2014年1月。
僕はビートルズの故郷、英国のリバプールを訪ねました。
「ビートルズ探訪記」と題して、何回かに分けてその時の様子をアップします。

前回はマシュー・ストリートと周辺エリアを紹介しましたが、
2回目となる今回はリバプール市街の、主に南側のエリアの「ビートルズ・スポット」を紹介します。
メンバーが通っていた学校やパブなど、無名時代の彼らの足跡をたどります。
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#第1回「マシュー・ストリート編」はこちら
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かつて海運と造船が盛んだった時代はイギリス有数の港町として栄えたリバプール。
しかし20世紀後半に入り海運業が廃れると途端に不況に陥り、
以来、街に代わりとなる産業は生まれず、今に至るまで状況は大きくは変わっていません。

僕はスコットランドのエディンバラからリバプールに入ったのですが、
街そのものが世界遺産という観光都市であり、長い歴史の中で洗練されてきたエディンバラと比べると、
リバプールの建物や道は薄汚れていて、歩いている人の表情もどこか険しく、
街全体に疲労感が滲んでいるような印象を受けました。
そんなリバプールにとって数少ない「目玉」が、
プレミアリーグの強豪リバプールFCと、そしてビートルズなのです。

実際、前回紹介したマシュー・ストリートを中心に観光地化が進んでいるし、
後日紹介しますが、ジョンやポールの家はナショナル・トラスト(歴史的建造物)に指定されています。
街を歩いていても、例えば下の写真のように、HMVは壁一面をビートルズで飾っていたりと、
至る所で“ビートルズ推し”が目立ちました。
P1030344


ただ、今回紹介するのは、そういった観光地化されたスポットではなく、
案内板も何もない、街の中にひっそりと隠れている「ビートルズ史跡」です。



■ジョンが生まれた病院跡
ライム・ストリート駅の南側に伸びる、オックスフォード・ストリート(マウント・プレザント)という通りを西へ進むと、
ほんの5分ほどで右側に、ジョンが生まれた病院の跡があります。
P1030472

現在はLiverpool Medical Institutionという医療研究機関の建物がある場所に、
かつて「オックスフォード・ストリート産院」という病院がありました。
1940年10月9日、ジョン・レノンはこのオックスフォード・ストリート産院で産声を上げたのです。



■リンゴがドラムを覚えた場所
続いても病院つながり。
メンバーの中で最も病院と縁が深かったのは、リンゴでした。
6歳の時、盲腸から腹膜炎を併発したリンゴは、
リバプール市内の「ロイヤル・リバプール小児病院」に入院します。
治っては悪化を繰り返し、結局リンゴは約1年間もこの病院で過ごすことになりました。
ちなみにリンゴは13歳の時、今度は結核を患い、再びこの病院に担ぎ込まれたそうです。

病院には長期入院している子どものために勉強を教えてくれる病院内学級のようなものがありました。
その中の音楽の授業で、少年リンゴはドラムと出会います。
入院という体験がなければ、リンゴはドラマーになっていなかったのかもしれません。

「ロイヤル・リバプール小児病院」は、今はもうありません。
現在はThe City of Liverpool Collegeという大学の敷地になっています。
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■ポールとジョージの母校
上の2つの病院跡を見ても分かるように、
ライム・ストリート駅の南側一帯は大学や研究機関が多く、学生街になっています。
マシュー・ストリート近辺と比べるとぐっと静かで落ち着いた雰囲気。
そして、ポールとジョージの母校「リバプール・インスティテュート」も、
この学生街の中にありました。
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1825年設立という長い歴史をもつ、
街一番のグラマー・スクール(中等教育校)だったリバプール・インスティテュート。
教育に熱心な親たちは皆、子どもをこの学校に入学させたかったといいますから、
ポールとジョージが実はそこそこ「お利口さん」だったことが分かります。
もっとも、2人は勉強よりもバンドに夢中になって途中で退学することになるのですが。
自宅も近所だったポールとジョージは、毎朝同じバスを使って学校に通っていました
年齢は1歳半の違いがありましたが、音楽という共通の趣味があったことで一気に仲良くなったのです。

リバプール・インスティテュートは1985年、街の人口減少に伴って廃校することになってしまいました。
しかし、1996年1月、ある人物の呼びかけによって、
旧リバプール・インスティテュートは音楽や演劇、ダンスなどを学べる芸術大学として生まれ変わります。

その人物こそ、他でもないポール・マッカートニーでした。
生まれ変わった「リバプール・インスティテュート・フォー・パフォーミング・アーツ(LIPA)」では、
ポール自らが教壇に立つこともあるそう。
※「ポール先生」の写真↓(ビートルズ博物館「ビートルズ・ストーリー」蔵)
P1030557


