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『キュレーションの時代』
佐々木俊尚

(ちくま新書)


 ITジャーナリストの佐々木俊尚が昨年出した『キュレーションの時代』。目からウロコの良著です。

 佐々木俊尚は以前から「情報のキュレーター」を標榜し活動している。「キュレーター」とは、元は博物館や美術館などで、特定のテーマに沿って展示物を選び、どう見せるかを考える職業のこと。たとえば、時代も画法もまったく異なる絵を同じ部屋に並べると、単体では見えてこなかった新たな世界、新たな文脈が見えてくることがある。埋もれていた無名の作品を掘り出してきたり、有名な作品でも全く新しい光を当てたりして、人々に提供するのがキュレーターという仕事の役割だ。

 このキュレーターが、「情報」というものに対しても有効ではないかと佐々木は言う。インターネットの普及で、情報はまるで海のように巨大な渦を巻いている。そこから必要な情報を拾い上げるのは大変だ。中には、人目に触れず埋もれていった貴重な情報もあるかもしれない。

 そこで、見識を持つ者が情報の海とユーザーの間に入り、独自の切り口で有益な情報をユーザーに紹介する役割を果たすと面白いのではないかというのである。実際、彼は毎朝Twitter上で、気になるニュースやブログの記事などを紹介している(@sasakitoshinao)。朝の通勤時に彼のキュレーションをチェックするのが僕の日課だ。

 本書は情報と個人との関係が、この10年間ほどでどうシフトチェンジしたかを解説している。これまでネットのさまざまなサービスの「機能」を説明した本は数多くあったが、それらが僕らの生活にどう影響し、どう変えていくのか、その可能性まで含めて解説してくれた本は少ない。本書は間違いなくその一冊。情報社会の変化のスピードはすさまじく、早すぎるためにフォローできなくなった途端にスネて諦めたくもなるのだが、本書を読むとそういった変化に対して肯定的になれる。

 僕はこの本を震災後に購入した。これまで僕は、新聞とテレビのニュースを主な情報源としてきたのだが、震災を機に、ネットを利用する割合が飛躍的に増えた。情報との距離感が大きく変わり、今後のヒントが欲しくて読んだのである。

 計画停電開始当初、交通機関が混乱し情報が錯綜するなか、「池袋駅の混雑状況」「丸ノ内線の遅れ具合」といったピンポイントな情報を得るのに役立ったGoogleのリアルタイム検索(Twitter)や、「放射線と放射能の違い」「原子炉の構造」といった初歩的な情報を発信し、根本的な疑問や盲点だった知識を埋めてくれたニュースサイトの記事や個人のブログなど、情報の質の深さ、バラエティの広さはマスメディアに比べて圧倒的である。

 ネットの情報は確かに玉石混交で、デマも多い(僕も今回一度引っかかってしまった)。また、集積される情報は膨大で、そのなかから必要な情報を見つけ出すのは大変だ。そのせいで、僕はこれまでネットを情報ツールとして利用することに少なからず抵抗感があったのだが、今回その認識を改めざるをえなかった。

 ネット、特にTwitterなどのソーシャルメディアが従来のマスメディアと異なっているところは、その情報の基盤が(匿名であれ記名であれ)「個人」に依っている点だろう。交通機関情報を例に取るなら、マスメディアがせいぜい路線単位の概略的な情報しか発信できないのに対して、ソーシャルメディアは実際に今現場にいるユーザーからの書き込みを閲覧できるため、「丸ノ内線池袋駅ホーム、入場規制中。30分並んでもまだ入れない」なんていうピンポイントかつダイレクトな情報が得られるのである。

 僕が(今更ながら)感動したのは、それだけ多くのユーザーがいたるところにいて、盛んにツイートを発信している、ということだ。例えば上記のツイートは、池袋駅や丸ノ内線を利用しない人にとってはまるで意味のない「独り言」にすぎない。だが、利用する人にとっては価値のある「情報」になる。圧倒的多数の人が読み飛ばすとしても、ユーザーがせっせとツイートを放り込むことで、見ず知らずの別のユーザーに、ある瞬間それが有益な「情報」として届く可能性を生んでいる。

 個々のユーザーの参画意識、それはつまり他ユーザーに対する期待や信頼だと思うのだが、そうした意識が共有されているからこそ、ソーシャルメディアは単なる会員制サービスではなく、情報インフラとして威力を発揮しているのだろう。僕なんかは何年も前にmixiをかじった程度の(それも友人との連絡手段止まりの)認識だったので、その点にとてもショックを受けた。

 もう一つ、僕がネットを利用していて感動(というと言いすぎなのだが)したのが、情報の多様性である。僕はGoogleリーダーを利用して毎日100〜200の記事をチェックするようにしているのだが、実にいろいろな視点から書かれた記事を目にする。原発の話題一つをとっても、科学や医療、経済や教育など、いろいろな切り口で書かれた記事がある。そうしたバラエティの広さは、たとえば特定の新聞、特定のニュース番組だけを追っているだけでは得られない。

 また、ネットの情報における多様性には、「立場」あるいは「視点」の多様性、という側面もある。前述のように、ネットの情報の多くは個人が発信したものだ。「日経ビジネスオンライン」や「ダイヤモンド・オンライン」などのニュースサイトであっても、掲載される記事のほとんどが署名記事である。

 個人と紐付いた情報は、当然その執筆者の個性や立場を反映する。極端な例だが、原発に反対する人は放射線の危険や安全管理リスクを指摘する記事を書くだろうし、支持する立場の人は原発の発電効率の良さや代替エネルギーの可能性の薄さを強調するだろう。ネットの情報のバイアスのかかり方は、例えば朝日新聞と読売新聞の違い、なんていうレベルではない。

 僕がいいなと思うのは、多様な視点を体験することで、ある情報やある立場について、自然とそれを相対化する力が養われていくところである。ネットはデマを広げる危険性もあるが、最低限の注意さえ払っていれば、逆にデマに惑わされない知性が身に付くのではないかとも思う。

 もちろん、僕には僕の視点があるだろうし、ピックアップする情報についても何らかのバイアスがかかっているだろう。そもそも、「バイアスがゼロの状態」や「完全中立公平な情報」なんてものがあるのかと思ったりもする。だが、少なくともそういったことを自覚できるかできないかは、大きな違いなんじゃないだろうか。

 というわけで僕もTwitter始めてみました。頑張ってツイートしています。
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