旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
6日目の今日は吉原宿(静岡県富士市)から江尻宿(同静岡市)まで走ります。
10月中旬の気持ちの良い秋晴れ。
絶好の「ラン日和」ですが、僕のコンディションはというと、正直イマイチ。
前回(8月お盆)から2か月の間、実はほとんど走れてません。
というのは、9月は天候不良などで東海道ランどころか普通のランニングすら満足にできておらず、
そんな中でさらに9月の終わりに筋膜炎を起こしてしまい、
直近の1か月はほぼ強制ランオフ。
10km以上走るのはいつぶりだろう?
走る前から苦しむことが分かりきっているにもかかわらず、それでも走るという、
マゾヒスティックな東海道ラン6日目です。
--------------------------------------------------
■ (14)吉原宿へ※やり直し
前回5日目は、箱根の山越えのダメージによって目標だった吉原宿の手前の、
元吉原宿(最初に吉原宿が開かれた場所)で中断しました。
新幹線こだまの始発に乗って新富士駅で下車。
そこからタクシーで、元吉原宿の最寄である東海道線の吉原駅まで移動。

前回、息も絶え絶えにたどり着いた場所です。
この前は夏の暑い日だったのに、今日は半袖だと肌寒いくらい。
現在8時前です。
駅から300mほどの場所にあるこの交差点が、前回中断した場所。
2か月ぶりに東海道旧道に復帰です。

ここから吉原宿まではひたすら内陸方向へ北上するルートです。
驚いたのは、大型トラックの数。
この時間からガンガン大型トラックが走ってるし、道沿いの空き地はもことごとく大型トラックの駐車場。
道がやけに広いのもトラック仕様なのでしょう。

富士市は製紙業が盛んなんですよね。
僕でも名前を知ってるメーカーの大型工場をいくつも見ました。
(そういえば新幹線の窓からいくつも煙突が見えたなあ)
製紙業と、それを支える物流拠点で市の大半が覆われている、なかなかダイナミックな街です。
「東海地震が起きるとトイレットペーパーが無くなる」という怖い話を聞いたことがありますが、
実際走ってみると納得してしまいました。
と、社会見学気分で走っていたら、道を間違ってしまいました。
(なんと幸先の悪い…)
1kmほど余分に走って和田川のたもとで正規のルートに復帰。
ちょうどそこに「平家越えの碑」が立っていました。

富士川の戦い(1180年)で、源氏軍と対峙していた平家軍が、
水鳥の羽ばたく音を大軍の襲来だと勘違いして慌てて逃げ出してしまったという、
なんとも不名誉でかっこわるい事件が起きました。
富士川自体はここからもっと西側にあるのですが、
その故事にちなんだ碑が、この和田川のたもとに立てられました。
県道171号を進み、岳南鉄道の吉原本町駅の踏切りを渡ります。

「本町」という地名からわかる通り、このあたりがかつての吉原の宿場町だった場所になります。
現在も商店街が広がっています。
富士駅や新富士駅周辺はほとんど何もないので、
街の中心地は今も昔も吉原宿一帯なんですね。

上の写真の「コンドウ薬局」さんのあたりが、かつて吉原宿の本陣があった場所なんだそうです。
というわけで吉原宿に到着。
前回5日目のリベンジ達成です。
吉原宿おまけ。
コンドウ薬局の少し先で見つけた「長さん小路」。

いかりや長介って富士市出身なんだって!
--------------------------------------------------
■ (15)蒲原宿へ
吉原本町の商店街を抜けると、再び裏道へ。

小潤井川を渡る手前(奥に橋が見えるでしょうか)に西木戸跡がありました。
つまり吉原宿の宿場町はここまで。

にしても川が多いです。
まだ5kmほどしか走ってないのに、既に3本くらい川を越えたような。
富士市とその北の富士宮市は、富士川をはじめとする何本もの川によって作られた扇状地になっています。
地図を見ると、富士山の西側を扇頂とする、まるで見本のようにきれいな扇状の地形が見て取れます。
そして、ちょうどこの吉原宿のあたりが静岡県内の東海道ルートでは最北部。
ここからは駿河湾の西岸に沿って、ひたすら(ほんとうにひたすら)南へ向かうことになります。
しばらくは幹線道路沿いのルートなのですが、
東海道でたまに出現する、「急な裏道進入」はここでも健在。

潤井川を渡る富安橋の上から、後方に富士山が見えました。
写真のちょうど中央あたりにうっすらと見えてます。

裏道を走ってます。水路のある道っていいですよねえ。

一里塚を発見。左奥に石碑が見えます。
花畑と一緒でなんか可愛い。

富士本町通りを横切ります。
このあたりは東海道線の富士駅の北側にあたり、商店街になっています。

少し先に高札場の跡がありました。ここも石碑のみ。

再び幹線道路に出てきました。
奥に見える高架は、富士駅から甲府駅までつながるJRの身延線。
高架の左側が柚木駅になっています。

また裏道へ。常夜灯が目印になっています。

しかし天気が良い……。

冒頭でも書いたように、前回以降、雨で何度か東海道ランを見送ったのですが、
やはり無理せず好天の日を待って正解でした。
早くも足に乳酸が溜まり始めているのですが、
天気が良いというだけで2割くらい疲労が軽くなっている気がします。
間もなく富士川です。川の手前の右側に松岡水神社がありました。

