hikozo
日米間を漂流し続けた
一人の男の数奇な運命


 先週の土曜日、バンクーバー五輪の開会式を見た。夏季冬季の区別なく僕はオリンピックが好きなので、いつもわりと熱心にテレビを観る。スポーツが好きというよりも、あの巨大なイベント感に魅かれるのだと思う。だから開会式と閉会式は録画してでも欠かさずに観る。特に好きなのは各国選手の入場の場面で、髪の色も肌の色も違う人たちが続々と登場する様は、まるで世界そのものが一ヶ所にギュッと集まってきたように感じられて、否が応にも興奮する。

 それと同時に、世界には色んな国があるのだなあと改めて実感する。名前だけしか知らない国、名前も知らない国が出てくるたびに、地図帳を取り出して調べてみるのが楽しい。特に冬季の場合、それが砂漠の国だったり熱帯諸島の国だったりすると、選手がスタジアムを行進しているだけで強烈なドラマを感じる。

 だがその一方で、国名の書かれたプラカードを何枚も見ていると、国別というこの括り方には果たしてどれほどの意味があるのだろう、とも思う。トラックを行進しているのは選手という個人なわけで、国家が行進しているわけではない。フィギュアの川口悠子のように国籍を変えて出場している選手もたくさんいる。

 北京大会に続いて今回も韓国と北朝鮮の選手は別々に入場した。04年アテネ、06年ソルトレイクと、南北融和政策の進展にともなって両国の選手は合同行進で入場を果たしていたが、その後両国の関係は冷え込み、08年北京からは再び別々での入場に戻った。バンクーバーに出場する韓国、あるいは北朝鮮選手のなかには、当然ながら4年前に互いに手をつないで行進した経験を持つ人間もいるはずであり、それが外交問題がこじれたというだけで“他人”になるというのは、なんだか妙に白々しい。日本という海に隔てられた島国に住んでいるからそう感じるのだろうか。個人と国家との間にある結びつきに必然性というものがあるのだろうかと思う。

 かつて日本の幕末期に、横浜のアメリカ領事館に通訳として勤務していた「ジョセフ・ヒコ」という人物がいた。彼はアメリカに帰化した日本人だった。

 彼は播磨国(現在の兵庫県)に生まれた水夫で、名を彦蔵といった。13歳の時、乗り込んでいた船が大時化に遭い難破する。2ヶ月間太平洋を漂流した後、彼はアメリカの商船に救助され、サンフランシスコに行く。

 当時、鎖国下にあった日本では、一度でも外国に足を踏み入れた人間は、たとえ漂流民といえども重罪に処せられる恐れがあった。そのため彦蔵はすぐには帰国せずアメリカに滞在する。その間、彼は本格的な英語の教育を受け、カトリックの洗礼を受ける。ジョセフ・ヒコ、というのはその際の洗礼名だ。

 やがて、日米修好通商条約が締結され日本は開国し、帰国の道が開ける。だが、彦蔵はカトリックの洗礼を受けてしまっているため、キリシタン禁制を布く日本にそのまま帰国することはできない。そこで彼はアメリカに帰化することを決める。法的にアメリカ人となれば、キリシタンの身であっても問題なく日本に上陸できるからだ。そうしてようやく彼は日本への帰国を果たす。実に9年ぶりの日本だった。

 だが、ここからが彼の苦難の始まりだった。当時の日本では攘夷思想の嵐が吹き荒れており、過激派によって外国人が殺傷される事件が相次いでいた。彦蔵も狙われる。日本人でありながら洋服を着て英語を話す彦蔵は、攘夷志士たちの目には売国奴としか映らなかったのである。身の危険を感じた彼は、やむなくアメリカに戻ることにする。

 しかし、彦蔵が日本に駐在している間にアメリカ本国では南北戦争が勃発し、世情は不安定であった。「やはり自分の故郷は日本しかない」と思いなおし、彼は再度日本に渡る。

 ・・・という、彦蔵の波乱づくめの生涯を描いた小説が『アメリカ彦蔵』である。実は物語はこの後もまだまだ続くのだが、とにかく彦蔵が哀れでならない。日本への帰国を断念してキリシタンとなり、しかし時勢の変化により運よく日本の土を踏めたものの、同じ日本人から命を狙われる憂き目に遭い、やむなくアメリカに戻ったものの南北戦争の影響で再び日本へ赴くことになる。漂流という数奇な運命を辿ってしまったがために、彼は故郷というものを失ってしまったのだ。日本人であり、アメリカ人であり、けれどどちらの国にも安住の地は得られない。まるで彦蔵の人生そのものが長大な漂流行のようである。

 この本を読んでいると、国家という存在の曖昧さと不可思議さについて考えざるをえない。物語のなかで印象的だったのは、彦蔵が出会うアメリカ人たちである。彼らは皆一様に情が深く、彦蔵に対して親身になり、援助を惜しまない。彦蔵自身も彼らと過ごす時間に心の平穏を見出す。そこには国家という枠はなく、あくまで信頼し合う個人と個人の交流があるだけだ。しかし、期せずして両国の言語と文化に習熟したという特異な立場が、否応なく彦蔵に日本、あるいはアメリカという国家を背負わせてしまう。

 彼は結局アメリカに戻ったのか、それとも日本に留まったのか、その後どういう人生を歩んだのかは、是非本を読み、自分の目で確かめていただきたい。