週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

GREEN DAY 『AMERICAN IDIOT』

american idiot





胸いっぱいのムカつく気持ちを
喜びのパンク・ロックに変えて


グリーン・デイの4年半ぶりとなる新作のリリースが、いよいよ来月に迫った。
個人的には2009年上半期でもっとも期待が高いアルバム。
なぜなら、前作であるこの『アメリカン・イディオット』があまりに素晴らしい作品だったからである。

1990年代初頭にデビューして以来、
過去の遺物となりつつあったパンクを現代の感性で鮮やかに蘇らせ、シーンを牽引してきたグリーン・デイ。
7作目のアルバムにあたるこの『アメリカン・イディオット』は、
全曲が1つのストーリーを基に展開されるというロック・オペラである。
この種の作品はザ・フー『トミー』デヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』などの前例はあるが、
パンクに限って言えば30年に及ぶその歴史のなかではおそらく初めての試みなのではないだろうか。

物語の主人公は、郊外に生まれ郊外に育った青年「ジーザス・オブ・サバービア」。
彼は汚くしみったれた故郷の街に愛想を尽かし、別天地を求めて旅に出るが、
自分の現実を受け入れ最後は故郷に帰る、というのが粗筋である。

ストーリーの骨格は極めてシンプルだ。
だがグリーン・デイにとってこのアルバムを作る最大のモチベーションとなったのは、
単にオーソドックスな成長譚を音楽にすることではなく、
02年になし崩し的にイラク戦争に突入した、母国アメリカへの批判と警鐘だった。

「ゆりかごから墓場まで 俺達は戦争と平和の子」
「テレビは明日を夢見てるけど、そんなものに従ってどうする。それだけですでに疑わしいじゃないか」

グリーン・デイは主人公「ジーザス・オブ・サバービア」の口を借りて怒りを爆発させる。
そして、火を噴くように苛烈で鋭い言葉の数々は、アメリカ国内だけのドメスティックなものではなく、
現代の世界全体を射程に捉え、鈍く漂う21世紀的閉塞感のど真ん中を射抜いている。

しかしこのアルバムの本当の魅力は、そのような社会的メッセージを背負ってもなお、
グリーン・デイがこれまで築き上げてきた、ポップでラウドなパンク・サウンドを貫き通しているところである。

わかりやすいメロディとこれでもかとたたみかけられる韻。
彼らのパンクには暴力性や破壊衝動といった負のオーラがない。
そこにあるのはどんなテーマも喜びという感情に力ずくで昇華させてしまう、絶対的な正のパワーである。

戦争はムカつくし、それを引き起こすバカな奴らはもっとムカつくし、
とにかく胸の中はムカつく気持ちでいっぱいだけど、
それをとびきりポップな音楽で表現しようというところに、彼らの鮮やかな知性を感じることができる。

怒りを前向きなパワーに変換させてしまう、そんなマジックを持った本作は、
うんざりしようと思えばどこまでもうんざりできる世の中を生き抜くためのヒントを提示している。









sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

Bill Douglas 『A Place Called Morning』

bill douglas





ケルトの旋律が
地上に遍く朝日を照らす


2001年の12月、僕の所属する劇団theatre project BRIDGEは、
初のオリジナル作品となる『Goodbye, Christmas Eve』を上演した。
この作品はタイトルの通りクリスマスが大きなキーワードになっていた。
演出を担当していた僕は、劇中使用曲にケルト音楽を使おうと考えていた。

僕はタワーレコード渋谷店の5階にあるワールド・ミュージックのコーナーに足繁く通って、
「ケルト」「アイルランド」と名の付くものは片っ端から聴き漁り、
さらには他の北欧音楽やニューエイジにまで手を広げ、とにかく毎回3,4時間はそのコーナーをうろついた。
さぞかし鬱陶しい客だったと思う。
ちなみに、同じフロアにはジャズのコーナーがあって、
以前本稿で紹介したakikoは、ちょうどその頃に出会ったアーティストである。

ある日、いつものように散々試聴して、そろそろ出ようかと思った僕は、
最後に新譜の試聴コーナーへ向かった。
そこに置かれていたのはジャズやブルース、カントリーのCDがほとんどで、
なんとなく眺めていただけだったのだけれど、そのなかに1枚、ハッと目につくジャケットがあった。

