線のシニカルな分析」や「文脈でっち上げて煽る提灯解説」ばかりが目につく昨今、徹底的に個人の思い入れを切り口にして音楽を語るこの番組はマジで希望です

 実際、この番組にはかなり影響を受けてます。松田聖子薬師丸ひろ子を本腰入れて聴くようになったのも、そこから派生して『松田聖子と中森明菜』や『角川映画1976-1986』といった本に食指を伸ばしていったのも、この番組が大きなきっかけでした。考えてみれば、そのように複数のメディアにわたって80年代関連コンテンツを延々とハシゴできること自体が、世間に「80年代リバイバル」があることの証だといえるかもしれません。

 なぜ僕は80年代に惹かれるのか。僕は81年生まれなので、主体的に80年代コンテンツを消費していた世代ではありません。でも、TVでチラ見した映像や耳にした曲、それらが醸し出す匂いは記憶にあります。そのおぼろげな記憶は、当然ながら僕の感性に大きな影響を与えているはずです。そういう意味でこの番組は、僕自身の感性の源流を紐解いてくれるような存在なのです。

 6月に発売された『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』は、この番組の書籍版。清水ミチコとの対談など、書籍オリジナルのコンテンツはあるものの、メインは過去の放送の文字起こしです。DVDやブルーレイではなく書籍というところに、なんとなく深夜のBS放送っぽさを感じなくもないのですが、なにせとんでもなく情報量の多い番組なので、映像化よりも書籍化はむしろファンとしてはありがたい対応でした。

 さて、消費者層の加齢に伴ってリバイバルが起きるなら、あと10年もすれば「90年代ブーム」が起きるはずです。そこでは一体何が語られるのでしょうか。80年代は僕にとっては「歴史」の範疇でした。しかし90年代は、僕が当事者として過ごした時代です。「90年代ブーム」で何が語られれば、当事者として納得できるのか。80年代の話を楽しそうにするおじさん2人を見ていると、果たして自分はそこまで90年代の音楽に思い入れをもって接していただろうかと、期待半分・不安半分の複雑な気分になります。






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薬師丸ひろ子『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』

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一緒に年を取るという
「器」のあり方


 80年代アイドルの歌、それもデビュー曲やキャリア初期の歌を2018年の今聴きなおしてみると、あまりの「アイドル然」「女の子然」とした世界観に気恥ずかしさを覚えることがあります。そのなかにあって、薬師丸ひろ子<セーラー服と機関銃>は異質な響きをもっています。別れを予感させる歌詞とシリアスな曲調、当時17歳の瑞々しく生硬な彼女の声は、アイドルという瞬間性を真空パックした存在とは真逆の、普遍的な何かを感じさせます。

 多くのアイドルがオーディションなどを通じて、あくまで歌手としてデビューしたのに対し、薬師丸ひろ子は映画女優としてキャリアをスタートしました。歌手デビューした後もしばらくの間は、シングルは全て自身が主演する映画の主題歌でした。それらの歌に投影されるのは薬師丸ひろ子自身ではなく、彼女が演じる役であり映画の世界観でした。いってみれば、薬師丸ひろ子は歌という水を注ぐための「器」に徹していたのです

 実際、彼女自身も「歌を歌うときは、リスナーの記憶や作り手の思いをできるだけ損なわないように、なるべく当時のまま歌いたい」と語っています。歌が歌手のキャラクターとは切り離され、独立を守っているところがアイドルとしては異質であり、だからこそ、今聴いてもハッとする普遍性をもっているんだろうと思います。

 2016年に奈良の春日大社で行われた初の野外ライブを収録した『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』というアルバムがあります。実はこのアルバム、ライブ本編で歌われた曲順のままではなく、<セーラー服と機関銃>から、ほぼリリース順に沿って曲を並べ直して収録されています。つまり、当時を知る人は思い出をトレースできるような仕掛けになっているわけです。これは間違いなく「リスナーの記憶を大事にする」という彼女の意向なんだろうと思います。

 じゃあ肝心の歌は「当時のまま」なのか。もちろん、そんなことはありません。(多分)キーは当時と同じですが、声質はそれなりに年齢の変化を感じさせ幾分低くなった印象です。一方で、30年以上のキャリアの積み重ねによって、圧倒的に歌は上手くなっています。そして、当然ながら歌い手の変化は、歌そのものの印象も大きく変えます。それがもっとも端的に表れているのが、1stアルバム『古今集』の1曲目であり、竹内まりやのセルフカバーでも有名な<元気を出して>

