amachan

「ふるさと」は
自分の意思で選ぶもの


恐れていた時がついに来てしまいました…。
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』、終了。
僕はこれからどうやって毎朝家を出ればいいのでしょうか。
これから毎晩、何を楽しみに眠ればいいのでしょうか。
お先真っ暗。僕は今、「あまロス症候群」のどん底にいます。
「あま外来」があるなら誰か紹介してくれ。

4月からの半年間で全156回。
ただの1度も見逃さなかったのはもちろんのこと、
ほとんどの回を1日2度(BSプレミアムの7:30版と23:00版、いわゆる「早あま」と「夜あま」を)見ました。
今までも夢中になったドラマはいくつかありますが、
『あまちゃん』ほど、次の放送が楽しみで、後の展開をあれこれ想像し、
そして見るたびに元気になれた作品は他にありませんでした。
北三陸の濃いキャラクターたちに腹の底から笑い、
東京編ではアキちゃんと一緒に「地元に帰りたい」とホームシックにかかり、
特にラスト1か月の震災編では、僕自身の3月11日がクロスオーバーし、
ドラマと現実とが地続きになるような、今まで味わったことのない強烈な感覚を味わいました。



しかし、僕は物語に熱狂する一方で、
放映中ずっと頭の片隅でモヤモヤと考えていたことがありました。
それは、「故郷」ということについて。

『あまちゃん』は、「故郷の再発見」を描いた物語だったと僕は見ています。
劇中で描かれた「再発見」は、大きく2つに分かれます。

一つは、春子やユイちゃん、ヒロシ(ストーブさん)ら、
北三陸で生まれ育ったものの地元に背を向けていた人たちが、
再び故郷に目を向け街を愛するようになるという再発見。

もう一つは、主人公・アキにとっての故郷の再発見です。
春子やヒロシ、ユイちゃんが北三陸を再発見していくきっかけを作ったのはアキの存在ですが、
よく考えてみると、アキ自身にとっての故郷は、北三陸ではありません。
故郷を「生まれ育った場所」とするならば、アキのそれは東京の世田谷です。
でも、高2の夏に北三陸を訪れたアキはすぐにこの場所を気に入り、
北三陸を「故郷」と呼ぶようになります。

アキは生まれ育った東京を「故郷」だとは感じていませんでした。
ドラマではほとんど描かれませんでしたが、
東京でのアキは母の春子曰く「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華もないパッとしない子」でした。
アキ自身も「イジメられるというよりも、イジメられるほど相手にもされない子」と語っています。

そんなアキが、北三陸で夏ばっぱに出会い、海女の仕事に挑戦し、
やがて地元の人たちから愛される存在になっていく。
それはアキの資質であると同時に、アキ自身が北三陸に自分の居場所を見出し、
ここを自分の故郷にすると“決めた”からなのだと思います。
10代の少年少女にとって、学校であれ家庭であれ街であれ、
「自分の居場所」を確保できるかどうかはとても重大なことです。
アキが苦手だった潜りを克服して海女という「仕事」を得ようとしたのも、
地元の訛りをいち早く口にしたのも(本人は「訛りの強い袖が浜の海女と一緒にいるから」と言っていますが)、
僕はアキなりの必死のサバイバルだったんじゃないかと思います。


余談ですが、東京から北三陸に引っ越した途端の、アキの豹変とも言える性格の変化について、
僕は当初、違和感を感じていました。「そんなに性格変わるものか?」と。
この点について、アキはユイちゃんにこう語っています。
「おら、東京だとびっくりするくらいキャラ違うんだ」と。
性格が変わったのではなく、「キャラ」が変わっただけだというセリフに、
僕はものすごくリアリティを感じ、いっぺんに納得しました。
TPOに応じて服を着替えるのと同じように、
確かに僕らは付き合う相手や属する集団によって振る舞い方を変えています。
それは必ずしも演技というわけではなく、無意識にできてしまう本能的な処世術というべきでしょう。
(とりわけ自分を取り巻く環境に敏感な10代にとっては重要なテクニックです)
アキの変化を「キャラ」という一言で済ませてしまったクドカンの手際と感性は、素晴らしいと思いました。
物語全編を通して僕はこのセリフに一番しびれました。