さて、LIPAの前を走るマウント・ストリートのちょっとした広場には、
不思議なオブジェがあります。
(奥に見えるのがLIPAのエントランス)
P1030498

大小たくさんのカバンの彫刻が並んでいます。
P1030501

ギターケースもあります。
よく見ると、「Paul McCartney」という銘板が。
P1030502

実はこれ、リバプール出身の著名人が使っていた(という設定の)カバンを並べることで街の歴史を表現しようと、
LIPAが企画して作ったオブジェなのです。
もちろんビートルズの4人のカバンもあります。
ちなみに、上の写真では上下に二つのギターケースが重なっていますが、
上がポールのもので、下のケースはビートルズの初代ベーシスト、スチュアート・サトクリフのもの。
スチュの話は次の項に続きます。



■ジョンとスチュが通ったアートスクール
上で紹介したポールとジョージの母校(現LIPA)の隣には、
また別の学校が建っていました。
それが、「リバプール・カレッジ・オブ・アート」。
ジョンの母校です。
P1030508

現在はここもLIPAの校舎の一つになっているようですが、
要するにジョンの学校とポール、ジョージの通っていた学校というのは、
全くの隣同士だったわけです。
※前項の写真を再掲。左側奥の建物がLIPAで手前がカレッジ・オブ・アートです
P1030498

ジョンはこの学校で、無二の親友スチュアート・サトクリフと出会います。
画家の卵だったスチュは若き日のジョンにとって大きな影響を受ける存在であり、
2人は共同生活を始めるほど仲の良いライバルになりました。
やがてポールやジョージと共にバンドを始めたジョンは、
ベーシストとしてスチュを引き入れます。
ポールやジョージは、大好きなジョンを取られてしまったと思って、
当時はスチュに嫉妬したと語っています。

1960年、スチュはビートルズとしてドイツのハンブルグに巡業に行った際に、
写真家のアストリッド・キルヒヘルと恋に落ち、そのまま婚約。
翌年、画家としての道を進むためにスチュはビートルズを辞めることになりました。
ポールがベースに転向したのはこのときです。
しかしその2年後、ハンブルグでアストリッドと暮らしていたスチュは突然脳出血を発症し、亡くなってしまうのです。
ビートルズがレコード・デビューを果たす半年前のことでした。

スチュがバンドに在籍したのはわずか1年程度のことでした。
しかし、現在でも使われている「B」と「T」が縦に長い「THE BEATLES」のロゴや、
(「B」と「T」を目立たせたデザインは「BEAT」という言葉を強調させよういう狙いだそう)
初期ビートルズのトレードマークだったマッシュルームカットは、
いずれもスチュが造った(始めた)ことと言われています。
また、恋人のアストリッドも、デビュー前のビートルズの写真を多く撮影し、
それらは『Anthology 1』のブックレットなどで見ることができます。
ビートルズがスターになっていく姿を見ることなくこの世を去ったスチュアート・サトクリフですが、
彼の残した足跡は今もなおビートルズの歴史に残っているのです。

2人が共同生活を送ったアパートは、学校からほんの1ブロック歩いた場所にありました。
写真に映る3階建ての建物が、2人のアパートがあった場所。
現在の建物が当時のアパートそのものかどうかは不明です。
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■学生時代のジョンの行きつけのパブ
アート・カレッジ時代のジョンやスチュがよく通っていたのが、
学校から通りを1本隔てた場所にあるパブ「イー・クラック」。
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ジョンはこの店のブラック・ベルベット(黒ビールと果実酒のカクテル)を好んだそうです。
最初の妻シンシア・パウエルを誘ったのもこのお店だったんだとか。
※漫画『僕はビートルズ』でもこのお店が出てきますね。

今でも営業していますが、訪れたときは営業時間外だったので中には入れず。
目の前は細い路地で、住宅街の中にポツンと建つ、素敵な佇まいのお店でした。
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そしてもう一軒。
ジョンたちのたまり場として、イー・クラックと共に知られるのが「フィルハーモニック・パブ」。
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庶民的なイー・クラックに比べると、フィルハーモニック・パブはかなりダイナミックな建物です。
こちらも現在も営業しています。
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■最初のホームグラウンド「ジャカランダ・クラブ」
ビートルズがキャヴァーン・クラブに出演するようになる前にホームグラウンドとしていたのが、
学生街の西側エリアのスレーター・ストリート沿いにある「ジャカランダ・クラブ」です。
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現在も「THE JACARANDA」という看板は出ているものの、
中は工事中で営業していない様子でした。
オリジナルのジャカランダ・クラブは既に潰れているので、
キャヴァーンと同じように誰かが復活させたのかもしれません。

