旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
3日目の今日は藤沢宿(神奈川県藤沢市)から小田原宿(同小田原市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
台風が近づいているということでこの日はどんより天気。
予報では雨に降られるかどうか、ギリギリなところ。
正直走るかどうか迷ったのですが、
これから先、泊りがけになると雨に降られることもあるだろうということで、
その予行練習という意味も込めて走ることにしました。
--------------------------------------------------
■ (7)平塚宿へ
例のごとく始発に乗って、前回のゴール・藤沢宿の最寄駅、小田急線の藤沢本町駅へ。
駅の前の坂を上った伊勢山橋(下は小田急線)が今日のスタート。

本当は藤沢宿の本陣と伊勢山橋とは500mほど離れているのですが、
なにせこのあたりは僕の地元なので、知りすぎるほどに知っているこの500mは省略。
(藤沢本町駅なんて高校時代の通学駅でしたから)
今日のルートはひたすら大きな道(大半が国道1号)沿いを進むルート。
地図をこまめに確認する必要はない反面、正直面白さには欠けるコースです。
ただ、瞬間的に脇道に逸れるルートもあるので、そこらへんが見どころ(走りどころ)。
伊勢山橋から約1km。早速「脇道」が出現。
写真の右側の細い道へ。

道のカーブ具合とか見るとなんとなく左側が旧道じゃないかと思うんだけど、違うみたいです。
ちなみにこの脇道はわずか100mほどで再び元の大きな道(県道43号)に合流。
そして引地川を渡ります。

もうね、(しつこいようですが)めっちゃ地元!
なんの感動も感慨も無え!
藤沢本町から約2km。道路の案内板に早くも「小田原」の文字が現れました。

やがて1号線に合流。すぐに現れたのが一里塚跡。標柱のみ立っています。

茅ヶ崎市に入ります。

写真の通り、かつての東海道沿いは松の木が立っていたことにならって、
沿道は松並木になっており、国道沿いでありながら、とても情緒があります。
ここまで計6つの宿場を走ってきてなんとなく分かってきたことは、
こうした史跡を保存したり、標柱や案内板を立てて共有したりすることに対して、
熱意のある自治体とそうでない自治体があるということ。
ここまででとても好印象をもったのは、川崎市です。
標柱や碑だけでなく、必ず案内板を脇に立て、時には絵や地図入りで詳しい説明をしていました。
東京都の各区(中央、港、品川、大田)も横浜市も、ほぼ必ず説明板を用意していましたね。
茅ヶ崎市なんて、市内に宿場はなかったのに、
上の写真のように松並木を作ったり、歩道を石畳風(?)にしたり、とても熱意を感じます。
※茅ヶ崎の松並木にあった説明板。

まあ、石碑にしろ松並木にしろ説明板にしろ、道行く人のほとんどはスルーしちゃうんだけど、
あるときフッと地元の歴史を知りたいと思った時に、そのための手軽な環境があるかないかというのは、
ものすごく大事なことなんじゃないかと思います。
ルートに戻ります。茅ヶ崎駅の手前。一里塚がありました。

さっきの藤沢の一里塚からちょうど一里(約3.9km)、ということですね。
茅ヶ崎駅前の交差点。地下歩道をくぐります。

どうでもいいですけど、ここを右に曲がってすぐ左側にある市民文化会館で
高校のとき合唱コンクールやりました。
鳥井戸橋を渡ります。下を流れるのは千ノ川(ちのかわ)。

そして鳥井戸橋を渡るとすぐ右側に大きな鳥居が見えてきます。

これは茅ヶ崎の総社、鶴嶺(つるみね)神社の参道入り口の鳥居。
再びどうでもいいけど、僕の高校時代の担任の前赴任先がこの近所の鶴嶺高校でした。
またも橋を渡ります。下を流れるのは小出川。

