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僕は僕のいる場所で
あなたはあなたのいる場所で


 まるで映画を見ているとしか思えないような毎日が続いている。被災地の状況や刻々と増える犠牲者の数、計画停電で混乱を極める都市生活に、未だ好転しない原発の問題。映画であってほしいけど、これは紛れもなく現実で、その証拠に毎日胸が痛む。

 ある日突然、それまでの生活が奪われた人たちの無念というのは、一体どれほどのものかと思う。亡くなった方たちの冥福を祈ると同時に、被災者の方たち、そして福島第一原発で必死の作業を続けている方たちに対し、力いっぱいのエールを送りたい。

 地震が起きた当日、僕は東京駅の近くにいた。あの日、おそらく何百万人にも上ったであろう“帰宅難民”に僕もなり、4時間かけて約20キロ離れた自宅まで歩いて帰ることになった。そして靴擦れだらけになって帰ってみると、部屋の中は本棚やCDが全てひっくり返っており、元通りに直すのに翌日いっぱいまでかかった。

 もちろん、東北の方たちに比べれば取るに足らない被害だ。だが、生まれてこの方大きな災害に見舞われたことのなかった僕にとっては、強烈な体験だった。

 阪神大震災の時には、子供だったのと、距離的にも離れていたことで、心の中ではどこか自分とは関係のないことだと思っていた。だが、今回は違う。自分も被災したという意識もあり、「一体自分には何ができるのか」をずっと考えている。

 まず、僕は徹底的に節電に協力しようと思う。今この文章も携帯を使って書いている。エアコンが使えなかろうが、電車が止まって歩いて帰ることになろうが、それが最終的に被災者の支援と日本の復興につながるのであれば、いくらでも協力する。そして積極的な募金である。

 今、具体的にできることは限られている。そして個人が一人で発揮できる力というのは、悲しいほどに小さい。けれど、今は自分の頑張りが、やがては大きな力の一部になることを信じて、できることをやるしかないと思う。

 しかし、時間が経って、被害の全容が明らかになり、原発も安全が確認され、電気の供給が元に戻ったとしても、被災地の復興はもっとずっと長くかかるだろう。もちろん、日本全体の回復も。今は目に見えてピンチだから関心も高いし支援への動きも活発だが、1年後、2年後、もっと先まで今回の震災を記憶し、関心を持ち続けることも、僕らに課せられた使命だと思う。

 そう考えると、何より僕らが被災者とその復興のためにやらなければならないのは、きちんと生きることだと思う。

 ちゃんと食べてちゃんと寝て、満員電車に揺られて一生懸命働いて、家庭を築いて子供を産んで育てて。そういう風に毎日をただひたすら生きていくことが、とても大事なことだと思う。

 政治や経済において、これからどんどん悪いニュースが流れることになるだろう。確かに今回のダメージから被災地や日本全体が回復していく中で、政治や経済が果たす役割は小さくない。でも、日本の復興の本当の主役は僕らのはずである。僕たちが、それぞれの場所で、ピンチをはねのけ、ささやかでもいいから幸せを掴もうとすること。今いる場所がたとえ自分が望んだ場所じゃなくても、一人ひとりが今日を一生懸命生きることでしか日本の復興は遂げられないし、それこそが亡くなった方や今も避難所で暮らしている方たちに対する誠意だと、自戒も込めて、僕は思う。

 今日、NYタイムズに載った村上龍の文章を読んだ。僕はとても感動した。英文だけれどそんなに難しくないので、良かったら読んでみてください。

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html?_r=2