ちょうどこのあたりが富士川の渡し船の乗り場があったそうです。
境内に石碑がありました。

さて、いよいよ川を渡ります。橋はその名も「富士川橋」。

東海道にかかる川というと大井川が有名ですが、
「街道一の急流」と言われたのはこちらの富士川。
川の流れは江戸時代よりも西へ移動したそうですが、今もかなりの水量。
「轟々」という言葉がまさにぴったりのすごい音でちょっと怖かったです。

富士川を渡ると、今度は急に細い路地に入ります。

坂道を上ると先ほど渡った富士川橋が見えました。

ここから先はしばらく山間の道(右手がすぐ山です)を行くことになります。
道沿いには、いかにも旧街道といった雰囲気の古いお宅が並んでいてとても気持ちがいい。

このあたりは岩淵とよばれる集落で、
かつては吉原宿と蒲原宿の間で旅人の小休止場所として賑わった間の宿(あいのしゅく)でした。
上の写真の右手に見える立派な塀のお宅は、小休本陣(こやすみほんじん)だった常盤邸。
国の登録文化財に指定されています。
(どうでもいいけど「こやすみほんじん」ってなんか可愛い)
常盤邸から1kmほど走ったところに岩淵の一里塚がありました。
日本橋から37番目の一里塚です。

立派な塚ですねえ。
ぐるっと回り込む道路のカーブ具合も含めて、これまで見てきた中でもかなりハイレベルな一里塚です。
一里塚を過ぎるとさらに山深い道へ入ります。
奥に見える高架は東名高速。

東名高速をくぐった先で小さな谷川を渡ります。
川の名前は谷津沢川(だと思う)。

さらに1kmほど南下。新幹線をくぐります。

再び山道を上る。

東名高速の上に出てきました。
奥に高速道路の上にまたがった橋が見えるでしょうか。これからあれを渡ります。

手すりとかサビだらけでけっこう怖い。

高速道路を渡るとここからは一気に下り坂。
向こうに駿河湾が見える!
(なんで人は海を見るとテンションが上がるんだろう)

坂を下りきった突き当りを右折。
番地名に「蒲原」の文字が見られるようになりました。
この道の100mほど左側を東海道線が走っています。

一里塚を発見。一般のお宅の軒先にあります。

とってつけたようなこの鳥居と社はなんなんだ…。
ひとつ前に見た岩淵の一里塚の立派さと比べると、「コレジャナイ感」がすごい。
一里塚の先に蒲原宿の東木戸跡がありました。
19世紀前半に作られたとされる常夜灯もあります。

ここから蒲原宿に入ったことになります。
蒲原宿は当時の面影が残る、とてもいい雰囲気の宿場町でした。

防火性に優れた「塗り家造り」と呼ばれる特別な普請で建てられた元商家の「佐藤家」や、

同じく塗り家造りのナマコ壁が残る、元和菓子屋の「吉田家」など、

かつての建物がキチンと保存されています。
そしてこれが、蒲原宿の本陣だった「平岡本陣跡」。

中の土蔵は当時のままなんだとか。今でも人が住まわれてるそうです。

平岡本陣の向かいには、旧旅籠屋の「和泉屋」があります。
今は向かって右側の4間が、お休み処になっています。

実はこの元和泉屋のお休み処でお手洗いを借りたところ、
お店の奥さんに声をかけられ、中に上がらせてもらえることに。

こちらが2階。

奥さんが「この建物は震災でだいぶ傾いたんですよ」と言うので、
「関東大震災ですか?」と聞くと、「いいえ。安政の大地震です」との答えが。
時間のスケールが違い過ぎる…!
それにしても、この和泉屋といい、佐藤家や吉田家や平岡本陣跡といい、
蒲原宿は史跡の保存状態が素晴らしすぎます。
おかげで東海道を走っていてもとても気持ちいい。
でもそれは、奥さん曰く「残そうとみんなで努力しているから」とのこと。
う〜ん。そりゃそうだよな。
頭が下がります。
表に面した櫛形の手すりは、和泉屋の建築の特徴の一つ。
向こうに海が見えます。

かつての東海道はもっと海に近い場所を通っていたのですが、
吉原宿と同様に、津波などの被害によって内陸側に移動してきたんだとか。
僕が「のんびりしてていいところですね」と言うと、
「いえいえ。蒲原や隣の由比は気性が荒い土地で有名なんですよ」と奥さん。
えええ、そうなんだ。
言葉づかいも激しくて、普通に喋っているだけなのに、
他所の人が聞くとまるで怒られてるように聞こえるんだそうです。
でもそんな風土があるとはにわかには信じがたいほど、
落ち着いてのどかな宿場町です。
蒲原宿、素晴らしいところでした。
--------------------------------------------------
■ (16)由比宿へ
和泉屋さんでしっかり休憩をとって、再び走り始めました。
すぐに右手に高札場跡。

