旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
7日目に静岡県の江尻宿から府中宿(静岡県静岡市)まで走った翌日、さらにそこから藤枝宿(静岡県藤枝市)を目指しました。
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■ (20)丸子宿へ
前日、7日目の夜に泊まったのは、
キャバクラや風俗店が立ち並ぶ歓楽街のど真ん中のビジネスホテル。
刺激的すぎる立地でしたが、ご飯食べて速攻寝るという禁欲的1泊の成果で、今朝の体調はすこぶるいい!
昨日のゴール地点、府中宿の札の辻跡から8日目スタートです。

まずは隣の丸子(まりこ)宿を目指します。
府中宿はあちこちにこんな感じで、町名の由来が書かれた小さな案内板があります。

ちなみにここは梅屋町。
由比正雪が立てこもった旅籠「梅屋」が町名の由来だそう。
国道362号を渡ると繁華街の雰囲気は消えて、一気に住宅街へ。

現在朝の6時前。誰もいねえ。
少しでも暑さを避けようと5時半にホテルをチェックアウトしました。
1kmほどで安倍川に当たります。
その安倍川のほとりで生まれた江戸時代のご当地スイーツが「あべかわ餅」。
そして、そのあべかわ餅を昔からの製法で作り続けているのが、
安倍川を渡る手前にある甘味処「石部屋」です。

創業200年を超す老舗ですが、朝6時なのでさすがに閉まってます。
石部屋の隣には、安倍川義夫の碑が立ってます。

安倍川を渡る旅人が落とした財布を拾ってあげて、
旅人がそのお礼を渡そうとするも「落し物を届けるのは当然のこと」と、
頑として受け取らなかった川越人夫の喜兵衛。
彼の正直さを称えるために立てられた石碑なんだそうです。
その安倍川を渡ります。

釣りしてる人がいました。気持ちよさそう。

橋を渡ると静岡市駿河区に入ります。
旧道っぽい雰囲気が出てきました。

「丸子」の文字が見えてきました。

国道1号線に合流しますがすぐに脇に逸れます。
このあたりが現在の丸子の街ですが、かつての宿場はもう少し先です。

一里塚を発見。

この丸子一里塚は、江戸から46番目の一里塚。
昨日最後に見た長沼一里塚が45番目だったから、あそこからちょうど4kmなのか。
もうちょい走ってきた気がするけども。
さらに進むと江戸方見附跡を発見。

ここから丸子の旧宿場町ってことですね。
道沿いはこんな感じの雰囲気。いいですねえ。たまらんですねえ。

さらに進むと脇本陣があり、

問屋場があり、

そして、本陣跡がありました。

ということで、丸子宿に到着。
ここでちょうど、江戸から数えて20番目の宿場になります。
おお、もうすぐ折り返しじゃないか。
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■ (21)岡部宿へ
※宇津ノ谷峠まで
続いて岡部宿を目指します。
丸子宿からは8km前後の距離ですが、途中には宇津ノ谷峠という標高170mの峠越えがあります。
丸子宿本陣を後にすると、すぐに目に入ってきたのがこのお店。
とろろで有名な丁子屋(ちょうじや)です。

創業はなんと慶長元年(1597年)。
400年以上もここでとろろ汁を提供していて、
松尾芭蕉の句や『東海道中膝栗毛』にも丁子屋のとろろ汁が出てきます。
今でも、東海道を旅するテレビ番組なんかがあると、たいていここは紹介されます。
が、朝の8時で店が開いているわけもなく、写真撮影のみ…(早朝スタートだとグルメ系は全滅ですね)。
丁子屋を後にして丸子川にかかる丸子橋を渡ります。

橋を渡ったところに高札場の跡が。

このあたりが丸子宿の外れです。
宿場を後にして走っていると、だんだんと山が近くなってきました。
宇津ノ谷峠はどれだろう。

ここで一度国道1号線と合流。
しばらく1号線沿いと脇道を行ったり来たりしながら進みます。


1kmほど走ると1号線沿いに道の駅があり、その奥にいよいよ「宇津ノ谷峠」の文字が出てきました。

写真の奥に見える大きな陸橋を渡って山の中へ入っていきます。
陸橋を渡ると間もなくこんな分かれ道が。
箱根や薩埵峠を越えてきた身からすれば案内板を見なくても雰囲気で分かります。
旧道ルートは左。

