週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

R.E.M. 『AUTOMATIC FOR THE PEOPLE』

automatic





暗く静まり返った部屋に
優しさを灯す音楽


今回も引き続きR.E.M.の紹介。

前回書いたように、このバンドはたくさんアルバムをリリースしているうえに、
それぞれカラーが異なるので、例えば
「どのアルバムから聴いたらいい?」
と質問されると答えに窮する。

彼らのキャリアのなかでもっとも売れたアルバムは、
1991年にリリースされた7枚目『アウト・オブ・タイム』である。
気持ちのいいメロディーとコーラス、クールなギターリフといった
華やかなギターロックに彩られたこのアルバムは、
全米全英1位、1,000万枚という驚異的なセールスを記録し、
R.E.M.が名実ともに世界のトップバンドとして認知された記念碑的作品だ。

そして、その1年半後にリリースされたのが、
この8枚目『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』である。
前作のバンドサウンドから一転、アレンジをアコースティックなテイストに施した本作は、
静謐で内省的な世界観を構築している。

キャリアの絶頂期にありながら、これまでの作風を踏襲せずに、
このようなモノトーンのアルバムを作ったところが意外である。
だが、エレキギターをアコースティックギターに持ち替え、
ピアノやストリングスを大幅に取り入れたことで、
R.E.M.の核である優しさや孤独といったミニマムな魅力が、
より繊細に、より剥き出しにされている。
その点で、僕は『アウト・オブ・タイム』よりも、
この『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』の方が“R.E.M.的”だと感じるのだ。

このアルバムを聴くときに注意しなければならないことが一つ。
それは、1曲目<ドライヴ>の異様なまでの暗さだ。
一般的に言えば、1曲目はアルバムの顔であり、
相応のキラーチューンが用意されているはずである。
なのに<ドライヴ>は、まともに聴けばおそらく気が滅入るであろうほどに陰鬱。
中盤あたりに配されているならまだしも、冒頭にいきなりこれはキツい。引いてしまう。
なので、このアルバムを聴く機会があれば、
1曲目はじっとガマンしていただきたい(2曲目から聴けばいいんだけど)。
これを乗り越えれば、以降ラストまでひたすら名曲が続く。

「誰だって傷つくし、誰だって泣くのだから、諦めちゃいけない」
と歌う<エヴリバディ・ハーツ>、
「全てが取るに足らないささやかな人生だけど、愛おしさだけはいつまでも失われない」
と歌う<スウィートネス・フォローズ>といった、
マイケル独特のペシミスティックな視点で書かれた応援ソングや、
<イグノーランド><マン・オン・ザ・ムーン>といったシニカルの効いた曲を経て、
ラスト<ファインド・ザ・リヴァー>で、一人ひとりの人生を祝福し、
「出発の時が近づいている」と旅立ちを促して、アルバムを締めくくる。

マイケル・スタイプは、政治や貧困など、
世界情勢を題材としたプロテストソングを多く書いてきたソングライターだが、
このアルバムでは個人の内面を描いた楽曲が目立つ。
しかし、最後に旅立ちを宣言する彼の視線の先には、元の広漠たる現実の世界があるようだ。
次のアルバムでは、彼は再びシリアスな楽曲を作り始める。
この『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』は、
例えば夜眠る前、明日もう一度現実世界に戻ることにくじけそうになる、
そんな一瞬に向けて作られたアルバムだ。
一曲一曲が、暗く静まり返った部屋の中に、温かな星を灯す。

もうすぐ4月5日がやってくる。
15年前のこの日、自宅で猟銃自殺をしたカート・コバーンが死の瞬間まで聴いていたのが、
この『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』だったという。


ライヴで<エヴリバディ・ハーツ>を演奏するR.E.M.

R.E.M. 『MUR MUR』

murmur





一人ぼっちなのは、
君だけじゃないんだ。


昨年後半にもっとも聴いたのが、先週紹介したザ・フー。
そして今年に入ってから僕が一番聴いているのがR.E.M.(アール・イー・エム)だ。
この『マー・マー』は彼らのデビューアルバムである。

R.E.M.は1980年にアメリカ南部、ジョージア州で結成された4人組のバンド。
現在は一人抜けて3人だが、四半世紀以上経った今もバリバリの現役であり、
2007年にはロックの殿堂入りを果たした。
特に評論家やミュージシャンからの評価が高く、
カート・コバーンやトム・ヨーク、デーモン・アルバーンなどをはじめ、
多くの後進たちがR.E.M.へのリスペクトを口にしている。
かの村上春樹もこのR.E.M.がお気に入りらしい。

