88-carol

あの頃僕は
「ヒマ」でした


音楽を聴いて、耳だけで和音を割り出したりメロディを譜面に起こす、
いわゆる「耳コピ」というものができるようになったのは、高校時代のことでした。
中学でギターを始めて、何度か挫折をしつつもなんとかひと通りコードを覚えると、
今度は家にあったピアノに向かい、
ギターコードの1音1音を分解しながら「ドレミファソラシド」に置き換えて、
ギターで覚えた曲をピアノで弾くようになりました。

やがてレパートリーが尽きると、
ヒット曲のコードだけが載ってる雑誌(今も売ってるんだろうか)を買ってきて片っ端から弾きました。
さらにそれすらもあらかた覚えてしまうと、
しまいには学校の音楽の教科書を開いて、
<野ばら>とか<グリーングリーン>なんていう曲にまで手を伸ばしました。
そんなことを繰り返しているうちに、なんとなく和音のパターンみたいなものが分かるようになり、
その結果、簡単な曲なら楽譜が無くても和音とメロディを起こせるようになったのです。

なぜ僕はそんなことをしていたのか。
理由はただ一つ。
猛烈に、圧倒的に、ヒマだったからです。
漂流者並みに何もやることがなかったので、
仕方なく僕はギターとピアノを弾いていたのです。
そしたらいつの間にか耳コピができるようになっていたのです。

中学時代、「学年で一人だけ運動部じゃない男子」という絶望的にイケてなかった僕が、
たった一度だけ「おれイケてるかも!」と錯覚したのがバンドでした
ところが高校に入ると、自分から「バンド組もうよ」と言い出せないプライドの高さや、
自分よりギターが上手い奴の前ではビビって逃げる肝っ玉の小ささが邪魔をして、
結局バンドは組めませんでした

「このままだとイケてない人間に逆戻りだ」という焦りから、
一念発起して運動部に入部するも、練習のキツさに半年ももたずに逃げ出しました
こうして、高校1年の夏休みが終わるころには、
早くも僕には何もすることがなくなってしまったのです。

その、膨大に余りまくった時間を吸収したのが、音楽とアニメでした。
昼間はギターとピアノを弾いて、夜になるとアニメを見て、
その主題歌やBGMが耳に残ったりするとその曲を朝まで耳コピする。
そんな具合に、音楽とアニメはがっちりと手を組んで、
僕の生活のサイクルを回していました。

音楽とアニメの何がそんなに良かったかというと、
絶対に僕が傷つかない世界」というものを提供してくれる点でした。
一心不乱に楽器と向き合う時間と、テレビの前でアニメに集中している時間だけは、
何もかも忘れて、安心しきることができました。
僕は外から帰ると、疲れて眠るまで、
自分で築き上げた甘美なフィクションの世界に逃げ込んでいたのです。



話は突然変わります。
邦楽の名盤を、当時のマスターテープを聴きながら、
アーティストやエンジニアが制作の裏側を語るドキュメンタリー番組が、
NHKのBSプレミアムで放映されているのをご存知でしょうか。
放送ペースは不定期で、番組名も特にないみたいなんですが、僕は今のところ、
井上陽水の『氷の世界』佐野元春の『VISITORS』、はっぴいえんどの『風街ろまん』の回を見たことがあります。
そして先日、その最新回が放映されました。
取り上げられたのは、TM Network『CAROL』

1988年にリリースされたこの作品は、
アルバム全体が「異世界に迷い込んだ少女キャロルの冒険」という
一つのストーリーに沿って作られています。
似たような試みは既にデヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』などの先行例がありますが、
『CAROL』の場合、メンバー自身が物語の登場人物に扮した演劇仕立てのライブや、
木根尚登による同名小説の刊行など、CD以外のメディアにも展開していったのが特徴です。
「コンセプトアルバム」というあり方自体を大きく進化させた、
当時としてはかなり画期的で野心的な作品だったんじゃないかと思います。

んで、高校時代、僕があまりにヒマで耳コピを習得していた時の、
一種の「教本」のような存在が、この『CAROL』でした。
当時(90年代半ば)はいわゆる「小室ブーム」の最盛期でしたが、
僕はtrfや安室奈美恵にはあまり興味を持てなくて、
既に解散していたTMの方を、時間を遡りながら聴いていました。
(今思うと、より「バンドらしい」TMの方が好みに合っていたんだと思います)

中でも特に聴きこんでいたのが、『CAROL』でした。
「音楽で物語を表現する」というこのアルバムの試みは、
コンセプトアルバムなんていう言葉すら知らなかった当時の僕にはとても新鮮でした。
ファンタジックな物語も、アニメ好きな僕にはとても親和性が高かった。
何より、収録されている曲がどれも魅力的でした。
壮大な始まりを予感させる<A Day In The Girl's Life>やスリリングな<In The Forest>
そして今聴いても美しさが色褪せない<Still Love Her>
Bm→G→A→DB♭→E♭→Fなんていうコードパターンとか、それから転調の仕組みとか、
このアルバムをコピーすることで覚えたものはたくさんあります。



ただ、そんな風にして耳コピができるようになったり、楽器が上手くなったりしても、
結局一人だったから、それを生かす機会というものはありませんでした。
それは正直、すごくさみしいことでした。
本当はバンドをやってみたかったし、
音楽やアニメのことを同じ熱量で語り合える「仲間」が欲しかった。

友達はいました。
でもそれは、「1人でお昼ごはんを食べなくて済むための誰か」であり、
カラオケで一緒にブルーハーツを歌って『俺、青春してる』と錯覚するための誰か」であり、
要するに、さみしさや惨めさを一時的に紛らわすための存在、
いわば「装置」としての友達でした。
学校の行事やクラスのイベントに一生懸命参加していたのも、
今にして思うと、それはみんなでワイワイやることが好きというよりも、
ワイワイやれてる俺、イケてる
仲間いる俺、イケてる
という錯覚に酔いたかったからです。
部屋で1人、悶々と性欲と自己顕示欲をたぎらせていた反動に過ぎなかったのです。

久々に(それこそもしかしたら当時以来に)『CAROL』を聴いたら、
そんな記憶が鮮明に蘇ってきました。
ここまでビビッドに思い出したのは初めてかも、というくらいに。
ただ、記憶が蘇ってきたのはいいのですが、
問題は、番組放映から2週間以上が経った今も、
その蘇った記憶がフェイドアウトせずに頭の片隅を占拠していることです。

なんか、けっこうショックを受けてます。
記憶の中身や、記憶を忘れていた(美化していた)ことがショックなのではありません。
僕がショックなのは、20年近くも前のことなのに、
10代のわずか数年間の出来事に対して、僕が未だにこだわっているという事実です。
「そんなこともあったね〜」と笑い飛ばすことも、
「あの頃があったからこそ今があるんだ」と適当に茶化すこともできず、
当時の記憶に引っ張られて、わりと本気でズーンとした気持ちになっている。
どうでもいいはずのことを、未だに自分が消化できていないことが、ショックなのです。

facebookなんかを見てると、高校時代の写真が投稿されて、
それに対して「いいね!」がさく裂したり、「青春だね!」なんていうコメントがついたり、
「久々に飲もうよ!」なんていう流れになっちゃう光景を、しばしば目にします。
僕は高校時代に撮った写真も卒業アルバムすらも全部捨ててしまったというのに、
すぐ隣にはああいう、「青春という名のファッション」を謳歌していた人たちがいたのかと思うと、
なんかもう脱力感しかないっす。






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