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65年間ヒグマと向き合い続けた
「最後のアイヌ狩人」の言葉に震える


吉村昭の『羆嵐』を読んで以来、
「クマ」に惹かれるようになりました。

はじめは単純にクマ、特にヒグマという生き物の凶暴さや獰猛さに、
(彼らは生来凶暴なのではなく、自分の生命を脅かすものに対してのみ力を振るうと後に知るのですが)
怖いもの見たさに似たホラー的魅力を感じていただけだったのですが、
その後、カメラマンの田中康弘が書いた『マタギ 矛盾なき労働と食文化』や、
知床のハンター久保俊治氏が書いた『羆撃ち』(←これは名著!)などの本を読むうちに、
クマそのものだけではなく、マタギをはじめとするクマを狩る人間とその文化にも興味を持つようになりました。

古来、人間は山野でいろんな獣を狩ってきたのに、
クマだけは「特別扱い」をされてきた生き物でした。
例えば、アイヌには有名な「イヨマンテ」(熊送り)という儀式によって、
村を挙げてクマの魂を歓待するという伝統があります。
また、マタギの一大輩出地である秋田県の阿仁では、
クマが獲れるとまずは全員で祈りを捧げ、
その後近隣住民総出で骨一本、腱ひと筋に至るまで丁寧に解体する
「けぼかい」と呼ばれる伝統が今でもあるそうです。

雑誌『ユリイカ』が今年の9月号で「クマ」を特集していたのですが、
その中で人類学者の中沢新一が
「『クマ』と『カミ(神)』は日本語では確実に同じ語源から派生している」
と語っていました。
高タンパクの肉だけでなく、防寒具になる毛皮や薬となる内臓(熊の胆)、生活道具の材料になる骨や腱など、
クマは人間の生活をあらゆる面から支えてくれる貴重な存在でした。
そうした背景から、アイヌやマタギにとってクマは単なる「獲物」ではなく、
人間に恵みをもたらしてくれる神聖なものとして、畏敬の念を抱く存在だったのです。

上っ面だけを見れば「どうして神様なのに殺して食べるんだ」となっちゃうのですが、
アイヌやマタギの文化の中では、決してそれは矛盾していないのです。
実際、彼らは必要以上の乱獲など絶対にしないし、
前述のように獲ったら全身くまなく再利用する技術と知恵を受け継いでいます。
現代の都会に住む身からすれば到底一筋縄で括れない彼らの精神性、自然との関係性に、
僕は蓄積されてきた歴史の深さを感じます。

この数年、クマやマタギやアイヌ関連の本をたくさん読んできたのですが、
その中で今年の1月、究極と呼べる本に出会いました。
それが『クマにあったらどうするか』(木楽舎)。
約1年前に読んだ本ですが、今年は結局最後までこの本以上の衝撃作には出会えませんでした。

著者の姉崎等さんはアイヌ民族の血を受け継ぐ、最後のアイヌの狩人です。
幼い頃からアイヌの集落で暮らして猟を覚え、12歳の時には村田銃(!)を扱う狩人になったそうです。
以来、77歳で引退するまで北海道の千歳を拠点に狩人として暮らし、
その間に獲ったヒグマは単独猟で40頭。集団猟を含めると60頭に上ります。
近年はヒグマ防除の相談役や北海道大学のヒグマ研究のアドバイザーなどを務めてきました。

そんな姉崎さんが、自分の体験を語りつくしたこの本。
なにせ65年間も現役でハンターをやってきた人ですから、
エピソードの一つひとつがハンパじゃない驚きと迫力に満ちています。
「顔を見ればそのクマが大人しいか凶暴か分かります」なんてことをさも当然のように言うのですが、
(ちなみに顔が長くて頭が張っていないクマは「性悪」なんだそうです)
科学的根拠なんかなくても、「多分そうなんだろうなあ」と納得させられてしまうのは、
まさに、誰よりもクマと付き合ってきた経験を持つ者ゆえの説得力でしょう。
「性格のいいクマ」、「昔のクマと今のクマ」、「よそ者グマの不安」など、
目次で見出しを眺めているだけでも充分面白いのですが、
とにかく驚くほど細かくクマの習性や性格について姉崎さんは語りつくします。

面白いのは、姉崎さんも、やっぱり前述のマタギやアイヌと同じように、
クマたちを「敵」だとか「獲物」としては見ておらず、
むしろ長年の友人や家族のことを語るように、終始温かい口調でクマのことを語る点です。
しかし、そんな愛するクマたちも、かつてよりもだいぶ少なくなってしまったと、姉崎さんは危惧します。
それは、行政が北海道の山野に続々と自生種ではない針葉樹を植えてしまったため、
森の植生が根本から崩れてしまったから。
餌を失ったヒグマは急速に姿を消し、残ったヒグマは餌を求めて人里へ出るようになり、
必然的に人に危害を及ぼす被害が増えてしまいました。
ある意味では、乱獲よりも問題は根深いのです。

