king's speech

映画『英国王のスピーチ』


 先日、『英国王のスピーチ』を見てきました。イギリス王室史上「もっとも内気な国王」と呼ばれた、ジョージ6世を描いた映画です。今年の3月に行われた第83回アカデミー賞では作品賞をはじめ計4部門を受賞しました。話題作なので、見た方も多いと思います。僕もようやく見ることができました。

 ジョージ6世は、現在のイギリス女王・エリザベス2世の父にあたります(先日結婚したウィリアム王子からすると曽祖父にあたる人物ですね)。彼は幼い頃から吃音症に悩まされ、そのせいで人前に出ることが極端に苦手でした。国王になる気などさらさらなく、社交的な性格の兄・エドワード8世が父の跡を継いで国王になると、自分は裏方役として兄を補佐したいと望んでいました。

 しかし、いざ国王の座に就いたエドワード8世は、年上女性との不倫が原因で(実話!)、わずか1年足らずで退位。結局、弟のジョージ6世が、とばっちり的な形で王位を継ぐことになったのです。国王の座に就いたのは、1936年。ヨーロッパでは、ナチスドイツの脅威が吹き荒れようとしていた時代です。イギリスにとって、まさに国難と呼ぶべき時代に王座に就いたのです。

 破竹の勢いで進撃するドイツは、ついにイギリスとも戦端を開きます。国民は激しく動揺します。ジョージ6世は国王として、不安に揺れる国民に向けたスピーチを送ろうと決意するのです・・・。

 期待通りの素晴らしい映画でした。脚本も素晴らしいし、映像も美しい。とりわけ、ジョージ6世とスピーチ矯正の専門家・ライオネルとの会話シーンは、いずれも緊張感とユーモアとが混沌としていて、圧倒的な完成度を感じました。ジョージ6世を演じたコリン・ファースはこの映画でアカデミー賞の主演男優賞を受賞しましたが、ライオネルを演じたジェフリー・ラッシュや、ジョージ6世の妻・エリザベスを演じたヘレナ・ボナム=カーターなど、脇を支える俳優陣の演技も素晴らしかったですね。

 しかし、僕がもっともグッときたのは、物語を通じて描かれる、ジョージ6世の葛藤です。

 彼は、自分が国王に向いていないことを痛感しています。ほんの些細なスピーチですら言葉に詰まり、逆に聴衆から心配されてしまう始末です。「国王とはイギリスのスポークスマンだ」と父・ジョージ5世は言いますが、そんな役目を果たせるわけがないことは、自分が一番よく知っています。しかし、一方で彼はとても生真面目で、責任感が誰よりも強い。その性格が結局、国王を継がせることになるのです。

 前回、映画『SOMEWHERE』について書いた時に、「ここではないどこかへ」という話をしました。『SOMEWHERE』が、ここではない“どこか”へ向かう物語だったのに対し、『英国王のスピーチ』は“どこか”を心に描きつつも、“ここ”で生きていく決意を語った物語だったと言えます。

 ジョージ6世は何度も自分を変えようと努力します。吃音症を治そうと何人もの医者の診察を受け、見るからに怪しい治療法にまで手を出します。しかし、一向に成果は上がりません。さらに、決して望んでなどいなかった国王という重責を背負うことになります。彼は、心に描いていた「ありたい自分」からは遠くかけ離れた己の運命というものを受け入れるのです。この点、『SOMEWHERE』のジョニーとはとても対照的です(もちろん、ジョージ6世には現実的に“どこか”を選ぶ自由はなかったでしょう。なんといっても彼は「国王」ですから)。

 結局、ジョージ6世は最後のスピーチの場面に至っても、吃音症を治すことはできません。ではどうやったかと言うと、あの手この手で“ごまかす”んですね。なんとか“ちゃんと喋ってる風”を取り繕って、乗り切るのです。僕はここがとても面白いと思いました。堂々と淀みなく演説できるという、本来の「あるべき国王像」からすれば、それは欺瞞なのかもしれません。でも、それが彼の運命の受け入れ方であり、彼にしかできない国王としての生き方なのです。その必死さはなんとも悲哀があり、同時に滑稽でもあり、しかしなんだかムズムズと「人間っていいなあ!」と感じるのです。


『英国王のスピーチ』予告編



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