旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
4日目の今日は小田原宿(神奈川県小田原市)から三島宿(静岡県三島市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
8月お盆のど真ん中。いよいよ今日は「天下の嶮」と呼ばれた箱根の山越えです!
約1000mを上って、さらに下りるというかなりの(というかこれまでのラン人生でも一番の)、
ハードなランになりそうです。
間違いなく東海道ラン前半のクライマックス。
そしてこの日はそのままゴールの三島に投宿して、翌日さらに走る予定。
いよいよ本当に「旅」になってきました。
そんな4日目のレポートです。
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■ (10)箱根宿へ
※山道ルートなのでGoogleマップが作成できません。詳しいルートマップはこちら
小田原に着いたのは朝7時すぎ。例の如く始発に乗って来ました。
前日までの雨雲がまだ少し残っていて、どんより曇っています。
おかげでお盆のど真ん中にもかかわらず気温は低めですが、かわりにものすごい湿気……。
スタートは前回ゴールした小田原宿本陣近くの「箱根口」交差点から。

しばらくは国道1号線とその脇道を交互に進むようなルート。
東海道線、

脇道へそれて東海道新幹線、

そして箱根登山鉄道と、連続で3つの線路をくぐります。
高架をくぐったところで1号線と合流。

しばしの間、箱根登山鉄道と並走。

ここは箱根駅伝5区のコースですね。
湯本方面への道(写真左端)が既にこの時間から混んでるのはやはりお盆だから?
再び脇道へ。
実は、既にじわりじわりと上り坂が始まっています。

小田原のスタート地点は海抜9mだったのが、既に50m越え。

登山鉄道の入生田駅を過ぎたところ。がっつりと坂です。

そしてやってきました三枚橋の交差点。

まっすぐ進むのが国道1号線。つまり箱根駅伝5区のルートです。
小田原からここまでは箱根駅伝とほぼ同じコースをたどってきたのですが、
旧東海道はこの交差点を左折して早川を渡り、南側のルートを行くことになります。
ちなみに、小田原宿からここまでちょうど5km。
箱根駅伝ファンとしては5区のコースを走ってみたいところですが、
残念ながらここでお別れ。
奥に箱根湯本駅が見えます。

そして、三枚橋を渡ったところから、一気に坂の斜度が増します。

写真で伝わるかな?今までの坂とは比較にならない傾斜です。
小田原北条氏の菩提寺、早雲寺(写真撮り忘れた!)を過ぎて間もなく、
「湯元茶屋一里塚跡」がありました。

そして一里塚の少し先に、こんな分かれ道が。
道路の続きは左側。しかし東海道のルートは、なんと右側なのです。

パッと見、どこかの家の私道にしか見えませんが、
実はこの先に、東海道箱根路の代名詞でもある「石畳の道」があるのです。
それがこれ。今日初めて出会う石畳です。

なんと、ここの石畳はほぼ江戸時代当時のままだそう。
すげえ。マジでタイムスリップ。
ちなみに誰もいません。しかも薄暗くてちょっと怖い。
でもその怖さがまたいい!
途中、渓流を渡ります。

石畳で出会った猫。

元の道に戻りました。左の坂が石畳の出口。

ここの石畳の道は300mほどしかありません。
しかしこの先あちこちに江戸時代当時の(一部は修復された)石畳が出てきます。
やっぱり箱根路はこれまでのアスファルトの道を行く旅とはキツさも情緒も全然違います。
旅を続けます。
石畳から2kmほど上り続けると、須雲川の集落に到着。

案内板の説明によると、この集落は東海道が整備されるのと同時に、
旅人の休憩や道路の保守・維持のため、
幕府がわざわざ人を入植させて新たに作ったものなんだそうです。
こういう集落が、箱根路には一定距離ごとに作られたんだとか。
そして、須雲川集落から500mほど進むと、
箱根路の難所の一つ「女転(ころ)し坂」があります。
見てこの角度。

馬に乗って坂を越えようとした夫人が、落馬して死んでしまったことから名付けられた坂。
確かにこの坂はエグかった。
そして女転し坂を上りきると、道路沿いにいきなり怪しげな山道への入口が出現。

どうやらこれが旧東海道ルートらしいです。
入ってみると石畳の道が!

