RHYTHM20OF20THE20RAIN

「昔の音楽は良かった」のは
なぜなのか


『60年代ベスト』とか『オールディーズ・セレクション』みたいなコンピレーションアルバムに、
必ずと言っていいほど収録される名曲中の名曲<悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)>。
しかし、曲の有名さに比べると、演奏している「The Cascades(ザ・カスケーズ)」というバンドについては、
ほとんど知られていないんじゃないでしょうか。
少なくとも僕は、<悲しき雨音>以外のカスケーズの曲を知らないし、
メンバーの名前も、そもそも何人編成のバンドなのかさえも知りません。

そんなカスケーズのファーストアルバム(アルバム出してたんだ!)が、
リマスタリングされて8月に再発されたので、聴いてみました。
<悲しき雨音>を含み、同曲をアルバムタイトルにも冠したこのアルバムのオリジナルは1963年リリース。
(ちょうど50周年なのでリイューされたのな?)

聴いてみると、<悲しき雨音>においても顕著なように、
コーラスを重視したグループだということがわかります。
また、これも<悲しき雨音>でも聴けるように、
楽器の中で鍵盤(ビブラフォン、オルガン)が利いているところも大きな特徴です。
パッと聴いただけだと、一瞬ビーチボーイズと間違えそうになります。
そういえば、ほとんどブルースの匂いがないところも、両者は共通していると言えそうです。

ただし、メロディは良く言えばシンプル、悪く言えばワンパターンで、
「さっきもこの曲流れなかった?」というような既視感にとらわれることが、
わずか12曲30分の間にけっこうあります。
そして、その既視感はことごとく<悲しき雨音>に還流します。
少なくともこのアルバムを聴く限りでは、
カスケーズの曲というのは<悲しき雨音>の何らかの要素を薄めた、
あるいは引き延ばしたものに過ぎません。

アルバム収録曲がどういう順番で作られたのか分かりませんが、
もし<悲しき雨音>が先に作られたのであれば、
他の曲は明らかに<悲しき雨音>の強力な「磁力」に引っ張られたのだろうし、
逆に<悲しき雨音>が後に作られたのであれば、
バンドにとって<悲しき雨音>は(1stアルバムにもかかわらず)創作活動のゴールになったでしょう。
いずれにせよ、名曲であるがゆえにバンド自身を束縛したのではないかと想像します。
それほどの力を持った名曲を作ったことが、
果たしてバンドにとって幸福だったのか不幸だったのか、評価が分かれるところかもしれません。



話はまるで変わるのですが、
よく「昔の音楽は良かった」という言葉を耳にします。
というか、実際に僕も90年代や80年代の音楽を聴いて、同じ言葉を口にしたことがあります。

それに対して、「いつの時代も同じことが言われるんだよ」という反論があります。
ある一定以上の年齢の人にとって「今の音楽」というのは、
自身の若い頃の音楽体験と照らし合わせると「異物」でしかありません。
だから、「今の音楽」は必ず一定以上の人から批判に晒されるものだし、
その「今の音楽」を受け入れている現在の10代20代も、10年も経てばきっと、
その時点での「今の音楽」を批判し、かつての音楽を懐かしむ。
この理屈はよくわかります。

何が言いたいかというと、
じゃあ50年代や60年代の音楽に感じる懐かしさは一体何なの? ということなのです。
<悲しき雨音>なんて、まさにその典型です。
あのイントロを聴くだけで、ブワーッと胸の内に広がる何かがある。
洋楽だけじゃありません。日本の昭和のポップスにも、心を揺さぶられます。
こないだ『あまちゃん』に橋幸夫が出てて<いつでも夢を>を歌ってましたけど、
つくづく「ああ、いい曲だなあ」と感じました。

これらの曲がヒットしていた時代、僕はまだ生まれてもいません。
だから、本当は「懐かしい」という言葉(感覚)は当てはまらないはずなのです。
けれど、これらの曲を聴いてホッとする感覚はやっぱり「懐かしい」という表現が最も近いし、
目に浮かぶのは大体が子供の頃に目にした景色ばかりです。

そして、さらに言ってしまえば、
現在ゴールデンタイムの歌番組で流れているような「今売れている曲」が、
やがて時の洗礼を受けたとしても、
僕は<悲しき雨音>や<いつでも夢を>に感じるようなこの懐かしさや胸苦しさを覚えるとは、
どうしても思えないのです。
僕は最初、<悲しき雨音>や<いつでも夢を>は単純に古い曲だから、
そのレトロっぽさが懐かしさを喚起するのではないかと思いました。
(つまり、その時代を知らないからこそ「幻の懐かしさ」を喚起しやすいのではないかと)
しかし上記のように、「今の音楽」のことを考えると、
単に時間が経てば懐かしさが湧いてくるというもんでもないような気がするのです。

思うに、懐かしさには、「当時を思い出す」という文字通りの懐かしさのほかに、
年齢や国籍の別なくジワッとくる「普遍的な懐かしさ」があって、
<悲しき雨音>や<いつでも夢を>には
後者の「普遍的な懐かしさ」を喚起させる力があるんじゃないかという気がします。
僕は昔から、どうして<コンドルは飛んでいく>を聴いて「懐かしい」と感じるのかを不思議に思っていました。
それはおそらく、<コンドルは飛んでいく>には、
南米という土地に限定されない、普遍的懐かしさを感じさせる何かがあるということなのでしょう。

なんだかそれってものすごいことだなあと思います。
「音楽は国境を超える」という言葉が、身をもって実感できます。
10年以上前、ある学生劇団の公演のチラシに、
「『面白い作品』とは何か。それは『ノスタルジィ』を感じる作品だ」というような言葉を見たことがあります。
(そういう作品をおれたちが提供するから期待して見に来い!という主旨でした)
当時は、「懐かしさイコール面白さなんて、そんな過去ばかり振り返る後ろ向きな作品はクソだ!」と、
激しく馬鹿にしていたのですが、
今になってみると、意外と本質を突いているんじゃないかという気がします。

問題は、じゃあ、なぜ「今の音楽」は「普遍的な懐かしさ」には結びつかないのかということです。
リスナーの嗜好の細分化に合わせて楽曲がニッチ化し、
かつてのようなマス層全てをカバーする曲が生まれなくなったとか、
音楽を聴く層が低年齢化しているからだとか、
いや、そもそも売れてる楽曲のレベルが下がった結果だとか、
もっともらしい理由は浮かぶのですが、どれもいまいちピンとこない。
もっと簡潔かつ根本的な背景があるんじゃないかという気がします。

まあ、全ての曲が「普遍的な懐かしさ」を持っていればいいという問題でもないし、
そもそも「普遍的懐かしさ」なんてものは
個人の資質(フィーリング)によるものだと言われれば、それまでなんですけどね。
ただ、(僕のフィーリングで述べるとすれば)アメリカやイギリスには、
例えばアデルとかマムフォード&サンズのように、
「今の音楽でありながら古典」というべき楽曲が生まれています。
そして、それらがきっちりと評価されている。
そういう元気で成熟した音楽マーケットを見ると(もちろん英米にも「?」という曲は山ほどありますが)、
羨ましくて「むむぅ…」と唸りたくなるのです。はい。


甘いハーモニーが素敵な1曲。<Shy Girl>


これはいつのライヴなのでしょう。見た感じ、わりと最近の映像ぽいです。
ジョン・ガモーの声が驚くほど若い時のまま!
<悲しき雨音(Rhytm Of The Rain)>







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