週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

SOUTHERN ALL STARS 『KILLER STREET』

killer


最高のポップチューンが目白押し
質・量ともに圧倒的なサザン渾身の2枚組


2008年いっぱいで無期限の活動休止を発表したサザンオールスターズ。
今更詳しい説明など、書くだけ無粋だろう。
キャリア30年、途中幾度かの活動休止期間はあったにせよ、
常にセールス、楽曲の質ともに第一線を後進に譲らなかった、文字通りのモンスターバンドである。

この『キラーストリート』は、現時点におけるサザンの最新アルバムだ。
そんなことはない、と願っているけれど、万が一、このまま活動を再開することがなければ、
このアルバムがサザンのラストアルバムになってしまう。


だが、あえて言えば、本作はラストアルバムになっても仕方ない、
もうこれ以上のアルバムは作れないのではないか、そう思わせるほどの名盤である。
全13枚に及ぶ彼らのオリジナルアルバムのなかで、
おそらく『キラーストリート』がもっとも完成度が高いのではないだろうか。

その理由は単純である。まずは圧倒的な収録量だ。
2枚組、全30曲、トータル135分強。
CD2枚の容量をフルに使ったボリュームである。
そしてプレイボタンを押せば、実に質の高い、
貫禄すら感じさせる最高のポップチューンばかりがひっきりなしにかかるのだ。
全ての曲はキリッと引き締まり、ハズレがない。

あえて言えばオリジナルアルバムで2枚組構成というのは、リスクが高い。
収録曲の多さが仇となって全体の印象が薄まってしまう量的なリスクや、
楽曲のバラエティが広がってトータルでは散漫になってしまう質的なリスクなどをクリアしなければ、
2枚組アルバムというのはよほど成功しない。

だが、良い曲を然るべき順番に構成すれば最高のアルバムが出来上がるのが、
ポップミュージックの基本力学である。
『キラーストリート』はシンプルにそれだけのアルバムなのだ。
良い曲が続けば2枚組だろうが3枚組だろうが、リスナーは満たされる。
理由は単純と述べたのは、こういうことである。
2枚組であることがこれほど贅沢に思えるアルバムもそうないのではないか。


全体のトーンとしては、『Young Love』以降顕著になった、
死と生や永久の愛といった普遍的なテーマがゆるやかに基調を成している。
そのため、かつてのようなスイートさよりも、桑田佳祐のブルージーな面が色濃く出ている。
だが、そこは30年近く磨き上げてきたポップセンスが如何なく発揮されていて、
ともすればハードな手触りになりそうなところをほどよく中和し、
かけっぱなしのBGMとしても、心して聴くタフな楽曲としても耐えうる、
サザン得意のオールマイティーサウンドに仕上げている。

特筆すべきはシングル曲の馴染み方だ。
前作『さくら』から7年ぶりのアルバムということで、
本作には大量のシングル曲及びそのカップリング曲が収録されているが、
驚くほどにそれらがこのアルバムに馴染んでいるのだ。

これは後々知ったのだが、サザンはかなり前から『キラーストリート』の制作に臨んでいて、
シングルとしてリリースされた曲はそもそもこのアルバムに収録する前提で作られたものらしい。
それが、制作期間が長期にわたるにつれ、
リリースまでのいわば“つなぎ”として数曲をシングルカットしたという事情があるそうだ。
だから馴染んでいるのはいわば当然と言えるのだが、
逆に、サザンのこのアルバムに対する並々ならぬモチベーションの高さがうかがえる。


サザンの曲を一曲も知らない、という人はおそらく相当レアだろう。
日本の誰もが、少なくともどれか一曲は知っている。
だが、それゆえ「“いとしのエリー”のサザン」「“真夏の果実”のサザン」と、
多くの人がサザンを曲単位で認識しているのではないだろうか。

