2014年1月。
イギリスに1週間ほど滞在する機会を得たので、
リバプールを訪ねてきました。
そう、ビートルズの故郷です。
今回から数回に分けて、その時のことをレポートします。

1回目は、リバプール市街の中心にある細い路地、マシュー・ストリート。
ビートルズがホームグラウンドとしたライヴハウス「キャヴァーン」や
メンバーが通ったパブなどが並ぶ、ビートルズ初期の歴史が詰まった場所です。

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まず初めに、そもそもリバプールという街がイギリスのどこにあるのかを確認。

より大きな地図で 英国リバプール を表示

ロンドンから北西に約300km。
アイリッシュ湾に面した港湾都市で、アイルランドとの玄関口であることから、
イギリスの中でもアイリッシュ系の住民が多い街です。

リバプールの街は、マージー川の河口の東岸沿いに広がっています。
liverpool city map

実際歩いてみた印象だと、上の地図の青線で括ったエリアがいわゆる市街地。
せいぜい2〜3km四方に収まるくらいなので、「大都市」という感じではありません。

今回紹介するマシュー・ストリートとその周辺のエリアは、
下の地図の赤い丸で囲ったあたり。
リバプール市街の中でも特に人通りの多い繁華街です。
mathew street map

ピンクのポイントは、ライム・ストリート駅
200年近くに及ぶ歴史を持つ、街で一番大きな鉄道の駅で、
ビートルズのメンバーもロンドンやハンブルグへ移動する際には利用したはずです。
僕もリバプールへは飛行機ではなくあえて鉄道を使いました。

ついにやってきた!
気分はまさに「聖地巡礼」です。
IMG_0946


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■レコードショップ「NEMS」跡
まず最初に訪れたのは、ここ。
P1030336

チャーチ・ストリート(ロード・ストリート)とホワイトチャペルの2つの大きな通りが交わる、
繁華街エリアの中心にある交差点です。
上の写真に映る白いビル。
この場所に、かつてレコードショップ「NEMS」がありました。
ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインが、まだビートルズと出会う前に経営していたお店です。
正式名称は「North End Music Store」。

1961年、レイモンド・ジョーンズという少年がNEMSにやってきて、
「ビート・ブラザーズ(ビートルズのこと)の『マイ・ボニー』というレコードはありますか?」
と尋ねたことが、ブライアンがビートルズを知るきっかけになり、全てはそこから始まった
・・・という、ビートルズ・ヒストリーの代表的な「伝説」の舞台です。
※詳しくはこちらの記事→『ビートルズの謎』 中山康樹 (講談社現代新書)

NEMSはかなり大きなお店だったそうです。
写真のように、今はFOREVER21の大型店舗になっていて当時の面影はありませんが、
現代消費社会の最前線を行くような立地条件が逆に、
かつてのNEMSの人気の高さを物語っている気がします。



■楽器屋「Hessy's」跡
NEMS跡から少し進むと、「WONGS」という宝石店とホテルが並ぶ一角があります。
P1030333

ここにはかつて、ビートルズのメンバーが楽器を買った「Hessy's(ヘシーズ)」という店があったそうです。
リッケンバッカーもヘフナーも、みんなここで買ったんでしょうか。
なぜメンバーはこの店を選んだかというと、
リバプールの楽器屋の中で「Hessy's」だけは“ツケ”がOKだったんだそうです。
ブライアン・エプスタインがマネジャーに就任してまず初めにやった仕事は、
溜まりに溜まったHessy'sのツケを支払うことだったとか。



■「エリナー・リグビー」像
さらに進むと、ベンチに座った女の子の彫刻が。
P1030324

「エリナー・リグビー」像です。
P1030327

アルバム『リボルバー』に収録された<エリナー・リグビー>にちなんで、
歌の主人公の女の子をモデルに作られたブロンズ像です。
1982年に作られました。
像の後ろの銘板には「All The Lonely People(全ての孤独な人に捧ぐ)」という、
歌詞の一節が刻まれています。