先ほどの石畳のと同じように、ここも300mほどで車道に合流。

こんな具合に、車道沿いにいきなり石畳or石段の旧道がヌッと顔を出して、
それをしばらく進むと再び車道に合流する、というのが箱根路の石畳の道のパターン。
この先ひたすらこのパターンを繰り返しながら進むことになります。
ということで再び旧道が現れました。
(このあたりから疲労により写真がブレ始めます。ご容赦ください)

昨日までの雨で(台風が来てました)石が濡れていて滑ります。

こんな橋を渡っちゃいます。
なんかもう、ちょっとした「冒険」になってきました。

橋を渡ると今度は上り。
箱根は坂の一つひとつに名前が付いています。これは「大澤坂」。

この角度、伝わるでしょうか。
足元が滑るのもあって、場所によっては手をつかないと上れません。

上りきったところで車道に合流。道の先は畑宿の集落です。

寄木細工で有名な畑宿は、
前回3日目に大磯〜小田原間で見かけた「松屋本陣の跡」と同じ、間の宿(あいのしゅく)でした。
宿場間の距離が長い場合に、その中間に置かれたミニ宿場町です。
畑宿の本陣跡を通過します。

そして再び石畳が始まります。

写真奥に、同じく旧道を歩いている人が見えます。
ご年配の男性だったのですが、結局芦ノ湖までの上りの道で出会った「同好の士」はこの方だけでした。
真夏に箱根を走ろう(歩こう)と考える人はいないのでしょう……。
畑宿の石畳の道はこんな感じ。美しいですねえ。

石畳を上りきると再び車道へ。

通称「七曲り」と呼ばれるヘアピンカーブが連続する難所です。

このあたりは時折車道を走りつつ、間を階段と石畳で上っていくという、
なんとも忙しいルートになります。

上の写真は、箱根で最大の難所と言われた「樫木坂(かしのきざか)」。
今は階段が整備されていますが、昔はほとんど崖だったそうです。
どうやって上ったんだろう…。
階段を上りきるとまた石畳の道が始まります。
元箱根まで残り3kmの表示が。

冒険。

景色(見えないけど)。

再び冒険。

下の写真、別に僕が斜めに立っているわけではなく、
道自体がうねってるのです。

ちなみに、石畳はただでさえ急な上にこの日は前日の雨で濡れていたので、
早々に「石畳は歩く、アスファルトは走る」というルールに切り替えて進んでおります。
とてもじゃないけど石畳は走れない。
箱根宿までの山上りはもうすぐ終わり。
間もなく芦ノ湖への下りの道に入ります。
多分これが最後の坂。その名も「追込坂」。

正式な由来はともかく、旅人の心理にマッチした坂の名前です。
ここは石畳ではなく、こんな感じの砂利道。

追込坂の端にあるのが「甘酒茶屋」。

なんとこのお店、創業400年だそうです。
西へ向かう旅人は、ここで名物の甘酒を飲んで一休みしつつ、
間もなく芦ノ湖で通過する「箱根の関所」に向けて身支度を整えたんだとか。
お店では、今でも当時と変わらぬ甘酒を飲むことができます。
……僕は、自分でも引くくらい汗でドロドロだったので、遠慮しておきました(いつか絶対来よう)。
そして、いよいよ芦ノ湖へ向けて下りの始まりです。

芦ノ湖の箱根宿から先にもう一度軽い上り坂があるのですが、
本格的な上りはもうおしまい。
ここまで「走り6:歩き4」くらいの割合だったのですが、
それでも800mは上ってきてますから、もう山上りはお腹いっぱい。
しかしホッとしたのもつかの間。
下りは下りですげえ角度です。

足元に気をつけながら下ります。
途中、木の間から二子山が見えました。

元箱根まで15分。頭の中は芦ノ湖の湖畔で休憩することでいっぱい。

ちなみにこのあたりは、江戸時代の東海道(僕が走ってるコース)と、
鎌倉時代の東海道とが交わる地点だったそうです。
東海道の箱根の山越えルートは、鎌倉時代には湯坂路(ゆさかじ)と呼ばれる、
江戸時代のものよりも北側のルートを通っていました。
現在の箱根湯本駅のあたりから山に入り、湯坂山(547m)や浅間山(802m)、鷹巣山(834m)の尾根筋を伝って
芦ノ湖へと下るコースだったそうです。
その旧ルートと、江戸時代の新ルートとが合流するのがこのあたりだったんだとか。
ちなみに、さらに以前の平安時代の東海道は、
箱根は通らずに伊勢原や秦野を通り足柄峠を越えて沼津に入る、というルートだったそうです。
さて、いよいよ下り坂も終わり。
杉並木を抜けて……

見えた!芦ノ湖!

右の鳥居は箱根神社の一の鳥居。ここに出てくるのか!
ここで、箱根湯本駅の手前の三枚橋で分かれて以来、
(たかが2〜3時間前なんだけど実感的には)久々の1号線合流。
芦ノ湖畔の東海道にはかつて杉並木が植えられていました。

現在も1号線脇にその姿を残しています。
杉並木が終わると、「箱根関所」の看板が見えました。

矢印に従って進むと、見えてきました。箱根の関所です。

江戸幕府は東海道はじめ主な街道の各所に関所を設けていましたが、
箱根の関所は最も大きな規模を誇りました。
現在の建物は2004年、江戸時代末期に行われた箱根関所の解体修理の資料を基にして、
建物の寸法や使っている資材、建築技法まで当時のままに再現したという、
関係者のハンパじゃない情熱が込められた一大歴史施設になっています。
中では、当時の旅人がどんな風に取調べされたとか、
役人たちの生活の様子などを勉強できます。
が、僕は既に一度来たことがあるので今日はスルー。