それは非常にもったいない。
どのアーティストにも言えることだが、
オリジナルアルバムは当人たちのキャリアと音楽的好奇心がどう変遷し、
どう記録されてきたかという、歴史そのものなのだ。
曲ではなくアルバムで聴くことで、新たなサザンの魅力に気付くはずだ。




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映画 『リンダリンダリンダ』

linda
ロックミュージックはいつも
退屈な教室で産声をあげる


 僕は中学と高校でバンドをやったことがある。両方とも学校の文化祭のために組んだ、まあよくある話のバンドで、卒業後も定期的に活動をしようとかそういった話にはならず、今ではいい思い出である。だが、やっていた当時は思い出作りでもなんでもなくて、真剣そのものだった。

 中学生、高校生にとって「バンドをやる」ということは、小さな革命だ。「もしかしたらモテるかも」という、周囲に巻き起こる革命を妄想しつつ、しかし本当に革命だったのは、みんなで楽器を演奏するのはとてつもなく楽しい、という発見だった。もちろん演奏はヒドいし音は割れるし、客観的には惨たらしいのだけれど、放課後の教室でアンプのボリュームを全開にして演奏するというのは、おそらくこの世でもっとも興奮することなんじゃないかと思う。バンドという言葉を聞くと、僕は体育館のステージでも練習スタジオでもなく、放課後の教室が浮かぶのだ。

 そんな体験があるからだろう。バンドを題材にした作品には、映像にしろ活字にしろ、ものすごく感情移入する。少し前になるがハロルド作石のマンガ『BECK』は何度も読み返した。山下敦弘監督の『リンダリンダリンダ』(‘05)を観たのも、やはりバンド、しかも高校生のバンドが主人公だったからだ。


 文化祭の直前、ボーカルが抜けてライヴができなくなるピンチに瀕した女子高生3人は、たまたま目の前を通りかかった韓国人留学生を半ば強引にボーカルに誘い、数日後に迫った文化祭当日に向けて練習に励む。演奏するのは、ブルーハーツ。

 ・・・というあらすじは事前に知っていて、いわゆる青春映画のひとつだと勝手に思っていたのだが、実際はまったく違っていた。『リンダリンダリンダ』は歴とした“ロック”を描いた映画だったのだ。

 この映画は全編にわたり静かなタッチで進行する。無言のシーンが多く、台詞があってもボソボソと喋るだけだ。バンドメンバーである女子高生たちは、困難を乗り越えて盛り上がったり、感極まって泣いたりなどしない。

 僕は彼女たちを、ものすごくリアルだと思う。無気力だからリアルなのではない。感情の起伏が見えないのは、ただ退屈なだけだ。シーンの端々からひしひしと伝わる彼女たちの退屈が、とてもリアルなのだ。そしてその退屈が、彼女たちを<リンダリンダ>へと駆り立てる最大の、そして唯一のバックグラウンドだ。もちろん、画面はそのような動機も何も説明はしてくれない。だが伝わってくる。退屈は常にロックの源泉なのだ。

 映画の前半、バンドのギター担当である香椎由宇の台詞がとても印象的だった。本番数日前というのにボーカルを探している香椎由宇は、元メンバーの女の子に嫌味を言われる。「そんなことして何の意味があるの?」。香椎由宇はこう答える。「別に意味なんかない」。

 ただやりたいからやる。意味も見返りもいらない。こういう台詞はかっこいいけれど、現実の社会でそれを行動に移すには相当の勇気が必要だ。だが、ロックは全てを突き破る衝動である。意味も見返りもないけれど、でもそれ以上の興奮や自由や何かがあるから、人はロックに魅かれるのだ。

 そしてそのロックの精神を、シンプルな言葉と優しいメロディで教えてくれたのが、ブルーハーツ(現クロマニヨンズ)のヒロトとマーシーだった。だからこそ、この映画において彼らの作った歌は、ストーリー以上に、台詞以上に訴えかけるものがある。放課後の軽音部の部室で4人が演奏するヘタクソでグダグダの<僕の右手>は、間違いなく“ロック”だった。