それは広大な針葉樹の森に陽光が差し込んでいる神秘的なイラストだった。
タイトルから察するにその光は朝日。
たしかによく見ると朝霧が森を覆っている。
その景色は、かつて僕が高校時代にこの目で見て衝撃を受けた、
アメリカのグランド・キャニオンの光景とどこか似ていた。

それが、ビル・ダグラスの『A Place Called Morning』だった。


このアルバムのなかにあるのは、ピアノにヴァイオリン、チェロにクラリネット、
フルートにファゴット、そして聖歌隊のコーラス。
ジャンルとしてはニューエイジに類されるのだろうが、
例えばアディエマスやエニグマなどのシンセ主体のニューエイジ・ミュージックとは違い、
生の楽器による質感は、むしろクラシックに近い。

そしてまた、何年か前に話題になったコンピ・アルバム『イマージュ』のような、
脆弱なヒーリング音楽とも全く異なる。
楽器の音色は、何かに祈りを捧げているような透明な緊張感を孕み、
聖歌隊のコーラスはまるでレクイエムのように硬質で、その旋律は哀しく儚い。
耳あたりのよさよりも、全体にある種の厳しさのようなものを湛えている。

この作品には、実はケルト音楽が血となって流れている。
現代音楽家ビル・ダグラスはクラシックやジャズを学び、
さらにケルトをはじめアフリカやインディアンなどのルーツ音楽への造詣が深い。
どこか哀しく郷愁を誘う旋律は、ケルト・フォークの影響だろう。
確かにジャケットに描かれた朝の森は、南国ではなく、北方の大地に広がる針葉樹の森だ。

タイトルにある「Morning」とは、決して爽やかな気持ちやリラックスの比喩ではない。
このアルバムで描かれているのは、森や川、山や谷に訪れる朝そのもの。
そこには単なる「1日の始まり」ではなく、46億年の間絶えず育まれてきた、
生命そのものの厳粛な美しさがある。

このアルバムを聴いていると、音楽というものの神秘を改めて感じることができる。
それは、言葉では表現できないものを、
音楽はいとも簡単に抽出し、表現し、昇華させてしまうという素朴な感動である。

文字を持たなかったケルト人は、自身の歴史や文化を全て口承だけで伝えてきた。
自然のことや生命のこと、世界の有り様を、彼らは神話と音楽だけでずっと表現してきたのである。








sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

スーパーカー 『A』

A




猛スピードで走り去った
ある高速車の記録


日本のバンド、スーパーカーが2005年の解散直後にリリースしたシングル集。
彼らがリリースした16曲のシングル全てが網羅されている。

スーパーカーというと、松本大洋原作の映画『ピンポン』の主題歌、
<YUMEGIWA LAST BOY>のイメージが強いせいか、
打ち込みメインのグループと思われがちだが、元々の彼らは純然たるロックバンド。
キャリアを経るうちにサウンドが大きく変化したのである

<CREAM SODA><LUCKY>など初期の頃はギンギンと耳鳴りのように響くギターロックを鳴らし、
中期<LOVE FOREVER><FAIRWAY>あたりで徐々にエフェクトや打ち込みの導入など
エレクトロへの傾倒を見せ始め、
そして後期では<AOHARU YOUTH><BGM>(プロデューサーは元電気グルーヴの砂原良徳)といった、
さらに電子的な要素を取り入れた楽曲を制作するようになる。

元々初期の頃からエフェクティブな音楽への好奇心が見え隠れしていたものの、
たった8年という短い活動期間のなかで、ロックに始まりながら、
最終的にロックという単一の規格には収まらないオリジナルな世界観へと進化したスピードとその振れ幅には、
この『A』を聴くと改めて驚かされる。

メンバー自身もこのような激しい音楽性の変遷を予測できてはいなかったのではないだろうか。
行き着くところまで行ってしまったので、ある意味解散は必然だったのかもしれない。


スーパーカーのメンバーは4人。うち1人だけ女の子が混じっている。
ベースのフルカワミキである。

僕は彼らがデビューして間もない頃にビデオクリップを観て初めて知ったのだけど、
女の子がボーカルではなくプレイヤーとして男に混じって演奏しているということが、
当時高校生だった僕にはとても新鮮だった。

だがフルカワミキの放つ強い存在感は、そういったフォルム上だけのものではない。
彼女のコーラス(曲によってはメインボーカル)は、スーパーカーの大きな特徴の一つだ。

彼女の歌声は典型的な“しゃべり声”。
ボーカル中村弘二の低音で気だるい感じの歌声に、
フルカワの「この人やる気ないんじゃないか?」と思わず心配になりそうな力の抜けたコーラスが加わると、
不思議な化学変化が生じて男性的でも女性的でもないような独特のフワフワした心地よさが生まれる。