1号線に戻って先へ進むと、箱根ホテルの隣の海賊船乗り場に、
「箱根駅伝栄光の碑」というものが立ってました。

ちょうどこのあたりに、かつての箱根宿の本陣があったそうです。
箱根宿というのは、元々このあたりに町や村があったわけではなく、
「箱根山中に宿場がないと不便だろう」ということで、
東海道が整備された17世紀前半に小田原宿と三島宿から50軒ずつ取り立てられて、
いわば人為的に作られた宿場町でした。
本陣の数は全部で6軒と、東海道の宿場では最多のキャパシティを有しているのも、
「難所の中の宿場」という立地ゆえでしょう。
そうじゃなかったらこんな不便なところにわざわざ住まないよなあ……。
というわけで、なんとか箱根宿にゴール!

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■ (11)三島宿へ
※ルートはこちら
芦ノ湖畔で湖と海賊船を眺めながらソフトクリームを食べつつたっぷり30分休憩。
1000m近く上ってきたとはいうものの、歩きが多かったのもあって、
疲労度はそこまで深刻ではありません。
ということでランを再開。
リスタート地点はここ。箱根駅伝往路のゴール地点。

ゴールからスタートするということに若干の皮肉を感じつつ、走り始めます。
すぐにまた石畳の道が現れました(何度目だろう?)。
「向坂」という名の坂です。おそらくこの日最後の上り坂です。

ここまで通ってきた石畳の道もかなり鬱蒼としていましたが、
箱根宿から先(西)の石畳の道はその比ではありませんでした。
「え?ここ通るの?通れるの?」みたいな道を何度も見ることになりました。
例えばこんな場所とか。

なにこれ……。
トンネル(というよりすき間?)の高さは180cmもありません。
背中を丸めながら通らないと頭をぶつけます。
おまけに抜けた先の道が草で見えない。
これ、仮にも「東海道」だよね?
トンネルを抜けるとこんな感じ。

なんかもう軽いジャングルだよ。
走る、というよりも「分け入る」みたいな感じでなんとか向坂を上りきると、
一度国道1号に出ます。

しばらく進むと「箱根峠」の交差点が。
ここが箱根の最高点。手元のGPSだと標高852mとなっていました。

この箱根峠から先は三島市。つまり、ついに静岡県に入ったことになります。
箱根峠の交差点の脇にあるパーキングエリア。
歩道(東海道)が石畳風に舗装されていました。

そして、再び本物の石畳が始まります。
道の左側にダンジョンのごとく口を開けた怪しい道が。

草も木もボーボーで先が見えない……。
「本当に11km行けば三島に着けるのかよ?」と肩をゆすって問い質したいです(←誰に?)。

予想以上の秘境っぷりに思わず「マジかよ」と声が出ました。
でも、闇のような木々の暗さと木漏れ日のコントラストが怖くも美しい。

一度国道1号に出て――

再び石畳(また指が映り込んでしまった…)。

藪が道の3分の2くらいを埋めています。

空が見えました。
鬱蒼とした森は終わった……と思ったら今度は足元がヤバイ。

道が見えない……。
草の間から覗く石畳を頼りに進みます。

『トトロ』の世界に迷い込んだかのよう。

ようやくこの「草の道」も終わった。
……と思ったらいきなり民家の軒先に出てきた。

何度も言いますけど、これ「東海道」ですからね。
1000年以上の歴史をもつ日本最大の街道ですからね。
ちなみに、相変わらずここまでずーっと1人です。
歩いている人、走ってる人は誰もいません。
奥に見える車道は国道1号。一度合流します。

んで、例の如くすぐにまた石畳へ。

さっきまでの鬱蒼とした道が嘘のような、美しい林の道。

あ、奥に歩いている人がいる!今日2人目の同好の士です。
しかも軽い小走りで走ってました。
んで、こっちも走ってるもんだから、自然と競争になっちゃって(こういうのやりにくいですね)、
なんとなくお互い気まずい、みたいになっちゃいました。
ちなみに箱根峠以降、下りに入ってからは、傾斜が比較的ゆるやかになってきたこともあり、
基本は石畳の場所も走ってます。

やがて到着したのが、山中城跡。

せっかくなので山中城を見ていくことにしました。
山中城は16世紀後半に小田原北条氏が領国の西の備えとして築いた山城で、
本丸、二の丸、三の丸、さらに三か所の出丸という、かなり大規模なつくりを誇っていました。
しかし、1590年の秀吉の小田原攻めの際に、圧倒的な大軍の前にわずか1日で落城したそうです。
僕が見たのは、城の一番西側(敵側)に築かれた岱崎(たいざき)出丸。