ビートルズの長編ドキュメンタリー「Anthology」には、
当時のジャカランダの中の様子が映っていますが、
曲がりなりにもステージと客席があるキャヴァーンとは異なり、
狭苦しくてかなり汚い場所だったようです。

しかし、ビートルズ(当時は「シルバー・ビートルズ」)はこのクラブに出演し、
経営者のアラン・ウィリアムズに見込まれたことでハンブルグ巡業のチャンスを手に入れ、
キャヴァーンへの道を切り開くことになるのです。



■リバプール大聖堂
最後に、リバプールのランドマークである「リバプール大聖堂」を紹介。
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イギリス国教会に属する大聖堂で、タワーの高さは101メートルもあり、イギリス最大の規模を誇ります。
1991年、ポールが作曲したクラシック作品『リバプール・オラトリオ』の初演会場として選ばれたのが、
このリバプール大聖堂だったそうです。

タワーの上からは、リバプールの街を一望できます。
向こうに見えるのがマージー河。
観覧車のあるところがかつての港湾施設で、
現在は再開発によって商業施設やレストランが並ぶ「アルバート・ドック」です。
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こちらはもう少し北側を向いたところ。
P1030522

中央やや右側に見えるタワーは、中心街に立つ「ラジオ・シティ・タワー」。
写真で言うと、タワーの左下あたりにマシュー・ストリートがあります。

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ビートルズのメンバーは、この街のことをどう思っていたのでしょうか。
彼らがスターになったことで、出身地であるリバプールも注目されましたが、
当の本人たちは、本当はこの街のことは好きじゃなかったんじゃないかと思います。
その証拠に、4人ともリバプールを出てから誰一人として、
再びこの街に住もうとはしませんでした。
リバプール・インスティテュートを再興するなど、ただ一人郷土愛を見せているポールでさえも。

本校の最後にリバプール大聖堂を紹介しましたが、
実はこの街には「大聖堂」と名の付く場所は2つあります。
一つがイギリス国教会に属するリバプール大聖堂。
そしてもう一つがカトリックのメトロポリタン大聖堂。
両者はホープ・ストリートという道1本によってつながっており、
距離は1kmと離れていません。

イギリス国内で、国教会とカトリックの大聖堂が隣接するような距離で並び、
しかも同じような規模を誇る都市は、リバプール以外にはないそうです。
圧倒的に国教会(≒プロテスタント)人口が多いイギリスで、
なぜリバプールだけは伝統的なカトリックの大聖堂が威容を誇っているのか。
それは、この街にはカトリック信者が大半を占めるアイルランド系移民が多く住んでいるからです。

しかし、リバプール社会におけるアイルランド系移民の地位というものは、決して高くはありません。
その多くは港湾労働者や臨時労働者として、下積み仕事を強いられてきました。
もちろん、裕福ではありません。
そしてそこに、冒頭述べた海運業の衰退という時勢が追い打ちをかけました。
リバプールの盛衰を最も敏感に感じてきたのが、アイルランド系の住民たちだったのです。

そして、ビートルズのメンバーのうち、ジョン、ポール、ジョージの3人は、
両親、もしくは片方の親がアイルランド出身者です。
リンゴはスコットランド系。
4人ともマイノリティに属する家系の出なのです。
彼らの音楽にかける情熱というものの背景には、
街の未来に対する閉塞感や、自分自身の将来に対する切実な不安があったのではないかという気がします。

実際に街を歩いてみると、リバプールの状況というのは、
かつてビートルズがいた時代からあまり変化していないように感じました。
あちこちで再開発が進み、見た目はきれいに生まれ変わっているものの、
冒頭述べたように、街にはどこか疲れた空気が漂っていました。
その中でビートルズが「街の目玉」として担がれている事実を、もし若き日のメンバーが知れば、
複雑な思いを抱くことになるのかもしれません。

★MAP★

より大きな地図で リバプール市内 を表示
:ライム・ストリート駅
:旧オックスフォード・ストリート産院
ピンク:旧ロイヤル・リバプール小児病院
水色:フィルハーモニック・パブ
:ジャカランダ・クラブ


より大きな地図で リバプール市内 を表示
:旧リバプール・インスティテュート(現LIPA)
水色:旧リバプール・カレッジ・オブ・アート
:ジョンとスチュの家
:イー・クラック
ピンク:リヴァプール大聖堂

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※次回はリバプール郊外に足を伸ばし、メンバーの子ども時代をたどります。
いよいよストロベリー・フィールズとペニー・レインが出てきます。


(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『二つの大聖堂のある町』高橋哲雄(ちくま学芸文庫)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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