 薬師丸ひろ子がまだ10代だったオリジナル版は、若い主人公が失恋した同世代の友人を励ますという、まさに歌詞の通りの、牧歌的で他愛のない「励ましソング」でした。ところが、50代半ばを迎えた現在の彼女の声には、かつてはなかった母性的な包容力や一つひとつの言葉への説得力があります。そのためこの曲は、失恋だけでなくあらゆる悲しみを射程に捉えた「人生の励ましソング」に聴こえます。


 2曲目の<探偵物語>も、オリジナルとは印象ががらりと変わった曲です。例えば2コーラス目サビ前の「昨日からはみ出した私がいる」という部分。これ、オリジナルだと少女から大人へ一歩を踏み出した心情を歌っているように聴こえますが、現在の薬師丸ひろ子が歌うと「戻れない一線を越えてしまった」という、道ならぬ恋への抗いがたい情熱を表現しているように感じるのです(それでもいやらしさをまったく感じさせない彼女の透明感がすごい)。

 以前、70歳を超えたポール・マッカートニーが歌う<Blackbird>について書いたことがあります。歌い手の変化とともに歌そのものも変化し、それまでとはまったく違う世界が見られるようになること。それはまるで、終わったと思っていた物語にまだ続きがあることを発見したような気分になります。

 そしてもう一つ、今回このライブ盤を聴いて思ったのは、歌が「年をとる」ことで、その変化のなかに聴き手は自分自身の人生の経過をも重ねあわせられるということ。<元気を出して>のなかに「人生はあなたが思うほど悪くない」というフレーズがありますが、このアルバムで聴くと、なんだか自分のこれまでの人生を肯定されたような気持ちになるんですよね。言うまでもなくこれは、現在の薬師丸ひろ子の声で、しかも僕自身も大人になった今(初めてこの曲を聴いたのは確か中学生の頃でした)聴くからこその感慨です。

 時間の経過を感じさせない「当時のまま」のパフォーマンス(たとえばマドンナのような)もいいけれど、歌い手が年齢を重ね、それに伴って歌の聴こえ方も変わり、その聴こえ方の変化のなかにリスナー自身の物語も重なること。いわば、歌手と歌とリスナーがみんなで一緒に年をとっていくこと。それはそれで、とても素敵なことじゃないかと思います。そして、それもまた「器」の一つのあり方なんじゃないかとも思います。








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松田聖子『Candy』

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「古くない」という感覚の理由は
“彼”の存在にあるのではないか


 前回、まったくといっていいほど興味がなかった(どちらかというとネガティブな印象すらもっていた)松田聖子を、大滝詠一というハブ(結節点)を経由することで聴くようになったという話を書きました。

 大滝詠一が松田聖子に書き下ろした曲は他に2曲あります。それが1982年にリリースされた6枚目のアルバム『Candy』に収録された<四月のラブレター>と<Rock’n’Roll Good-bye>。どちらも『風立ちぬ』A面に負けず劣らずナイアガラサウンドで、あえてなぞらえるなら<四月のラブレターは>は<A面で恋をして>、<Rock’n’Roll Good-bye>は<恋のナックルボール>…でしょうか。<Rock’n’Roll Good-bye>の間奏で<むすんでひらいて>のメロディがチラッと載ってくるところなんかはいかにも大滝詠一っぽいなあと感じます。

 しかし『風立ちぬ』というアルバムは、僕の中で大滝詠一が手掛けたA面だけで完結しているのに対し、『Candy』というアルバムは大滝楽曲以外の8曲のほうにこそハイライトがありました

 理由は大村雅朗。このアルバムで大滝詠一の2曲以外の全ての曲でアレンジを手掛けたのが大村です。彼の名前は知ってはいたけど、本当にすさまじいアレンジャーだったということを、僕はこのアルバムでまざまざと知りました。