そして西木戸跡。ここで県道396号と合流。
蒲原宿とはお別れです。

ここからはしばらく396号線を走ります。
2kmほどで左手に東海道線の蒲原駅が見えました。

さらに1km。東名高速をくぐります。

その先の分かれ道で県道396号(右)とはお別れ。
東海道は左のルートです。

さらに進んでいると、それまで真っ直ぐだった道が、
小さくクランク状に折れ曲がっている場所がありました。

実はここが由比宿の入口。
先ほどの蒲原宿の入口でも同じ形の道が見られたのですが、
宿場の入口は防備上の観点から(大軍が侵入しづらいように)、
このように道路が桝形(ますがた)に折れ曲がっているのです。
反対から見るとよく分かる。

この桝形道路の横に建つのが旧商家の志田邸。
説明板にはここにかつて東木戸があったことが書いてあります。

東木戸の先、立派な木造の家(材木屋さんのようでした)の脇の壁に、
「お七里役所跡」の説明板がありました。

江戸時代、西国大名の中には江戸屋敷と領国とをつなぐ特別な連絡機関として
「七里飛脚」を使っていた藩がありました。
ここは紀州徳川家の七里飛脚の役所跡だったそうです。
やがて右側にものすごく目立つ門が見えてきました。
ここが由比宿の本陣跡。

「由比本陣公園」という名の公園になっているんですね。
中には美術館もあって中では当時の宿場町を再現したミニチュアや広重の絵が展示されてるそうです。
(スルーしてしまった!見ればよかった!)

そして、由比本陣公園の向かいにあるのが、正雪紺屋。

四百年も続く染物屋で、由比正雪の生家と言われているんだとか。
(由比正雪と由比宿が同じ「由比」だったと初めて知った…)
蒲原宿から由比宿まではわずか4kmほど。
あっという間でした。
正雪紺屋の先にある資料館、「由比宿おもしろ宿場館」の入口に、
弥次さん喜多さん(だと思われる)がいました。

--------------------------------------------------
■ (17)興津宿へ
※薩埵峠まで
次の興津宿までが、今日の一番の山場。
その理由は、急峻な坂が続く難所「薩埵峠(さったとうげ)」。
箱根峠・鈴鹿峠と並ぶ、東海道の三大難所の一つとして、古くから旅人を悩ませてきた場所です。
ちなみにどのくらい急かというと、
この日のつい2週間前に来襲した台風18号によって土砂崩れが発生し、
薩埵峠の直下を走る東海道線の由比〜興津間が10日以上にわたって不通になりました。
(開通したのはちょうどこの日の前日)
「昔から地元の人は危ないって言ってたのよ」とは、先ほどの蒲原宿・和泉屋の奥さん談。
とにかくめっちゃ険しいらしいです。
不安を募らせながら由比宿からリスタート。
由比宿の本陣を過ぎて間もなく、由比川を渡ります。
ここで由比宿の宿場町は終わり。

この由比川橋、歩道部分が自然木でつくられています。

懐かしい家並みの道を走ります。
「由比桜えび通り」という名前が付いてるみたいです。

桜えびで有名な由比ですが、元々は蒲原の名産品として知られていたそうです。
由比に漁港ができたことで、その地位は移ってしまいましたが、
漁業者の数は実は今でも蒲原の方が多いらしいです。
東海道線の線路沿いに出てきました。
奥に由比駅が見えます。

由比駅を過ぎると、由比宿の手前で別れた県道396号と再び合流。

しかし、このまま396号を進むと思いきや、
東海道はすぐに1本脇の路地へと入っていきます。

左手に海を見ながら走ります。

この一本海側に県道と東海道線、そのさらに海側には東名高速が走っています。
山がすぐ近くまで迫っているので、狭いスペースに全部が密集しています。
それだけ山の傾斜が急ということですね。

薩埵峠の案内板が現れました。あと約3km!

案内板のすぐ先、道の右手に歴史のありそうな住宅が見えました。
このあたりの名主を務めていた小池氏の邸宅。
現在は休憩場所として利用できるそうです。

小池邸の他にも道沿いには歴史のありそうなお宅ばかり。
走っていて気持ちいいです。

蒲原宿からここまで、素晴らしい景観続きです。
静岡やるなあ。
家並みが途切れ、徐々に山に近づいてきた感じがしてきました。

西倉沢の集落に到着。

薩埵峠の東側の登り口にあたる西倉沢は、
小休止のための間の宿(あいのしゅく)として、多くの旅人が腰を下ろしてきた場所でした。
写真に映る古いお宅は、西倉沢の本陣だった川島家。
そしていよいよ見えてきました。薩埵峠の東側(由比側)の登り口です。
見てくださいこの挑発的な坂の角度。

坂の入口に一里塚がありました。

登り始めました。
いきなり目に入ってきた「落石注意」の看板。

見た目以上にエグイ坂です。
さすがに走れないので歩きに切り替えます。
でも、景色は抜群!
左を向けばどこでもこの景色が見晴らせます。
海の向こうに見えるのは伊豆半島ですね。