そして、通りを挟んだ向かいにはこんなホテルがありました。
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エリナー・リグビー・ホテル」。
営業してんのかな…。



■いよいよマシュー・ストリートへ
そして、エリナー・リグビー像のある角を曲がれば、
いよいよそこが「マシュー・ストリート」です。
「The Beatles」の幕が張られています。
P1030323

思ったよりも細く、そしてゴチャッとした通りです。
ストリートというよりも「路地」というニュアンスが近い。
そして、いたるところにビートルズを見つけることができます。
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P1030285

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こんなお店もありました。オイスター・バー「RUBBER SOUL」。
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■ジョン・レノン像と「キャヴァーン・クラブ」
さらに進んでいくと、ジョン・レノンの彫像が立っていました。
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地元のアーティスト、アーサー・ドーリーによって作られたそうです。
よく見ると、ジョンがもたれかかっているレンガの一つひとつにバンドの名前が彫られています。
これはキャヴァーン・クラブに出演した計1801組のバンド名なんだそうです。
中にはローリング・ストーンズクイーンの名前もあるそう。

まるでジョンがマシュー・ストリートを見守っているようにも見えます。
・・・と、向こうに「Cavern」の文字が!
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ついに発見。伝説のライヴハウス、キャヴァーン・クラブです。
P1030301

おおお・・・。
「ついにここまで来たんだ」という感動が湧いてきます。
ちょっと涙出そう。
※キャヴァーンのレポートはまた改めて書きます。



■パブ「ザ・グレイプス」
キャヴァーン・クラブのはす向かいにある老舗のパブ「ザ・グレイプス」。
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ここは別名「ビートルズのパブ」と呼ばれている店で、
キャヴァーンのステージを終えたメンバーが足しげく通ったんだそうです。

せっかくなんで入ってみました。
IMG_0952

いわゆる「地元の飲み屋」で、中にいたのは近所のおじさんばかり。
ビートルズファンにとっては聖地のような場所にもかかわらず、
全く観光地化されてないのが感動的です。
でもその分店員さんの対応はものすごく素っ気ないです…。

半端じゃないリバプール訛りの店員さんとなんとか会話して注文しました。
P1030295

フィッシュアンドチップスとサラダとマッシュポテト(&得体の知れないソース)。
味は、ハッキリ言って、不味いです。
(1週間のイギリス滞在で一番不味かったのがこのグレイプスでした…)
しかし、この味をビートルズのメンバーも味わったのかと思えば、
味の良し悪しを超えた感動というものがあります。

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実際に歩いてみたマシュー・ストリートは、
予想していたよりも「暗い」通りでした。
それは、狭い道幅ギリギリにまで建物が迫り、
日が暮れると急に暗くなるという物理的な理由もあるのですが、
ストリート全体の雰囲気がそう感じさせるような気がしました。

イメージ的には、歌舞伎町あたりの裏路地といえばいいでしょうか。
一本隣は写真にもあったような都会的で人通りの多い華やかな通りなのですが、
マシュー・ストリートは、今にも飲んだくれた船乗りが出てきそうな暗く湿った空気が漂っていて、
まるでそこだけ時間が止まっているようでした。
観光地化された今でさえそうなのだから、
ビートルズがいた50年前はきっとさらに猥雑でアンダーグラウンドなエリアだったのでしょう。
そこに、“アイドル”でも“アーティスト”でもない、
一介の若者だったビートルズの生々しい息遣いを感じた思いでした。

★MAP★

より大きな地図で マシュー・ストリート を表示
パープル:NEMS跡
水色:楽器屋Hessy's跡
:エリナー・リグビー像
ピンク:ジョン・レノン像
:ザ・グレイプス

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※次回は、リバプール市街の他のエリアにあるビートルズゆかりの地について書きます。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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