 例えば<星空のドライブ>におけるあのリフ。イントロからサビ、アウトロまで音色を変えながら繰り返されるあのリフは、メロディや歌詞以上にこの曲の「顔」になっています。<黄色いカーディガン>のあのイントロもそう。この曲の力強さと繊細さの両方を併せ持つ見事な幕開けは、2年後の大沢誉志幸<そして僕は途方に暮れる>を予言しているかのようです。そしてアルバムラストには、大村雅朗自身の作曲による<真冬の恋人たち>という、大村と松田聖子の両者にとっての代表曲となった<Sweet Memories>の姉妹編ともいえる名曲が控えています。

 中でも僕がうなったのは3曲目<未来の花嫁>です。友人たちが結婚していくなかで自分だけが取り残されている。隣にいる彼はプロポーズしてくれる気配もない。あなたの未来の花嫁はここにいるのに…。歌詞だけを取り出してみると、結婚を人生のゴールと捉えているこの曲の女性像は、正直2018年の今聴くとかなり古臭く感じます。

 しかし完成された曲として聴くと、決して古臭いという印象は抱きません。なぜなら、大村雅朗が仕立てたファンキーで軽快なアレンジによって、この歌の主役の女性は、口では「結婚したい」といいつつも、「それならそれでいい」「結婚なんて選択肢の一つだもんね」と、どこか今の自分の状況を楽しんでさえいるような、たくましい人物像へと変わるからです

 そこには松田聖子の、情緒を後ろに残さないカラッと乾いた歌い方の効果もあると思います。このアルバムを聴く限り、松田聖子のもつキャラクターと相性がよかったのは、松本隆よりも大村雅朗であると感じます。



 このアルバムにおける大村雅朗の何が素晴らしいかといえば、彼のアレンジがアルバム全体のカラーを決定している点です。『風立ちぬ』は「大滝詠一のアルバム」ではないけれど、『Candy』は「大村雅朗のアルバム」といっていいと思います。そのくらい、この作品における彼の寄与度は高い。

『作編曲家・大村雅朗の軌跡』を読むと、彼の仕事の姿勢はあくまで「アーティスト(レコード会社)がどうしたいか」を重視する職業編曲家だったと語られています。しかし、『Candy』を聴く限り、彼は「このアルバムはこう聴いてほしい」「このアルバムを通じてアーティストのこういう面を出したい」といったプロデューサー的な視点を持っていたことは明らかです。そうした姿勢は、彼が晩年、フリーからレーベル所属となって、宣伝や育成まで含めたトータルのプロデューサーを目指していたことにも端的に表れています。同書のなかで「もし存命なら今頃誰と組んでいたか?」というインタビュアーの質問に対し、生前の彼を知る多くの人が「宇多田ヒカル」と答えていたのはゾクッとしました。



 にしても、これまでにもR.E.M.スミスなど、自分のなかの「古い/古くない」の分水嶺に位置するアーティストについて考える機会がありましたが、まさかそこに、30年近く「懐メロ歌手」「過去の人」と感じていた松田聖子が加わることになるとは思いもよりませんでした。








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松田聖子『風立ちぬ』

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81年生まれが感じる
「こちら側」の声


 まず初めに言っておくと、僕は松田聖子というアーティストに特別興味はありません。僕がテレビの音楽番組やヒットチャートを見るようになったのは1990年代初頭でした。松田聖子が歌手デビューしたのは80年ですので、その時点で10年ほどのキャリアがあったことになります。アーティスト寿命が長寿化した現在では、10年選手などせいぜい中堅扱いですが、当時はベテラン歌手の一人といった印象でした。なので、(当時バリバリ新曲を出していて第2の全盛期を迎えようとしていましたが)僕の中では「懐メロ歌手」「大人が聴くもの」といったネガティブなイメージしか持てませんでした。そのまま今に至っています。

 それなのに、なぜ今僕は松田聖子の『風立ちぬ』を聴いているのか。理由は単純。大滝詠一です。81年10月にリリースされたこの4枚目のアルバムは、表題曲含むA面5曲全てを大滝詠一が作曲・編曲を担当しているのです。

 大滝詠一がアルバム『A Long Vacation』をリリースしたのは81年3月ですが、時期的な面だけでなく、サウンドから受ける印象という面でも、『風立ちぬ』はまるで『ロンバケ』の姉妹編のようです。実際、大滝詠一本人も「“女性版ナイアガラ”を意識した」と語っています。曰く、<冬の妖精>=<君は天然色>、<ガラスの入江>=<雨のウェンズデイ>、<千秒一秒物語>=<恋するカレン>、<いちご畑でつかまえて>=<FUN×4>、<風立ちぬ>=<カナリア諸島にて>。

