hashirukoto

『走ることについて語るときに僕の語ること』
村上春樹

(文春文庫)


 僕の通ってた高校はやたらと体育でマラソンをさせる学校でした。運動が苦手な僕は、毎年マラソン授業のシーズンになると憂鬱で仕方がありませんでした。男子は全長4キロのコースだったのですが、とにかく僕は体力がなかったので、3年間で一度も完走できませんでした(ひどいでしょ?)。大体1〜2キロ走ると息が上がり、道の脇にうずくまって「オエッ!」とえづいてました。

 以来10年強、自分は走ることが苦手なんだと思っていたのですが、実は半年ほど前からランニングにハマっています。かつてはたった4キロすら完走できなかったのに、今では15キロくらいなら楽に走れるようになりました。もちろん、途中で歩くこともえづくこともなく。

 どういう風の吹き回しか。自分自身が一番驚いています。誰かに勧められたわけでも、俄かに健康志向になったわけでもなく、ある日突然「走ってみようかな」と思いついて、そのまま今日まで延々走り続けているのです。

 ランニング、超楽しいです。なんなんでしょうね、何が楽しいんだろう。楽しいといってもやっぱり走ってる時は苦しいし、時々「歩いちゃおうかな」とか考えるし、もう体育の授業じゃないんだから歩いたって怒られるわけでもないんだけど、結局走ってる。早朝走ってヘトヘトになっても、夕方くらいになるとまた走りたくなってウズウズしてくる。ちょっとくらい体調が悪くても走ってしまう。奥田英朗の『イン・ザ・プール』という短編に、水泳にハマってしまって、挙句夜中のプールに忍び込んでまで泳ごうとする「水泳中毒男」が出てくるけど、なんかちょっとわかる。ランニングにもそういう中毒的なところがあると思います。

 周知のとおり、今はランニングがブームです。僕がいつも走る近所の公園も、朝6時台からランナーだらけです。ガンガン走りこんでいるベテランランナーさんから、僕のようなビギナーランナーまで、いろんな人が走ってます。ただ、何度も集団の中を走るうちに気付いたんですけど、どうも全員が元々運動をバリバリやっていたわけではなさそうです。むしろ僕のように、これまで運動とは無縁だった人の方が多いような気がします(その人の風貌とか走る時の姿勢とかで、運動音痴は仲間を識別できるのです)。

 自分が走り始めてみて思うのですが、ランニングというスポーツにハマるかどうかの分かれ目は、運動神経や子どもの頃からの運動量というよりも、その人の性格に負う部分が大きいんじゃないでしょうか。ランニングは一人でやるスポーツなので、他人に気を遣う必要はないし、プロセスから結果に至るまで全てを自分で決定できる。究極の自己完結です。それが自分の性格とフィットしているかどうかが多分継続できるかどうかの分かれ目なんじゃないでしょうか。僕はどうやら性に合っていたみたいです。逆に子どもの頃からサッカーとか野球とか、団体競技をやっていた人は、ランニングなんて退屈すぎると感じるのかもしれません。

 村上春樹も著書『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で似たようなことを書いていました。「ランニングを人に勧めようとは思わない。勧めてもやらない人はやらないし、勧めなくてもやる人は時が来ればやる。ランニングはそういうスポーツだ」と。これは、何らかの強い目的(例えばダイエット)のために走る人ほど三日坊主になりがちなのに対し、特に目的もなくランニングを始めた人(要は走るのが好きな人)の方が長続きするということと、どこか通じているような気がします。

 こうして書いていても、改めて不思議な気持ちにとらわれます。どうして、「走る」というシンプルな行為そのものが、これほど楽しいのか。どこにハマる要素があるのか。わかりません。わかりませんが、とりあえず書いていたら走りたい気持ちになってきました。来月、BRIDGEの山本洋平くんとハーフマラソンに出場してきます。
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