土塁跡や空堀跡など、当時の形がとてもよく残されています。
土塁の上から三島の方角を見たところ。
手前に見えるのが空堀ですね。

実際に歩いて回ると、かなり大きな城だし、
山の傾斜を利用して作っているから、攻める側からすれば相当落としづらそうだなあという印象。
なのにこれを1日で落とした秀吉の軍隊というのは、
いったいどんだけえげつない大軍だったんだ。
(後から調べたら、山中城攻めには計7万人が動員されたそうです)
山中城は国の史跡に指定されていますが、ここでもやはり誰もいません。
(僕と、一匹の蛇しかいませんでした)
「兵どもが夢の跡」ってやつですねえ。
東海道へ戻ります。
岱崎出丸の前の石畳を一路西へ。

このあたりは傾斜もゆるやかで、石畳もきれいに敷かれているので、
ガンガン走ります。
この日は旧道の一部が工事のため通行止めでした。

仕方なく国道へ迂回。曇ってるけど景色がきれい!

再び旧道へ。既に箱根峠から300m近く下っています。

また旅人泣かせのよくわからん道が出現……。(正解は左)

国道に合流し、

再び石畳を走ります(とにかくこのパターンの繰り返し)。

笹原一里塚。ここでついに石畳は終わりです(多分)。

石畳は終わりましたが、実はここからが難所。
箱根の西側で最も急峻といわれる「こわめし坂」が始まります。

確かに傾斜はかなりエグめ。

写真を撮り損ねてしまったのですが、
上の写真の奥にはさらに急な坂になっています。
こわめし坂が終わると、しばらくは住宅街の中を走ります。
三ツ谷という集落。写真では分かりにくいですが、ここもゆるやかに下っています。

三島の街がだいぶ近くなってきました。

小学校の手前(その名も「坂小学校」という)で脇道にそれます。
写真右側の下り坂が東海道。

案内板に従って、

細い道を駆け下ります。

そしてその先で再び石畳の旧道へ(まだあった!)。

ここも草がボーボー過ぎ。

旧道は終わり(今度こそラストじゃないか?)。
再度、車道に合流。

しばらく進むと、国道1号と合流します。

現在、標高約150m。700mも下りてきたのか!
三島の街まであとわずかです。
ひたすら1号線を下ります。
このあたりも松並木が残ってますね。

錦田の一里塚を発見。日本橋から28番目の一里塚です。

一里塚の隣にある、木製(っぽい作り)の手すりがついた歩道橋を渡ります。
その名も「一里塚歩道橋」。

歩道橋の上から箱根の山方面を望む(ほとんど見えないけど)。
あそこにいたのか〜。

五本松の交差点から脇道に逸れます。
このあたりの坂は「愛宕坂」というそうです。足元は石畳風。

愛宕坂を下ると東海道線の踏切りを渡ります。

小田原から南へ抜けて熱海を回ってきた線路と、箱根の山を越えてきた僕とが、再会!

1kmほど進むと大場川。
この新町橋が三島宿の入口です。

現在でも、この新町橋を境に三島の中心街が始まります。
そして三島の街の最大の名所といえば、三嶋大社。

『日本書紀』や『続日本紀』にも記述が残るという、とんでもなく古い神社で、
伊豆に流された源頼朝が挙兵の際に源氏再興を祈願したことから、
中世以降は特に武士の崇敬を集めてきました。
中に入ってみました。15000坪という広大な境内ですが、
かつてはさらにこの数倍は広かったそうです。

本殿。三島に縁もゆかりも無いので軽く恐縮しつつ、旅の無事を祈ってきました。

本殿前に建てられているテントは、おそらく御礼祭の準備と思われます。
御礼祭は3日後、ということでした。
三嶋大社から約500mほどで本陣跡を発見。
三島宿の本陣は2軒あり、こちらは「世古本陣」の跡。

もう1軒の「樋口本陣」の跡も道の向かいにあります。
そしてもう一つ見ておきたいものが。
世古本陣の100mほど先に、三石神社という神社があります。
その境内にある「時の鐘」です。

現在の鐘は昭和に入ってから作られたもので、櫓もなんだかモダンなのですが、
鐘自体は江戸時代からありました。
「時の鐘」という名の通り、三島宿に時間を知らせる鐘だったそうです。
境内の横を小川が流れていて、子どもたちが遊んでました。
良い光景でした。
三石神社のすぐ横が、伊豆箱根駿豆線の「三島広小路」駅。