とはいえ日本では、ニルヴァーナやレディオヘッド、ブラーたちに比べて、
どうもあまり浸透していない気がするのだが、それはファンのひがみだろうか。

確かにあまりキャッチーなバンドではない。
音が身体の奥底にまで沁み込むには、時間がかかるタイプのバンドだ。
だが、一歩その世界に踏み込むことができれば、
彼らの音楽はずっと一緒に寄り添える存在になりうるだろう。

R.E.M.はアルバムをリリースするたびに音楽性を明確に変えるので、人に勧める時には非常に迷うのだが、
一貫して共通しているのが、どこか静かに漂う優しさだ。
鼓舞するわけでもなく、かと言って安っぽく絶望を叫ぶわけでもなく、
傷跡にそっと触れるような、極めてパーソナルな部分をギュッと抱きとめる包容力に満ちている。

この『マー・マー』がリリースされたのは1983年。
前年にはあの『スリラー』が世界を席巻し、
同年にはカルチャー・クラブの『カラー・バイ・ナンバーズ』がヴィジュアルカルチャーの到来を告げ、
さらに翌年にはヴァン・ヘイレンが<ジャンプ>を収録した『1984』をリリースする。
本来サブカルチャーであったロックが大衆娯楽へと変わっていくのが、ちょうどこの80年代前半だ。
そんなエンターテイメント化するロックに馴染むことができず、
その隙間にポツンと取り残されるしかなかったのが、このR.E.M.である。

シンプルなメロディラインやドラムとベースの早いビート感などに見られるパンクの影響と、
米南部という土地柄なのか、カントリーミュージック的なアコースティックさが混ざり合ったR.E.M.の音楽は、
奇妙で独特で、上記のような同時代のアルバムと聴き比べると、いかに彼らが異端であるかがわかる。

マイケル・スタイプの歌声は、
英語圏の人でさえ歌詞が聞き取れないと言われるほどボソボソとして投げやりだ。
それは当時の音楽シーンのどこにも居場所が見つけられないという孤独と怒りの表れであり、
だからこそ自分の好きな音楽で自分の場所を手に入れたいという、ひたむきな祈りでもある。
彼らの奏でる不安と憂鬱さは、だからこそ澄んだように優しく響く。

音楽シーンの隆盛から一定の距離を置き、アンダーグラウンドなロックを切り開いたR.E.M.。
彼らの独自の進化の道は、やがて90年代初頭にニルヴァーナやレディオヘッドを生む
「オルタナ」への扉をこじ開ける。


R.E.M.が初めてテレビに出演した時の映像。演奏しているのはデビュー曲<ラジオ・フリー・ヨーロッパ>。
現在はスキンヘッドのマイケル・スタイプだが、まだこの時は髪の毛がフサフサしていて若々しい。

THE WHO 『SELL OUT』

sell out
4人の遊び心が爆発
全編がラジオ番組形式の企画アルバム


 前項に引き続き、ザ・フーの紹介。実はザ・フーの魅力が本当に花開くのは、前項で紹介したファーストアルバム『マイ・ジェネレイション』ではなく、2枚目の『クイック・ワン』からである。ピートのソングライティングもキースのドラムも、これ以降一気に花開く。今回紹介する『セル・アウト』は、1967年にリリースされた3枚目のアルバムで、ザ・フー初期の傑作である。

 このアルバムは、全編が架空のラジオ局「ラジオ・ロンドン」の番組、という形式になっている、一種のコンセプト・アルバムである。曲間にDJによるMCが入ったり、コマーシャルのようなものが挿入されていたりして、聴いていておもしろい。

 元々はリーダーのピート・タウンゼント(ギター)が、曲間に広告スペースを作って、本物の企業のCMを入れようと考えたのが発端らしい。

 ピートはソングライターとしてもプレイヤーとしても稀有な才能を持っているが、同時に彼はおもしろいアイディアをひねり出す企画屋でもある。実際、この“アルバム内コマーシャル”というアイディアを思いついたときも、広告代理店に企画を打診してピート自身が出向いてプレゼンをしたというから、彼の役割は単にバンドのリーダーというよりも、イベントの幹事、といった方が適当かもしれない。

 もっともこの企画は代理店に一蹴されてしまうのだが、あくまで当初のコンセプトにこだわる4人はCMやMC部分も自分たちで作ることにした。本物の、例えばコカ・コーラなんかのCMが入っていたら、それはそれで聴いてみたかった気もするけれど、結果としては全て自前で賄ったことで、4人の遊び心が隅々にまで行き渡ったアルバムとなった。

 たとえばジャケット。4人が架空の肌クリームや缶詰を手にして、広告写真よろしくニコッと構えている写真は、「くだらねー!」と突っ込みたくなる。実はそれらの商品の名前は、そのまま収録されている曲のタイトルと一緒で、各曲はその商品の宣伝のような内容になっている。