ちなみにこの3日目のルートでは、数えきれないくらい橋を渡ることになりました。
(最初のうちは律儀に全部撮ってたのですが、後半は撮ったり撮らなかったりグダグダです)
ここで茅ヶ崎市が終わり平塚市へ入ります。

そしてやってきました、馬入橋!
相模川を渡ります。

写真に見えるように、橋のど真ん中が日本橋から62km地点。
もっともこれは国道1号上での計算なので、
旧道を走っている僕の走行距離とは微妙に違うのですが、
いずれにせよ「遠くへ来たな」感が妙に深くなります。
もっともそれは62kmという距離よりも「相模川を渡る」ということのインパクトかもしれません。
藤沢に住んでた僕にとって、相模川のこちらと向こうというのは大きく距離感が違うのです。
相模川からこちらは「知ってる土地」。相模川の向こうは「知らない土地(非日常の場所)」。
正直、日本橋からこの馬入橋までは、どこか普段のランニングの延長線上という感覚がありました。
それが、ここを境に一気に「旅」になったような気がします。
その「旅」の心細さを煽るかのように、ここで雨が降り始めました。
まだ小雨程度で気になるほどではありませんが、まだ前半なのでこれからの天気が心配。
馬入橋を渡ったところで国道1号から離れます。
1号はここから花水川の手前まで大きく内陸側へ膨らむルートを取る(下写真右側)のですが、
東海道はこのまま真っ直ぐ(分かりづらいけど写真左側)進みます。

平塚駅前の交差点。奥に見えるのが駅。

道は駅前の商店街へ。

湘南ベルマーレの本拠地なので旗がありますね。
ちなみにベルマーレのホームスタジアム、平塚市総合公園のグラウンドは、
高校時代に陸上競技会(という行事があるんです)で3年間通いました。
今も使ってるんだろうか。
そして商店街が途切れたあたりに江戸方見附跡がありました。

今の平塚の街の中心はこれよりも手前ですが、
かつての平塚宿の町並みはここから先1.5kmにわたって広がっていたそうです。
今とはちょっとずれてたんですね。
脇本陣跡を発見。

続いて高札場の跡を発見。しっかり石碑と説明板が用意してあっていいですね。

そして、ありました、本陣跡。
神奈川銀行平塚支店の目の前に標柱のみ立っています。

藤沢宿からここまで約14kmでした。
宿場間の距離としてはこれまでで最長です。
でも道は平たんな分、わりと身体は楽チン。
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■ (8)大磯宿へ
旅を続けます。
本陣跡を通り過ぎると、再びここで旧道は脇道に逸れます。
写真右側の道が旧東海道ルート。

分かれ道に建つ消防署の分署の脇に、問屋場(といやば)の跡がありました。

問屋場とは、幕府の書状や参勤交代中の大名の荷物などを運ぶ人馬をリレーするための中継地のこと。
本陣や見附に比べると地味な存在ですが、
東海道が整備されたそもそもの目的である「物流網」という点を考えると、
実はこの問屋場こそがもっとも重要な役割を担った施設でした。
負わされてる責任としても物理的な仕事量としても、問屋場の仕事は激務でした。
そのため一つの宿場に複数の問屋場が設けられ、交代制で仕事を担当しているところもありました。
この平塚宿でも東と西の2か所の問屋場があったそうです。
ちなみに上の写真の問屋場は「西組問屋場」。
旅を続けます。
花水川に差し掛かりました。既に平塚市を抜けて大磯町へ入っています。

この花水橋の平塚側のたもとに一里塚がありました。

でもこれ、平成になってから「一里塚を現代に蘇らせよう」として造られた
「平成の一里塚」というもの。
江戸時代にこの場所に一里塚があったのかどうか、前後の一里塚との距離を考えるとだいぶ怪しいです。
(気持ちは分かるんだが紛らわしいなあ)
橋を渡って少し行くと、道はなだらかな下り坂に。
化粧坂(けわいざか)という坂です。
東海道線をくぐります。