かつても今も三島の中心街は、JR三島駅前ではなく(ここから1kmほど離れてます)、
この三島広小路のあたりなんですね。
というわけで、本陣跡もチェックできたし、本日のゴールはここ。
小田原宿からここまで32kmでした。
いやしかし、街→山→街、山上り→山下りとドラマチックすぎるコースを走ってきたせいか、
気持ち的には50kmくらい走ってきたような……。
今夜は三島泊。
明日、再びここからスタートして、吉原宿を目指します。
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4日目の今日は小田原宿(神奈川県小田原市)から三島宿(静岡県三島市)まで走ります。
(前回まではこちら)
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#1日目:日本橋〜川崎
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#3日目:藤沢〜小田原
8月お盆のど真ん中。いよいよ今日は「天下の嶮」と呼ばれた箱根の山越えです!
約1000mを上って、さらに下りるというかなりの(というかこれまでのラン人生でも一番の)、
ハードなランになりそうです。
間違いなく東海道ラン前半のクライマックス。
そしてこの日はそのままゴールの三島に投宿して、翌日さらに走る予定。
いよいよ本当に「旅」になってきました。
そんな4日目のレポートです。
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■ (10)箱根宿へ
※山道ルートなのでGoogleマップが作成できません。詳しいルートマップはこちら
小田原に着いたのは朝7時すぎ。例の如く始発に乗って来ました。
前日までの雨雲がまだ少し残っていて、どんより曇っています。
おかげでお盆のど真ん中にもかかわらず気温は低めですが、かわりにものすごい湿気……。
スタートは前回ゴールした小田原宿本陣近くの「箱根口」交差点から。

しばらくは国道1号線とその脇道を交互に進むようなルート。
東海道線、

脇道へそれて東海道新幹線、

そして箱根登山鉄道と、連続で3つの線路をくぐります。
高架をくぐったところで1号線と合流。

しばしの間、箱根登山鉄道と並走。

ここは箱根駅伝5区のコースですね。
湯本方面への道(写真左端)が既にこの時間から混んでるのはやはりお盆だから?
再び脇道へ。
実は、既にじわりじわりと上り坂が始まっています。

小田原のスタート地点は海抜9mだったのが、既に50m越え。

登山鉄道の入生田駅を過ぎたところ。がっつりと坂です。

そしてやってきました三枚橋の交差点。

まっすぐ進むのが国道1号線。つまり箱根駅伝5区のルートです。
小田原からここまでは箱根駅伝とほぼ同じコースをたどってきたのですが、
旧東海道はこの交差点を左折して早川を渡り、南側のルートを行くことになります。
ちなみに、小田原宿からここまでちょうど5km。
箱根駅伝ファンとしては5区のコースを走ってみたいところですが、
残念ながらここでお別れ。
奥に箱根湯本駅が見えます。

そして、三枚橋を渡ったところから、一気に坂の斜度が増します。

写真で伝わるかな?今までの坂とは比較にならない傾斜です。
小田原北条氏の菩提寺、早雲寺(写真撮り忘れた!)を過ぎて間もなく、
「湯元茶屋一里塚跡」がありました。

そして一里塚の少し先に、こんな分かれ道が。
道路の続きは左側。しかし東海道のルートは、なんと右側なのです。

パッと見、どこかの家の私道にしか見えませんが、
実はこの先に、東海道箱根路の代名詞でもある「石畳の道」があるのです。
それがこれ。今日初めて出会う石畳です。

なんと、ここの石畳はほぼ江戸時代当時のままだそう。
すげえ。マジでタイムスリップ。
ちなみに誰もいません。しかも薄暗くてちょっと怖い。
でもその怖さがまたいい!
途中、渓流を渡ります。

石畳で出会った猫。

元の道に戻りました。左の坂が石畳の出口。

ここの石畳の道は300mほどしかありません。
しかしこの先あちこちに江戸時代当時の(一部は修復された)石畳が出てきます。
やっぱり箱根路はこれまでのアスファルトの道を行く旅とはキツさも情緒も全然違います。
旅を続けます。
石畳から2kmほど上り続けると、須雲川の集落に到着。

案内板の説明によると、この集落は東海道が整備されるのと同時に、
旅人の休憩や道路の保守・維持のため、
幕府がわざわざ人を入植させて新たに作ったものなんだそうです。
こういう集落が、箱根路には一定距離ごとに作られたんだとか。
そして、須雲川集落から500mほど進むと、
箱根路の難所の一つ「女転(ころ)し坂」があります。
見てこの角度。

馬に乗って坂を越えようとした夫人が、落馬して死んでしまったことから名付けられた坂。
確かにこの坂はエグかった。
そして女転し坂を上りきると、道路沿いにいきなり怪しげな山道への入口が出現。

どうやらこれが旧東海道ルートらしいです。
入ってみると石畳の道が!

