kingodzi01

特撮映画の面白さは
「くだらなさ」と表裏一体だ


映画『パシフィック・リム』を見てからというもの、特撮映画のことばっかり考えてます。
あの映画がなぜあんなに面白かったのかというと、
最先端の映像技術云々ではなく(それももちろんすごかったけど)、
巨大ロボットと怪獣が戦う!という、
「ど」がつくほどシンプル且つストレートな物語にあったんだと思うのです。

僕はずっと、CG(をはじめとする映像技術)がいかにリアルか、いかに美しいかということと、
「面白さ」というものは、本質的に関係ないんじゃないかと考えてました。

映像技術は本来、頭の中にしか描けないイメージを具現化する「手段」であるはずなのに、
近年のSFものやパニックものは、「映像技術の進化を観客に見せつけるために作られたもの」、
つまり、映像自体が目的化しているように思えてなりませんでした。
J・キャメロン監督の『アバター』が大ヒットしましたが、
あの作品のストーリーを正確に思い出せる人は、一体何人いるのでしょう。

確かに映像技術の進化は表現の可能性を広げましたが、
(ブラッド・ピット主演の『ワールドウォーZ』では、モブシーンに映る何百体というCGのゾンビの一つひとつに対し、
 AI(人工知能)を付けて「勝手に」「自由に」演技をさせたそうです。つまりこれからはエキストラが要らなくなる?)
ストーリーもそれにつられて複雑化の一途をたどり、
その結果、映像の印象は残っても肝心のストーリーが頭に入らない、本末転倒な作品が増えた気がするのです。
(僕は映像技術とストーリーがいいバランスで拮抗していたのは、
 『ターミネーター2』と『ジュラシック・パーク』が頂点だったと思います)

もちろん、ストーリーよりも「映像ショー」を見たいという人、
あるいは「複雑さのための複雑さ」を究めたような難解なストーリーを好む人もいるでしょう。
でも僕は、こと特撮に関しては、シンプルで素朴で、もっといえばくだらないくらいの方がいい。
『アバター』の大ヒットを苦々しく思っていた僕は『パシフィック・リム』を見て、
「ほ〜らやっぱり!」と痛快な気持ちになったのです。


1962年に公開された『キングコング対ゴジラ』という映画があります。
『ゴジラ』(54年)、『ゴジラの逆襲』(55年)に続く3本目のゴジラ映画、
しかもシリーズ初のカラー作品として制作されたこの映画は、
動員数1255万人という空前の大ヒットを記録。
これは計算上、当時の日本人約7.5人に1人が観たことになり、
今日に至るまで、ゴジラシリーズでこの記録を破った作品は生まれていません。

さらにはこの作品によって「主役のゴジラと敵役のゲスト怪獣が戦う」という、
その後のシリーズの原型が作り上げられました。
この映画がなければゴジラはシリーズ化されず、
それどころか、その後60〜70年代へと続く東宝特撮映画の黄金期も無かったでしょう。
ウルトラマンや大映の『大魔神』『ガメラ』シリーズまで含めた日本の特撮映画の歴史の中で、
『キングコング対ゴジラ』は極めて重要な役割を果たしたのです。

このように、まさに記念碑と呼ぶべき作品なのですが、
実はこの映画には「突っ込みどころ」が満載です。

例えばゲスト怪獣であるキングコングの造形。
起きてるのか寝てるのかわからない、常に半眼気味の顔つきはどう言い繕っても不細工だし、
着ぐるみの設計ミス(?)により肘と手首の間にあるはずのない関節が生まれ、
いつも腕が折れてるように見えるのも、かなり不気味。
コングの権利者である米映画会社RKOは、出来上がった映画を見て
あまりに造詣のひどさにブチ切れたそうです。

僕が一番おかしかったのは、キングコングが眠る南海の孤島・ファロ島の住人を、
生粋の日本人たちが演じていることです。
日本人の集団が、褐色の肌を表現するために顔や手足に茶色のドウランを塗りたくり、腰みのを付けて、
怪しい言語を口にしている光景というのは、いくら映画とはいえ、かなりクルものがあります。
(一番面白いのは、現地人の通訳役を演じる大村千吉で、終始カタコトの日本語でお芝居をします)

映像技術だって、ハリウッドのCGを見慣れた身からすれば、そりゃあ拙いもんです。
戦車もミニチュアも手作り感に溢れてるし、
そもそもゴジラもコングも「中に人が入ってる」感に満ち満ちています。

で、僕が何を言いたいかというと、このようにたくさんの「突っ込みどころ」があるにもかかわらず、
この『キングコング対ゴジラ』という作品はめっぽう面白い、ということなのです。
なぜなのか。
それは、この映画が徹頭徹尾「怪獣の大暴れ」を描いているからです。

この映画のストーリーについて説明しようとすると、

「南の孤島に伝わる謎の巨獣伝説!」
「深海より現れた大ダコが、いたいけな母子に魔の手を伸ばす!」
「ベーリング海で見つかった謎の発光現象と、消息を断った原子力潜水艦!」
「自衛隊出動!ゴジラ埋没作戦実行セラル!」
「若き乙女をさらったキングコングが国会議事堂に迫る!」
「ゴジラ勝つかコング勝つか!富士山麓を舞台に繰り広げられる果てなき死闘!」