もちろん、姉崎さん個人の弁なので、異なった視点から検証する余地はありますが、
しかし、結局のところヒグマをはじめ北海道の動植物を最も深く理解しているのは行政でもマスコミでもなく、
姉崎さんのように「歴史の蓄積」を持つ現場の人なんだなあと、当たり前のことを痛感します。
なのに、姉崎さんが営林署やいろんなとこに足を運んで陳情に行っても相手にされなかったりして、
読んでてすごくやるせない気持ちになります。

その姉崎さんですが、今年の10月に亡くなりました。90歳でした。
おそらく、アイヌ狩人としての後継者はもういないでしょう。
仮に何らかの知識や経験を受け継いだ人がいたとしても、
今の時代では姉崎さんのように半生を山で過ごすようなキャリアを積むことは難しいかもしれません。
連綿と続いてきた何かが目の前でプツッと切れたような気がして、
姉崎さん死去のニュースを知った僕は強いショックを受けました。


まあ、ある伝統や文化が失われていくこと自体は仕方がない部分もあります。
そんなこと言い始めたら、世界の歴史は滅んだ文化や民族でいっぱいですし、
「淘汰」というもの自体は、優れた自浄システムなんだと思います。
ただ一方で、いろんなものが画一化・均一化されていく現代では、
ある文化や伝統が淘汰されていくスピードが恐ろしく速くなってるんじゃないかとも思うのです。

書いていてふっと思い出したのですが、僕の実家の近くで毎年夏にやっていた盆踊り大会が、
ある年を境にいきなり中止になりました。
理由は、例の和歌山のヒ素カレー事件でした。同じような事件が起きたらいけない、ってことらしいです。
吹けば飛ぶような小さな盆踊り大会だったのですが、
それでもその地域では間違いなく「夏の風物詩」として根付いていました。
だから、あまりにあっさりとした幕切れに、子ども心ながら空しさを感じたのを覚えています。
「あ〜、こうやって『何か』は終わっていくんだな」と。
昔だったらある程度放置していてもなんとなく続いていた地域のお祭りだとか習俗だとかは、
今では相当意識して「残そう」としないと、あっという間に跡形もなく消え去っちゃうのかもしれません。

※似た内容のことは以前にも書きました。
備忘録として/今日出会った方の話(2012年2月8日の記事)
『オオカミの護符』 小倉美惠子 (新潮社)(2013年1月12日の記事)

んで、歴史や文化といったものの保存や伝承は、金銭的にも意義的にも、
基本的には国や自治体などパブリックな組織が主導してやるべきだと思うのですが、
(実際、地域史編纂事業や地元博物館収蔵品の公開など、各自治体はすごく努力していると思います)
多分、そんな悠長なことは言ってられないんじゃないのかなあという不安はあります。

その一方で、この10年くらいで高年齢層にもネットが普及したこともあり、
趣味で地域史を研究しているおじさんだとか、自分の住む町について戦前の様子を記録していたおじいさんだとかが、
今ものすごい勢いでブログを書いています。
そういう人たちのブログを僕もいくつか読んでいるのですが、
驚くほど細かく且つ正確な史料研究をしていたり、
「あなたは本当に素人なの?」と聞きたくなるほど文章力が豊かだったりする、
すごい人たちがかなりたくさんいます。

例えば僕が定期的に購読しているものをいくつか紹介すると・・・、
GOLUのブログ
昭和一桁生まれの筆者が戦中・戦後の時代の東京の様子や世相について語る史料性の高いブログ
秩父・仙台まほろばの道
秩父や仙台に伝わる伝承や信仰などを紹介。知らないことばかりでいつも驚かされます
杜を訪ねて
関東を中心にありとあらゆる神社をひたすら写真に撮って掲載しているブログ。コンプリート感がすごいです
道にあるちょっと古いもの
トンネルや橋ばかりを紹介するブログ。時には山奥に分け入ってまで取材することも。こちらもコンプリート感がすごい
東京の河川
暗渠、開渠問わず東京中の川・用水路のデータを掲載しているページ。個人でここまでのデータベースを作り上げた熱意に脱帽

ブログは基本的にオープンで、なおかつアーカイブ性に優れているメディアですから、
そこを舞台にして綴られていく無名の有志の手による記録や研究、あるいはつながりというものが、
もしかしたら今後、「歴史」「文化」「保存」などの点において、
とても重要な役割を果たすんじゃないかと期待しているのです。
(もちろん、僕もその一助になりたい)

※以下に僕がこれまで読んできたクマ、マタギ、アイヌ関連書籍でとても面白かったものを紹介します。



















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