宇津ノ谷集落の中を走ります。

右側の建物はお店ではなく全て一般の住宅です。
雰囲気ある街並みでいいですね。
そして発見しました。宇津ノ谷峠への入口。
もうなんか見慣れたよ、この出し抜けに現れて、問答無用に「ここから入れ」と迫ってくるこの感じ。

足を踏み入れてみると、こういう感じ。


宇津ノ谷峠は薄暗くて鬱蒼としていて…と聞いていたのですが、
真夏の強い日の光が射しこむせいか、むしろ静かで美しい森、という印象です。

でも坂はかなり急です。走れません。

ちょっとブレてますが、かつて峠にあった地蔵堂の石垣跡。

太もものような、妙になまめかしい曲線の木。

本格的な登りが始まってからここまでおよそ10分。実はもうここで登りは終わりです。
後はひたすら下るだけ。


正直、ちょっと拍子抜けでした。むしろ涼しい山の中を歩けて軽いリフレッシュになったくらい。
どこが「難所」なのだろう?
帰ってきて調べてみたら、峠の標高は170mですが、
先ほどの宇津ノ谷峠の集落で既に標高80mくらいまで登ってきていたのです。
舗装された道で標高の半分を稼いじゃったんだから、そりゃあ楽だわ。
それに引き換え昔の旅人は未舗装の荒れた道をゼロから一歩一歩登ったんだから、
なんかちょっと申し訳ない気がしてきます。
※宇津ノ谷峠・岡部側登り口から
峠を降りてきました。
降り切ったところにあるのが、坂下延命地蔵堂。

昔からある地蔵堂で、旅人にとって格好の休憩所になっていたそうです。
再び走りはじめます。
旧道の脇を流れる川の名前は岡部川。
岡部宿まであと少しです。

桝形(敵が攻めにくいように道をわざと折り曲げてるところ)の跡がありました。

案内板はあるけどどこがどう桝形だったのかはよく分かりません。
が、桝形があるということは、ここから先が宿場町ということです。
さらに進むと左手に見えてきた、いかにも歴史のありそうな建物が。
岡部宿で最も大きかった旅籠「柏屋(かしばや)」です。

国の登録有形文化財に指定されていて、隣には資料館もあります。
(やっぱり開いてなかった)
そして、柏屋の隣にある、その名も岡部宿公園が、かつて本陣があった場所。

21番目の宿場、岡部宿にゴールです。
にしても暑い…。
この公園で小休止して靴を脱いだところ、
(汚い話で申し訳ないですけど)靴下がジャーッ!と絞れるくらいに汗をかいてました。
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■ (22)藤枝宿へ
次に目指すのがゴールの藤枝宿。
ここからはもうほとんどアップダウンはないはずです。
岡部宿公園を出るとすぐに旧道は左側の脇道へ。

なかなかいい雰囲気の道です。

ふと足元を見ると案内板が。「姿見の橋」とあります。

東国へ下る旅をしていた歌人・小野小町が岡部宿へ泊まった際、
ここの橋で夕日に見とれていたところ、ふと橋の上から水面を見ると、
そこには長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていました。
それを見た小野小町は、すっかり老いてしまったわが身を嘆き悲しんだ…という伝説をもつ橋だそうです。
今は細い水路しか流れてませんが、かつては顔を映せるくらいの川が流れ、
夕日を眺められるくらいに開けていたんでしょうか。
しばらくすると県道208号線に合流。
このあたりが岡部の街の中心地のようです。
ちなみにこのあたり市区町村的にはもう藤枝市に入っています。

やがて国道1号線とぶつかります。
この不思議な形の石灯籠はなんだろう。常夜灯でしょうか。

国道1号線には合流せずに横切るだけ。
そこからまた細い道へ入ります。このあたりは横内という地名。

やがて朝比奈川を渡ります。橋の名は横内橋。

セメントだけの武骨なつくりが素敵です。手すりもありません。
さらに進んでもう一度橋を渡ります。
今度は葉梨(はなし)川を渡る八幡橋。

ここは駿府田中城への御成街道との追分になっていたそうです。
葉梨川を渡ると今度は鬼島と呼ばれる地域に入ります。

こんな史跡がありました。鬼島の建場の跡。

建場は「立場」とも書き、宿場と宿場の間にある幕府公認の休憩所のこと。
宿場に入れない旅人は泊まることもできたそうです。
これまで何度か見てきた「間の宿(あいのしゅく)」のようなものでしょうか。
ちなみにこの鬼島の建場には、あの弥次さん喜多さんも寄ったそうです(そんで昼間から酒を飲んだ)。
鬼島の建場を過ぎると、今度は右手に大きなクスノキが見えます。