どうです。ほとんどコピーになっちゃいます。
しかもこの、「!」が連続する、ギラギラに脂ぎったエンターテインメント感。
『キングコング対ゴジラ』という映画は、過剰なほどのサービス精神をもって、
とにかく始めから終りまでひたすら怪獣が暴れまくるシーンの連続なんです。

こういうのを「くだらない」と思った方は、ある意味では正しい。
というのも、特撮映画の面白さは常に「くだらなさ」と表裏一体で、
むしろ、どれだけ「くだらなさ」に肉迫できるかに比例するといっても過言ではないからです。
だって、僕らが「見たい!」と考えるもの、ロマンを感じるものって、大体がくだらないものです。
くだらないというのが言いすぎなら、「素朴」あるいは「プリミティブ」と言い換えます。
例えば「宇宙」。
例えば「恐竜」。
例えば「深海の巨大イカ」(←国立博物館、結局見に行けませんでした…)。

僕らが特撮映画に求めるものって、所詮その程度のシンプルなものだと思うのです。
というか、そもそも特撮映画って、そういうシンプルな「興奮欲求」に応えるためのものだった。
(怪獣とかロボットとかフランケンシュタインなどのモンスターとか)
『パシフィック・リム』が面白かったのは、そういう特撮映画の原点があったからだと思います。
逆に言えば、最近のSF映画は、僕ら観客の欲求が追いつかないレベルの映像まで作りだすことができるから、
大して面白くないのです。
(平成ゴジラシリーズが面白さを失ってしまったのは、
ハリウッドに対抗して「映像技術の進化」を最終目標にしてしまったからだと思います)


特撮映画の映像技術について最後にフォローしておくと、
僕は先ほど「ハリウッドのCGを見慣れた身からすれば拙い」と書きましたが、
特撮映画の方が優れているところだって、ちゃんとあります。

例えば怪獣の質感。
円谷英二の孫で、円谷プロの第6代社長を務めた円谷英明氏は、
著書『ウルトラマンが泣いている』(←これは面白い本でした)の中で、
「皮膚や体毛などの質感は、どう頑張ってもCGは特撮にかなわない」と書いていました。
僕もそう思います。
CGで作られたモンスターが傷を負うシーンを見てもなんとも思わないのに、
着ぐるみの怪獣がやられると「痛いッ!」と感じるんですよね。
これはもう絶対に、着ぐるみというリアルの「モノ」で撮影しているからに他なりません。
CGって乾いた質感になりますが、着ぐるみは濡れた質感になります。
この、怪獣の「ヌメッ」とした感じが「アヤしさ」を演出し、CGの迫力では出せない「怖さ」を醸し出します。
これが特撮が圧倒的に優れているところです。

また、怪獣のデザインも日本の特撮の方が優れていると感じます。
『パシフィック・リム』で唯一不満があったのは、怪獣のデザインでした。
あれだと、ただ単に気持ち悪いだけなんです。気持ち悪くて、でかいだけ。
怪獣に必要なのは気持ち悪さではなく、「アヤしさ」です。
例えばモスラ。成虫時の羽根のデザインとかものすごく美しいんだけど、
同時に体毛の質感とか、すごくアヤしい。
あの美しい羽根の中に、大量の毒粉が含まれている設定も、すごくアヤしい。
『地球防衛軍』のモゲラなんかも、ロボットという設定なのにやたらと生き物っぽくてアヤしい。
白川由美が入ってるお風呂の窓から見えるカットとか、たまらないですよねえ。

ハリウッドの場合、怖さだったら怖さ、かっこよさだったらかっこよさなど、
なにかと「完璧なデザイン」を追求しますが、
それに対して日本の怪獣は、どこか不完全で「抜け」があります。
(ウルトラマンの怪獣とか、妙なデザインのオンパレードです)
しかし、この「抜け」ている部分が、アヤしさだったり、妙に脳裏に残るインパクトを与える。
こういう独特の美学は、日本の特撮にしかないものだと思います。



それにしても、「特撮」とか「怪獣」とか、この字面だけでうっとりとしてしまいますねえ。
日本では1960年代に爆発的な怪獣ブームが起きました。
火付け役になったのはゴジラシリーズをはじめとする東宝特撮映画とウルトラマンです。
僕は『ゴジラvsビオランテ』(89年)から入った超後発世代ですが、
夢中になったのは、リアルタイムの平成ゴジラシリーズよりも、
昔の特撮映画の方でした。

見まくりましたねえ。近所のレンタルビデオショップにローラー作戦かけて。
あまりに特撮映画が好きなもんだから、
同級生たちにもその魅力を教えてあげたくてたまらなくなって、
怪獣の図鑑とか写真集を貸したり、
型紙で作ったジオラマの上にソフビ人形並べて「撮影会」を開いたり、
ビデオを見せて、その直後に理解度を深めるために「勉強会」開いたりしてました(全て善意です)。
そしたら、半年くらいで友達がいなくなりました。
「好き」を追求すると孤独になるという人生の真理を、僕は10歳にして特撮から学んだのです。
そしてその孤独さが、今度はロックに走らせる原動力となって、そのまま今に至るのです。はい。


浜美枝さんの色気も素晴らしい<キングコング対ゴジラ>予告編







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