そして、振り返ればはるか向こうの方に富士山が!
(下の写真の真ん中あたりに顔を出しているのが分かるでしょうか)

ちなみに、下を向くとこんな感じ。だいぶ登ってきました。

登り始めて30分ほどで薩埵峠の頂上に到着。
この先は遊歩道になっていて、頂上には観光客用の駐車場があります。

なんだかあっという間でした。
標高が100m強しかなく、箱根を越えてきた身からすれば、正直物足りないくらい。
ただ、坂の角度は箱根よりもキツかったかも。
ここからは下りです。公道から遊歩道へ。

柵の向こうは崖です。

展望台があったので後ろを振り返りました。
すると……、

駿河湾とその奥の雲間から顔を出した富士山。
東海道随一の名勝であり、
五十三次の中で唯一当時と変わらない景色が眺められるのは、この薩埵峠だけだそうです。
あとはひたすら下るのみ。

天気がいいのにほとんど人がいません(もったいない)。

おっ、進路の先に何やら暗い「穴」が。

なんだか箱根の石畳のような雰囲気になってきました。

下りてきました。西側(興津側)の登り口は墓地になっています。

※薩埵峠・興津側登り口から
薩埵峠を下りきった先は、ビニールハウスや畑が広がるエリア。

とても静かです。
東海道は写真左奥へ。

いかにも旧道沿いといった雰囲気の家並みを抜けて、

海の近くまで出てきました。東海道線をくぐります。

興津川を渡ります。橋を渡れば興津の町に入ります。

興津に入りました。
史跡とかは少ないのですが、やっぱりどこか宿場町の匂いがしますね。

一里塚を発見。

こんな場所もありました。「興津宿公園」。
興津の歴史が書かれた説明板があるほかは、特に史跡や史料はありません。

興津宿には本陣が2軒、脇本陣が1軒ありました。
まず東側の本陣跡を発見。
普通のお宅の玄関脇に石碑が立ってます。

そして、道の反対側にある、当時から続く宿・水口屋が興津宿の脇本陣。

さらにその先に、今度はもう一つの本陣(西本陣)跡がありました。
自転車屋さんの脇に石碑が立っています。

というわけで、無事に薩埵峠を越えて興津宿に到着しました。
由比宿からここまでなんのかんので10kmありました。
--------------------------------------------------
■ (18)江尻宿へ
いよいよ今日のゴールである江尻宿へ向かいます。
江尻は今の静岡市の清水です。
興津宿からは残りわずか5kmの距離なので、もう目と鼻の先。
…ですが既に足が限界(ランナー的に言うと「売り切れ」状態)にきています。
大したスピードで走っていないのに、ふくらはぎがビクビクッと攣りはじめるという…。
30km程度でこうなるとは、やはり9月以降のランオフによる衰えなのでしょう。
興津宿をスタートすると間もなく静清バイパスの高架をくぐります。
ここで国道1号線に合流。

その先で今度は東海道線の線路の上を渡ります。

ひたすら国道1号線を走ります。

庵原川を渡ります(正直この辺りは写真に撮るものが少ない…)。

さらに1kmほど走った辻町の交差点で、
東海道は右の脇道に逸れます。

上の写真で、ちょうど分かれ道に立っている松が「細井の松原」。
主要街道である東海道は、整備の一環としていたるところに松が植えられていましたが、
このあたりにはかつて200本以上もの松が植えられていたそうです。
その後、細井の松原は太平洋戦争で松根油(航空機燃料)として全て伐採されてしまいました。

細井の松原を後にして、旧道を走ります。
江尻宿まではあとほんの少し。

左手に一里塚跡がありました。
街灯の手前に立てられた説明板(しかも板に紙を貼っただけのチープなもの)のみ。

すぐ先には東木戸跡。

ここでも、居酒屋の壁に立てられた(もたせかけられた)説明板のみ。
蒲原宿、由比宿とはくらべものにならないチープさ…。
まあとにかくここから江尻宿ということです。
清水銀座の交差点。
ここまでずっと直進してきましたが、東海道はこの交差点で右折していきます。

そしてここが、江尻宿の中心地。
本陣や脇本陣は全て焼失してしまったそうですが、
おそらくこの交差点付近にあったんだろうと言われています。
交差点脇の洋菓子店の前に看板がありました。
ここを今日のゴールとします。

元吉原宿からここまで36km弱でした。
(序盤に迷子になって1kmくらい余分に走ってるけど)
ランオフによるブランク明けということもあり、肉体的にはめちゃくちゃキツかったです。
ですが、なんといっても天気が最高だったので、気分は爽快でした。
これまでで一番気持ちよく走れたんじゃないかなあ。
東海道ランを始める前は、
「昔の旅人気分を味わうために、雨の日も走ろう」と考えていたけど、撤回します。
やっぱり晴れの日を選んで走った方がいい!
次回7日目は、藤枝宿まで走る予定です。
年内に浜松あたりまでは行きたいなあ。
写真は静岡鉄道清水線。
清水駅から終点の静岡駅まで乗って、新幹線で帰りました。