樹齢500年といわれる須賀神社の大楠で、静岡県の天然記念物に指定されています。
旅を続けます。
今度は本町という地域に入ってきました。
駅はもっと南の方にあるのですが、その名の通り、このあたりがかつての藤枝宿の宿場町でした。

「サッカーエース最中」というのが藤枝感あります。
常夜灯を発見。

さて、だいぶ街の中心まで走ってきました。

事前の下調べではこのあたりに問屋場跡や本陣跡があるはずなんだけど、見当たらず。
というか、藤枝宿では見附跡も高札場も、宿場特有の史跡を何一つ見つけられてません。
上の写真の交番あたりに何かしらあるはずなんだけども…。
結局何も見つけられなかったので、仕方なくその場を後にしました。
まあ、こんなこともある。
少し走ると、また川を渡ります。岡部宿から藤枝宿のルートは川が多い気がする。
瀬戸川を渡る勝草橋です。

橋を渡ったところには江戸から50番目の一里塚である、志太の一里塚があります。
写真だけ見ると天気が良くて気持ちよさそうですが気温は30℃あります。

橋から約1km。青木の交差点で、国道1号線にぶつかりました(何度目だろう?)。

東海道の旧道は写真のちょうど正面、交差点から斜めに入る細い道に伸びていきます。
が、今回の東海道ランはここまで。
僕は写真の左側に伸びる道を歩いてJR藤枝駅から電車に乗ることにしました。
府中宿からここまで22kmちょっとでした。
汗はめちゃくちゃかきましたが、身体には少し余裕があります。
なんだか物足りないというか、もったいないというか、ちょっと燃焼不足ではありますが、
まあ約1年ぶりの東海道ランなのでこれで良しとしましょう。
次回(いつできるんだろう?)は藤枝から掛川宿まで走る予定です。
予定ではあと4回走れば名古屋にたどり着けるはず。
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7日目に静岡県の江尻宿から府中宿(静岡県静岡市)まで走った翌日、さらにそこから藤枝宿(静岡県藤枝市)を目指しました。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
#6日目:吉原〜江尻
#7日目:江尻〜府中
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■ (20)丸子宿へ
前日、7日目の夜に泊まったのは、
キャバクラや風俗店が立ち並ぶ歓楽街のど真ん中のビジネスホテル。
刺激的すぎる立地でしたが、ご飯食べて速攻寝るという禁欲的1泊の成果で、今朝の体調はすこぶるいい!
昨日のゴール地点、府中宿の札の辻跡から8日目スタートです。

まずは隣の丸子(まりこ)宿を目指します。
府中宿はあちこちにこんな感じで、町名の由来が書かれた小さな案内板があります。

ちなみにここは梅屋町。
由比正雪が立てこもった旅籠「梅屋」が町名の由来だそう。
国道362号を渡ると繁華街の雰囲気は消えて、一気に住宅街へ。

現在朝の6時前。誰もいねえ。
少しでも暑さを避けようと5時半にホテルをチェックアウトしました。
1kmほどで安倍川に当たります。
その安倍川のほとりで生まれた江戸時代のご当地スイーツが「あべかわ餅」。
そして、そのあべかわ餅を昔からの製法で作り続けているのが、
安倍川を渡る手前にある甘味処「石部屋」です。

創業200年を超す老舗ですが、朝6時なのでさすがに閉まってます。
石部屋の隣には、安倍川義夫の碑が立ってます。

安倍川を渡る旅人が落とした財布を拾ってあげて、
旅人がそのお礼を渡そうとするも「落し物を届けるのは当然のこと」と、
頑として受け取らなかった川越人夫の喜兵衛。
彼の正直さを称えるために立てられた石碑なんだそうです。
その安倍川を渡ります。

釣りしてる人がいました。気持ちよさそう。

橋を渡ると静岡市駿河区に入ります。
旧道っぽい雰囲気が出てきました。

「丸子」の文字が見えてきました。

国道1号線に合流しますがすぐに脇に逸れます。
このあたりが現在の丸子の街ですが、かつての宿場はもう少し先です。

一里塚を発見。

この丸子一里塚は、江戸から46番目の一里塚。
昨日最後に見た長沼一里塚が45番目だったから、あそこからちょうど4kmなのか。
もうちょい走ってきた気がするけども。
さらに進むと江戸方見附跡を発見。