ミドリ 『セカンド』

midori second



楽器も歌も、全てが過激!
なのに涙が溢れるのはなぜだろう


不気味な旋律を高速で奏でるピアノ、爆竹のようなドラム。
不協和音に満ちたイントロを経て、歌という名の絶叫が始まる。
「踊れ踊れ踊れ獣獣獣、歌え歌え歌え獣獣獣」
のっけから叩きつけられるものすごい緊張感は、
9曲32分間、途中で切れるどころかラストまで上がり続け、メーターを振り切って終わる。

大坂出身のバンド、ミドリの『セカンド』を聴いた時の衝撃を、どう説明したらよいか。
過激なサウンドに過激な歌詞、ミドリの生み出す楽曲はどれもが最高にパンクでアナーキーだ。

・・・なのに、である。なのに聴いていると、涙がこぼれそうになるのだ。


かつて桑田佳祐は、
サザンのリリックを「意味不明」「日本語の語法がおかしい」と批評する評論家やマスコミに対して、
「そんなもん、ただの歌詞じゃねえか」と言い放った。
だが、評論家もマスコミも全員が桑田に対して悪意を持っていたわけではなかっただろう。
おそらく彼らは知りたかったのだ。
なぜ、明らかにノリ優先でつけられた歌詞が、こんなにも心に響くのかを。

ミドリの後藤まりこ(ボーカル/ギター)が綴る歌詞も、桑田と通じるところがある。
彼女の歌詞は、歌詞カードを読んで理解する類のものではない。
むしろ字面だけだと、曲によってはグロテスクなものもある。
だが、ひとたび音楽として肉体を得た彼女の言葉は、胸の奥底をピンポイントで突き刺す威力を持つのだ。

後藤まりこは実はものすごく普通のことしか歌っていない。
「あたしをもっと大切にして」と言う。
「お願い一人にせんといて」「ワガママいっぱい聞きなさいよ」と言う。
「あたしはあんたとセックスがしたい」と言う。
過激さでもグロテスクでもなく、誰もが抱く普通で、切実で、ピュアな願いが彼女の歌詞の本質だ。

だがそれを現実に口にするのは難しい。
切実であればあるほど、ピュアであればあるほど、断られるのが怖い。
恥もあるし、「寒い」と思われたくない見栄もある。
“普通”であるはずの気持ちは、結局は少女漫画や恋愛映画のなかで仮託されるしか行き場を持たないのだ。

その欺瞞をせせら笑うように、後藤まりこは「セックスがしたい」と叫ぶ。
激しく鳴らされる楽器は、彼女のプリミティブな衝動そのものだ。
そして、意味よりも音へのノリを重視して紡がれた歌詞だからこそ、
言葉は爆音の奔流と一体となって、感情そのものを叩きつける。
喉の奥から絞り出されるような彼女の声に、心を覆っていたカバーは外されて、思わず涙が出そうになる。


この『セカンド』はタイトルの通りミドリのセカンドアルバムにあたる。
現時点での最新のフルアルバムは、
サードの『あらためまして、はじめまして、ミドリです。』(その後1枚ライヴアルバムがリリースされている)。
完成度の点ではサードが上だが、
後藤まりこの強烈な才能が荒々しい形のまま録音されているのは『セカンド』の方だ。

『あらためまして〜』はジャケットのインパクトがすごい。
theatre project BRIDGEの前回公演『アイラビュー』の準備期間、
チラシ制作の打ち合わせの席上で、僕が「こんな感じがいいんです」とデザイナーさんに提示したのは、
このサードのジャケットイラストだった。




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くるり 『ワルツを踊れ』

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弦の音色が引き出した
くるり岸田繁の名曲の数々


日本のロックバンド、くるりの7枚目のアルバム『ワルツを踊れ』。
このアルバムは、2009年2月現在でのくるりの最新のアルバムであり、彼らの最高傑作である。
全13曲の豊穣な世界は、音楽の流行り廃りの波になど微動だにしない、燦然たる魅力を湛えている。