ツイート

ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします


6日目の今日は吉原宿(静岡県富士市)から江尻宿(同静岡市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
10月中旬の気持ちの良い秋晴れ。
絶好の「ラン日和」ですが、僕のコンディションはというと、正直イマイチ。
前回(8月お盆)から2か月の間、実はほとんど走れてません。
というのは、9月は天候不良などで東海道ランどころか普通のランニングすら満足にできておらず、
そんな中でさらに9月の終わりに筋膜炎を起こしてしまい、
直近の1か月はほぼ強制ランオフ。
10km以上走るのはいつぶりだろう?
走る前から苦しむことが分かりきっているにもかかわらず、それでも走るという、
マゾヒスティックな東海道ラン6日目です。
--------------------------------------------------
■ (14)吉原宿へ※やり直し
前回5日目は、箱根の山越えのダメージによって目標だった吉原宿の手前の、
元吉原宿(最初に吉原宿が開かれた場所)で中断しました。
新幹線こだまの始発に乗って新富士駅で下車。
そこからタクシーで、元吉原宿の最寄である東海道線の吉原駅まで移動。

前回、息も絶え絶えにたどり着いた場所です。
この前は夏の暑い日だったのに、今日は半袖だと肌寒いくらい。
現在8時前です。
駅から300mほどの場所にあるこの交差点が、前回中断した場所。
2か月ぶりに東海道旧道に復帰です。

ここから吉原宿まではひたすら内陸方向へ北上するルートです。
驚いたのは、大型トラックの数。
この時間からガンガン大型トラックが走ってるし、道沿いの空き地はもことごとく大型トラックの駐車場。
道がやけに広いのもトラック仕様なのでしょう。

富士市は製紙業が盛んなんですよね。
僕でも名前を知ってるメーカーの大型工場をいくつも見ました。
(そういえば新幹線の窓からいくつも煙突が見えたなあ)
製紙業と、それを支える物流拠点で市の大半が覆われている、なかなかダイナミックな街です。
「東海地震が起きるとトイレットペーパーが無くなる」という怖い話を聞いたことがありますが、
実際走ってみると納得してしまいました。
と、社会見学気分で走っていたら、道を間違ってしまいました。
(なんと幸先の悪い…)
1kmほど余分に走って和田川のたもとで正規のルートに復帰。
ちょうどそこに「平家越えの碑」が立っていました。

富士川の戦い(1180年)で、源氏軍と対峙していた平家軍が、
水鳥の羽ばたく音を大軍の襲来だと勘違いして慌てて逃げ出してしまったという、
なんとも不名誉でかっこわるい事件が起きました。
富士川自体はここからもっと西側にあるのですが、
その故事にちなんだ碑が、この和田川のたもとに立てられました。
県道171号を進み、岳南鉄道の吉原本町駅の踏切りを渡ります。

「本町」という地名からわかる通り、このあたりがかつての吉原の宿場町だった場所になります。
現在も商店街が広がっています。
富士駅や新富士駅周辺はほとんど何もないので、
街の中心地は今も昔も吉原宿一帯なんですね。

上の写真の「コンドウ薬局」さんのあたりが、かつて吉原宿の本陣があった場所なんだそうです。
というわけで吉原宿に到着。
前回5日目のリベンジ達成です。
吉原宿おまけ。
コンドウ薬局の少し先で見つけた「長さん小路」。

いかりや長介って富士市出身なんだって!
--------------------------------------------------
■ (15)蒲原宿へ
吉原本町の商店街を抜けると、再び裏道へ。

小潤井川を渡る手前(奥に橋が見えるでしょうか)に西木戸跡がありました。
つまり吉原宿の宿場町はここまで。

にしても川が多いです。
まだ5kmほどしか走ってないのに、既に3本くらい川を越えたような。
富士市とその北の富士宮市は、富士川をはじめとする何本もの川によって作られた扇状地になっています。
地図を見ると、富士山の西側を扇頂とする、まるで見本のようにきれいな扇状の地形が見て取れます。
そして、ちょうどこの吉原宿のあたりが静岡県内の東海道ルートでは最北部。
ここからは駿河湾の西岸に沿って、ひたすら(ほんとうにひたすら)南へ向かうことになります。
しばらくは幹線道路沿いのルートなのですが、
東海道でたまに出現する、「急な裏道進入」はここでも健在。

潤井川を渡る富安橋の上から、後方に富士山が見えました。
写真のちょうど中央あたりにうっすらと見えてます。

裏道を走ってます。水路のある道っていいですよねえ。

一里塚を発見。左奥に石碑が見えます。
花畑と一緒でなんか可愛い。

富士本町通りを横切ります。
このあたりは東海道線の富士駅の北側にあたり、商店街になっています。

少し先に高札場の跡がありました。ここも石碑のみ。

再び幹線道路に出てきました。
奥に見える高架は、富士駅から甲府駅までつながるJRの身延線。
高架の左側が柚木駅になっています。

また裏道へ。常夜灯が目印になっています。

しかし天気が良い……。

冒頭でも書いたように、前回以降、雨で何度か東海道ランを見送ったのですが、
やはり無理せず好天の日を待って正解でした。
早くも足に乳酸が溜まり始めているのですが、
天気が良いというだけで2割くらい疲労が軽くなっている気がします。
間もなく富士川です。川の手前の右側に松岡水神社がありました。

