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「夢中になること」の天才

酒とタバコと高級車。金遣いも遊び方もとにかく派手。
そんな豪放磊落なイメージの陰に隠れた、
創作者としての勝新太郎に迫ったドキュメンタリー。

いやあ、すごい本でした。
「作ること」にとり憑かれ、
一匹の“鬼”と化した男の姿が克明に記された衝撃の本です。

勝新太郎は1950年代半ばに映画俳優としてデビューしました。
当時は映画産業の華々しい勃興期だったので、
比較的早い段階から主演を任されるようになりますが、
市川雷蔵ら当時のスターと比べるとずんぐりした体形で声も野太い勝新太郎は、
長い間B級の、映画会社からすれば「つなぎ」の映画の話しか回ってきませんでした。

転機になったのは61年公開の『悪名』と、続く62年の『座頭市物語』。
従来にはなかった、哀愁と猥雑さが同居したエネルギッシュなヒーロー像に、
勝新太郎のパーソナリティーが見事にマッチし、
一気にスターに上り詰めます。

しかし、カメラの前で言われた通りに演技するだけでは
徐々に飽き足らなくなった勝新太郎は、
『座頭市』シリーズで監督や脚本、編集までを自らの手で行うようになります。
映画会社から独立して「勝プロダクション」を設立し、
「自分が作りたい作品」を目指して突き進みます。

勝新太郎は徹底的に現場にこだわります。
脚本家が上げてきた脚本が現場で捨てられて、
その場で全く新しいストーリーができるなんてことは日常茶飯事。
スタッフは混乱し、予算はガンガン嵩んでいきますが、
それでも勝新太郎の考えるアイデアは誰よりも面白く、
他のどんな映画よりも野心的で新しかった。
だからスタッフは文句も言わず彼に付き合い、
緒形拳をはじめ名だたる俳優たちが彼との共演を望みました。

その根底にあるのは、
「絶対にファンをガッカリさせない」という繊細なほどのサービス精神(あるいは強烈なプライド)と、
「この役はどういう人物なのか」という徹底したリアリティへのこだわりでした。
後年、黒澤明の『影武者』の現場で、
黒澤監督の演技プランに対して「武田信玄はそんなことはしない」と言い放ち、
それが監督の怒りを買って映画を降板することになりますが、
これは彼が創作者として飽くなき探求心を持っていたがために起きてしまった事件といえます。

勝新太郎と聞いて僕が真っ先に思い出すのは、
1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』での豊臣秀吉です。
あの演技は強烈でした。
人というよりも、もはや「怪獣」のようでした。
主演の渡辺謙を掌で転がすように扱う圧倒的な存在感。
政宗と初めて対面する小田原籠城戦の場面では、
カメラテストまで一切渡辺謙と顔を合わせないようにして、
血気盛んな政宗と老練な秀吉とのガチンコの緊張感を出した、
なんていうかっこよすぎるエピソードがあります。

とにかく規格外な勝新太郎。
人はここまで芸の虫になれるのかと、感動を通り越して呆然とする思いです。
本書のタイトルに「天才」とありますが、
これは単に演技の才能があるとか、そういう上辺のことを指した評価ではありません。
強いて言えば、「夢中になること」の天才。
作品に対して、時に非常識にも狂っているようにも見えるほど没頭できる、
その過剰な創作意欲こそが巨大な才能なのです。
劇作家の鴻上尚史は「才能とは夢を見続ける力のこと」と言いました。
だとすれば、勝新太郎はまさに「天才」と呼ぶに相応しい人物でした。


ニコニコ動画で見つけました。
『独眼竜政宗』(87年)での秀吉(勝)・政宗(渡辺謙)の初対面シーン







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