くるりの音楽は多彩だ。
例えば初期にはオーセンティックなギターロックを奏でる『さよならストレンジャー』(’99)や、
よりアバンギャルドな『図鑑』(’00)があるが、
3枚目『TEAM ROCK』(’01)では打ち込み音やエフェクトなどを大胆に取り入れて新境地を開拓し、
続く『THE WORLD IS MINE』(’02)では、さらにそのエレクトロニカ路線を強く押し出した。
そのまま電子音楽カラーが続くかと思いきや、
外人ドラマーがメンバーに加入して作られた『アンテナ』(‘04)ではギターロックへと回帰し、
よりハードなバンドサウンドへと進化を遂げる。

ロックを基盤にしながらも、非ロックにまで重心をずらしてしまう、
その自由奔放で豊かな音楽性には、リリースのたびに驚かされてきた。
なかなか一筋縄では括れないのがくるりのおもしろいところである。

『ワルツを踊れ』のレコーディングはウィーンとパリで行われた。
場所柄なのだろうか、ほぼ全編にわたってストリングスによるアレンジが施され、
これまででもっともクラシック的な感性の強いアルバムだ。

岸田の書く歌詞の魅力は、日常のなかのごく小さなワンシーンを切り取ったような、
都市生活者的でミニマムな世界観だ。
時にシュールで、時に皮肉たっぷりな独特の“岸田目線”は、
ある意味ではスケールの大きなストリングスの音とは対極にあるように見える。

だが岸田にはもう一つ、名曲<ばらの花>に見られるような、
叙情性と物語性に富んだ楽曲群を生み出す、優れたストーリーテラーとしての魅力がある。
ストリングスアレンジは、岸田のこの資質と非常によくマッチした。

名もなき少年を主人公にした<ブレーメン>や、別れの切なさを歌う<ジュビリー>、
恋人と過ごす時間を時計の針の音で描く<恋人の時計>などは、まさにその好例である。
素朴な楽曲と、ヴァイオリンやヴィオラ、チェロといった古典楽器の音色との混交が、
時間も国境も超えうる普遍的な美しさを生んでいる。

もちろん収録された13曲全てが大好きなのだけれど、
もっともガツン!ときたのは2曲目の前述<ブレーメン>である。
1曲目の<ハイリゲンシュタッド>はインスト曲なので、
このアルバムの実質的な幕開けはこの<ブレーメン>から。
歌詞を読むととても暗い歌なのだけれど、それ以上にとにかく美しい曲で、
このままNHKの「みんなのうた」に含めてもいいほどのタイムレスな名曲だ。

後半に進むにつれて、より日常的でささやかな風景を歌う曲が多くなるのだが、
ラストに再び<言葉はさんかく こころは四角>という、
これまたシンプルだが叙情的な名曲が収録されている。

<ブレーメン>に始まり<言葉は〜>で締めくくるという構成には、
『ワルツを踊れ』というアルバムが持つピュアネスが端的に表れており、
この美しさは、ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』(‘67)にも匹敵するのではないかと思う。




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THE VASELINES 『THE WAY OF THE VASELINES ・ A COMPLETE HISTORY』

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男女ツインボーカルが織り成す“ゆるい”世界
ザ・ヴァセリンズの全曲集


イギリス・スコットランドのバンド、ヴァセリンズの全発表曲に
未発表の3曲を加えたコンプリート・ディスク。

ヴァセリンズの活動時期は1986年から89年にかけてだから、もう20年以上も前のバンドになる。
短いキャリアの中で残したスタジオアルバムはわずかに1枚しかない。
なので、シングル曲を含めて全音源を収録しても、このように1枚に収まってしまうのだ。