先ほどの石畳のと同じように、ここも300mほどで車道に合流。

こんな具合に、車道沿いにいきなり石畳or石段の旧道がヌッと顔を出して、
それをしばらく進むと再び車道に合流する、というのが箱根路の石畳の道のパターン。
この先ひたすらこのパターンを繰り返しながら進むことになります。
ということで再び旧道が現れました。
(このあたりから疲労により写真がブレ始めます。ご容赦ください)

昨日までの雨で(台風が来てました)石が濡れていて滑ります。

こんな橋を渡っちゃいます。
なんかもう、ちょっとした「冒険」になってきました。

橋を渡ると今度は上り。
箱根は坂の一つひとつに名前が付いています。これは「大澤坂」。

この角度、伝わるでしょうか。
足元が滑るのもあって、場所によっては手をつかないと上れません。

上りきったところで車道に合流。道の先は畑宿の集落です。

寄木細工で有名な畑宿は、
前回3日目に大磯〜小田原間で見かけた「松屋本陣の跡」と同じ、間の宿(あいのしゅく)でした。
宿場間の距離が長い場合に、その中間に置かれたミニ宿場町です。
畑宿の本陣跡を通過します。

そして再び石畳が始まります。

写真奥に、同じく旧道を歩いている人が見えます。
ご年配の男性だったのですが、結局芦ノ湖までの上りの道で出会った「同好の士」はこの方だけでした。
真夏に箱根を走ろう(歩こう)と考える人はいないのでしょう……。
畑宿の石畳の道はこんな感じ。美しいですねえ。

石畳を上りきると再び車道へ。

通称「七曲り」と呼ばれるヘアピンカーブが連続する難所です。

このあたりは時折車道を走りつつ、間を階段と石畳で上っていくという、
なんとも忙しいルートになります。

上の写真は、箱根で最大の難所と言われた「樫木坂(かしのきざか)」。
今は階段が整備されていますが、昔はほとんど崖だったそうです。
どうやって上ったんだろう…。
階段を上りきるとまた石畳の道が始まります。
元箱根まで残り3kmの表示が。

冒険。

景色(見えないけど)。

再び冒険。

下の写真、別に僕が斜めに立っているわけではなく、
道自体がうねってるのです。

ちなみに、石畳はただでさえ急な上にこの日は前日の雨で濡れていたので、
早々に「石畳は歩く、アスファルトは走る」というルールに切り替えて進んでおります。
とてもじゃないけど石畳は走れない。
箱根宿までの山上りはもうすぐ終わり。
間もなく芦ノ湖への下りの道に入ります。
多分これが最後の坂。その名も「追込坂」。

正式な由来はともかく、旅人の心理にマッチした坂の名前です。
ここは石畳ではなく、こんな感じの砂利道。

追込坂の端にあるのが「甘酒茶屋」。

なんとこのお店、創業400年だそうです。
西へ向かう旅人は、ここで名物の甘酒を飲んで一休みしつつ、
間もなく芦ノ湖で通過する「箱根の関所」に向けて身支度を整えたんだとか。
お店では、今でも当時と変わらぬ甘酒を飲むことができます。
……僕は、自分でも引くくらい汗でドロドロだったので、遠慮しておきました(いつか絶対来よう)。
そして、いよいよ芦ノ湖へ向けて下りの始まりです。

芦ノ湖の箱根宿から先にもう一度軽い上り坂があるのですが、
本格的な上りはもうおしまい。
ここまで「走り6:歩き4」くらいの割合だったのですが、
それでも800mは上ってきてますから、もう山上りはお腹いっぱい。
しかしホッとしたのもつかの間。
下りは下りですげえ角度です。

足元に気をつけながら下ります。
途中、木の間から二子山が見えました。

元箱根まで15分。頭の中は芦ノ湖の湖畔で休憩することでいっぱい。

ちなみにこのあたりは、江戸時代の東海道(僕が走ってるコース)と、
鎌倉時代の東海道とが交わる地点だったそうです。
東海道の箱根の山越えルートは、鎌倉時代には湯坂路(ゆさかじ)と呼ばれる、
江戸時代のものよりも北側のルートを通っていました。
現在の箱根湯本駅のあたりから山に入り、湯坂山(547m)や浅間山(802m)、鷹巣山(834m)の尾根筋を伝って
芦ノ湖へと下るコースだったそうです。
その旧ルートと、江戸時代の新ルートとが合流するのがこのあたりだったんだとか。
ちなみに、さらに以前の平安時代の東海道は、
箱根は通らずに伊勢原や秦野を通り足柄峠を越えて沼津に入る、というルートだったそうです。
さて、いよいよ下り坂も終わり。
杉並木を抜けて……

見えた!芦ノ湖!

右の鳥居は箱根神社の一の鳥居。ここに出てくるのか!
ここで、箱根湯本駅の手前の三枚橋で分かれて以来、
(たかが2〜3時間前なんだけど実感的には)久々の1号線合流。
芦ノ湖畔の東海道にはかつて杉並木が植えられていました。

現在も1号線脇にその姿を残しています。
杉並木が終わると、「箱根関所」の看板が見えました。

矢印に従って進むと、見えてきました。箱根の関所です。

江戸幕府は東海道はじめ主な街道の各所に関所を設けていましたが、
箱根の関所は最も大きな規模を誇りました。
現在の建物は2004年、江戸時代末期に行われた箱根関所の解体修理の資料を基にして、
建物の寸法や使っている資材、建築技法まで当時のままに再現したという、
関係者のハンパじゃない情熱が込められた一大歴史施設になっています。
中では、当時の旅人がどんな風に取調べされたとか、
役人たちの生活の様子などを勉強できます。
が、僕は既に一度来たことがあるので今日はスルー。

