variety





「椎名林檎+バックバンド」が
「東京事変」へと進化した一枚


東京事変が2007年にリリースした3枚目のアルバム。
「娯楽」と書いて「バラエティ」と読む。

ソロ、バンド問わず、これまで椎名林檎が関わってきた音楽は、
彼女の世界観を第一義とし、それをひたすら追求してきた。
アレンジ・ワークには亀田誠治をはじめ、さまざまなミュージシャンが関わってきたものの、
作詞作曲を椎名林檎自身が担当してきたことはほぼ一貫していたため、
核の部分は常に“椎名林檎ワールド”からブレなかったわけである。

だが、この『娯楽』では、彼女の担当は数曲の作詞だけに絞られ、
他はすべてバンドのメンバーに委ねられた。
そのため個々の楽曲の印象も全体の肌触りにおいてもこれまでの作品とは一線を画し、
タイトルの示す通りいつになくバラエティに富んだアルバムとなったのである。

“椎名林檎ワールド”が好きな人には物足りないのかもしれない。
だが僕は彼女の音源のなかではこの『娯楽』が一番好きだ。

椎名林檎は非常にキャラクターが強い。
彼女の音楽に接するとき、椎名林檎というキャラクターと楽曲とを切り離して聴くことは難しい。
もちろんそれはどのアーティストにも大なり小なり言えることなのだが、
彼女の場合はレベルが違っていて、
曲を聴くときには常に彼女自身の人格を生々しく想像することが強いられるように思う。

これはつまり、椎名林檎の音楽を好きになるか嫌いになるかは、
彼女の人格を受け入れられるかどうかにかかっていることを意味している。
僕はおそらく受け入れられなかったタイプなのだと思う。
もちろん嫌いではないし、むしろ好きになろうと(彼女を受け入れようと)努力をするのだが、
どうもフィットしなかったのだ。

逆に言えば、椎名林檎の音楽を聴くにはそれだけの“純度”を必要とするということなのだろう。
僕がこのアルバムが好きだと思えたのは、作詞作曲が彼女の手から離れたことで、
これまで飛び越えられなかったハードルが一段低くなり、門戸が開かれたからなのだ。

このアルバムにおける椎名林檎は、いわば「モチーフ」である。
詞と曲を他人からあてがわれる純粋なボーカリストに徹し、そ
の声と築き上げてきたキャラクターを客体化しようというのがこのアルバムの目論見だ。

結果、この試みが奏功したのは、ボーカリスト椎名林檎の新たな魅力が見えたということもあるのだが、
それ以上に初めてこの5人が「椎名林檎+バックバンド」ではなく、
「東京事変」という固有のバンドになったことだと思う。

この作品を聴くまでは、正直ソロ時代も東京事変も大差ないじゃないかと感じていたのだが、
彼女が1人のボーカリストとなったことで、
また、ソングライティングをメンバーが担当したことで、
前作とは打って変わって全体感と躍動感が生まれている。
<ミラーボール>や<メトロ>のようなファンキーなノリの曲なんて、
これまでならありえなかったんじゃないだろうか。

今月24日には6年ぶりとなるソロアルバム『三文ゴシップ』がリリースされる。
この『娯楽』でだいぶ免疫ができたので、今度の新作には果敢にチャレンジしてみたい。




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