ちょうどこのあたりが富士川の渡し船の乗り場があったそうです。
境内に石碑がありました。

さて、いよいよ川を渡ります。橋はその名も「富士川橋」。

東海道にかかる川というと大井川が有名ですが、
「街道一の急流」と言われたのはこちらの富士川。
川の流れは江戸時代よりも西へ移動したそうですが、今もかなりの水量。
「轟々」という言葉がまさにぴったりのすごい音でちょっと怖かったです。

富士川を渡ると、今度は急に細い路地に入ります。

坂道を上ると先ほど渡った富士川橋が見えました。

ここから先はしばらく山間の道(右手がすぐ山です)を行くことになります。
道沿いには、いかにも旧街道といった雰囲気の古いお宅が並んでいてとても気持ちがいい。

このあたりは岩淵とよばれる集落で、
かつては吉原宿と蒲原宿の間で旅人の小休止場所として賑わった間の宿(あいのしゅく)でした。
上の写真の右手に見える立派な塀のお宅は、小休本陣(こやすみほんじん)だった常盤邸。
国の登録文化財に指定されています。
(どうでもいいけど「こやすみほんじん」ってなんか可愛い)
常盤邸から1kmほど走ったところに岩淵の一里塚がありました。
日本橋から37番目の一里塚です。

立派な塚ですねえ。
ぐるっと回り込む道路のカーブ具合も含めて、これまで見てきた中でもかなりハイレベルな一里塚です。
一里塚を過ぎるとさらに山深い道へ入ります。
奥に見える高架は東名高速。

東名高速をくぐった先で小さな谷川を渡ります。
川の名前は谷津沢川(だと思う)。

さらに1kmほど南下。新幹線をくぐります。

再び山道を上る。

東名高速の上に出てきました。
奥に高速道路の上にまたがった橋が見えるでしょうか。これからあれを渡ります。

手すりとかサビだらけでけっこう怖い。

高速道路を渡るとここからは一気に下り坂。
向こうに駿河湾が見える!
(なんで人は海を見るとテンションが上がるんだろう)

坂を下りきった突き当りを右折。
番地名に「蒲原」の文字が見られるようになりました。
この道の100mほど左側を東海道線が走っています。

一里塚を発見。一般のお宅の軒先にあります。

とってつけたようなこの鳥居と社はなんなんだ…。
ひとつ前に見た岩淵の一里塚の立派さと比べると、「コレジャナイ感」がすごい。
一里塚の先に蒲原宿の東木戸跡がありました。
19世紀前半に作られたとされる常夜灯もあります。

ここから蒲原宿に入ったことになります。
蒲原宿は当時の面影が残る、とてもいい雰囲気の宿場町でした。

防火性に優れた「塗り家造り」と呼ばれる特別な普請で建てられた元商家の「佐藤家」や、

同じく塗り家造りのナマコ壁が残る、元和菓子屋の「吉田家」など、

かつての建物がキチンと保存されています。
そしてこれが、蒲原宿の本陣だった「平岡本陣跡」。

中の土蔵は当時のままなんだとか。今でも人が住まわれてるそうです。

平岡本陣の向かいには、旧旅籠屋の「和泉屋」があります。
今は向かって右側の4間が、お休み処になっています。

実はこの元和泉屋のお休み処でお手洗いを借りたところ、
お店の奥さんに声をかけられ、中に上がらせてもらえることに。

こちらが2階。

奥さんが「この建物は震災でだいぶ傾いたんですよ」と言うので、
「関東大震災ですか?」と聞くと、「いいえ。安政の大地震です」との答えが。
時間のスケールが違い過ぎる…!
それにしても、この和泉屋といい、佐藤家や吉田家や平岡本陣跡といい、
蒲原宿は史跡の保存状態が素晴らしすぎます。
おかげで東海道を走っていてもとても気持ちいい。
でもそれは、奥さん曰く「残そうとみんなで努力しているから」とのこと。
う〜ん。そりゃそうだよな。
頭が下がります。
表に面した櫛形の手すりは、和泉屋の建築の特徴の一つ。
向こうに海が見えます。

かつての東海道はもっと海に近い場所を通っていたのですが、
吉原宿と同様に、津波などの被害によって内陸側に移動してきたんだとか。
僕が「のんびりしてていいところですね」と言うと、
「いえいえ。蒲原や隣の由比は気性が荒い土地で有名なんですよ」と奥さん。
えええ、そうなんだ。
言葉づかいも激しくて、普通に喋っているだけなのに、
他所の人が聞くとまるで怒られてるように聞こえるんだそうです。
でもそんな風土があるとはにわかには信じがたいほど、
落ち着いてのどかな宿場町です。
蒲原宿、素晴らしいところでした。
--------------------------------------------------
■ (16)由比宿へ
和泉屋さんでしっかり休憩をとって、再び走り始めました。
すぐに右手に高札場跡。

