旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
前回から10か月も空いてしまいましたが再び走りはじめました。
7日目の今日は江尻宿から府中宿(どちらも静岡県静岡市)まで走ります。
--------------------------------------------------
■ (19)府中宿へ
前回、吉原宿から江尻宿まで走ったのが2014年の10月中旬の気持ちの良い秋晴れ。
今回は一気に季節が変わって2015年8月のお盆。
消耗しまくることが確定の超真夏ですが、
遠方に出かけてゆっくり走れるのはお盆休みしか無いのがサラリーマンの宿命。
元々は江尻宿から藤枝宿まで1日で走ろうと思ってたのですが、
ここ数カ月はあまり長い距離を踏めてなかったこともあり、日和って2日に分けることにしました。
初日の今日は江尻宿から府中宿までの10キロ強。
2日目の明日は府中宿から藤枝宿までの20キロ強を走ります。
しょぼすぎて悲しくなる…。
スタート地点は前回のゴール地点である清水銀座の交差点にある、洋菓子店前のこの看板から。
このあたりが江尻宿の中心地だったってことで前回、ここをゴールにしたのでした。

この道の脇を巴川という川が流れているのですが、川に沿って400mほど進むと、
突き当たりに魚町稲荷神社があります。

このあたりは16世紀に武田信玄が建てた江尻城という城で、
城将に任命された穴山梅雪がこの神社を造営したそうです。
穴山梅雪、『真田丸』にも出てましたね。武田家を裏切っちゃいましたけど。
神社の横にある稚児橋を渡ります。
江戸時代に入ってから徳川家康が架けた橋で、
河童頭の童子が川から上がってきてこの橋を渡ったという伝説があります。
なので橋の欄干には河童の像が。リアルで怖ぇよ。

しばらくこんな感じの道をまっすぐ走ります。

今の気温はこんな感じ。
湿度が比較的低いのが救いですが、なかなか痺れる気温です。
紫外線は「非常に強い」。

左手に見えてきたのは1695年創業の追分羊羹。
羊羹は日持ちがするので、東海道をいく旅人の道中食として提供していたそうです。
いまはレモン大福なんてのも売ってるみたい。
ちなみに追分とは、昔このあたりが東海道と清水湊への「清水道」との分岐点になっていたから。

続いても道の左側に、今度はお墓らしき石塔を見つけました。

これは通称「都鳥」と呼ばれた幕末の侠客・都田吉兵衛の墓。
静岡の侠客というと清水の次郎長が有名ですが、都田吉兵衛は次郎長一家と仲が悪く、
有名な次郎長の子分、森の石松をだまし討ちにして殺してしまいます。
しかし、ブチ切れた次郎長親分は吉兵衛を誘い出して敵討にします。それがこの場所。
その後誰も吉兵衛を弔う人がいないので、
可哀想に思った地元の人が、ここに供養塔を建ててあげました。
吉兵衛は浜松を地盤としてたので、清水には縁もゆかりもないのに。
昔の人は優しいなあ。よかったね、吉兵衛。
さらに進むと、交差点の右側に怪しい鳥居を見つけました。
柵の中に鳥居ってどういうこと?

近づいてみると、なんと沼が口を開けてました。
これは怪しい。怪しすぎる。

歴史を調べてみると、この池の名前は「姥ヶ池」。
伝説は平安時代までさかのぼるそうです。
当時このあたりに住んでいた金谷長者という金持ちの一人息子が咳の病気にかかり、
彼の乳母が病気が治ることを祈ってこの池に身投げしたそうです。
そうすると一人息子の咳はたちまち止まり、以来、この池に祈願すると咳が治るといわれるようになったそうです。
東海道を旅する人もここで足を止めてお祈りしたんだとか。
僕も手を合わせました。
元のルートに戻ります。
踏切りで東海道線と静鉄清水線をまとめて渡ります。
静鉄は、前回江尻宿に到着してから静岡駅まで乗りました。

道ばたに古そうな道標がありました。「久能寺観音道」と書いてあります。

3kmほど南へ下ったところに久能寺というお寺があるのですが、
ここはその久能寺へ向かう道への分岐点になります。
久能寺はその名からも分かる通り、元は久能山にあったのですが、武田信玄が16世紀にこの場所に移築。
その後、明治に入ってから旧幕臣の山岡鉄舟が再興したことから、現在は「鉄舟寺」と呼ばれています。
さらに進むと左手に小さな地蔵堂がありました。