戸塚駅の踏切りで内陸側に渡りましたが、
ここから小田原までは再び海側を走ることになります。
……と今(この記事を書いているまさに今)になって気付いたのですが、
僕、化粧坂のルートを間違ってました。
本当は、坂が始まる手前の「化粧坂」の交差点で、
1本内陸側に伸びる脇道に進まなきゃいけなかったのでした。
なんてことだ……。
でも正しいルートで進むと踏切りがないみたいなので、
どっちにしろ上の写真の高架下をくぐらなきゃいけなかったもよう。
じゃあいいか。
東海道線をくぐって1kmほど進めば、もうそこは大磯駅前。
国道1号沿いにあるNTT大磯センターの建物の脇に、小島本陣跡。

大磯消防署前の交差点に建つ中南信用金庫本店の入り口横に、尾上本陣跡。

大磯宿には計3か所の本陣があったそうですが、
幕末まで続いたのは小島・尾上の2か所だったそうです。
平塚宿からここまで、わずか3km。短っ!!
ここまで隣接してると、わざわざ宿場を分ける意味ないんじゃ……。
「着いたぜ!」という感慨も何もないので、そのまま小田原宿へ走ります。
路地の向こうに一瞬、海が見えました。(写真じゃ分かりづらいですけど)

--------------------------------------------------
■ (9)小田原宿へ
大磯宿から小田原宿まではおよそ16km。
宿場間の距離は、渡し船で移動する宮宿(愛知県)〜桑名宿(三重県)を除けば、
東海道の全行程の中で最長です。
既にここまで16km強を走り、
例によって3.5kgの荷物によるダメージがジワジワきているコンディション的には、
ここからはかなりしんどい旅になりそう。
大磯宿を過ぎてすぐ、大磯中学のあたりから有名な松並木のエリアになります。
松並木は東海道が整備された当初から植えられていたそうです。

雰囲気がとても良くて疲れを忘れます。

ただ、松並木はほんの500mほどでおしまい。
再び国道沿いの、あまり代わり映えのしない景色を延々と走ることになります。
このあたりはずっとこんな感じ。

松並木から約1km。間もなく大磯城山公園です。その手前で小さな川を渡ります。

川の名前は「血洗川」。なんとも恐ろしい名前です。
※名前の由来はこちら
そして、城山公園前の交差点で国道1号と分かれて脇道(写真右側)を進みます。

ちなみにそのまま1号線を進むと左側に大磯ロングビーチがあります。
脇道を進んでます。道は大きく右へカーブしますが、東海道はこのまま直進(写真左側)。

再び川を渡ります。川の名前は不動川。

城山公園前から約1kmほどで国道1号に合流。
合流する手前に一里塚がありました。「江戸から十七里」の文字。

ここで大磯町が終わり。二宮町に入ります。

またまた川を渡ります(ホント多い)。川の名前は葛川(くずがわ)。

大磯ロングビーチの周囲を流れ、海の手前で先ほど渡った不動川と合流します。
もっと上流に行くと桜がキレイなんだそうです。
二宮駅前を通り過ぎます。

二宮駅から約1km。また一瞬だけ脇道に逸れるパターン。
(このあたりは川、駅、脇道しか撮るものがございません)

でもこの脇道、ほんの500mくらいですが、雰囲気は良かったです。
まずは旧道カーブ。

そして路地。高架の上を通っているのが国道1号です。

そして再び国道へ。合流するポイントには道祖神があります。

二宮と国府津のちょうど中間付近。なだらかな下り坂にさしかかるところでまたも脇道へ。

道が分岐するところに一里塚がありました。日本橋から18番目の一里塚です。

脇道を進むと、「松屋本陣の跡」という標柱と説明板が。

前述のように大磯宿と小田原宿とは16kmも離れているので、
ちょうど真ん中あたりに位置するこの場所には、
茶屋や商店が立ち並び、旅人達の休憩所になっていました。
こうした宿場間の休憩所のことを、間の宿(あいのしゅく)と呼びます。
松屋本陣は、幕府役人や大名が休憩所として利用していたそうです。
ちなみにこの松屋本陣の跡は、思い切り普通のお宅の庭の中に立っています。
自宅の敷地に史跡があるってすごいね。

