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「母になった私」ではなく
「母と私」を歌う


娘(0歳)が毎朝『とと姉ちゃん』を見てたら、
主題歌の<花束を君に>に反応を示すようになったので、
父さんは宇多田ヒカルの新作『Fantome』を買ってしまいましたよ。

宇多田ヒカルが『Automatic』でデビューしたのは、僕が高校3年生のときでした。
彼女とは2歳差なのでほぼ同世代です。
『Fantome』の発売前に超久々に『First Love』を引っ張り出して聴いてみたら、
一瞬で心が17歳の頃にワープしました。

僕が彼女をちゃんとフォローしてたのは2nd『Distance』までで、
決して熱心なリスナーというわけではなかったのですが、
今回、彼女が母親になって初めての作品を、
僕自身も親になったタイミングで聴くことになったり、
彼女が33歳になったと聞いて「俺も年を取ったな」と思ったりして、
同世代としての連帯意識みたいなものを感じました。

んで、『Fantome』です。
1曲目の印象的なイントロで一気に持っていかれるし、
<ともだち>椎名林檎とのコラボ曲<二時間だけのバカンス>なんて、
「さすがだな〜」「相変わらずかっこいいな〜」と思わず息がもれそうになるし、
最初に聴いたときは「ものすごく上質のポップアルバム」という印象。
買った初日、帰りの電車で夜の東京を眺めながらこのアルバムを聴いていたのですが、
椎名林檎のコメントにもあったとおり、
確かに彼女の音楽は東京の街によくフィットする気がします。

ただ、二度三度と聴き返しながら歌詞に耳を傾けるようになると、
<花束を君に><真夏の通り雨>そして<道>の3曲が気になるようになりました。

世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

<花束を君に>


誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて

<真夏の通り雨>


私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった

<道>


上記の歌詞に見られるとおり、
この3曲は明らかに、母・藤圭子のことを歌っています。
さよならさえも告げずに去っていった母への怒りがあり、
その葛藤を乗り越えて「始まりはあなただった」と言える心境になるまでの過程が、
かなり生々しく吐露されています。

デビュー当時の宇多田ヒカルは、
14歳という年齢と、その若さに似つかわしくない圧倒的な「本格派」オーラ、
そしてTVに出ないという当時の常識の逆をいく神秘さから、
「本当にこんな人がいるのか?」というようなフィクショナルな存在でした。
その印象を未だに強くもっている僕には、
今作の彼女の生々しさはとても衝撃的でした。
まるで宇多田ヒカルが初めて「人間」になったみたいに。

自身が母になって初めて作るアルバムで、
「母になった私」ではなく「母と私」を歌うところに、
僕は彼女の葛藤の深さを感じます。
※もちろん、彼女が母との葛藤を乗り越えていく中で、
 彼女自身が母になったことが少なからず影響しているはずであり、
 間接的に「母としての自分」が歌われているとも言えますが。


でも、だからこそ響くんだと思います。
自分も親になってみてつくづく感じるのですが、
人は親になったからといって、
聖人君子になるわけでも悩みがなくなるわけでもないんですよね。

だから、もしこのアルバムが、
子供への愛情だったり母性的なテーマを歌ったりして、
「母になった私」を全肯定するような内容だったら、多分僕は引いてたと思います。
そうではなく、「さよならの前に私を抱きしめてほしかった」と満たされない思いがくすぶる、
「母なのに不完全な私」をさらけ出すからこそ、
僕はぬくもりをもったシンパシーを感じるのです。

僕にとっての宇多田ヒカルはやはり
一人のアーティストというよりも、
仲間意識のもてる一人の同世代の人間という位置づけなんだなあと、
今回のアルバムで改めて感じました。
同じように感じてる僕ら世代の人、少なくないんじゃないかなと思います。









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