歌詞の大半を手がけるのは、
リードギターのいしわたり淳治(現在チャットモンチー9mm parabellum bulletなどのプロデューサー)。
彼の書く歌詞には、愛や夢や未来の不安という、かなり甘くスイートなエッセンスが詰まっていて、
ボーカルが男女どちらかに偏ればくどくなってしまいそうなのだが、
中村・フルカワの両者によるコーラスはそれを見事に中和して、普遍的なリアリティへと昇華している。
桑田佳佑だけでも歌としては成立するけれど、やはり原由子のコーラスがなければ“サザン”にはならない
そんな感じに似ている。

刻々と進化するサウンドと、中性的で甘酸っぱい世界観。
スーパーカーはいわゆる「ロック」的な硬く重さのあるバンドというよりも、
柔らかくてつかみどころのない多面性を持つ不思議なバンドである。
コアなロックファン層を中心に、未だに人気が衰えないのも頷ける気がする。
同時発売されたシングルB面集の『B』と併せて聴けば、短くも濃密な彼らの足跡を味わえる。


初期の代表曲<LUCKY>。この曲では中村・フルカワがボーカルをきれいに半々に分け合っています。







sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

U2 『NO LINE ON THE HORIZON』

HORIZON






ロック界の学級委員U2
スケール感衰えぬ最新アルバム


巨大なエンジンを積んだ超重量級の戦車が、
排気音を大地に響かせながら近づいてくる、そんな感じだ。

『JOSHUA TREE』の<WHERE THE STREET HAVE NO NAME>にしても、
『ALL THAT YOU CAN’T LEAVE BEHIND』の<Beautiful Day>にしても、
このバンドのアルバム1曲目はいつも圧倒的なスケール感で始まる。
2009年2月にリリースされたニューアルバムである本作。
その1曲目、タイトル曲でもある<NO LINE ON THE HORIZON>を聴いたときも、
「これぞU2だ!」と嬉しくなってしまった。

世界中のメディアとリスナーがその一挙手一投足に注意を払う、ロック界の巨人U2。
しかし、「大物」と呼ばれるアーティストは数多いるものの、
サウンドに込められたスケール感という点では、U2は他の追随を許さない。
4人とももうすぐ50歳というのに、
このおじさんたちは世界を丸ごと呑み込もうとするかのようにエネルギッシュで貪欲だ。

U2はものすごく、「真面目」なバンドである。
それは、例えばボノの一連の慈善活動であったり、
戦争や貧困を題材にした曲を数多く歌ったりといった表層的なアクションを指して言うのではない。
それらはあくまで彼らの真面目さの結果と見るべきだろう。
U2の真面目さとは、音楽によって世界とつながろうという愚直なほどストレートな姿勢のことであり、
しかもそれを30年もの間一貫して崩さないタフさのことである。

彼らの曲には恋の歌もあるし、家族の歌もあるし、
なかには抽象的で何を言っているのかさっぱりわからないような歌もある。
だがその根底には、音楽で世界を変えようと考えるほど楽天的ではないにしても、
少なくとも音楽を現実世界との交感によって作り上げようという意志がある。
彼らにとって音楽は快楽原理で鳴らすものではなく、また職人にのみ理解しうる技巧品でもなく、
世界の現実とコミットするための手段なのである。

正直で頑固で、しかもロマンチスト。真面目というよりも、
“生真面目”というニュアンスに近いのかもしれない。
だが、彼らの持つ巨大なスケール感は、そんなクラスの学級委員のような生真面目さの表れなのである。


この『NO LINE ON THE HORIZON』はU2の通算12枚目のアルバム。
前作『HOW TO DISMANTLE AN ATOMIC BOMB』から、およそ4年半ぶりの新作である。

話題作なのですでにいろいろな場所で語られているのだが、
僕の感じた印象としては、前作『HOW TO〜』の雰囲気に近いかな、という感じ。
ただ、やはりと言うか、
2作ぶりにプロデューサーに復帰したブライアン・イーノのカラーが強く出ているように思える。
彼がサイケ・ロックを作ったらこうなりました、というようなアルバムである。

