旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
2日目の今日は川崎宿(神奈川県川崎市)から藤沢宿(同藤沢市)まで走ります。

(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎

1日目から約1カ月空いて、今日は8月頭。
季節はすっかり夏で、朝5時半の時点で既に気温は25℃。
おまけに前回は20kmの行程でしたが今回の走行距離は30kmを超える予定。
なかなか厳しいランになりそうです。

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■ (3)神奈川宿へ





スタートは前回ゴールした場所と全く同じ、川崎宿の「中の本陣」跡から。
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しばらくは川崎駅東口の繁華街の中を走ります。
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1kmちょっとほど走ると京急線・南武線の八丁畷駅を超えます。
道沿いは住宅街に。
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右側に熊野神社がありました。
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弘仁年間(9世紀前半・平安時代)に紀州熊野神社から勧請されたとされる古い神社。
なかなか雰囲気が良い神社でした。

例大祭が近いらしく、道沿いには紙垂(しで)が飾られていました。
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熊野神社から少し進んだ左手にある「市場の一里塚」。
日本橋から5番目の一里塚です。ここもお祭り仕様に。
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鶴見川を渡ります。
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鶴見川橋を渡ると左手に「鶴見橋関門旧蹟の碑」がありました。
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幕末に横浜が開港すると、攘夷浪士による外国人の襲撃事件が相次ぎました。
そのため、幕府はここに関所を設けて、江戸から横浜に入る人を監視したそうです。


ここまで真っ直ぐだった東海道はJR鶴見駅の手前で左(海側)に折れます。
写真は京急鶴見駅の高架下。
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京急線をくぐって駅前の商店街を抜けます。
おお、ベイスターズの旗が。
意外とこういうもので移動してきたことを感じる。
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やがて国道15号にぶつかります。六郷橋で分かれて以来ですね。
東海道のルートは国道を突っ切って、写真左手の細い路地へと伸びます。
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ここからは再び住宅街の中を進みます。番地でいうと鶴見区の生麦
写真に映る高架はJR鶴見線。国道駅がすぐ右手にあります。
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どうでもいいけど「国道駅」って名前、大胆に開き直っててすごい。



鶴見線の高架をくぐると、道沿いに魚屋さんが軒を連ねているのが目に入りました。
魚屋というか、ほとんどが「貝屋」さん。
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このあたり、昔は海岸沿いの道だったのでしょう。

脇の路地もいい感じ。
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そして旧道カーブ
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単なる住宅街かと思っていたのですが、
このあたりは走っててめちゃくちゃ楽しいです。



そして生麦といえば、生麦事件
国道15号と合流する手前に碑が立っていました。
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元々は道の左側(海側)にあったそうですが、高速道路の建設に伴って右側に移りました。
かなりきれいに整備されています。
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さて、東海道は再び国道15号へ合流。
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写真はJR新子安駅と京急の子安駅の中間を流れる入江川
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先ほどの貝屋さんもそうですが、川崎〜神奈川にかけての道沿いが
かつては漁村であったことを偲ばせる光景に出会えるのは、
やはり旧道だからこその醍醐味でしょう。



横浜駅のすぐ手前までやってきました。
写真に映る川は、滝の川。
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この滝の川に架けられた「滝の橋」を中心にして、かつて神奈川宿の本陣が置かれていたそうです。

ということで神奈川宿に到着。
川崎宿からここまで、ちょうど10kmでした。




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■ (4)保土ヶ谷宿へ





滝の橋の本陣をすぎると国道から青木町の商店街に入ります。
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実際に走っていると、地図を見なくても、
古い家が多かったり、昔からあるんだろうなあという小さな商店が並んでいたりといった「沿道の雰囲気」で、
旧東海道を嗅ぎ分けられるようになってきます。
実際に旧道時代からそこに住んでいるお宅が多いんだろうし、
住民が入れ替わったとしても、「街道」という特別な立地の名残は、
商店街のような形で残っています。