松屋本陣を過ぎると下り坂。坂の先で国道1号に再び合流します。
坂の名前は押切坂。曇ってて写真には映ってないけど、向こうに海が見えました。
(指が映り込んでしまった…)

押切坂を下りきったところにあるのが押切橋。
下に流れるのは中村川。

川を渡って先はゆるい上り坂。坂の途中でついに小田原市に入りました。

海が見える〜。またしても写真には映ってないけど、伊豆半島の方までぼんやり見えました。

国府津駅を通過します。小田原まではあとひと駅分の距離。

国道1号、国府津駅前の様子。
小田原市に入ったからなのか、道の雰囲気がどことなく「歴史」っぽい感じになりました。

立派なお宅。昔はお店だったのでしょうか。
このあたりは古い建築がたくさん並んでます。

路地もいい感じ。写真は撮れなかったけど猫がいました。

親木橋の交差点。森戸川を渡ります。

そして、ついに案内板に「箱根」の文字が見えてきました。
12kmと聞くとそんなに遠くない気がするけど……。

ようやく来ました、酒匂川。
…それよりもまず「シカに注意」の表示板に目が行く。
シカ出るの、ここ?!

ちなみにこの後、写真の右に映ってるおじさんに、
「東海道走ってんの?頑張って!」と応援されました。
これを渡れば小田原市内。ゴールはもうすぐ。

ちなみに、酒匂川には昔は橋などなかったので、
多摩川や相模川と同様に旅人は渡し船を利用していました。
その渡し場が、下の写真の真ん中に見える、階段状になっている場所らへん。
(さっきのおじさんに教えてもらいました)

小田原の街に入りました。
(もうこのあたりヘロヘロです)

江戸口見附跡がありました。

ここまでずーっと1号線を真っ直ぐ走ってきましたが、
この「新宿」の交差点でいったん1号線から離れます。

小田原市内でいいなあと思ったのが、これ。
町名が書かれた石碑。このあと至る所で見ました。

1号線に再び合流。

やがて右側に「ういろう」。
『水曜どうでしょう』2010年原付東日本制覇の旅で、
藤村Dが「これが小田原城じゃねえ?」と勘違いした、あの場所です。

ういろうといえば、歌舞伎の「外郎売」が有名ですが、
僕も一応、芝居をやってますので外郎売は一通り覚えてます。
で、発祥の地ということで、このあたりには外郎売の文句に出てくる名前をよく目にします。
例えば、「青物町を上りへおいでなさるれば」の青物町の交差点。
1号線に合流する直前にある交差点です。

それと、「欄干橋町」の石碑。
これは「欄干橋 虎屋藤右衛門 ただ今は剃髪いたして〜」の欄干橋ですね(多分)。

そういえば、「神奈川」「戸塚」「藤沢」といった東海道沿線の地名が外郎売には出てきますね。
実は「ういろう」の店の向かいが、かつて小田原宿の本陣があった場所なんだそうです。
石碑があるということだったのですが、見つけられませんでした。
そして、やってきました。箱根口の交差点。