 ナイアガラサウンドというと音の分厚さやゴージャスさ、スケールの大きさがよく語られますが、僕はそれらのアレンジがメロディと高次元で結びついているところこそが最大の聴きどころだと思っています。<千秒一秒物語>のあのセンチメンタルさ、<いちご畑でつかまえて>のつかみどころのなさ、そして<風立ちぬ>の大河の流れのような官能性。メロディが先にあったのか、それともアレンジが先にあってメロディが生まれたのか、まったくわからないほどに両者は同じ方向を向き、曲の中で自然に溶け合っています。そういう曲としての密度の濃さみたいなものに、僕はナイアガラを感じます。



 んで、大滝詠一という軸でこのアルバムを何度もリピートしていたのですが、しばらくするうちにあることに気づきました。かつて「古臭いもの」と思い込んでいた松田聖子が、実際には決して古くなどないということに

 このアルバムを聴く直前、僕は山口百恵を聴いていました。実は山口百恵は「古い」と感じたのです。でも、松田聖子は古くはなかった。ちなみに「古い」というのは「嫌い」という意味ではありません。わかる/わからない、近い/遠いといった、好悪とは別なところで感じる直感的な距離感のようなものです。

 正確に言えば、松田聖子でも<青い珊瑚礁>は古いと感じます。じゃあ境目はどこなのか。アルバムでいえば、まさに『風立ちぬ』がそれにあたります。

 じゃあ『風立ちぬ』と3枚目『シルエット』とは何が違うのか。それは、松本隆が登板しているところです。厳密には彼は『シルエット』期から参加してますが、当時はまだレコード会社に指名され、純粋に職業作詞家としてかかわったにすぎませんでした。それが、プロデューサー的な立ち位置で、より能動的に松田聖子というプロジェクトに関わり始めた最初のアルバムが『風立ちぬ』だったのです。そして、彼が自分の人脈から引っ張ってきた最初のメロディメーカーが、かつてのバンドメンバーである大滝詠一でした。…というのは知っている人には今更すぎるネタではあります。

 初期の三浦徳子・小田裕一郎時代は、僕には古いと感じます。どこか70年代の時代がかったアイドル像を引きずってる気がするのです。でも、大滝詠一や南佳孝、財津和夫、来生たかお、そして呉田軽穂(松任谷由実)。このあたりの、当時の言葉でいえばニューミュージック出身の作曲家たちが参加し始めた以降の曲はまったく古さを感じません。完全に「こちら側」という感じがします。

 実は、三浦徳子も小田裕一郎も古い作家ではありません。世代としてはニューミュージック勢と変わらない。でも、三浦・小田ペアがどこか70年代に規定された「アイドル」という枠の中で仕事をしていた(職業作家として仕事をしていた)のに対し、その枠を壊してアイドル像というものを80年代型へとアップデートしようとしたのが松本隆だったのではないかと思います

 ただ、ここで一つ強調したいのは、僕が「古くない」と感じる根拠は松本隆の歌詞ではない、ということです。むしろ、言葉の意味や使われ方は時代の影響をモロに受けるので、ニューミュージック勢の作るメロディに比べて当の松本隆の歌詞は(距離感ではなく、文字通り「今の時代とは違う」という意味で)古いと感じます。

 では何が「古くない」のか。中川右介は著書で、松本隆の功績の一つに、日本の歌謡曲から「情緒」や「説明」を排除したことを挙げています。そうした志向をもっていた彼が松田聖子を選んだのは、彼女の圧倒的な声量とカラッと乾いた声質なら、それができると考えたからでした。松田聖子の歌の上手さに注目した人はそれまでにもたくさんいましたが、彼女の声に時代を見出して、それを歌詞という方法でプロデュースしようとしたのは松本隆が初めてだったんだろうと思います。つまり、僕が松田聖子を「古くない」と感じた一番の理由は、彼女の「声」だったのです

 彼女の声に時代の変化を見出した松本隆。その彼が積極的にイニシアチブを取り始めた『風立ちぬ』プロジェクト。そこに、81年生まれの僕が「古い」「古くない」の分水嶺を感じることは、決して偶然ではないと思います。








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