 上にあるジャケット写真の左側、ピートが手にしているピンクのデオドラントの名前は、4曲目<オドロノ>。曲中では、明日のスターを夢見る若い女性シンガーの苦労と挫折の物語が歌われる。彼女は成功を目前にするが、体臭が原因で大事なステージをキャンセルされてしまう。ラストのフレーズが、「だから言わんこっちゃない、オドロノを使えばよかったのに」。ザ・フーにはこういう、本気なのかギャグなのかよくわからない感じがものすごく多くて困る。

 だが<オドロノ>の前半のように、ストーリーのある、ある種小説のような歌詞で曲を作らせたら、ザ・フーは同世代のどのバンドよりも巧い。ピートはロックにミュージカル的な曲展開を融合させ、それまでのポップミュージックにはなかった、スケールの大きな物語性を発明した。彼のそういった才能は、『セル・アウト』以前にも演劇風の楽曲<ハッピー・ジャック>や<クイック・ワン>などに見られ、後にはアルバム『トミー』において、「ロックオペラ」という手法を生み出すに至る。彼はイベントの幹事であり、さらには物語作家をも兼ねているのだ。

 セットを破壊する破天荒さやプレイのパワフルさに見られる肉体的な部分と、その180度逆ともいえる、物語性に満ちた文学的性格。2つの正反対の性質を併せ持っているところがザ・フーの面白いところである。それも、極めてナチュラルに、である。ビートルズもストーンズもどちらかに偏らざるをえなかった。やはりしたたかで天然の末っ子ザ・フーはすごい。


<ハッピー・ジャック>のPV。『セル・アウト』には収録はされていないのだが、彼らの物語的な音楽性が感じられる一曲。ケーキまみれのピートとキースが可愛くてキタナイ。

THE WHO 『MY GENERATION』

my generation




明るくって、少しバカ
ロック史上最も愛嬌のある4人組、THE WHO!


2008年の後半、おそらく僕がもっとも聴いた曲はザ・フー<マイ・ジェネレイション>だ。
ロックのクラシック中のクラシックであり、永遠のキラーチューン。
カバーしているアーティストは挙げたらキリがないだろう。
オアシスのライヴDVDを観ていたら、
ラストに自分たちの曲ではなく、<マイ・ジェネレイション>を演奏していた。
この曲をタイトルに冠した『マイ・ジェネレイション』はザ・フーのファーストアルバムである。

ザ・フーはビートルズローリング・ストーンズと並んで“イギリス3大バンド”に数えられる、
ロック史を代表するバンドだ。
(ちなみにこれにキンクスを加えるとイギリス4大バンドになるらしい)

ビートルズ、ストーンズ、ザ・フー。この3者の関係は、ちょうど兄弟のようである。
長男(ビートルズ)は天才肌で女の子にもモテる人気者。
そんな長男を尊敬しつつ密かにコンプレックスをもつのが、秀才肌の次男(ストーンズ)
そして三男(ザ・フー)は、ストイックにロックの可能性を追求する兄二人を横目に見ながら、
楽しけりゃいいじゃん」と自分の好きな音楽を演奏することだけに熱中している。

後期ビートルズのような求道者的な難解さ、
60年代ストーンズのアウトローさといったものは、彼らにはまったくない。
末っ子特有の底抜けの楽天性が、三男ザ・フーの魅力だ。
その分何がしたいのかよくわからない失敗作も数多くあるのだが、
それでも「ま、いいか」「オールOK」みたいな気にさせてしまう愛嬌がこの三男にはある。

究極のポジティビティを支えているのは、非常に高い演奏技術だ。
ギターのピート・タウンゼントはリズムカッティングとメロディプレイを同時にやってのける、
いわゆるパワーコードを弾かせたら右に出る者はいない。
「リードベース」と称されるジョン・エントウィッスルのベースは時にハイポジションでザクザクした旋律を奏で、
時にローポジションでゴトゴトというような不気味な重低音を鳴らす。
ドラムのキース・ムーンに至っては、驚異的の一語に尽きる。
ドラムというよりもパーカッションであるかのように、
ズダダダダッと高密度のリズムを猛烈なテンションで叩き倒す。
ボーカルのロジャー・ダルトリーがけっこう陰気なことを歌っていても、
バックのサウンドが最高にエネルギッシュなので決して湿っぽくはならない。

