p_motoharusano

まばゆい熱の放射と
雨の日の静けさと


佐野元春の1982〜83年の全国ツアーを記録した映画、
『Film No Damage』がデジタルリマスター化され、期間限定で映画館で公開されています。
初日に見に行ってきました。

佐野元春というと、ひょっとしたら今の10代くらいの子たちには、
・NHK『SONGWRITERS』の司会者の人
・ドラマ『spec』の当麻(戸田恵梨香)のお父さん
・『ガキの使い』の名物企画「500のこと」に登場した天然のおじさん
なんて風にしか思われてないかもしれませんが、
1980年代の佐野元春は、まさにロックスター。
なんてったって、雑誌『Rockin’On Japan』の創刊号(1986年10月)の表紙を飾ったのが、
誰あろう佐野元春でした。

とはいえ、僕自身もリアルタイム世代ではありません。
小学生の時に<約束の橋>で認識したのが初めて。
でも、その後いろんな日本のバンドやアーティストを聴くにつれ、
彼らの多くが「影響を受けたアーティスト」「自分のルーツ」として佐野元春の名前を挙げていたり、
また、彼の音楽が若い頃の自分にいかに影響を与えたかを熱く語る、
40代以上のファンのブログなども何度か目にしたことで、
「いつかは聴かなければいけない人」と思っていました。
今回映画館に足を運んだのは、その熱狂の一端を知りたいと思ったからでした。

『Film No Damage』は90分足らずの短いドキュメンタリーです。
メインはライヴシーンですが、本編はそれだけで構成されているわけではありません。
舞台裏の映像や、彼の新譜のビデオクリップ(CM?)の撮影風景、
佐野本人がジョン・レノンに扮し、有名な「ベッドイン」パフォーマンスを真似ているシーン。
ライヴシーンにおいても、ステージでの演奏を流しながら映像は別の風景を映しているという、
ビデオクリップのような絵画的なシーンも挿入されます。

このように、さまざまなシークエンスがガチャガチャとつなぎ合わされているのですが、
不思議とうるさくなく、むしろ詩的な静けさに包まれています。
ステージは眩しいくらいにエネルギッシュなのに、全体を通して見ると静か。
この、両者の共存というか、ある意味でのアンバランスさは、
僕が思う「佐野元春の音楽」というイメージにピタリとハマります。

その話をする前に、ライヴ本編に触れておくと、ただただ「圧巻」の一言でした。
フェンダーのジャズマスターを手に、細身のスーツを汗に染めながら、
所狭しとステージの上をリズムに合わせて激しく動き回る、27歳の佐野元春。
曲と曲とを細切れにせず、その間を長いインプロでつなぐ高度に練られた構成。
随所でキメてくる、演奏・照明と呼吸を一つにしたアクション(キメポーズ)。
「70年代の日本のロックに対する返歌として、僕は何よりも『パッション』を重視した」と語る佐野元春自身の言葉通り、
そのパフォーマンスは演劇的な刺激と、圧倒的な緊張感に満ちています。
こりゃ確かに人気があるわけだわ!と即座に納得。

また、彼のキャリアを10年以上にわたって支えたバックバンド、
ザ・ハートランドの演奏が素晴らしいです。
佐野元春の特徴である、ピアノやホーンが主体になった都会的で洗練されたサウンドは、
ハートランドのメンバーが彼の元に集まったから成立したものなのでしょう。
佐野本人も、バンドのメンバーも、そしてさらにステージを支える裏方のスタッフたちも、
見たところ皆20代からせいぜい30代中盤くらいと、とても若いチームであることが印象的でした。
観客も含め、ステージ全体が若い人たちだけで作られているということが、
佐野元春が単なるスターという以上に、
当時の時代の空気と呼応した存在だったことの証明であるように思いました。

さて、佐野元春の音楽について「都会的」と書きました。
それは決してサウンドのイメージのことだけでなく、
例えば<SOMEDAY>のイントロのように、車のクラクションや人の足音という具体的な音が入るケースや、
<ガラスのジェネレーション>の「Hello, City Lights」のように、
歌詞の中に都市の光景を映すフレーズが含まれている場合もあり、
彼の(特に初期の)歌には、都市生活者の気配がいつも強く感じられます。

しかし、実際に曲を聴いて感じるのは、都会の喧騒やエネルギーではなく、
そこに暮らす人の愛や葛藤や希望といった内的な世界です。
街のスタイリッシュさや騒がしさが表層にあるからこそ、
その対比で、都市生活者の内面にフォーカスが当たり、
曲全体が雨の日のような静けさをまとうことになります。
このギャップみたいなものが、そのまま映画『Film No Damage』の空気にも当てはまるのです。

この映画で、佐野元春はステージ以外では一言も言葉を発しません。
だからでしょうか。
ステージでは華やかにスポットライトを浴び、激しいパフォーマンスを見せるのに、
そしてまた、さまざまなシーンが組み合わさることで映画自体が一つの「喧騒」に見えるのに、
全体を通して見ると、主人公である佐野元春は寡黙に、孤独に見えてくるのです。
まるで、彼自身が曲の主人公であるかのように。

佐野元春は80年代前半期の自身の音楽について、
「70年代は個人的感情を吐露する私小説的な歌詞が多かった。
 でも僕は、街で起きている彼や彼女の『ストーリー』を歌いたかった」と語っています。
自分自身の感情は一度脇に置いて、どこかにいるはずの誰かの物語を語る、という発想はとても面白いですね。
その言葉を踏まえてみると、
この映画に映る「佐野元春」という人物も、実は曲で歌われている「彼」や「彼女」の一人という、
ある種のフィクショナルな存在であるとも言えます。
そういう、ちょっとイタズラ的で、つかみどころのない存在感は、
実は佐野元春以前も以降も、彼1人にしかなし得ていないものかもしれません。
やっぱり、ものすごく洗練されています。

映画は9/20まで公開されています。
おすすめです。

作品情報

<予告編>





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