そして西木戸跡。ここで県道396号と合流。
蒲原宿とはお別れです。

ここからはしばらく396号線を走ります。
2kmほどで左手に東海道線の蒲原駅が見えました。

さらに1km。東名高速をくぐります。

その先の分かれ道で県道396号(右)とはお別れ。
東海道は左のルートです。

さらに進んでいると、それまで真っ直ぐだった道が、
小さくクランク状に折れ曲がっている場所がありました。

実はここが由比宿の入口。
先ほどの蒲原宿の入口でも同じ形の道が見られたのですが、
宿場の入口は防備上の観点から(大軍が侵入しづらいように)、
このように道路が桝形(ますがた)に折れ曲がっているのです。
反対から見るとよく分かる。

この桝形道路の横に建つのが旧商家の志田邸。
説明板にはここにかつて東木戸があったことが書いてあります。

東木戸の先、立派な木造の家(材木屋さんのようでした)の脇の壁に、
「お七里役所跡」の説明板がありました。

江戸時代、西国大名の中には江戸屋敷と領国とをつなぐ特別な連絡機関として
「七里飛脚」を使っていた藩がありました。
ここは紀州徳川家の七里飛脚の役所跡だったそうです。
やがて右側にものすごく目立つ門が見えてきました。
ここが由比宿の本陣跡。

「由比本陣公園」という名の公園になっているんですね。
中には美術館もあって中では当時の宿場町を再現したミニチュアや広重の絵が展示されてるそうです。
(スルーしてしまった!見ればよかった!)

そして、由比本陣公園の向かいにあるのが、正雪紺屋。

四百年も続く染物屋で、由比正雪の生家と言われているんだとか。
(由比正雪と由比宿が同じ「由比」だったと初めて知った…)
蒲原宿から由比宿まではわずか4kmほど。
あっという間でした。
正雪紺屋の先にある資料館、「由比宿おもしろ宿場館」の入口に、
弥次さん喜多さん(だと思われる)がいました。

--------------------------------------------------
■ (17)興津宿へ
※薩埵峠まで
次の興津宿までが、今日の一番の山場。
その理由は、急峻な坂が続く難所「薩埵峠(さったとうげ)」。
箱根峠・鈴鹿峠と並ぶ、東海道の三大難所の一つとして、古くから旅人を悩ませてきた場所です。
ちなみにどのくらい急かというと、
この日のつい2週間前に来襲した台風18号によって土砂崩れが発生し、
薩埵峠の直下を走る東海道線の由比〜興津間が10日以上にわたって不通になりました。
(開通したのはちょうどこの日の前日)
「昔から地元の人は危ないって言ってたのよ」とは、先ほどの蒲原宿・和泉屋の奥さん談。
とにかくめっちゃ険しいらしいです。
不安を募らせながら由比宿からリスタート。
由比宿の本陣を過ぎて間もなく、由比川を渡ります。
ここで由比宿の宿場町は終わり。

この由比川橋、歩道部分が自然木でつくられています。

懐かしい家並みの道を走ります。
「由比桜えび通り」という名前が付いてるみたいです。

桜えびで有名な由比ですが、元々は蒲原の名産品として知られていたそうです。
由比に漁港ができたことで、その地位は移ってしまいましたが、
漁業者の数は実は今でも蒲原の方が多いらしいです。
東海道線の線路沿いに出てきました。
奥に由比駅が見えます。

由比駅を過ぎると、由比宿の手前で別れた県道396号と再び合流。

しかし、このまま396号を進むと思いきや、
東海道はすぐに1本脇の路地へと入っていきます。

左手に海を見ながら走ります。

この一本海側に県道と東海道線、そのさらに海側には東名高速が走っています。
山がすぐ近くまで迫っているので、狭いスペースに全部が密集しています。
それだけ山の傾斜が急ということですね。

薩埵峠の案内板が現れました。あと約3km!

案内板のすぐ先、道の右手に歴史のありそうな住宅が見えました。
このあたりの名主を務めていた小池氏の邸宅。
現在は休憩場所として利用できるそうです。

小池邸の他にも道沿いには歴史のありそうなお宅ばかり。
走っていて気持ちいいです。

蒲原宿からここまで、素晴らしい景観続きです。
静岡やるなあ。
家並みが途切れ、徐々に山に近づいてきた感じがしてきました。

西倉沢の集落に到着。

薩埵峠の東側の登り口にあたる西倉沢は、
小休止のための間の宿(あいのしゅく)として、多くの旅人が腰を下ろしてきた場所でした。
写真に映る古いお宅は、西倉沢の本陣だった川島家。
そしていよいよ見えてきました。薩埵峠の東側(由比側)の登り口です。
見てくださいこの挑発的な坂の角度。

坂の入口に一里塚がありました。

登り始めました。
いきなり目に入ってきた「落石注意」の看板。

見た目以上にエグイ坂です。
さすがに走れないので歩きに切り替えます。
でも、景色は抜群!
左を向けばどこでもこの景色が見晴らせます。
海の向こうに見えるのは伊豆半島ですね。