ここから丸子の旧宿場町ってことですね。
道沿いはこんな感じの雰囲気。いいですねえ。たまらんですねえ。

さらに進むと脇本陣があり、

問屋場があり、

そして、本陣跡がありました。

ということで、丸子宿に到着。
ここでちょうど、江戸から数えて20番目の宿場になります。
おお、もうすぐ折り返しじゃないか。
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■ (21)岡部宿へ
※宇津ノ谷峠まで
続いて岡部宿を目指します。
丸子宿からは8km前後の距離ですが、途中には宇津ノ谷峠という標高170mの峠越えがあります。
丸子宿本陣を後にすると、すぐに目に入ってきたのがこのお店。
とろろで有名な丁子屋(ちょうじや)です。

創業はなんと慶長元年(1597年)。
400年以上もここでとろろ汁を提供していて、
松尾芭蕉の句や『東海道中膝栗毛』にも丁子屋のとろろ汁が出てきます。
今でも、東海道を旅するテレビ番組なんかがあると、たいていここは紹介されます。
が、朝の8時で店が開いているわけもなく、写真撮影のみ…(早朝スタートだとグルメ系は全滅ですね)。
丁子屋を後にして丸子川にかかる丸子橋を渡ります。

橋を渡ったところに高札場の跡が。

このあたりが丸子宿の外れです。
宿場を後にして走っていると、だんだんと山が近くなってきました。
宇津ノ谷峠はどれだろう。

ここで一度国道1号線と合流。
しばらく1号線沿いと脇道を行ったり来たりしながら進みます。


1kmほど走ると1号線沿いに道の駅があり、その奥にいよいよ「宇津ノ谷峠」の文字が出てきました。

写真の奥に見える大きな陸橋を渡って山の中へ入っていきます。
陸橋を渡ると間もなくこんな分かれ道が。
箱根や薩埵峠を越えてきた身からすれば案内板を見なくても雰囲気で分かります。
旧道ルートは左。

宇津ノ谷集落の中を走ります。

右側の建物はお店ではなく全て一般の住宅です。
雰囲気ある街並みでいいですね。
そして発見しました。宇津ノ谷峠への入口。
もうなんか見慣れたよ、この出し抜けに現れて、問答無用に「ここから入れ」と迫ってくるこの感じ。

足を踏み入れてみると、こういう感じ。


宇津ノ谷峠は薄暗くて鬱蒼としていて…と聞いていたのですが、
真夏の強い日の光が射しこむせいか、むしろ静かで美しい森、という印象です。

でも坂はかなり急です。走れません。

ちょっとブレてますが、かつて峠にあった地蔵堂の石垣跡。

太もものような、妙になまめかしい曲線の木。

本格的な登りが始まってからここまでおよそ10分。実はもうここで登りは終わりです。
後はひたすら下るだけ。


正直、ちょっと拍子抜けでした。むしろ涼しい山の中を歩けて軽いリフレッシュになったくらい。
どこが「難所」なのだろう?
帰ってきて調べてみたら、峠の標高は170mですが、
先ほどの宇津ノ谷峠の集落で既に標高80mくらいまで登ってきていたのです。
舗装された道で標高の半分を稼いじゃったんだから、そりゃあ楽だわ。
それに引き換え昔の旅人は未舗装の荒れた道をゼロから一歩一歩登ったんだから、
なんかちょっと申し訳ない気がしてきます。
※宇津ノ谷峠・岡部側登り口から
峠を降りてきました。
降り切ったところにあるのが、坂下延命地蔵堂。

昔からある地蔵堂で、旅人にとって格好の休憩所になっていたそうです。
再び走りはじめます。
旧道の脇を流れる川の名前は岡部川。
岡部宿まであと少しです。

桝形(敵が攻めにくいように道をわざと折り曲げてるところ)の跡がありました。

案内板はあるけどどこがどう桝形だったのかはよく分かりません。
が、桝形があるということは、ここから先が宿場町ということです。
さらに進むと左手に見えてきた、いかにも歴史のありそうな建物が。
岡部宿で最も大きかった旅籠「柏屋(かしばや)」です。

