bill douglas





ケルトの旋律が
地上に遍く朝日を照らす


2001年の12月、僕の所属する劇団theatre project BRIDGEは、
初のオリジナル作品となる『Goodbye, Christmas Eve』を上演した。
この作品はタイトルの通りクリスマスが大きなキーワードになっていた。
演出を担当していた僕は、劇中使用曲にケルト音楽を使おうと考えていた。

僕はタワーレコード渋谷店の5階にあるワールド・ミュージックのコーナーに足繁く通って、
「ケルト」「アイルランド」と名の付くものは片っ端から聴き漁り、
さらには他の北欧音楽やニューエイジにまで手を広げ、とにかく毎回3,4時間はそのコーナーをうろついた。
さぞかし鬱陶しい客だったと思う。
ちなみに、同じフロアにはジャズのコーナーがあって、
以前本稿で紹介したakikoは、ちょうどその頃に出会ったアーティストである。

ある日、いつものように散々試聴して、そろそろ出ようかと思った僕は、
最後に新譜の試聴コーナーへ向かった。
そこに置かれていたのはジャズやブルース、カントリーのCDがほとんどで、
なんとなく眺めていただけだったのだけれど、そのなかに1枚、ハッと目につくジャケットがあった。

それは広大な針葉樹の森に陽光が差し込んでいる神秘的なイラストだった。
タイトルから察するにその光は朝日。
たしかによく見ると朝霧が森を覆っている。
その景色は、かつて僕が高校時代にこの目で見て衝撃を受けた、
アメリカのグランド・キャニオンの光景とどこか似ていた。

それが、ビル・ダグラスの『A Place Called Morning』だった。


このアルバムのなかにあるのは、ピアノにヴァイオリン、チェロにクラリネット、
フルートにファゴット、そして聖歌隊のコーラス。
ジャンルとしてはニューエイジに類されるのだろうが、
例えばアディエマスやエニグマなどのシンセ主体のニューエイジ・ミュージックとは違い、
生の楽器による質感は、むしろクラシックに近い。

そしてまた、何年か前に話題になったコンピ・アルバム『イマージュ』のような、
脆弱なヒーリング音楽とも全く異なる。
楽器の音色は、何かに祈りを捧げているような透明な緊張感を孕み、
聖歌隊のコーラスはまるでレクイエムのように硬質で、その旋律は哀しく儚い。
耳あたりのよさよりも、全体にある種の厳しさのようなものを湛えている。

この作品には、実はケルト音楽が血となって流れている。
現代音楽家ビル・ダグラスはクラシックやジャズを学び、
さらにケルトをはじめアフリカやインディアンなどのルーツ音楽への造詣が深い。
どこか哀しく郷愁を誘う旋律は、ケルト・フォークの影響だろう。
確かにジャケットに描かれた朝の森は、南国ではなく、北方の大地に広がる針葉樹の森だ。

タイトルにある「Morning」とは、決して爽やかな気持ちやリラックスの比喩ではない。
このアルバムで描かれているのは、森や川、山や谷に訪れる朝そのもの。
そこには単なる「1日の始まり」ではなく、46億年の間絶えず育まれてきた、
生命そのものの厳粛な美しさがある。

このアルバムを聴いていると、音楽というものの神秘を改めて感じることができる。
それは、言葉では表現できないものを、
音楽はいとも簡単に抽出し、表現し、昇華させてしまうという素朴な感動である。

文字を持たなかったケルト人は、自身の歴史や文化を全て口承だけで伝えてきた。
自然のことや生命のこと、世界の有り様を、彼らは神話と音楽だけでずっと表現してきたのである。








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