might as well live
一人きりになっても「バンド」
その意地と誇りがかっこいい


 スウェーデン出身のバンド、ラスト・デイズ・オブ・エイプリル(LDOA)の2007年発表のアルバム。去年だったか一昨年だったか、本屋で洋楽雑誌のバックナンバーをパラパラめくっていたら偶然彼らのインタビューを目にして、そこで初めて知った。なんとなく僕の好みに合っていそうな匂いを感じ、あえて試聴も何もせずに買ってみたら見事にストライクゾーンど真ん中にハマった。以来、しょっちゅう聴いている。

 だが、このバンドのことはあまり詳しく知らない。持っているのはこの『マイト・アズ・ウェル・リヴ』1枚だけだし、おまけに輸入盤を買ったのでインナースリーヴに訳詞も解説も載ってはおらず、LDOAについての情報源は手元にないのである。ネットで調べてみても、どうやら公式サイトは日本には設けられていないようだ。おかげで、一体このアルバムが彼らの何枚目のアルバムかさえわからないという心もとない状態でこれを書いている。

 ただ、数少ないネットの情報でわかったのだが、まずこのバンドの中心人物はボーカル/ギターのカール・ラーソンという人らしい。写真を見るとまだ若そうだ(もっともそれは声で予想していたけど)。だが90年代後半にはすでにデビューしているので、相当若い頃、多分10代の頃からこのバンドで活動していたんじゃないだろうか。

 それからもうひとつ、バンドとはいうものの、現在LDOAのメンバーはカール1人しかいないらしい。ちょうどこのアルバムを制作する直前に、もう1人いたメンバーが抜けたそうだ。僕が読んだインタビュー記事の写真には確か2人写っていたので、あの片方の人が抜けてしまったということなのだろう。一人きりになっても解散せずにバンド名義で活動を続けているあたり、カールのLDOAに対する愛着や誇り、意地のようなものが感じられてかっこいいなあと思う。

 と、LDOAについて知っていることはこのくらいのものなのだが、しかしまあ本当は、周辺情報なんていくら知ってたって関係ないのである。切なく美しいメロディーはグッとくるし、カールのボーカルはすごくピュアな感じで優しいし、ギターの音も最高だ。メロディー、ボーカル、アレンジ(特にギター)の組み合わさり方とそのバランスが、「こういうのが聴きたかったんだよ!」という感じで僕にはものすごくフィットするのである。居心地の良さに満足して、理屈だとかなんだとかまで考えないのだ。

 曲が気に入れば、それを演奏している人たちの来歴や使っている楽器、プロデューサーは誰か、なんていう音楽以外の情報が自然と気になってくる。さらにはその前後の音源も聴いて「このアルバムはパワーポップからオルタナへのちょうど過渡期の作品なのだな」などと、より深く理解したくもなる。音楽以外の部分も含めたトータルなところから、そのバンドやアーティストの「物語」を想像するというのが、ロックならではの楽しみ方である。むしろ僕はこういう聴き方が断然多いので、1枚聴いただけで満足しているLDOAのようなケースはレアだ。

 だが、まあ常に自分のなかでの葛藤なんだけれども、そうやって周辺情報を仕入れながらコツコツ物語を紡いでいく聴き方より、「好きなんだからそれでいい」というLDOAへのようなざっくりとした聴き方の方が、より“ロック”なんじゃないかなあとも思うのである。この『マイト・アズ・ウェル・リヴ』を聴きながら、ふとそんな、他人から見たらとことんどうでもいいような反省をしてしまった。


<Who’s On The Phone?>PV
なんか可愛いビデオです

<Hanging High>PV
こちらもカラフルで可愛い