1号線に戻って先へ進むと、箱根ホテルの隣の海賊船乗り場に、
「箱根駅伝栄光の碑」というものが立ってました。

ちょうどこのあたりに、かつての箱根宿の本陣があったそうです。
箱根宿というのは、元々このあたりに町や村があったわけではなく、
「箱根山中に宿場がないと不便だろう」ということで、
東海道が整備された17世紀前半に小田原宿と三島宿から50軒ずつ取り立てられて、
いわば人為的に作られた宿場町でした。
本陣の数は全部で6軒と、東海道の宿場では最多のキャパシティを有しているのも、
「難所の中の宿場」という立地ゆえでしょう。
そうじゃなかったらこんな不便なところにわざわざ住まないよなあ……。
というわけで、なんとか箱根宿にゴール!

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■ (11)三島宿へ
※ルートはこちら
芦ノ湖畔で湖と海賊船を眺めながらソフトクリームを食べつつたっぷり30分休憩。
1000m近く上ってきたとはいうものの、歩きが多かったのもあって、
疲労度はそこまで深刻ではありません。
ということでランを再開。
リスタート地点はここ。箱根駅伝往路のゴール地点。

ゴールからスタートするということに若干の皮肉を感じつつ、走り始めます。
すぐにまた石畳の道が現れました(何度目だろう?)。
「向坂」という名の坂です。おそらくこの日最後の上り坂です。

ここまで通ってきた石畳の道もかなり鬱蒼としていましたが、
箱根宿から先(西)の石畳の道はその比ではありませんでした。
「え?ここ通るの?通れるの?」みたいな道を何度も見ることになりました。
例えばこんな場所とか。

なにこれ……。
トンネル(というよりすき間?)の高さは180cmもありません。
背中を丸めながら通らないと頭をぶつけます。
おまけに抜けた先の道が草で見えない。
これ、仮にも「東海道」だよね?
トンネルを抜けるとこんな感じ。

なんかもう軽いジャングルだよ。
走る、というよりも「分け入る」みたいな感じでなんとか向坂を上りきると、
一度国道1号に出ます。

しばらく進むと「箱根峠」の交差点が。
ここが箱根の最高点。手元のGPSだと標高852mとなっていました。

この箱根峠から先は三島市。つまり、ついに静岡県に入ったことになります。
箱根峠の交差点の脇にあるパーキングエリア。
歩道(東海道)が石畳風に舗装されていました。

そして、再び本物の石畳が始まります。
道の左側にダンジョンのごとく口を開けた怪しい道が。

草も木もボーボーで先が見えない……。
「本当に11km行けば三島に着けるのかよ?」と肩をゆすって問い質したいです(←誰に?)。

予想以上の秘境っぷりに思わず「マジかよ」と声が出ました。
でも、闇のような木々の暗さと木漏れ日のコントラストが怖くも美しい。

一度国道1号に出て――

再び石畳(また指が映り込んでしまった…)。

藪が道の3分の2くらいを埋めています。

空が見えました。
鬱蒼とした森は終わった……と思ったら今度は足元がヤバイ。

道が見えない……。
草の間から覗く石畳を頼りに進みます。

『トトロ』の世界に迷い込んだかのよう。

ようやくこの「草の道」も終わった。
……と思ったらいきなり民家の軒先に出てきた。

何度も言いますけど、これ「東海道」ですからね。
1000年以上の歴史をもつ日本最大の街道ですからね。
ちなみに、相変わらずここまでずーっと1人です。
歩いている人、走ってる人は誰もいません。
奥に見える車道は国道1号。一度合流します。

んで、例の如くすぐにまた石畳へ。

さっきまでの鬱蒼とした道が嘘のような、美しい林の道。

あ、奥に歩いている人がいる!今日2人目の同好の士です。
しかも軽い小走りで走ってました。
んで、こっちも走ってるもんだから、自然と競争になっちゃって(こういうのやりにくいですね)、
なんとなくお互い気まずい、みたいになっちゃいました。
ちなみに箱根峠以降、下りに入ってからは、傾斜が比較的ゆるやかになってきたこともあり、
基本は石畳の場所も走ってます。

やがて到着したのが、山中城跡。

せっかくなので山中城を見ていくことにしました。
山中城は16世紀後半に小田原北条氏が領国の西の備えとして築いた山城で、
本丸、二の丸、三の丸、さらに三か所の出丸という、かなり大規模なつくりを誇っていました。
しかし、1590年の秀吉の小田原攻めの際に、圧倒的な大軍の前にわずか1日で落城したそうです。
僕が見たのは、城の一番西側(敵側)に築かれた岱崎(たいざき)出丸。