いよいよ次回は箱根の山越え。
東海道ラン前半のクライマックスでしょう。
そんな、緊張感と期待とを高まらせるこの交差点を今日のゴールとしました。
最後はかなりバテバテで、おまけに天気も悪かったのであまりスカッとしないランになってしまったのですが、
どんな形にしろ小田原まで来た、というのは達成感があります。
もっとも、次回4日目はさらに強い達成感を感じることになるでしょう。
なにせ箱根の山を一気に越えるのですから。
というわけで、次回は小田原宿から箱根の山を越えて、三島宿を目指します。
※次回レポートは3週間後(の予定)です。
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3日目の今日は藤沢宿(神奈川県藤沢市)から小田原宿(同小田原市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
台風が近づいているということでこの日はどんより天気。
予報では雨に降られるかどうか、ギリギリなところ。
正直走るかどうか迷ったのですが、
これから先、泊りがけになると雨に降られることもあるだろうということで、
その予行練習という意味も込めて走ることにしました。
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■ (7)平塚宿へ
例のごとく始発に乗って、前回のゴール・藤沢宿の最寄駅、小田急線の藤沢本町駅へ。
駅の前の坂を上った伊勢山橋(下は小田急線)が今日のスタート。

本当は藤沢宿の本陣と伊勢山橋とは500mほど離れているのですが、
なにせこのあたりは僕の地元なので、知りすぎるほどに知っているこの500mは省略。
(藤沢本町駅なんて高校時代の通学駅でしたから)
今日のルートはひたすら大きな道(大半が国道1号)沿いを進むルート。
地図をこまめに確認する必要はない反面、正直面白さには欠けるコースです。
ただ、瞬間的に脇道に逸れるルートもあるので、そこらへんが見どころ(走りどころ)。
伊勢山橋から約1km。早速「脇道」が出現。
写真の右側の細い道へ。

道のカーブ具合とか見るとなんとなく左側が旧道じゃないかと思うんだけど、違うみたいです。
ちなみにこの脇道はわずか100mほどで再び元の大きな道(県道43号)に合流。
そして引地川を渡ります。

もうね、(しつこいようですが)めっちゃ地元!
なんの感動も感慨も無え!
藤沢本町から約2km。道路の案内板に早くも「小田原」の文字が現れました。

やがて1号線に合流。すぐに現れたのが一里塚跡。標柱のみ立っています。

茅ヶ崎市に入ります。

写真の通り、かつての東海道沿いは松の木が立っていたことにならって、
沿道は松並木になっており、国道沿いでありながら、とても情緒があります。
ここまで計6つの宿場を走ってきてなんとなく分かってきたことは、
こうした史跡を保存したり、標柱や案内板を立てて共有したりすることに対して、
熱意のある自治体とそうでない自治体があるということ。
ここまででとても好印象をもったのは、川崎市です。
標柱や碑だけでなく、必ず案内板を脇に立て、時には絵や地図入りで詳しい説明をしていました。
東京都の各区(中央、港、品川、大田)も横浜市も、ほぼ必ず説明板を用意していましたね。
茅ヶ崎市なんて、市内に宿場はなかったのに、
上の写真のように松並木を作ったり、歩道を石畳風(?)にしたり、とても熱意を感じます。
※茅ヶ崎の松並木にあった説明板。

まあ、石碑にしろ松並木にしろ説明板にしろ、道行く人のほとんどはスルーしちゃうんだけど、
あるときフッと地元の歴史を知りたいと思った時に、そのための手軽な環境があるかないかというのは、
ものすごく大事なことなんじゃないかと思います。
ルートに戻ります。茅ヶ崎駅の手前。一里塚がありました。

さっきの藤沢の一里塚からちょうど一里(約3.9km)、ということですね。
茅ヶ崎駅前の交差点。地下歩道をくぐります。

どうでもいいですけど、ここを右に曲がってすぐ左側にある市民文化会館で
高校のとき合唱コンクールやりました。
鳥井戸橋を渡ります。下を流れるのは千ノ川(ちのかわ)。

そして鳥井戸橋を渡るとすぐ右側に大きな鳥居が見えてきます。

これは茅ヶ崎の総社、鶴嶺(つるみね)神社の参道入り口の鳥居。
再びどうでもいいけど、僕の高校時代の担任の前赴任先がこの近所の鶴嶺高校でした。
またも橋を渡ります。下を流れるのは小出川。