そんなザ・フーのライヴにおけるパフォーマンスは、
まさに「史上最高の最低バンド」と呼ばれるに相応しいハジケっぷり。
ピートはこれまでに一体何本のギターを破壊し、何台のアンプをダメにしたのだろうか。
デビュー直後、あるテレビ番組で<マイ・ジェネレイション>を演奏したザ・フーは、
曲のラストに暴れに暴れ、最後にキース・ムーンが爆竹でドラムセットを吹っ飛ばした(下のリンクで観れます)。
もはやまったく意味がわからないのだけれど、
そんなところも「よくわからんがOK!」と思わせてしまうのがこの4人組なのである。

ロック史的に言えば、モッズの祖、パンクの源流と言われるザ・フーだが、
例えば前述の大暴れするパフォーマンスにしても、
パンクロックのそれは社会や既存の音楽といった特定の対象に対する反逆の表現であったのに対し、
ザ・フーの大暴れは文字通りの「大暴れ」であり、
政治的なメッセージも何もない、溢れ出るエネルギーの暴発である。
だが、刹那的でアホだからこそ彼らには憎めない愛嬌があり、
ピュアだからこそ彼らには普遍的な輝きがあるのだ。


TVで<マイ・ジェネレイション>を演奏する4人。最後にはドラムセットが爆発!







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THE TING TINGS 『WE STARTED NOTHING』

ting tings





だんだん耳から離れなくなる
“ひねくれ者”のエレポップ


前項メイツ・オブ・ステイトに引き続き、今回紹介するのも2人組バンド。
2006年に英マンチェスターで結成された、ザ・ティン・ティンズ

小さなプライベートパーティーなんかを会場にライヴをしたりと、
初めはかなりインディーズなところで活動を開始したところ、
あれよあれよと言う間に人気が広がって、07年には英国でメジャー契約。
さらには米国のリック・ルービン(ビースティ・ボーイズやレッチリを手がけた音楽プロデューサー)
から直々のオファーを受け、
ティン・ティンズは結成してわずか1年で英米2カ国別々に原盤契約をするという、
異例の形でのメジャーデビューを飾った。
NMEなどの各紙も彼女たちを大きく取り上げ、
最近では「Brit Award 2009」(英国のグラミー賞、今回は以前紹介したダフィーが最多部門受賞した)でも、
U2コールドプレイとともにパフォーマンスを行った。

そんなティン・ティンズのファーストアルバムがこの『WE STARTED NOTHING』
ジャケットだけ見ると(ちなみに写真は英国版。米国版は2人の写真が載っていないシンプルなもの)、
パンクやガレージっぽいけれど、実際の音は全然違う。

エレポップと類される彼女たちの音楽は、弾けるようなポップ&ロック。
勢いのある曲が多いので、サビだけ聴くと最初はティーンズポップのような印象を受けるのだが、
アルバムを通して聴くと、既成の枠には収まるまいとする彼女たちの“ひねくれ”が随所に見られる。

言葉で説明すれば、ダンスミュージックっぽいクールなビート感の上に、
ギター・ドラムという生楽器とエレクトリックな音色を同時に乗っけた、というだけなのだが、
これが不思議と微妙にありそうで微妙にないようなテイストなのだ。
そんな微妙なところを探して突いてくる“ひねくれ”がフックになって次第に耳から離れなくなる。
知らず知らずのうちに魔法にかかったような感覚が気持ちいい。

そもそもデビューアルバムでありながら、
タイトルを『WE STARTED NOTHING』とつけるあたりからしてひとクセありだ。
実は2人とも、以前に別のバンドを組んでおり、レコード会社と契約まで結んだものの、
形だけのまま干されてクビになってしまった経歴を持つ。
自分たちは“新人”ではないという気骨が、
私たちは別に何かを始めたわけじゃない(元からやってたよ)」というメッセージから窺い知れる。

メンバーはボーカルのケイティ・ホワイトと、
ドラムをはじめ何でも弾けるマルチプレイヤーのジュールズ・デ・マルティーノ
特にケイティは、ブロンドでスタイルもよく声もキュートなのに、
その目はいつも全てを見透かすようにクールで、
わざとピッチを外したような歌い方をする、鼻っ柱の強いフロントウーマンだ。
デビューシングル<THAT’S NOT MY NAME>では、
たくさんの女性の名前を連呼しながら、「それは私の名前じゃない」と歌い続ける。

甘っちょろい恋の歌など皆無。
ケイティの歌はいつも自立を促す曲ばかり。
彼女が口にする“YOU”とは、 “愛しい貴方”ではなく、常に“諸君!”というニュアンスなのである。

ひねくれに見えるのは、実のところ強い自負心に裏打ちされた彼女の強烈なポジティビティなのだ。
最近流行りの草食男子たちから見ればきっと眩しくて仕方ないだろう。








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