この上原(うわはら)子安地蔵堂は、
武田勝頼を攻めようとしていた徳川家康と江尻城主の穴山梅雪とが会見した場所で、
このときの会見で、梅雪は勝頼への裏切りを決めたんだそうです。
つまり、武田家滅亡のきっかけを生んだ場所ってことですね。
県道に合流しました。
一里塚を発見。江戸から43番目の「草薙の一里塚」です。

さらに進むと今度は道の反対側に巨大な鳥居が。

地元の草薙神社の大鳥居でした。
さて、ここから府中宿までは残り7km程度。
もう街道沿いに史跡らしい史跡はありません。
代わりに、非常に複雑なルートを通ることになります。
まず、県道から1本南側の路地に入ります。

東名高速の下をくぐり、

ここから再び北へ進路を曲げて県道に戻るのですが、
そのまま北上し、静鉄の県総合運動場駅の踏切りを渡ります。

さらにまっすぐ進んで、今度はJRの線路の上へ。

東海道線と東海道新幹線をまとめて渡ります。
ビルがたくさん建っているあたりが、多分静岡の街、つまり目指す府中宿。

陸橋を渡りきると、今度は線路沿いの道を進みます。

このまま線路沿いを進むかと思いきや、右側の脇道に逸れます。

大きな道路にぶつかりました。国道1号線です。
日本橋を出て以来、もう何度目の再会だろう。

しかし、ルートは国道1号線からさらに脇道へ。
そこでまた一里塚を発見。

この長沼一里塚で、先ほどの草薙一里塚から4km走ってきたことになりますね。
さらに進むと、今日3度目の静鉄線路と遭遇。

いや、さっきJRの線路を渡った後に静鉄をくぐったので、正しくは4度目か。
もうなんかわからなくなってきた。
運よく電車とすれ違いました。清水行きですね。

静鉄とは柚木駅でさよなら。国道1号を渡ります。

もう1回JRの線路を(今度は下から)渡ります。

脇道を進んで、

さらにもう1回JRの線路をくぐります。

もうね、草薙神社のあたりからずっと片手にスマホの地図アプリ握りっぱなしです。
ようやく静岡の中心へ近づいてきました。
「てんま」の文字がその証。

伝馬町という名前は日本各地にありますが、
町名の由来は、伝馬と呼ばれる通信・輸送業者の拠点がそこにあったから。
都市の運営に欠かせない伝馬は、どの都市でも必ず中心部に本拠地を構えていたのです。
ようやく静岡の街の中心に到着しました。
伝馬町西交差点から「SHIZUOKA 109」を見上げたところ。

このあたりにかつて府中宿の本陣があったそうです。
お盆休みで若い人が多いです。こっちは汗ダッラダラで明らかに場違いです。
脇に、西郷・山岡会見碑がありました。

西郷隆盛と山岡鉄舟がここで会見し、江戸城開城への準備交渉が行われました。
この結果、勝海舟との会見が品川で行われ、無血開城が実現するのです。
ちょうど東海道ランの初日に、品川で西郷・勝会見碑をこの目で見てますから、感慨深いです。
ちょっと駿府城へ寄り道することにしました。
家康が晩年を過ごした城ですね。

東御門から中へ入ります。

かつての城郭なんかは残ってなくて、中は公園になっています。

あんまり人がいない。暑いからかな。
再び街の中へ戻ります。

城下町なので道がきれいな碁盤目状に走っていて、
「人宿町通り」「呉服町通り」「両替町通り」など、昔の町名が道の名前に取られています。
今日のゴールは、呉服町通りから街のど真ん中を貫く七間町通りへ入ったところ。

ここに札の辻跡があります。これを目印にしましょう。

今日はこのまま静岡市内で1泊して、明日、藤枝宿を目指します。
ネオン街のど真ん中に建つ刺激的な立地のビジネスホテルでしたが、
部屋から1歩も出ずにご飯食べて速攻寝ました。
禁欲的に過ごして明日、藤枝宿を目指します。
ツイート

ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします


前回から10か月も空いてしまいましたが再び走りはじめました。
7日目の今日は江尻宿から府中宿(どちらも静岡県静岡市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
#6日目:吉原〜江尻
--------------------------------------------------
■ (19)府中宿へ
前回、吉原宿から江尻宿まで走ったのが2014年の10月中旬の気持ちの良い秋晴れ。
今回は一気に季節が変わって2015年8月のお盆。
消耗しまくることが確定の超真夏ですが、
遠方に出かけてゆっくり走れるのはお盆休みしか無いのがサラリーマンの宿命。
元々は江尻宿から藤枝宿まで1日で走ろうと思ってたのですが、
ここ数カ月はあまり長い距離を踏めてなかったこともあり、日和って2日に分けることにしました。
初日の今日は江尻宿から府中宿までの10キロ強。
2日目の明日は府中宿から藤枝宿までの20キロ強を走ります。
しょぼすぎて悲しくなる…。
スタート地点は前回のゴール地点である清水銀座の交差点にある、洋菓子店前のこの看板から。
このあたりが江尻宿の中心地だったってことで前回、ここをゴールにしたのでした。

この道の脇を巴川という川が流れているのですが、川に沿って400mほど進むと、
突き当たりに魚町稲荷神社があります。

このあたりは16世紀に武田信玄が建てた江尻城という城で、
城将に任命された穴山梅雪がこの神社を造営したそうです。
穴山梅雪、『真田丸』にも出てましたね。武田家を裏切っちゃいましたけど。
神社の横にある稚児橋を渡ります。
江戸時代に入ってから徳川家康が架けた橋で、
河童頭の童子が川から上がってきてこの橋を渡ったという伝説があります。
なので橋の欄干には河童の像が。リアルで怖ぇよ。

しばらくこんな感じの道をまっすぐ走ります。

今の気温はこんな感じ。
湿度が比較的低いのが救いですが、なかなか痺れる気温です。
紫外線は「非常に強い」。

左手に見えてきたのは1695年創業の追分羊羹。
羊羹は日持ちがするので、東海道をいく旅人の道中食として提供していたそうです。
いまはレモン大福なんてのも売ってるみたい。
ちなみに追分とは、昔このあたりが東海道と清水湊への「清水道」との分岐点になっていたから。

続いても道の左側に、今度はお墓らしき石塔を見つけました。

これは通称「都鳥」と呼ばれた幕末の侠客・都田吉兵衛の墓。
静岡の侠客というと清水の次郎長が有名ですが、都田吉兵衛は次郎長一家と仲が悪く、
有名な次郎長の子分、森の石松をだまし討ちにして殺してしまいます。
しかし、ブチ切れた次郎長親分は吉兵衛を誘い出して敵討にします。それがこの場所。
その後誰も吉兵衛を弔う人がいないので、
可哀想に思った地元の人が、ここに供養塔を建ててあげました。
吉兵衛は浜松を地盤としてたので、清水には縁もゆかりもないのに。
昔の人は優しいなあ。よかったね、吉兵衛。
さらに進むと、交差点の右側に怪しい鳥居を見つけました。
柵の中に鳥居ってどういうこと?

近づいてみると、なんと沼が口を開けてました。
これは怪しい。怪しすぎる。

歴史を調べてみると、この池の名前は「姥ヶ池」。
伝説は平安時代までさかのぼるそうです。
当時このあたりに住んでいた金谷長者という金持ちの一人息子が咳の病気にかかり、
彼の乳母が病気が治ることを祈ってこの池に身投げしたそうです。
そうすると一人息子の咳はたちまち止まり、以来、この池に祈願すると咳が治るといわれるようになったそうです。
東海道を旅する人もここで足を止めてお祈りしたんだとか。
僕も手を合わせました。
元のルートに戻ります。
踏切りで東海道線と静鉄清水線をまとめて渡ります。
静鉄は、前回江尻宿に到着してから静岡駅まで乗りました。

道ばたに古そうな道標がありました。「久能寺観音道」と書いてあります。

3kmほど南へ下ったところに久能寺というお寺があるのですが、
ここはその久能寺へ向かう道への分岐点になります。
久能寺はその名からも分かる通り、元は久能山にあったのですが、武田信玄が16世紀にこの場所に移築。
その後、明治に入ってから旧幕臣の山岡鉄舟が再興したことから、現在は「鉄舟寺」と呼ばれています。
さらに進むと左手に小さな地蔵堂がありました。

