ooparts






オルタナ、だけどポップ!
記念作、だけど意欲作!


先週リリースされたピロウズのニューアルバム『OOPARTS(オーパーツ)』。
今年結成20周年を迎え、ライヴ2本を同時収録したDVDのリリース、初のアコースティックライヴの開催
対バンツアー、そして初の武道館ワンマンとイベント盛り沢山の彼らが、満を持して新譜を発表した。

昨年リリースした前作『PIED PIPER』が、
濃いめのロックチューンばかりを凝縮した非常に勢いのあるアルバムだったので、
「アニバーサリー・イヤーは来年なのに、今こんなに完成度の高いアルバムを作っちゃっていいのかな?」
と思ったものだった。

ピロウズは『Please, Mr.Lostman』(‘97)以降、
ほぼ毎年1枚のペースでアルバムをリリースしている。
片足をオルタナに、もう片方の足をポップに突っ込んで、
アルバムごとに微妙に重心を変えながら1枚ごとに肌触りの異なる作品を作ってきた。
初めて聴くとどの作品にも差がないように見えるかもしれないが、
実はアルバムごとにコンセプト(その時その時のメンバーの嗜好)が存在するのである。

ここ数年の傾向を見るに、僕のなかではなんとなく、
新作はポップ寄りのアルバムが来るのかなと予想していたのだが、見事に裏切られた。
『OOPARTS』は彼らのキャリアの中でも1,2を争うくらいにオルタナなアルバムに仕上がっていた。

“オルタナ(=alternative)”という言葉について。
これは一口ではなかなか上手く説明できないのだが、
本来の意味はその名の通り「亜流の」「主流ではない」といったところだ。
音楽用語として一般に広く使われるようになったのは90年代初頭あたりからだろう。
ソニック・ユースやニルヴァーナの登場がきっかけだ。
伝統的なコード進行や音の配置を敢えて崩した彼らの実験的な音作りには、
従来にはなかった音楽的興奮や面白さ、インパクトがあった。
それら新たなタイプのロックを総称して“オルタナ”と呼ぶようになったのである。

言い換えれば、オルタナは「カントリー」「レゲエ」といったような音楽的なジャンルの呼称ではなく、
実験精神や新たな発想法、そのようなアーティストのアティチュードのあり方なのである。
この辺りがオルタナの定義づけを難しくさせている理由なのだが、
ともあれもたらした影響は大きく、例えば今日の日本インディーズロックシーンの多種多様性などは、
オルタナの生んだ「何でもアリ」という発想がなければ存在しなかっただろうと思う。

元々はUKギター・ロック色の強かったピロウズがオルタナ・バンドへと変貌していったのは90年代後半から。
ボーカル山中さわおがレディオヘッドやブリーダーズといったコテコテのオルタナ・バンドと出会い、
その影響を瞬く間に血肉化していった。
そういった意味では、彼らはオルタナそのものを生み出したバンドではなく、
オルタナというものを対象化し、再解釈した“オルタナ第2世代バンド”である。

ただ、山中が優れていたところは、
ひょっとすればコアなロック・ファンにしか浸透しないマニアックなロックであったオルタナを、
ポップ・ソングに昇華し続けたところである。
レディオヘッドは聴けないけどピロウズは聴ける、という人は多いはずだ。

新作『OOPARTS』は、『HAPPY BIVOUAC』(‘99)以来のオルタナ色満載のアルバムで、
アニバーサリー・イヤーに敢えてこのような挑戦的なアルバムを発表した若々しさは素晴らしいが、
しかしそれ以上にすごいと思うのは、それでもなおしっかりとポップネスを失っていないところだ。
ピロウズの後半10年間は、まさにオルタナと一般リスナーとの橋渡しだった。
そう考えれば、このタイミングでこのアルバムというのは非常に納得できるし、意義深さを感じられる。










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