そして「寺社」というのも、旧道を嗅ぎ分ける目印の一つ。
この青木町の商店街にもありました。
洲崎大神(すざきおおかみ)です。
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1191年に源頼朝が館山の安房神社を勧請して建立した神社。
鬱蒼としていてとてもいい雰囲気。ひんやりとしていて、ちょっと休憩させてもらいました。
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商店街を突っ切ると、京急の神奈川駅の改札に出てきます。
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陸橋の青木橋でJRを渡ります。
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北品川の手前で渡ってからここまでずっとJRの線路よりも海側を走ってきましたが、
ここで久しぶりに陸側に移ります。



青木橋を渡って再び旧道へ。
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道の先が微妙に上り坂になっているのが分かるでしょうか。
実はこの先、保土ヶ谷から藤沢までは坂の多い難所コースなのです。
ここまでほとんど坂らしい坂を走ってないので、これが今回の旅で初の坂になります。


坂の手前の右側に神社(旧道の目印!)がありました。
大綱金比羅神社(おおつなこんぴらじんじゃ)です。
かつてはここに一里塚がありました。
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坂を上ります。
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このあたりは「台町」という番地で、その名の通り台地になっているんですね。
そして台地の頂上付近にあるのが「神奈川関門跡」。
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先ほど、川崎宿の先の鶴見川のたもとで見た「鶴見橋関門」と対をなす、
旅人を監視するための神奈川宿の西側の門になります。



台町を上った後はすぐに下り、その後は再び住宅街。
このすぐ左側50mを横浜環状1号線が通っています。
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さらに進むと、再び商店街が出現(ほら!)。
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わざわざアーチがあるところがレトロでいいですねえ。
名前は「松原商店街」。


そして商店街を突っ切った先が、相鉄線の天王町駅
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高架をくぐって、駅前の道を南に向かって進みます。
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そしてこの道を真っ直ぐ進んだ先が保土ヶ谷宿。
高札場跡がありました。
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「高札場」というのは、幕府や藩の法令を貼り出す掲示板のようなもの。
多くの人が集まる宿場には、ほぼ例外なく高札場がありました。

ここで再び、東海道線を渡ります。
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そして、先ほどの台町を過ぎてからほぼ一本道で進んできた旧東海道は、
踏切りの先で、現在の国道1号と合流する形で直角に右(西側)に折れます。
その曲がり角が保土ヶ谷宿の本陣跡。
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信号機の隣に立っている細長い碑が本陣跡
手前の道が国道1号です。

道のこちら側に脇本陣跡もありました。
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保土ヶ谷宿に到着です。神奈川宿からはあっという間。
距離にして5kmちょっとしかありませんでした。



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■ (5)戸塚宿へ





いよいよ後半戦です。

ここまでの走行距離は約15kmで予定のちょうど半分くらい。
普段ならこの程度はむしろ短いくらいの距離だし、
おまけに写真を撮りながらなのでかなりゆっくり走っているのですが、
実は既に疲れ始めています。

その原因は、荷物
実は、背中のランニングバッグには、服が丸々2着分入っているのです。
予備の水や財布など細かいものも含めて重さは約3.5kg(試しに家の体重計で測りました)。
たかが3.5kgなのですが、延々背負って走っていると、
背中、肩、ふくらはぎあたりにじわじわダメージが蓄積されていくのが分かります。

なぜ服が2着分も入っているかというと、1着は帰りの電車用
(汗だくのまま電車に乗るわけにはいきません)
そしてもう1着は、ランニングの途中で着替えるための予備のウェアです。
「予備のウェアなんて要らないんじゃないか?」と思われるかもしれませんが、
みなさんはご存じないのです。夏のランニングでかく汗の量のものすごさを。
どのくらいすごいかというと、Tシャツ短パンは言うに及ばず、
靴下がジャーッ!と絞れるくらいの量、といえば伝わるでしょうか。
(ちなみにこの日、僕が摂取した水分の量は全部で5.2リットルでした。その間トイレはたったの1回)

そういうわけで、ランニング中に着替えられる準備をしておかないと、
服を着たままお風呂に入っちゃいました!みたいな状態で
後半のつらい時間帯を走らなければいけないのです。

