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僕の友達は
「歌の中」にいた


※今日は暗い話ですよ…

佐野遊穂と佐藤良成による男女デュオ、ハンバートハンバート
僕は最近知ったのですが、結成は1998年と、
既に15年を超す長いキャリアをもっています。
5月にリリースされた本作は、通算8枚目のフルアルバム。

アコースティックなサウンドと、2人がピタリと寄り添う美しいハーモニー。
彼らの音楽はどこまでもシンプルで、それゆえに普遍的な聴き心地の良さがあります。
過去にはNHK「みんなの歌」に楽曲提供したこともあるそう。

でも、僕が彼らに惹かれたのは音よりも言葉でした。
本作のリードトラックであり、僕が彼らを知るきっかけとなった<ぼくのお日さま>は、
タイトルこそ優しげなものの、歌詞は相当ズシーンときました。
もっとも、それは歌詞そのものの問題ではなく、
歌の内容が、僕の人生の中で最も暗かった時期の記憶とリンクしてしまうという、
聴く者(つまり僕)とのめぐりあわせの問題です。

ぼくはことばが うまく言えない
はじめの音で つっかえてしまう
(中略)
こみあげる気持ちで ぼくの胸はもうつぶれそう
きらいなときはノーと 好きなら好きと言えたら

思いは溢れているのに、言葉が出てこないばかりに相手が去ってしまい、
結局残ったのは前よりも深い孤独感だけ、みたいな経験が、
10代から20歳過ぎにかけての僕には、ものすごいたくさんありました。

これが恋愛というシチュエーションでの出来事なら、
今頃僕も辻仁成的な人生を送っていたのでしょうが、
僕のその経験というのはほぼ100%、
アニメと特撮映画(たまに日本史)の魅力を他人に必死に説明するんだけど全然伝わらない
という状況で起きたものでした。

僕はね、これが大好きなの!」ということを誰かに伝えて、
あわよくばその誰かと「好き」という思いをシェアしたいんだけど、
あまりに好きすぎるものだから言葉が追い付かず、
口をついて出てくるのは「ゴジラはね、国宝なんだよ」なんていう、
濃厚すぎて誰も飲みこめないようなワーディングばかり。
サーッという音が聞こえるような冷たさで、一体何人の同級生が僕の周囲から去ったでしょう。
そして、サッカーでもバスケでもなく、アニメや特撮といったものにばかり心を奪われる、
己の感性の「非モテ」っぷりを何度呪ったでしょう。

そして、傍から見れば「アニメとか特撮とかどうでもいいことを押しつけてくるウザい奴」が、
学校という社会の中でイジメのターゲットにされるのに、大して時間はかかりませんでした。
『何かを好きになる』ということは、『孤独になる』ということなんだ」。
このことを僕は、クラスの人間から無視されながら、
コソコソと隠語で呼ばれ笑いものにされながら、身をもって学んだのです。

ハンバートハンバートの<ぼくのお日さま>の歌詞に戻ります。
この曲には後半、こんな歌詞が出てきます。

家に帰れば ロックがぼくを
待っててくれる ボリュームあげるよ

歌ならいつだって こんなに簡単に言えるけど
世の中歌のような 夢のようなとこじゃない

僕がギターを始めたのが、辛さのピークだった14歳でした。
当時、あまりに毎日辛いから、自分で特撮の脚本を書いたり小説を書いたりして、
ますます個人の世界にのめり込むようになっていたのですが、
そこに生まれた新たな、そして結果的にはアニメや特撮よりも巨大な「逃げ場所」になったのが、
ギター(ロック)でした。

家に帰ればロックが僕を待っててくれる」というフレーズは、痛いほど分かります。
僕にはアニメや特撮やロックがある、ということに、当時どれだけ救われたか。
リアルには友達はほとんどいなかったけど、
僕は『エヴァ』のアスカの中に、ビートルズの<Fool On The Hill>の中に、
自分を理解してくれる友達を見出していたのです。
僕には歌やアニメがあるからクラスに友達なんていらない」という気持ちが、
あの頃の僕にとって劣等感を慰め、プライドを維持するたった一つの方法でした。

それから20年近く経って、さすがにそういう殺伐荒涼とした気持ちになることは減りました。
しかし、こうして出し抜けに「家に帰ればロックが僕を待っててくれる」なんていうフレーズを耳にすると、
激しく共鳴してしまう部分が僕の中には残っていることを実感します。
『七人の侍』で、燃える水車小屋の前で捨てられた赤子を拾った菊千代(三船敏郎)のように、
「こいつはおれだ!おれは、この通りだったんだ!」と。

でも、よく考えてみたら、ついこないだもhotspringの<GOLD>を聴いて「これ俺だ!」と思ったし、
20代を通じてずっとthe pillowsを追い続けたのも、「これは俺の歌だ!」と感じたからでした。
結局、僕の中には、「誰かに理解されたい」と願う14歳の自分が、当時のままの姿で残っていて、
大人になった僕は、単にそれを「鈍感」というベールで隠すことに長けただけなのです。
だから、「むかしぼくはみじめだった」という本作のタイトルに対して、
僕はさらにもう一つのフレーズを付け加えたい。
いまでもぼくはみじめなままです」と。








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