だがカラフルな音色とは裏腹に、全体を覆う雰囲気はなんとなく重たい。
歌詞に大きな変化はないものの、音の密度が濃くて、
厚い壁が四方に屹立しているような、ハードな空気がある。
ロックンロールのうち、前作が「ロール」の部分が強く打ち出されたアルバムだとしたら、
本作は反対に「ロック」的な志向性を持つ作品と言えるかもしれない。

硬質な曲が目立つなかで、
今回唯一のセルフ・プロデュース曲であるラスト・ナンバー<NO LINE ON THE HORIZON 2>は、
ドラムとベースがパワフルに炸裂する、バンドとしてのU2が体感できるロック・チューンだ。

それにしても『NO LINE ON THE HORIZON』だなんて、なんて“マジメ”なタイトルなんだろう!


シングル・カットもされた<GET ON YOUR BOOTS>のPV

タイトル曲<NO LINE ON THE HORIZON>。こちらはスタジオでのライヴ風景





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

Perfume 『GAME』

game1





アイドルでもアーティストでもない
Perfumeとは「コンセプト」のことである


2年前か3年前か、はっきりとは覚えていないのだけど、
友達数人とカラオケに行ったときのこと。
酔っ払って疲れていたのか、一人が歌い終わったら休んで、しばらく経ったら次の人、
という具合の極めてまったりしたカラオケだった。
僕はまばらな曲予約の合間あいまにモニター画面に流される、
アーティストのインタビューやコメントをボーっと眺めていた。

その映像のなかにPerfumeがいた。
確か「新曲が出ました」とか、そういう内容だったと思う。
衣装も喋り方もちょっと野暮ったくて、そのときは彼女たちがまさかこんなに人気者になるとは思わなかった。

3人とも若いので、てっきりデビュー後いきなり売れたかのようなイメージがあるが、実は意外と苦労人。
結成は2001年。まだ彼女たちが小学生の頃だった。
インディーズでCDを出しながら、
デパート屋上のイベントやレコードショップの店頭などでライヴを行う下積み時代が長く続く。

そんな彼女たちがついにブレイクを果たしたのが2008年。
シングルのオリコンチャート首位獲得、ライヴ会場は中規模ホールからついに武道館へ、
そして年末には紅白出場と、人気を一気に全国区にした。
そんな文字通りサクセスストーリーな1年の幕を切って落としたのが、このセカンドアルバム『GAME』である。
オリジナルアルバムとしては初になるが、
全12曲の大半がタイアップ曲なので、実質的にはベストアルバムに近い豪華さだ。


Perfumeのおもしろさは、“ありそうでなかった”感だと思う。
音楽のジャンルが、ということではなく、彼女たちの存在そのものが既存の枠では捉えがたい。

まず、彼女たちに「アイドル」というカテゴリーは当てはまらないだろう。
男性をターゲットにすることはあっても、そこには男の妄想やフィクションに媚びるような気配がないからだ。
<チョコレイト・ディスコ>に見られるように、
むしろ彼女たちは女の子っぽさを「女の子っぽさ」という一つのモノとして逆手に取り、
ちょっぴりギャグっぽくアウトプットしているようなところがある。

かと言って、「アーティスト」というのもしっくりこない。
楽曲は全てプロデューサーの中田ヤスタカの手によるものであり、
そこに彼女たち自身の意思やメッセージといったものは介在しない。
そもそもパフォーマーとしてのPerfume自体、
ジェスチャー的で物語仕立てのようなダンスにしても、加工されたボーカルにしても、
生身の体温が欠落している。

つまり彼女たちには実体がないのだ。
3人は電子的なテクノサウンドによって映し出された幻影に過ぎない。
全ては用意周到に仕組まれた演技。
Perfumeというのはアイドルでもアーティストでもなく、コンセプトのことなのである。

だが、その一方で、トークなどで見られる3人のパーソナリティは非常にユニークで、
普通の日常を過ごす女の子としての体温が感じられる。
その落差がまたさらにおもしろい。
そういった意味では、彼女たちは単純なマリオネットではなく優れた天然の役者であり、
Perfumeという極めて知性的な遊びを煽るプレイヤーと呼べる。

タイトル曲<GAME>で歌われる、
「Play the GAME, try the new world」
という歌詞は、Perfumeという存在を比喩した、ある種の宣言文のように聞こえる。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
記事検索
プロフィール

RayCh

twitter
読書メーター
ReiKINOSHITAの最近読んだ本
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