この上原(うわはら)子安地蔵堂は、
武田勝頼を攻めようとしていた徳川家康と江尻城主の穴山梅雪とが会見した場所で、
このときの会見で、梅雪は勝頼への裏切りを決めたんだそうです。
つまり、武田家滅亡のきっかけを生んだ場所ってことですね。
県道に合流しました。
一里塚を発見。江戸から43番目の「草薙の一里塚」です。

さらに進むと今度は道の反対側に巨大な鳥居が。

地元の草薙神社の大鳥居でした。
さて、ここから府中宿までは残り7km程度。
もう街道沿いに史跡らしい史跡はありません。
代わりに、非常に複雑なルートを通ることになります。
まず、県道から1本南側の路地に入ります。

東名高速の下をくぐり、

ここから再び北へ進路を曲げて県道に戻るのですが、
そのまま北上し、静鉄の県総合運動場駅の踏切りを渡ります。

さらにまっすぐ進んで、今度はJRの線路の上へ。

東海道線と東海道新幹線をまとめて渡ります。
ビルがたくさん建っているあたりが、多分静岡の街、つまり目指す府中宿。

陸橋を渡りきると、今度は線路沿いの道を進みます。

このまま線路沿いを進むかと思いきや、右側の脇道に逸れます。

大きな道路にぶつかりました。国道1号線です。
日本橋を出て以来、もう何度目の再会だろう。

しかし、ルートは国道1号線からさらに脇道へ。
そこでまた一里塚を発見。

この長沼一里塚で、先ほどの草薙一里塚から4km走ってきたことになりますね。
さらに進むと、今日3度目の静鉄線路と遭遇。

いや、さっきJRの線路を渡った後に静鉄をくぐったので、正しくは4度目か。
もうなんかわからなくなってきた。
運よく電車とすれ違いました。清水行きですね。

静鉄とは柚木駅でさよなら。国道1号を渡ります。

もう1回JRの線路を(今度は下から)渡ります。

脇道を進んで、

さらにもう1回JRの線路をくぐります。

もうね、草薙神社のあたりからずっと片手にスマホの地図アプリ握りっぱなしです。
ようやく静岡の中心へ近づいてきました。
「てんま」の文字がその証。

伝馬町という名前は日本各地にありますが、
町名の由来は、伝馬と呼ばれる通信・輸送業者の拠点がそこにあったから。
都市の運営に欠かせない伝馬は、どの都市でも必ず中心部に本拠地を構えていたのです。
ようやく静岡の街の中心に到着しました。
伝馬町西交差点から「SHIZUOKA 109」を見上げたところ。

このあたりにかつて府中宿の本陣があったそうです。
お盆休みで若い人が多いです。こっちは汗ダッラダラで明らかに場違いです。
脇に、西郷・山岡会見碑がありました。

西郷隆盛と山岡鉄舟がここで会見し、江戸城開城への準備交渉が行われました。
この結果、勝海舟との会見が品川で行われ、無血開城が実現するのです。
ちょうど東海道ランの初日に、品川で西郷・勝会見碑をこの目で見てますから、感慨深いです。
ちょっと駿府城へ寄り道することにしました。
家康が晩年を過ごした城ですね。

東御門から中へ入ります。

かつての城郭なんかは残ってなくて、中は公園になっています。

あんまり人がいない。暑いからかな。
再び街の中へ戻ります。

城下町なので道がきれいな碁盤目状に走っていて、
「人宿町通り」「呉服町通り」「両替町通り」など、昔の町名が道の名前に取られています。
今日のゴールは、呉服町通りから街のど真ん中を貫く七間町通りへ入ったところ。

ここに札の辻跡があります。これを目印にしましょう。

今日はこのまま静岡市内で1泊して、明日、藤枝宿を目指します。
ネオン街のど真ん中に建つ刺激的な立地のビジネスホテルでしたが、
部屋から1歩も出ずにご飯食べて速攻寝ました。
禁欲的に過ごして明日、藤枝宿を目指します。
ツイート

ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