この日もしっかり、予備のウェアが活躍しました。
1号線を進んだ先、再び脇道(下の写真右側の道)へと逸れた先のコンビニで、
全身フル着替えをしました。
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そしてここで着替えたのは、単に行程のちょうど半分だからというだけではありません。
この後に今日最大の難所が待ち受けているからです。
それが、これ。
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右側の案内板の「権太坂」の文字が読めるでしょうか。
箱根駅伝2区の難所として知られる権太坂ですが、本物はこっち(旧道※駅伝は国道)の方。
1kmほどの距離の間に一気に60m強を上ります(傾斜度6%)。

写真で斜度が伝わるでしょうか。かなりエグイです。
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上から見下ろしたとこ。
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1kmで60m上ると書きましたが、
正確に言うとそのうち50mの高さまでは、最初の500mで上ります。
つまり圧倒的に前半がきつい。

途中、権太坂の石碑がありました。
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権太坂という名前は、旅人が道ばたのお年寄りに坂の名前を訪ねたところ、
そのお年寄りは耳が遠かったため自分の名前を聞かれたと思い、
「権太」と答えたところからきているそうです(『新編武蔵風土記稿』)。
坂のエグさとは裏腹に、ネーミングの由来はずいぶんのどかじゃねえかオイ。



そして、権太坂を上りきったところにあるのが「境木地蔵尊」。
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小さな林に囲まれた静かな地蔵堂です。
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実はこのあたりが、ちょうど武蔵国相模国との境になっていました。
境木、という名前はここからきています。
近くに標柱が立っていました。
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さて、ここから今度は一気に下ります(やれやれ忙しい)。
坂の名前は焼餅坂。昔は坂沿いの茶屋でお餅が売られてたそうです。
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少し進むと一里塚の跡がありました。
この「品濃一里塚」は日本橋から9番目の一里塚で、
ほぼ江戸当時のままの姿だそうです。
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道は完全に住宅街の路地。
ここがかつて日本の交通の大動脈だったとは信じられないようなのどかな道です。
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この先に陸橋があります。その下は環状2号線。
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このあたりは品濃坂と呼ばれる坂だったそうです。
すぐ近くにJR東戸塚駅があります。



坂を下りきると川とぶつかりました。
平戸永谷川というそうです。少しだけこの川沿いを進みます。
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この日差しの強さ、分かります?
建物の陰もないので、容赦なく体力が奪われていきます…。



やがて国道1号線に合流。
ここから今日のゴールの藤沢宿までは、ほぼ国道1号沿いを進むことになります。
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不動坂交差点。
ここで一瞬だけ国道1号線から分かれて左側の小さな道へ。
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再び国道1号線に合流。戸塚駅までもうすぐです。
ここで見つけたのが、江戸方見附跡
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見附」というのは元は番兵を置いた軍事施設のことで、
例えば江戸城の外濠沿いには「赤坂見附」「四谷見附」「市ヶ谷見附」といった多くの見附がありました。
(飯田橋駅西口に蔦の絡まった巨大な石垣がありますが、あれは「牛込見附」の跡ですね)

東海道の各宿場の入口にもこうした見附があり、
江戸側にあるものが「江戸方見附」、京都側にあるものが「上方見附」と呼ばれています。
もっとも、東海道の見附は軍事施設というよりも、
「ここから○○宿ですよ」という、各宿場の入口(出口)を表す一種の標識だったそうです。
つまり、ようやくここで僕も戸塚宿へ入ったことになります。



さらに300mほど進むと吉田大橋。ここで柏尾川を渡ります。
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上の写真のパネルに載っている絵は、歌川広重の「戸塚 元町別道」。
橋のたもとに「左かまくら道」という石柱が描かれているのですが、
ここは東海道、かまくら道、さらにもう少し先に八王子道と、
主要な街道が交差する交通の要衝だったそうです。



橋を渡るとJR戸塚駅。ここで本日3度目の東海道線横断です。
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同じく踏切り待ちをしているランナー2名は、どうやら僕と同じように東海道を走っているっぽい雰囲気。
(バックパックを背負っている時点でかなりの長距離ランナーだと想像つきます)
ここからこの2人vs僕の、壮絶なデッドヒートが始まるのです…。



このまま国道1号沿いを進み、戸塚消防署の手前に本陣跡を見つけました。
戸塚宿には2つの本陣があったそうですが、そのうちの一つ「澤邊本陣跡」。
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なお、この標柱の裏手は今も澤邊さんが住まわれているそうです。