バンドの中心はユージン・ケリー(ボーカル/ギター、男性)と
フランシス・マッキー(ボーカル/ギター、女性)の2人。
男女のツインボーカルだ。
ユージンの独り言のようなボソボソした声と、フランシスの気だるいフワフワした声とが、
付かず離れずのゆるい距離感で絡み合う。
アンダーグラウンドな雰囲気と、60年代ポップスのような素朴さが同居している、
とてもユニークな味わいのあるバンドだ。

イギリス地方都市グラスゴー生まれの、キャリアも短いヴァセリンズが、
多くの人に認知されるようになったのは、ニルヴァーナの影響が大きい。
カート・コバーンは「生涯最高のバンド」としてヴァセリンズを挙げており、
実際に<SON OF A GUN><MOLLY’S LIPS>といった曲をカバーしている。
僕自身もニルヴァーナ経由でヴァセリンズと出会った一人だ。


ニルヴァーナに触れたことで話をちょっと脱線。

世の中にはロックの歴史に名を刻む、いわゆる「ロックの名盤」と呼ばれるものがたくさんあるけれど、
ザ・フーの『マイ・ジェネレイション』にしてもツェッペリンのファーストにしても、
そのほとんどは僕が生まれる前に発表されたものばかりで、
できればリアルタイムで聴いてみたかったな、と夢想することが多い。
洋楽雑誌とかで「『サージェント・ペッパー』で歴史が変わった!」なんていう記述を目にすると、
「ケッ、どうせ俺は生まれてねえよ」と悔しくなる。

そういった意味で言うとニルヴァーナの『NEVER MIND』(’91)は間違いなく、
僕がリアルタイムで聴けるロックの名盤だった・・・はずだった。
僕は当時、このアルバムを完璧に“スルー”したのだ。

以前オアシスの項で触れたように、当時まだ洋楽を聴き始めたばかりの僕は、
ポップメタルバンドに目を奪われていて、ニルヴァーナのガーガーした感じが好きになれなかった。
だから、みんながギターで<Smells Like Teen Spirit>のイントロのリフを弾いている横で、
僕はボン・ジョヴィの<Livin’ On A Prayer>を練習していたのだ。

問題は、
「好きにはなれないのだけれど、ボン・ジョヴィよりもニルヴァーナの方がカッコイイのはなんとなくわかる」
ということだった。
アイツはイヤな奴だけど俺よりモテるのは認めよう、みたいな切ない敗北感は、
その後もしばらく尾を引いた。
では、どうしてこの「ニルヴァーナ・コンプレックス」が解消されたかと言うと、きっかけはヴァセリンズだった。

カート・コバーンは自身のルーツとしてヴァセリンズを挙げているけれど、
実はこの2つのバンドはあまり似ていない。
ヴァセリンズの楽曲はオーソドックスなギターポップであり、
せいぜい割れたギターサウンドに、多少ニルヴァーナとの共通点がうかがえる程度だ。

だが、ヴァセリンズを聴いた後に改めてニルヴァーナを聴いたら、思わず心の中で叫んでしまった。
「なんだこれ、メチャクチャかっこいいじゃないか!」。
ヴァセリンズを聴いたことで、ニルヴァーナのローファイなサウンドに隠れていた、
実はメロディアスな一面であったり、カートの歌声の独特な味わいであったり、
とにかくそれまで気付かなかった魅力が瞬く間に全身に鳴り響いたのだ。

なんだかこう書いていると、まるでヴァセリンズが、
ニルヴァーナを知るためのツールに過ぎないかのようだが(きっかけは確かにそうだったけど)、
もちろんそんなことはない。
ニルヴァーナを聴いた後、再度ヴァセリンズへ戻ると、
これはこれで以前よりも奥行きをもって聴こえるから不思議である。
あえて言えば、僕はポップでゆるく、どこかメランコリーなヴァセリンズの方が耳にフィットする。

違うバンドや別のアルバムを聴くと、相対的にこれまで気付かなかった側面に光が当たって、
新たな魅力を感じ取れるようになったり、双方がますます好きになったりする。
音楽はこういうことがあるからおもしろい、と思う。




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