cup sawaki
ドーハの「歓喜」

 いや~・・・やりましたね、サッカーアジア杯。僕はまだ勝利の余韻の中にいます。

 李のあの決勝ゴールはまさに「一閃」。何度もピンチに見舞われた今大会、その最後の最後にあれほどまでに美しいシュートが決まったというのは、それまでの苦労や鬱憤が全て込められた怒りの矢のようでもあり、同時に新たな歴史の始まりを告げる祝砲のようでもあり、なんともドラマチックだった。

 しかし、こんなにもハラハラドキドキするスポーツの国際大会というのもなかなかないんじゃないか。個人的には去年のW杯よりも心拍数が上がっていた気がする。テレビの前で何度も顔を覆い、何度も拳を突き上げた。リアルな世界で、ガチンコで、こんなにもドラマチックなものをやられてしまうと、フィクションの作り手としては身のすくむ思いである。

 サッカーの日本代表というと、どちらかというとこれまでガッカリすることの方が多かったので、素人ファンの僕なんかは観戦していてもつい「及び腰」になってしまう。今回も何度「ああ、やっぱり・・」と思ったか知れない。特に決勝トーナメントは開催国カタール、韓国、そしてオーストラリアと、仕組まれたような対戦カード続き。だが、その中を、若い日本代表選手たちは一歩一歩、それこそ劇的と呼ぶに相応しい展開で勝ち進んでいった。そして、見事優勝を遂げた。

 優勝した理由を、監督も選手も「団結力」と語っていた。実際、大会を通してチームの一体感を感じられる場面は何度もあった。今回の勝利に殊のほか爽快感を覚えるのは、こういうところにあるのかもしれない。団結力という、日本的過ぎて逆に現代の日本人からは敬遠されがちなこの土臭いメンタリティ。だが、結局はそれが最後に勝利をもたらしたことで、改めて自分たちのルーツや誇り、底力を見出したと感じた人は多いんじゃないだろうか。

 もちろん、今回は所詮アジア地域限定の大会ではある。だが、17年前の因縁の地で、当時よりも若い選手たちが一丸となってもぎ取った勝利には、やはり新たな時代の幕開けという感がある。

 ところで、今大会で最も印象的だった試合といえば、やはり準決勝の韓国戦ではないだろうか。延長後半の終了間際に決められてしまった同点ゴール。あの瞬間、僕は韓国の執念の強さに慄然とした。

 韓国戦はどうしても、複雑な思いがつきまとう。サッカーだけでなく、例えば一昨年のWBCでも、韓国は幾度となく日本の前に立ちはだかってきた。日本が優勢でも、勝ち越しても、韓国は必ず追いついてくる。韓国チームの勝利への執念を見るたびに、おそらく多くの日本人同様、僕は“加害者”という歴史的な負い目を感じざるをえなかった。試合には勝ちたい。だが、韓国に対してだけはその闘志の表現の仕方に、どうしても気を遣ってしまう。「宿命のライバル」というならば、韓国戦に臨む時に必ず頭をもたげてくるこの卑屈さこそが宿命なのだという気がする。

 2002年のW杯日韓大会は、歴史的なものをひっくるめた両国の差異というものを、まざまざと見せつけられた大会だった。日本代表は初めての決勝トーナメント進出を成し遂げるも、ベスト16止まり。一方の韓国は国ぐるみの一体感でもってベスト4にまで上りつめた。

 その日韓大会を、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が取材した観戦記が、『杯(カップ)―緑の海へ―』という本。単に試合のルポをまとめたものではなくて、スタジアムの中で、外で、街で、二つの国のあらゆる場所で沢木が肌で感じた両国の空気の違いというものが、日記的なスタイルで綴られている。サッカーをモチーフにした比較文化論、と言ってもいいかもしれない。

 ずい分前に読んだのだが、今でも悔しさとある種の諦めが入り混じった読後感を覚えている。韓国の方がやっぱり強いのか、という悔しさと、日本はやっぱりベスト16がせいぜいだ、という諦めである。正直、今この本を読むとアジア杯制覇の喜びに水をさされることになるので、読みたい方は昂揚感が落ち着くまで待った方がいいかもしれない。だが見方を変えて、今大会、韓国にあのギリギリのところで追いつかれても挫けなかった日本代表のしぶとさを思えば、「日韓大会からここまで来たか」という感慨も湧いてくる。やはりあの準決勝は印象的な一戦だった。