ちなみにこの3日目のルートでは、数えきれないくらい橋を渡ることになりました。
(最初のうちは律儀に全部撮ってたのですが、後半は撮ったり撮らなかったりグダグダです)
ここで茅ヶ崎市が終わり平塚市へ入ります。

そしてやってきました、馬入橋!
相模川を渡ります。

写真に見えるように、橋のど真ん中が日本橋から62km地点。
もっともこれは国道1号上での計算なので、
旧道を走っている僕の走行距離とは微妙に違うのですが、
いずれにせよ「遠くへ来たな」感が妙に深くなります。
もっともそれは62kmという距離よりも「相模川を渡る」ということのインパクトかもしれません。
藤沢に住んでた僕にとって、相模川のこちらと向こうというのは大きく距離感が違うのです。
相模川からこちらは「知ってる土地」。相模川の向こうは「知らない土地(非日常の場所)」。
正直、日本橋からこの馬入橋までは、どこか普段のランニングの延長線上という感覚がありました。
それが、ここを境に一気に「旅」になったような気がします。
その「旅」の心細さを煽るかのように、ここで雨が降り始めました。
まだ小雨程度で気になるほどではありませんが、まだ前半なのでこれからの天気が心配。
馬入橋を渡ったところで国道1号から離れます。
1号はここから花水川の手前まで大きく内陸側へ膨らむルートを取る(下写真右側)のですが、
東海道はこのまま真っ直ぐ(分かりづらいけど写真左側)進みます。

平塚駅前の交差点。奥に見えるのが駅。

道は駅前の商店街へ。

湘南ベルマーレの本拠地なので旗がありますね。
ちなみにベルマーレのホームスタジアム、平塚市総合公園のグラウンドは、
高校時代に陸上競技会(という行事があるんです)で3年間通いました。
今も使ってるんだろうか。
そして商店街が途切れたあたりに江戸方見附跡がありました。

今の平塚の街の中心はこれよりも手前ですが、
かつての平塚宿の町並みはここから先1.5kmにわたって広がっていたそうです。
今とはちょっとずれてたんですね。
脇本陣跡を発見。

続いて高札場の跡を発見。しっかり石碑と説明板が用意してあっていいですね。

そして、ありました、本陣跡。
神奈川銀行平塚支店の目の前に標柱のみ立っています。

藤沢宿からここまで約14kmでした。
宿場間の距離としてはこれまでで最長です。
でも道は平たんな分、わりと身体は楽チン。
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■ (8)大磯宿へ
旅を続けます。
本陣跡を通り過ぎると、再びここで旧道は脇道に逸れます。
写真右側の道が旧東海道ルート。

分かれ道に建つ消防署の分署の脇に、問屋場(といやば)の跡がありました。

問屋場とは、幕府の書状や参勤交代中の大名の荷物などを運ぶ人馬をリレーするための中継地のこと。
本陣や見附に比べると地味な存在ですが、
東海道が整備されたそもそもの目的である「物流網」という点を考えると、
実はこの問屋場こそがもっとも重要な役割を担った施設でした。
負わされてる責任としても物理的な仕事量としても、問屋場の仕事は激務でした。
そのため一つの宿場に複数の問屋場が設けられ、交代制で仕事を担当しているところもありました。
この平塚宿でも東と西の2か所の問屋場があったそうです。
ちなみに上の写真の問屋場は「西組問屋場」。
旅を続けます。
花水川に差し掛かりました。既に平塚市を抜けて大磯町へ入っています。

この花水橋の平塚側のたもとに一里塚がありました。

でもこれ、平成になってから「一里塚を現代に蘇らせよう」として造られた
「平成の一里塚」というもの。
江戸時代にこの場所に一里塚があったのかどうか、前後の一里塚との距離を考えるとだいぶ怪しいです。
(気持ちは分かるんだが紛らわしいなあ)
橋を渡って少し行くと、道はなだらかな下り坂に。
化粧坂(けわいざか)という坂です。
東海道線をくぐります。

