l_ah_sw1

世界最高峰の映像技術でも
逃れられない「俳優の肉体」


公開から1か月経ったので、
ネタバレ気にせず感想書きます(そろそろいいだろう!)。

まず、そもそもの大前提として、
『スター・ウォーズ』旧3部作(エピソード4〜6)の後追い世代である僕にとって、
ストーリーを全く知らないまま見るスター・ウォーズ」というのは、これが初めてになります。

1999年から始まった新3部作(エピソード1〜3)は違いました。
誰が何をどうしたのかという途中の展開については分からなくても、
共和国は倒れて帝国になり、アナキンはダース・ベイダーになる」という、
物語の最終的な着地点は、『エピソード1』が始まった段階で、
すでに(分かりすぎるほど)分かりきっていたからです。

ところが、エピソード7から始まる今回の3部作は、未だかつて誰も見たことのない、
スター・ウォーズという世界の未踏の地へと分け入っていくものです。
なので、僕が映画を見るにあたりもっとも楽しみにしていたのは、
これから何が起きるんだろう?」ということでした。
(その結果、上映中ずっと「早く次行け!」「で?で?」とイライラしていました)

ストーリーについては「前作の焼き直し」という批判が出ているそうですが、
僕は、あれは「歴史は何度でも繰り返す」というメッセージなのだと捉えています。
宇宙というバカでかいスケールの場所を舞台にしながら、
そこで描かれているのは「一つの家族の失敗(と再生)」という、
超ドメスティックなストーリーといのも、個人的には好きです。

ただし…ただしですね。
期待を受けて登場した新たな悪役「カイロ・レン」は、どうなんですか?アレ。
僕、正直言ってまったく魅力を感じないんですけど。
悪評高かったダース・モール(EP1)の方が全然いいですよ。

ダース・ベイダーの壊れたマスクを床の間に飾って、
「私がお祖父さんを継ぎます」とか言ってましたけど、
ちょっとムシャクシャするとライトセイバーで物に当たるし、
フォース覚えたてのレイにあっという間にやられるし、
(レイのフォースの覚醒もイージーすぎやしないか?というのも気になるっちゃ気になる)
ベイダー卿がもっていた「品格」なぞ露ほどもないじゃないですか。

大体、アダム・ドライバーが見るからに弱そうなんですよね。
ハン・ソロの息子があんなに不健康でいいのだろうか。
それとも「戦後に生まれた子供たちは軟弱」という、僕ら世代への皮肉なのか?

まあ、そんなこと言ったら、
『エピソード1』でのジェイク・ロイドの無垢な姿に、これから起こる悲劇にドキドキしていたら、
『2』になったらいきなり人相の悪いヘイデン・クリステンセンが出てきてずっこけたという、
「負の前例」もありますけども。
いやしかし、次作以降も登場するキャラクターなんだろうから、もうちょっとなんとかしてほしい。

んで、それなりに不満を残しつつ、それなりに満足もしたのですが、
映画を見終わって「ううむ」と考えたことがあります。
それは、「俳優」という存在について。

今作は『エピソード6』の30年後ということで、
ハリソン・フォードキャリー・フィッシャー、そしてマーク・ハミルが同じ役で続投しています。
これ、もし他の俳優が演じてたら、成立しない…とは言わないまでも、
「『EP6』の続きですよ」という説得力、言い換えれば感動が決定的に欠けていたと思います。

特にマーク・ハミル。
最後の最後、「」がフードを取った瞬間に、
若かりし頃の面影を残しつつも、年老いて疲れたマーク・ハミルの顔がのぞいたからこそ、
僕らは確かにあの世界の30年後を目撃しているんだというリアリティを感じるし、
さらには「この30年で彼の身にどんな苦悩があったのだろう?」という想像を掻き立てられるわけです。

あれだけ緻密に作られた空想の世界で、
なおかつ世界最高峰の映像美術が駆使されている作品であっても、
「俳優」という生身の人間の絶対性は揺るぎないんだなあと思いました。

ハリソン・フォードは現在73歳。
もし、あと10年制作が遅かったら、彼は出演できなかったでしょう。
「技術の粋」のような映画であるにもかかわらず、
俳優の肉体からは逃れられないことが、なんだか不思議な気がします。

いろいろな突っ込みどころとは別に、
妙に「肉体の生々しさ」が印象に残った映画でした。






sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