万里の波濤の果てに
「王国」を手にしようとした男


 よほど日本史が好きな人か、あるいは大学受験などで集中的に日本史を勉強した人でなければ、山田長政の名前すら聞いたことがないだろう。17世紀初頭、単身アユタヤに密航し、そこで日本人町の頭領となり、さらにはリゴール地方の太守となった人物である。その山田長政が、この『王国への道』の主人公である。

 時代は江戸幕府が成立して間もない頃のこと。戦乱の世は終わりを告げ、身分秩序と幕藩体制という、全国的な社会基盤が徐々に出来上がり始める。だが、社会の安定化は、足軽などの下級武士にとっては立身出世の機会を失うことを意味していた。戦がなければ手柄を立てることもできない。「一国一城の主」など夢のまた夢である。百姓になるか職人になるか、いずれにせよ小規模な人生のまま一生を終えるしかなくなるのだ。

 藤蔵(後の長政)はそんな日本に見切りをつけて、一か八か、外国で一旗挙げようと決意する。彼は江戸幕府による切支丹禁制により国外に追放される切支丹信者に混じって、密出国をするのである。

 マカオを経て、さらに船旅を重ねて藤蔵がたどり着いたのはアユタヤ(現在のタイに栄えていた王朝国家)だった。当時アユタヤには、主君を失い流浪してきた戦国武士などを中心に日本人町が形成されており、隣国ビルマとの戦争の折になど、日本人は傭兵としてアユタヤ王朝に出仕していたのである。藤蔵は持ち前の機転と胆力を武器に、徐々に頭角を表し始める。


 まず「山田長政」という、神秘的なベールに包まれた人物の半生が描かれているという時点で、日本史好きにはたまらない。長政についてはほとんど資料が残されていないそうだが、それもそのはずで、アユタヤなんていう国が世界にあるなどということを、当時の日本人のほとんどは知らなかった。だからこそ、山田長政という人物のスケールのでかさに圧倒される。現代の日本人が外国で起業する、なんていうのとは訳が違う。

 前半は、長政が野望の赴くままにアユタヤで着実に権力を得ていく様子が描かれる。その姿は、「ビッグになる」という、日本の侍にとって永遠の、そしてもはや失われてしまった夢を、単身外国で追い求めているかのようでロマンを感じる。

 アユタヤ王朝は、権力にすがる者たちが張り巡らす讒言虚言の罠だらけ。ちょっと可笑しくなってしまうくらいに、胆に一物を抱えた“悪い奴”がたくさん登場する。そのなかで、自身も策謀の限りを尽くして、日本人傭兵軍団の長となった長政だったが、やがてそういった権力の争いに空しさを覚え始める。そこから、この物語のテーマが徐々に見え始めるのである。

 実は『王国の道』にはもう一人の主人公とも言うべき人物がいる。日本を追われた日本人の切支丹信者、ペドロ岐部である。岐部と藤蔵は、国外退去(藤蔵にとっては密出国)の際に、同じ船に乗り合わせた仲だった。岐部は日本国内に残った信者を救うため、捕縛され極刑に処せられるのも厭わぬ覚悟で、日本への帰国を果たすのである。

 長政が夢描いた、富と力に満ちた「地上の王国」と、岐部が追い求めた、神に殉じる「天上の王国」。この二つの王国の対比が物語のテーマをあぶり出す。


※次回更新は8月10日(月)予定です