戸塚駅の踏切りで内陸側に渡りましたが、
ここから小田原までは再び海側を走ることになります。
……と今(この記事を書いているまさに今)になって気付いたのですが、
僕、化粧坂のルートを間違ってました。
本当は、坂が始まる手前の「化粧坂」の交差点で、
1本内陸側に伸びる脇道に進まなきゃいけなかったのでした。
なんてことだ……。
でも正しいルートで進むと踏切りがないみたいなので、
どっちにしろ上の写真の高架下をくぐらなきゃいけなかったもよう。
じゃあいいか。
東海道線をくぐって1kmほど進めば、もうそこは大磯駅前。
国道1号沿いにあるNTT大磯センターの建物の脇に、小島本陣跡。

大磯消防署前の交差点に建つ中南信用金庫本店の入り口横に、尾上本陣跡。

大磯宿には計3か所の本陣があったそうですが、
幕末まで続いたのは小島・尾上の2か所だったそうです。
平塚宿からここまで、わずか3km。短っ!!
ここまで隣接してると、わざわざ宿場を分ける意味ないんじゃ……。
「着いたぜ!」という感慨も何もないので、そのまま小田原宿へ走ります。
路地の向こうに一瞬、海が見えました。(写真じゃ分かりづらいですけど)

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■ (9)小田原宿へ
大磯宿から小田原宿まではおよそ16km。
宿場間の距離は、渡し船で移動する宮宿(愛知県)〜桑名宿(三重県)を除けば、
東海道の全行程の中で最長です。
既にここまで16km強を走り、
例によって3.5kgの荷物によるダメージがジワジワきているコンディション的には、
ここからはかなりしんどい旅になりそう。
大磯宿を過ぎてすぐ、大磯中学のあたりから有名な松並木のエリアになります。
松並木は東海道が整備された当初から植えられていたそうです。

雰囲気がとても良くて疲れを忘れます。

ただ、松並木はほんの500mほどでおしまい。
再び国道沿いの、あまり代わり映えのしない景色を延々と走ることになります。
このあたりはずっとこんな感じ。

松並木から約1km。間もなく大磯城山公園です。その手前で小さな川を渡ります。

川の名前は「血洗川」。なんとも恐ろしい名前です。
※名前の由来はこちら
そして、城山公園前の交差点で国道1号と分かれて脇道(写真右側)を進みます。

ちなみにそのまま1号線を進むと左側に大磯ロングビーチがあります。
脇道を進んでます。道は大きく右へカーブしますが、東海道はこのまま直進(写真左側)。

再び川を渡ります。川の名前は不動川。

城山公園前から約1kmほどで国道1号に合流。
合流する手前に一里塚がありました。「江戸から十七里」の文字。

ここで大磯町が終わり。二宮町に入ります。

またまた川を渡ります(ホント多い)。川の名前は葛川(くずがわ)。

大磯ロングビーチの周囲を流れ、海の手前で先ほど渡った不動川と合流します。
もっと上流に行くと桜がキレイなんだそうです。
二宮駅前を通り過ぎます。

二宮駅から約1km。また一瞬だけ脇道に逸れるパターン。
(このあたりは川、駅、脇道しか撮るものがございません)

でもこの脇道、ほんの500mくらいですが、雰囲気は良かったです。
まずは旧道カーブ。

そして路地。高架の上を通っているのが国道1号です。

そして再び国道へ。合流するポイントには道祖神があります。

二宮と国府津のちょうど中間付近。なだらかな下り坂にさしかかるところでまたも脇道へ。

道が分岐するところに一里塚がありました。日本橋から18番目の一里塚です。

脇道を進むと、「松屋本陣の跡」という標柱と説明板が。

前述のように大磯宿と小田原宿とは16kmも離れているので、
ちょうど真ん中あたりに位置するこの場所には、
茶屋や商店が立ち並び、旅人達の休憩所になっていました。
こうした宿場間の休憩所のことを、間の宿(あいのしゅく)と呼びます。
松屋本陣は、幕府役人や大名が休憩所として利用していたそうです。
ちなみにこの松屋本陣の跡は、思い切り普通のお宅の庭の中に立っています。
自宅の敷地に史跡があるってすごいね。

