kiseki

「半径1メートルの世界」が
いつまでも美しくありますように


NHK BSプレミアムで4月から全8回にわたって放送されたドラマ『奇跡の人』
僕はどうしてもこの作品について書きたい。

別に主演が銀杏BOYZの峯田和伸だからってわけじゃないです。
相手役が麻生久美子で、峯田の俳優デビュー作となった、
田口トモロヲ監督『アイデン&ティティ』と同じ顔合わせだからってわけじゃないです。

いや、確かに見始めたきっかけは今書いたようなことでした。
でも、第1回を見たときから、僕はこの作品そのものに夢中になりました。
夢中になって、そしてボロボロ泣きました。
僕がこの作品を見ながら考えていたことはただ一つ。
「世界はなんて美しいんだろう」ってことです。

ドラマの主演は峯田だけど、この物語の主人公は、
麻生久美子演じる花の7歳の娘、海(住田萌乃)でした。
海は目が見えないし、耳が聞こえないし、言葉が喋れません
初めて海と会った峯田演じる一択が「ヘレン・ケラーみたいですね」と言った瞬間、
花が「この子はこの子だ!“〜みたい”とか言うな!」ってブチ切れるシーン、シビれまくりました。

そして、目も耳も口も不自由な海が、世界を知っていく冒険の旅こそが、
この『奇跡の人』という物語でした。
ただ、普通に考えれば、その旅のお供をするのは家族だったり心優しい親友だったり、
あるいはサリバン先生だったりするわけですが、
この物語の場合は、40歳手前になっても仕事もお金もない、
だけどロックという夢だけはあるという、おかしな男(一択)がその役割を負っています。

一択は海に対して「世界は美しい」とは言いません。
「君には生きている価値がある」などとも言いません。
かわりに「俺なんかにも生きてる意味っつうのがあると思うんだよね、
それが何かはわかんないんだけどさ」
などと、自信なさ過ぎることを言います。
一択はサリバン先生を意識していますが、海を力強く導くのではなく(そんな知恵もなく)、
彼自身が海と一緒に「俺はなぜこの世界に生きてるの?生きてていいの?」と悩むのです。

当然ですが、海が世界を知っていく過程は、おそろしくゆっくりです。
第2回では、海がスプーンを持ってスープを飲むことだけが描かれました。
だって、海にはスプーンもスープも見えないばかりか、「スプーン」という概念も知らないのだから。
そして、一択が世界を知っていくスピードも、同じように遅い。
とんでもなく不器用な彼は、「なぜこの世に『スプーン』という物が存在しているのか」
を考えるところからスタートするしか方法を知らないからです。

でもね、水が冷たいこと。風が吹くということ。
そんな小さなことが、海にとっては世界を知る大きな手がかりになります。
電車が通ると空気が振動して地面が揺れること。
手に持った何か(スプーン)で何か(スープ)を飲むということ。
当たり前すぎるほど当たり前で、些細すぎるほど些細な物事の一つひとつを、
一択と海を通じて、僕自身も再発見することになりました。
そして、何の変哲もない、見慣れたはずの日常が、
実はこんなにも美しかったのだと気づいて、僕は震えたのです。


だけど、次の瞬間、僕はふっと我に返り、そして大きなため息をつきます。
スプーンでスープを飲めるようになった。その一歩はなんて小さいのだろうと。
彼女がこの世界で生きていくためには、あとどのくらいの「一歩」を踏まないといけないのだろうと。

劇中でも述べられていますが、彼女は海を前にしても、それが自分の名前だと分からないし、
それどころか「名前」という概念すら知りません。
「海みたいな子が動物に生まれたらどうなる?生きていけなくなってすぐに死ぬだろう」という
山内圭哉演じる海の父親・正志の言葉は残酷ですが、真実を突いていると思わざるをえません。
この世界は、目と耳と口が不自由であっても生きていけるようには作られていない。
だとしたら、海は「間違って生まれた子」「生きてちゃいけない子」なわけです。
そんな子が、一体これからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

僕はドラマを見終えてテレビを消すと、いつも娘の顔を覗き込みました。
娘が海と同じ境遇だったら、果たして運命を受け入れられるだろうかと、
絶望せずにいられるだろうかと思いました。
娘の存在が、消したテレビの先にいるはずの「これからの海」を想像させて、僕は途方に暮れました。


一択も花も、都倉アパートの住人たちも、一生懸命海が生きていることを祝福します。
僕だって、娘に対して「生まれてくれてありがとう!」と(本人は理解してませんが)全力で喜びを表現します。
でも、本当に大事なのは、大人が祝福することではなく、
子供が自分で自分を祝福できるようになることです。
誰かに言われたからではなく、自分自身の力で「生きててよかった!」と思えることです。
一択のいう「ラブ&ピース&ロック&スマイル」ってやつです。

そのために大人が何かしてあげられるとすれば、
「世界は美しい」ってことを、「この世界は生きる価値がある」ってことを、
見せてあげるくらいしかないんじゃないかなあと思います。
それは何も、壮大な大自然や地球の進化の歴史や名曲と呼ばれる音楽とかである必要はなくて、
足元の土の感触や、風のにおいや、スプーンの感触や温かいスープの味でかまわない。
手を伸ばして届く半径1メートルの世界にだって美しさはあるんだってことを、
教えてあげることくらいしかないんじゃないかなあと思います。

といいつつ、それは言ってみれば大人が一方的に抱いている「願望」に過ぎません。
だから、僕が「世界はなんて美しいんだろう」と思って泣けてしまったのは、
それが事実であるからではなく、
海の(娘の)これからを思って感じる不安と背中合わせになった、「祈り」であるからです。
「世界は美しい」というのは、僕にとっての「希望」なんだと思います。






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