そして、振り返ればはるか向こうの方に富士山が!
(下の写真の真ん中あたりに顔を出しているのが分かるでしょうか)

ちなみに、下を向くとこんな感じ。だいぶ登ってきました。

登り始めて30分ほどで薩埵峠の頂上に到着。
この先は遊歩道になっていて、頂上には観光客用の駐車場があります。

なんだかあっという間でした。
標高が100m強しかなく、箱根を越えてきた身からすれば、正直物足りないくらい。
ただ、坂の角度は箱根よりもキツかったかも。
ここからは下りです。公道から遊歩道へ。

柵の向こうは崖です。

展望台があったので後ろを振り返りました。
すると……、

駿河湾とその奥の雲間から顔を出した富士山。
東海道随一の名勝であり、
五十三次の中で唯一当時と変わらない景色が眺められるのは、この薩埵峠だけだそうです。
あとはひたすら下るのみ。

天気がいいのにほとんど人がいません(もったいない)。

おっ、進路の先に何やら暗い「穴」が。

なんだか箱根の石畳のような雰囲気になってきました。

下りてきました。西側(興津側)の登り口は墓地になっています。

※薩埵峠・興津側登り口から
薩埵峠を下りきった先は、ビニールハウスや畑が広がるエリア。

とても静かです。
東海道は写真左奥へ。

いかにも旧道沿いといった雰囲気の家並みを抜けて、

海の近くまで出てきました。東海道線をくぐります。

興津川を渡ります。橋を渡れば興津の町に入ります。

興津に入りました。
史跡とかは少ないのですが、やっぱりどこか宿場町の匂いがしますね。

一里塚を発見。

こんな場所もありました。「興津宿公園」。
興津の歴史が書かれた説明板があるほかは、特に史跡や史料はありません。

興津宿には本陣が2軒、脇本陣が1軒ありました。
まず東側の本陣跡を発見。
普通のお宅の玄関脇に石碑が立ってます。

そして、道の反対側にある、当時から続く宿・水口屋が興津宿の脇本陣。

さらにその先に、今度はもう一つの本陣(西本陣)跡がありました。
自転車屋さんの脇に石碑が立っています。

というわけで、無事に薩埵峠を越えて興津宿に到着しました。
由比宿からここまでなんのかんので10kmありました。
--------------------------------------------------
■ (18)江尻宿へ
いよいよ今日のゴールである江尻宿へ向かいます。
江尻は今の静岡市の清水です。
興津宿からは残りわずか5kmの距離なので、もう目と鼻の先。
…ですが既に足が限界(ランナー的に言うと「売り切れ」状態)にきています。
大したスピードで走っていないのに、ふくらはぎがビクビクッと攣りはじめるという…。
30km程度でこうなるとは、やはり9月以降のランオフによる衰えなのでしょう。
興津宿をスタートすると間もなく静清バイパスの高架をくぐります。
ここで国道1号線に合流。

その先で今度は東海道線の線路の上を渡ります。

ひたすら国道1号線を走ります。

庵原川を渡ります(正直この辺りは写真に撮るものが少ない…)。

さらに1kmほど走った辻町の交差点で、
東海道は右の脇道に逸れます。

上の写真で、ちょうど分かれ道に立っている松が「細井の松原」。
主要街道である東海道は、整備の一環としていたるところに松が植えられていましたが、
このあたりにはかつて200本以上もの松が植えられていたそうです。
その後、細井の松原は太平洋戦争で松根油(航空機燃料)として全て伐採されてしまいました。

細井の松原を後にして、旧道を走ります。
江尻宿まではあとほんの少し。

左手に一里塚跡がありました。
街灯の手前に立てられた説明板(しかも板に紙を貼っただけのチープなもの)のみ。

すぐ先には東木戸跡。

ここでも、居酒屋の壁に立てられた(もたせかけられた)説明板のみ。
蒲原宿、由比宿とはくらべものにならないチープさ…。
まあとにかくここから江尻宿ということです。
清水銀座の交差点。
ここまでずっと直進してきましたが、東海道はこの交差点で右折していきます。

そしてここが、江尻宿の中心地。
本陣や脇本陣は全て焼失してしまったそうですが、
おそらくこの交差点付近にあったんだろうと言われています。
交差点脇の洋菓子店の前に看板がありました。
ここを今日のゴールとします。

元吉原宿からここまで36km弱でした。
(序盤に迷子になって1kmくらい余分に走ってるけど)
ランオフによるブランク明けということもあり、肉体的にはめちゃくちゃキツかったです。
ですが、なんといっても天気が最高だったので、気分は爽快でした。
これまでで一番気持ちよく走れたんじゃないかなあ。
東海道ランを始める前は、
「昔の旅人気分を味わうために、雨の日も走ろう」と考えていたけど、撤回します。
やっぱり晴れの日を選んで走った方がいい!
次回7日目は、藤枝宿まで走る予定です。
年内に浜松あたりまでは行きたいなあ。
写真は静岡鉄道清水線。
清水駅から終点の静岡駅まで乗って、新幹線で帰りました。

ツイート

ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