松屋本陣を過ぎると下り坂。坂の先で国道1号に再び合流します。
坂の名前は押切坂。曇ってて写真には映ってないけど、向こうに海が見えました。
(指が映り込んでしまった…)

押切坂を下りきったところにあるのが押切橋。
下に流れるのは中村川。

川を渡って先はゆるい上り坂。坂の途中でついに小田原市に入りました。

海が見える〜。またしても写真には映ってないけど、伊豆半島の方までぼんやり見えました。

国府津駅を通過します。小田原まではあとひと駅分の距離。

国道1号、国府津駅前の様子。
小田原市に入ったからなのか、道の雰囲気がどことなく「歴史」っぽい感じになりました。

立派なお宅。昔はお店だったのでしょうか。
このあたりは古い建築がたくさん並んでます。

路地もいい感じ。写真は撮れなかったけど猫がいました。

親木橋の交差点。森戸川を渡ります。

そして、ついに案内板に「箱根」の文字が見えてきました。
12kmと聞くとそんなに遠くない気がするけど……。

ようやく来ました、酒匂川。
…それよりもまず「シカに注意」の表示板に目が行く。
シカ出るの、ここ?!

ちなみにこの後、写真の右に映ってるおじさんに、
「東海道走ってんの?頑張って!」と応援されました。
これを渡れば小田原市内。ゴールはもうすぐ。

ちなみに、酒匂川には昔は橋などなかったので、
多摩川や相模川と同様に旅人は渡し船を利用していました。
その渡し場が、下の写真の真ん中に見える、階段状になっている場所らへん。
(さっきのおじさんに教えてもらいました)

小田原の街に入りました。
(もうこのあたりヘロヘロです)

江戸口見附跡がありました。

ここまでずーっと1号線を真っ直ぐ走ってきましたが、
この「新宿」の交差点でいったん1号線から離れます。

小田原市内でいいなあと思ったのが、これ。
町名が書かれた石碑。このあと至る所で見ました。

1号線に再び合流。

やがて右側に「ういろう」。
『水曜どうでしょう』2010年原付東日本制覇の旅で、
藤村Dが「これが小田原城じゃねえ?」と勘違いした、あの場所です。

ういろうといえば、歌舞伎の「外郎売」が有名ですが、
僕も一応、芝居をやってますので外郎売は一通り覚えてます。
で、発祥の地ということで、このあたりには外郎売の文句に出てくる名前をよく目にします。
例えば、「青物町を上りへおいでなさるれば」の青物町の交差点。
1号線に合流する直前にある交差点です。

それと、「欄干橋町」の石碑。
これは「欄干橋 虎屋藤右衛門 ただ今は剃髪いたして〜」の欄干橋ですね(多分)。

そういえば、「神奈川」「戸塚」「藤沢」といった東海道沿線の地名が外郎売には出てきますね。
実は「ういろう」の店の向かいが、かつて小田原宿の本陣があった場所なんだそうです。
石碑があるということだったのですが、見つけられませんでした。
そして、やってきました。箱根口の交差点。

いよいよ次回は箱根の山越え。
東海道ラン前半のクライマックスでしょう。
そんな、緊張感と期待とを高まらせるこの交差点を今日のゴールとしました。
最後はかなりバテバテで、おまけに天気も悪かったのであまりスカッとしないランになってしまったのですが、
どんな形にしろ小田原まで来た、というのは達成感があります。
もっとも、次回4日目はさらに強い達成感を感じることになるでしょう。
なにせ箱根の山を一気に越えるのですから。
というわけで、次回は小田原宿から箱根の山を越えて、三島宿を目指します。
※次回レポートは3週間後(の予定)です。
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