というわけで戸塚宿に到着。保土ヶ谷宿からはおよそ9.5km。
権太坂はエグいし、日差しはキツいし、既に乳酸はパンパンです。
正直、このあと藤沢まで走りたくない気持ち満々…。

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■ (6)藤沢宿へ





藤沢まで走りたくないのは疲れてるってのもあるんですが、
そもそもモチベーションが上がらない。
なぜなら藤沢は僕の生まれ故郷だから!
知らない土地を走るのであれば、その新鮮さが疲れを忘れさせてもくれるのですが、
20年暮らして見慣れまくった街へ向かう今さら感は、
むしろ疲労を2割増しくらいに感じさせます。

うおお、全然ワクワクしねえ。
しかししょうがない。行くしかないので走ります。

本陣跡から500mほど進むと、先ほどの「江戸方見附」と対になる
上方見附跡」がありました。
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つまりここが(京都に向かう僕にとっては)戸塚宿の出口になります。
どうでもいいですけど、さっきの戸塚宿江戸方見附跡はフォルクス、
こっちの上方見附跡はサイゼリヤと、両方とも今はファミレスが建っています。
旅人はここで腹ごしらえをしろってこと?なのかな。



この先の交差点でイヤ〜なものを見つけました。
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交差点の名前見てください。「大坂下」。
絶対この先上り坂じゃん。
なにこの「覚悟しとけよ」みたいな感じ。

そして実際に始まりました上り坂。
大坂」や「戸塚の坂」など呼ばれる難所です。
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1kmで約50m上ります(斜度5%)。
斜度だけ見れば権太坂(斜度6%)よりもほんの少し楽なのですが、
前半キツいけど後半は楽な権太坂と違って、
この大坂は同じような勾配が延々1km続きます。

歩道の先に、先ほどであったライバルランナーの方の姿が見えます。
見るからにベテランランナーさんだったのですが、
さすがにこの坂はキツいらしく、歩いていました。
(僕は走りましたけど!)

坂を上りきったとこ。
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写真の中央に「つり具」という看板が見えるでしょうか。
あそこが箱根駅伝の2区→3区の戸塚中継所
駅伝のコースは僕が走ってきた旧道ルートとは微妙に違うのですが、最後が上り坂であるところは一緒。
今年2014年大会の覇者・東洋大の2区ランナー、服部勇馬くんは走り終えた直後、
なにあの坂!ムリなんだけど!」と叫んでました。
確かに最後の最後でこのダラダラした上り坂はキツいだろうなあ。

そして坂を上りきったところで箱根駅伝のコースと合流。
ここから遊行寺までは箱根駅伝3区とまったく同じルートを走ることになります。
写真は国道1号と分かれ、県道30号線に入ったところの松並木。
木陰がありがたい……。
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そして間もなくすると遊行寺坂に入ります。
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別名「道場坂」と呼ばれるこの坂は、高低差約50m。
権太坂や戸塚の大坂同様の急坂です。
箱根駅伝3区では最初の勝負ポイント。そして復路8区ではランナーを最後に苦しめる難所です。

下りきる手前にあるのが、遊行寺
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下りきったところを右に折れて、境川を渡ります。
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境川を渡って国道467号に入ると、もう藤沢宿のまっただなか。
藤沢公民館へ入るこの路地のあたりがかつて本陣だったんだとか。
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本当はこの先に本陣跡の標柱が立ってたらしいのですが、
疲れ切ってるのと、地元すぎて新鮮味ゼロなのとで、思い切りスルーしました。
(だって藤沢公民館って昔、劇団の稽古で嫌というほど通った場所なんだもの)

というわけで、最後グダグダ気味でしたが、なんとか藤沢宿に到着。
川崎宿からここまで、32.40kmでした。
1日目(日本橋〜川崎20km)から一気に10km増えたというだけでなく、
読んでもらって分かるように、途中何度も坂のアップダウンがあったので、疲労感は比べものになりません。
おまけに暑かった!

次回3日目は、藤沢宿から小田原宿まで走る予定です。




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