国の登録有形文化財に指定されていて、隣には資料館もあります。
(やっぱり開いてなかった)
そして、柏屋の隣にある、その名も岡部宿公園が、かつて本陣があった場所。

21番目の宿場、岡部宿にゴールです。
にしても暑い…。
この公園で小休止して靴を脱いだところ、
(汚い話で申し訳ないですけど)靴下がジャーッ!と絞れるくらいに汗をかいてました。
--------------------------------------------------
■ (22)藤枝宿へ
次に目指すのがゴールの藤枝宿。
ここからはもうほとんどアップダウンはないはずです。
岡部宿公園を出るとすぐに旧道は左側の脇道へ。

なかなかいい雰囲気の道です。

ふと足元を見ると案内板が。「姿見の橋」とあります。

東国へ下る旅をしていた歌人・小野小町が岡部宿へ泊まった際、
ここの橋で夕日に見とれていたところ、ふと橋の上から水面を見ると、
そこには長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていました。
それを見た小野小町は、すっかり老いてしまったわが身を嘆き悲しんだ…という伝説をもつ橋だそうです。
今は細い水路しか流れてませんが、かつては顔を映せるくらいの川が流れ、
夕日を眺められるくらいに開けていたんでしょうか。
しばらくすると県道208号線に合流。
このあたりが岡部の街の中心地のようです。
ちなみにこのあたり市区町村的にはもう藤枝市に入っています。

やがて国道1号線とぶつかります。
この不思議な形の石灯籠はなんだろう。常夜灯でしょうか。

国道1号線には合流せずに横切るだけ。
そこからまた細い道へ入ります。このあたりは横内という地名。

やがて朝比奈川を渡ります。橋の名は横内橋。

セメントだけの武骨なつくりが素敵です。手すりもありません。
さらに進んでもう一度橋を渡ります。
今度は葉梨(はなし)川を渡る八幡橋。

ここは駿府田中城への御成街道との追分になっていたそうです。
葉梨川を渡ると今度は鬼島と呼ばれる地域に入ります。

こんな史跡がありました。鬼島の建場の跡。

建場は「立場」とも書き、宿場と宿場の間にある幕府公認の休憩所のこと。
宿場に入れない旅人は泊まることもできたそうです。
これまで何度か見てきた「間の宿(あいのしゅく)」のようなものでしょうか。
ちなみにこの鬼島の建場には、あの弥次さん喜多さんも寄ったそうです(そんで昼間から酒を飲んだ)。
鬼島の建場を過ぎると、今度は右手に大きなクスノキが見えます。

樹齢500年といわれる須賀神社の大楠で、静岡県の天然記念物に指定されています。
旅を続けます。
今度は本町という地域に入ってきました。
駅はもっと南の方にあるのですが、その名の通り、このあたりがかつての藤枝宿の宿場町でした。

「サッカーエース最中」というのが藤枝感あります。
常夜灯を発見。

さて、だいぶ街の中心まで走ってきました。

事前の下調べではこのあたりに問屋場跡や本陣跡があるはずなんだけど、見当たらず。
というか、藤枝宿では見附跡も高札場も、宿場特有の史跡を何一つ見つけられてません。
上の写真の交番あたりに何かしらあるはずなんだけども…。
結局何も見つけられなかったので、仕方なくその場を後にしました。
まあ、こんなこともある。
少し走ると、また川を渡ります。岡部宿から藤枝宿のルートは川が多い気がする。
瀬戸川を渡る勝草橋です。

橋を渡ったところには江戸から50番目の一里塚である、志太の一里塚があります。
写真だけ見ると天気が良くて気持ちよさそうですが気温は30℃あります。

橋から約1km。青木の交差点で、国道1号線にぶつかりました(何度目だろう?)。

東海道の旧道は写真のちょうど正面、交差点から斜めに入る細い道に伸びていきます。
が、今回の東海道ランはここまで。
僕は写真の左側に伸びる道を歩いてJR藤枝駅から電車に乗ることにしました。
府中宿からここまで22kmちょっとでした。
汗はめちゃくちゃかきましたが、身体には少し余裕があります。
なんだか物足りないというか、もったいないというか、ちょっと燃焼不足ではありますが、
まあ約1年ぶりの東海道ランなのでこれで良しとしましょう。
次回(いつできるんだろう?)は藤枝から掛川宿まで走る予定です。
予定ではあと4回走れば名古屋にたどり着けるはず。
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