「故郷」の話に戻ります。
かつては大嫌いだった北三陸に、再び向き合うことを決めた春子やユイ。
未知の土地だった北三陸に自分の故郷を見出したアキ。
一見正反対のようですが、両者とも、自分の意思でその場所を「選んだ」という点では共通しています。
この場合の「選ぶ」とは、そこに住むということではなく、
その場所を自覚的に「故郷」という地位に置くということです。
平たく言えば「ここが私の故郷!」と、自分の中で決めてしまうことです。
東京生まれのアキの場合はもちろんですが、北三陸生まれの春子やユイも、
例えば春子は夏ばっぱとの関係の中で、ユイは自分の夢と折り合いをつける中で、
2人とも最終的に北三陸を「ここが私の故郷!」と決めたんだろうと思うのです。

これは特殊なケースではないと思います。
例えば、進学や就職で実家を出た途端、
住んでいるときは何とも思わなかった地元の風景や友達が、
自分にとっていかに大切だったかに気付く、ということはよくあります。
このとき、その人の中では、今まで気づかなかった故郷の価値に気づくという、
「故郷の再発見」が起こっているのだと思います。

生まれ育った土地を大人になっても離れない人であっても、
これだけ高速道路と電車が発達した世の中ですから、
それまでの人生のどこかの局面で「別の場所に移り住む」という選択肢が一度はあったはずです。
にもかかわらず、その場所を離れていないということは、
(何らかの事情で「離れられない」という人を除いて)やはり選択をした結果であろうと思うのです。
だから、故郷というものは、生まれ育った場所が自動的になるのではなく、
どこかのタイミングで自分の意思で選ぶものなんじゃないかと思うのです。

じゃあ、僕の場合はどうなのか。
僕がなぜ、『あまちゃん』を見ながらモヤモヤしていたかというと、
僕自身は「故郷を選ぶ」には至っていないからです。


故郷を「嫌い」になる

僕は、物心ついてから約20年、神奈川県の藤沢というところで育ちました。
「藤沢出身です」と自己紹介すると、たいていの人が「いいね〜」と返してくれます。
確かに海はあるし、冬でも暖かいし、江ノ電が走っていたりしてのんびりしているし、
客観的に見てもいい街だとは思います。
実際、大人になっても藤沢から離れない人、外に出ても再び戻ってくる人が大勢います。
でも僕は、少なくとも現段階では藤沢に戻る気はないし、
今でさえ、お盆と正月とどうしても必要な用事がある場合を除いて、基本的には足を向けません。

理由はいくつかあるのですが、
多分、一番の理由は、「藤沢を嫌いになるように自分を仕向けた」からです。

実は、東京に出てきてすぐの頃は、藤沢が恋しくて仕方ありませんでした。
用もないのに藤沢に行って、ネットカフェで一晩過ごして帰ったこともあります。
そして、藤沢への思いが募れば募るほど、
その反動で今住んでいる場所(=東京)がどんどん嫌いになっていきました。
「なんで海がねえんだよ!」とか、
「なんで有隣堂(神奈川では有名な書店チェーン)がねえんだよ!」とか。

でも、そうやって不満を膨らませていても、鬱屈が溜まるだけでいいことはありませんでした。
だから僕は、どうにかその気持ちを押さえ込む必要がありました。
そのために取った方法が、「藤沢を嫌いになる」ということでした。
幸か不幸か、ちょうどその頃、藤沢に関することでものすごく嫌な体験が重なり、
それに背中を押される形で、自然と藤沢と距離を置くことに成功したのでした。

こうして書くと、なんとも荒療治というか、不器用というか、
もっと他にやり方あるだろうと我ながら思うのですが、
当時はそれが一番いい方法だと信じて疑わなかったんですよね。
ただ、結果的には藤沢から離れられて良かったと思っています。
故郷への感傷というのは要するに過去への感傷ですから、
追求するのは不毛というものです。
(だから、過去への感傷を「地元愛」なんていうもっともらしい言い方に変えて、
地元から出ない人間や帰ろうとする人間を、僕は軽蔑しています)
少なくとも、今の僕は当時の僕よりもはるかに精神的にはフラットな状態を維持できている。

しかし、それじゃあ、僕が「故郷の再発見」をするときが来るとすれば、
それは一体どういうときなんだろうと考えます。


大吉さんの悲壮感と
ユイちゃんの「否応ない」決意


話は再び『あまちゃん』に戻ります。
物語の主要キャラクターの一人に、大吉さんという人物がいます。
大吉さんは高校卒業と同時に、開業したばかりの北三陸鉄道に就職し、
以来20年以上にわたって北三陸をなんとか盛り上げようと奮闘してきました。