土塁跡や空堀跡など、当時の形がとてもよく残されています。
土塁の上から三島の方角を見たところ。
手前に見えるのが空堀ですね。

実際に歩いて回ると、かなり大きな城だし、
山の傾斜を利用して作っているから、攻める側からすれば相当落としづらそうだなあという印象。
なのにこれを1日で落とした秀吉の軍隊というのは、
いったいどんだけえげつない大軍だったんだ。
(後から調べたら、山中城攻めには計7万人が動員されたそうです)
山中城は国の史跡に指定されていますが、ここでもやはり誰もいません。
(僕と、一匹の蛇しかいませんでした)
「兵どもが夢の跡」ってやつですねえ。
東海道へ戻ります。
岱崎出丸の前の石畳を一路西へ。

このあたりは傾斜もゆるやかで、石畳もきれいに敷かれているので、
ガンガン走ります。
この日は旧道の一部が工事のため通行止めでした。

仕方なく国道へ迂回。曇ってるけど景色がきれい!

再び旧道へ。既に箱根峠から300m近く下っています。

また旅人泣かせのよくわからん道が出現……。(正解は左)

国道に合流し、

再び石畳を走ります(とにかくこのパターンの繰り返し)。

笹原一里塚。ここでついに石畳は終わりです(多分)。

石畳は終わりましたが、実はここからが難所。
箱根の西側で最も急峻といわれる「こわめし坂」が始まります。

確かに傾斜はかなりエグめ。

写真を撮り損ねてしまったのですが、
上の写真の奥にはさらに急な坂になっています。
こわめし坂が終わると、しばらくは住宅街の中を走ります。
三ツ谷という集落。写真では分かりにくいですが、ここもゆるやかに下っています。

三島の街がだいぶ近くなってきました。

小学校の手前(その名も「坂小学校」という)で脇道にそれます。
写真右側の下り坂が東海道。

案内板に従って、

細い道を駆け下ります。

そしてその先で再び石畳の旧道へ(まだあった!)。

ここも草がボーボー過ぎ。

旧道は終わり(今度こそラストじゃないか?)。
再度、車道に合流。

しばらく進むと、国道1号と合流します。

現在、標高約150m。700mも下りてきたのか!
三島の街まであとわずかです。
ひたすら1号線を下ります。
このあたりも松並木が残ってますね。

錦田の一里塚を発見。日本橋から28番目の一里塚です。

一里塚の隣にある、木製(っぽい作り)の手すりがついた歩道橋を渡ります。
その名も「一里塚歩道橋」。

歩道橋の上から箱根の山方面を望む(ほとんど見えないけど)。
あそこにいたのか〜。

五本松の交差点から脇道に逸れます。
このあたりの坂は「愛宕坂」というそうです。足元は石畳風。

愛宕坂を下ると東海道線の踏切りを渡ります。

小田原から南へ抜けて熱海を回ってきた線路と、箱根の山を越えてきた僕とが、再会!

1kmほど進むと大場川。
この新町橋が三島宿の入口です。

現在でも、この新町橋を境に三島の中心街が始まります。
そして三島の街の最大の名所といえば、三嶋大社。

『日本書紀』や『続日本紀』にも記述が残るという、とんでもなく古い神社で、
伊豆に流された源頼朝が挙兵の際に源氏再興を祈願したことから、
中世以降は特に武士の崇敬を集めてきました。
中に入ってみました。15000坪という広大な境内ですが、
かつてはさらにこの数倍は広かったそうです。

本殿。三島に縁もゆかりも無いので軽く恐縮しつつ、旅の無事を祈ってきました。

本殿前に建てられているテントは、おそらく御礼祭の準備と思われます。
御礼祭は3日後、ということでした。
三嶋大社から約500mほどで本陣跡を発見。
三島宿の本陣は2軒あり、こちらは「世古本陣」の跡。

もう1軒の「樋口本陣」の跡も道の向かいにあります。
そしてもう一つ見ておきたいものが。
世古本陣の100mほど先に、三石神社という神社があります。
その境内にある「時の鐘」です。

現在の鐘は昭和に入ってから作られたもので、櫓もなんだかモダンなのですが、
鐘自体は江戸時代からありました。
「時の鐘」という名の通り、三島宿に時間を知らせる鐘だったそうです。
境内の横を小川が流れていて、子どもたちが遊んでました。
良い光景でした。
三石神社のすぐ横が、伊豆箱根駿豆線の「三島広小路」駅。

かつても今も三島の中心街は、JR三島駅前ではなく(ここから1kmほど離れてます)、
この三島広小路のあたりなんですね。
というわけで、本陣跡もチェックできたし、本日のゴールはここ。
小田原宿からここまで32kmでした。
いやしかし、街→山→街、山上り→山下りとドラマチックすぎるコースを走ってきたせいか、
気持ち的には50kmくらい走ってきたような……。
今夜は三島泊。
明日、再びここからスタートして、吉原宿を目指します。
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