4月はいつにも増して吉村昭をやたら読んだ一ヶ月でした。


『桜田門外ノ変』 吉村昭 (新潮文庫)

 この小説は今年、大沢たかお主演で映画化されるそうです。吉村作品の映画化は珍しいと思い、予習のために読んでみた。
 桜田門外のテロがどのようにして起きたのか。その経緯を事件の3年前から描く、上下巻の長い作品。事件の前段、前々段を描く前半は正直ちょっと退屈。だが前水戸藩主の徳川斉昭が井伊直弼の手によって失脚させられ、藩の有力者たちも次々と粛清され、いよいよこれは井伊を斬るしかないと水戸藩士たちが追い詰められていく中盤以降、一気に面白くなる。
 とても興味深かったのは、事件に加わった者たちのその後が描かれていたことである。当然、幕府の大老を白昼堂々斬ったのだから彼らは天下の重罪人であり、逃亡生活を余儀なくされる。ある意味事件そのものよりも、その後の方が緊迫している。幕府の追捕の輪に徐々に囲い込まれながら、皆次々と理念に殉じて散っていく様は泣ける。


『雪の花』 吉村昭 (新潮文庫)
 
 日本で最初に天然痘治療に取り組んだ医者、笠原良策の物語。
 時代は江戸時代後期。当時の日本には天然痘の治療法はなく、一度流行すると医者はなす術がなかった。福井藩医の良策はある日、西洋には天然痘にかかった牛の膿を人の皮膚に埋め込むことで天然痘を予防する方法があることを耳にする。漢方医だった良策は一大決意をして蘭方医学を学び、牛痘苗の確保に奔走する。
 動物の身体の一部を植え込むことに激しい恐怖心を抱く庶民。怠惰な藩の役人たち。そういった周囲の無理解に負けることなく、私財を投げ打ってまで天然痘と戦う良策の姿にひたすら感動する。そして、文句を言うどころか「誇り高い夫を持って幸せ」と精一杯彼を支える妻にも感動。日本人の「公」という精神性を見ることのできる、とても爽快な一冊。


『冬の鷹』 吉村昭 (新潮文庫)

 日本で初めての翻訳解剖書『解体新書』を訳述した前野良沢の物語。
 同書の訳者として広く知られるのは杉田玄白の方だが、実際に中心となって翻訳作業を進めたのは良沢の方らしい。玄白はあくまで訳文を整理したり、スケジュールを管理したりといった裏方作業を担当していた。
 それがなぜ今日、玄白の名ばかりが知られるようになったかというと、『解体新書』を出版する際に、良沢は自分の名前を載せないように玄白に言ったからだった。翻訳は決して完璧なものではなく、意味を類推しながら意訳をした部分も多々あり、そのような半端な状態で世に出すことに良沢は反対だったのである。
 学究肌で頑固で、どこまでもストイックな男、良沢。結局、語学者として評価される機会を自ら捨てた彼は、『解体新書』出版後も狭い部屋で蝋燭一本を灯しながら黙々と訳述に没頭し、人嫌いな性格もあり、孤独な余生を送ることになる。
 一方の玄白は元来の社交家で、『解体新書』出版により名声を得たことで家族、弟子、富に恵まれた幸福な老年生活を過ごす(当時の玄白の年収なんかが記されていておもしろい)。非常に対照的な2人だが、やはり男として惚れるのは良沢の方だろう。信念を曲げず、自らが決めた道をただひたすらまっすぐ進む姿にグッとくる。


『夜明けの雷鳴』 吉村昭 (文春文庫)

 こちらも前野良沢に負けず劣らず、信念に生きた男の物語。
 医師、高松凌雲。江戸末期にパリに留学した彼は、当時の世界最先端の医療を学ぶと同時に、貧民のための無償病院の存在を知り感銘を受ける。幕府瓦解後に帰国した彼は、旧幕臣榎本武揚とともに函館へ軍医として従軍するも、戦場では敵味方の区別なく治療にあたった。
 明治になり、彼はパリ留学以来の夢であった、貧民病院の開設に奔走する。渋沢栄一や福地源一郎、松本順(良順)といった当時の名士たちの協力を得て、明治14年、ついに日本初の民間救護団体、同愛社を設立する。
 「医者は患者を区別しない」と言って敵方の兵士であっても丁寧に治療を施したり、逆にたとえ肉親であっても特別扱いをしなかったり、病院が戦火に巻き込まれるのを避けるために敵の士官と交渉したりと、この凌雲という男はどこまでも信念と正義を通すひたすら強い男である。また、良い条件の仕事を断ってまで旧主徳川慶喜の匙医を勤めるという、義に熱い部分も持ち合わせている。
 『雪の花』、『冬の鷹』、そしてこの『夜明けの雷鳴』。この3冊を読めば間違いなく感動でお腹一杯になります。


『1Q84 Book3』 村上春樹 (新潮社)

 今月、吉村昭以外に読んだのはこれだけ。でもこれだけで充分である。
 小説を読むことにこれほどドキドキしたのはいつぶりだろう、と思う。ほぼ1年を置いての続編刊行。当初は村上春樹の意図がわからなかったし、事実読み終わった今も突っ込みたいところがないではないのだが、ただこのBook3を読み終わってみて、確かに“たどり着いた”という感じはある。村上作品はいつも「どこに連れて行かれるのだろう」というドキドキ(決してワクワクではない)があり、この独特の緊張感はなかなか他の小説では味わえない。
 今回の『1Q84』は、これまで以上に現実に寄り添った、現在の社会にコミットした作品であるように思った。それは、例えばオウム真理教を彷彿とさせる新興宗教団体が出てくるとかそういう表層的ことではなく、物語が常に「現実」を着地点に見据え、これまで以上に「How To Live?」を語ろうとしているからである。天吾くんも青豆さんも生を渇望しているし、物語は彼らに試練を与え、現実を生き抜くための知恵を授けようとしている。だから、ラストに“たどり着いた”といっても、そこから見える地平は生々しく、カタルシスは重い。
 これを機に、過去の村上春樹の長編を読み返すことにした。まだ『1973年のピンボール』。先は長い。