僕は大吉さんがものすごく好きだったのですが、
それは、彼の行動には、単に「北三陸大好き!」という陽気な郷土愛だけでなく、
むしろ「最後の一人になっても北三陸に踏みとどまってやる」という意地や、
「故郷から離れられない」「ここで生きていくしかねえ」という諦めといった
悲壮な決意みたいなものが見え隠れして、とても人間くさかったからです。
北鉄開業当時を懐かしんで『ゴーストバスターズ』を歌っちゃうのも、
「K3NSP(北三陸をなんとかすっぺ)会議」なんていうイタいネーミングをつけちゃうのも、
その裏に大吉さんの悲壮感を感じるから面白かったんだと思います。
(そういえば『あまちゃん』という物語自体が、大吉さんのやぶれかぶれなウソから始まったのでした)

大吉さんに限らず、北三陸に住む大人たちの中には、
無邪気に故郷を愛しているだけの人はいません。
みんな、街の未来に不安を感じていて、
いつまで住み続けられるのだろうかという葛藤を抱えています。
そして、葛藤を抱えたうえで、それでも北三陸への愛が捨てられなかった人たちだけが、
あの街に残ったのだろうと思うのです。

だから僕は、「故郷を選ぶ」「地元に帰る」ということは、
決して心癒されるだけのものではなく、
別れたりヨリを戻したりを繰り返した挙句にようやく結婚を決めた恋人同士のように、
「この人は色々問題があるけどそこは目をつむり、連れ添うと決めた!決めたんだもん!」みたいな、
「覚悟」とか「諦め」とかに近いものなんじゃないかと思うのです。

ドラマでは、アキの親友のユイちゃんが、まさにこのような過程を経て、
北三陸を「故郷」として受け入れていく様子が描かれていました。
誰よりも東京に出たいと望んでいたユイちゃんが、
最終的に北三陸で「ご当地アイドル」としてやっていこうと決めるまでには、
夢への挫折や、家族との衝突、さらにはグレて高校を退学するという、
けっこうキツい体験の数々がありました。
そして、彼女の北三陸で生きていこうという決意は確固としたものではなく、
どちらかといえば「否応なく」というニュアンスのもので、
これからも何かがあればその決意は揺らいでしまうんじゃないかという気がします。
きっと、ユイちゃんはそれを繰り返しながら生きていくのだろうし、
彼女と多かれ少なかれ似たような体験を経て大人になったのが、
大吉さんら北三陸の大人たちなんだろうと思います。


もう一度僕の話。
実は最近、子供の頃に住んでいた家の近くを久しぶりに歩きました。
当時の家は既に壊されてきれいなアパートになっていましたが、
近所の公園や狭い路地沿いの雰囲気などはそのままでした。
正直、強烈な懐かしさがこみ上げました。
過去への感傷は禁じたはずなのに、それでも神経反射的に懐かしさがこみ上げるほど、
自分の中には藤沢に対する愛着があるんだなあと痛感してしまいました。

多分、僕が「故郷を選ぶ」ときがくるとしたら、
それは、藤沢に愛着を覚えてしまうもう一人の僕自身を、受け入れるときなのだろうと思います。

「藤沢は嫌い」と言いながら「やっぱり好きでした」というのは、
なんかあまりにレベルが低くて、僕いま、すごい恥ずかしいです。
恥ずかしいんですが、そういう恥をかきながら、
「嫌い」という自分を「好き」という自分に重ね合せていく(「元鞘に戻る」みたいなイメージ)が、
多分、僕にとっての「故郷の再発見」なのだろうと思うのです。


ドラマのラスト1か月は、震災後の北三陸が描かれました。
震災については藤沢も他人事ではなく、
南海トラフや東海地震が起きたら、かなりの確率で津波が押し寄せると言われています。
もしそうなった場合、アキや種市先輩や安部ちゃんが続々と北三陸に帰ったように、
多分僕も駆けつけるんだろうと思います。
でも、「失って初めて自分にとっての故郷がどこかわかった」というのだけは避けたい。
何かが起きる前に(もちろん、そんなことはあってほしくはないんだけど)、
僕は僕の故郷をもう一度発見しなければいけません。



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