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「熱狂に代わる何か」を見つけるまで
僕は彼らの音楽を携えていくだろう


先日唐突に、以前劇団の芝居で作ったセットのことを思い出しました。
舞台の上手と下手に一本ずつ、「木」を立てることになったのですが、
僕らはそれを全て手作りで作ろうとしました。
「木」ということはつまり幹があって枝があり、その枝の先には「葉っぱ」があります。
必要な葉っぱの枚数は、2本合わせて数千枚という量でした。
そして僕らはその数千枚もの葉っぱを、本当に手作りで作ってしまったのでした。

客席から見える最小限の部分だけ作るとか、
お金を払って業者に頼むとかすればいいものを、
愚直さとエネルギーだけがあり余っていた(お金はなかった)学生だった当時の僕らは、
「全部手作り」という選択肢以外考えませんでした。
結果、ただでさえ朝から晩まで稽古をしているのに、
稽古が終わってから集まって徹夜でチョキチョキ葉っぱを作るという無茶苦茶な毎日を、
数週間にわたって送ることになったのです。

今だったらやりません。
時間がないというのが一番の理由ですが、多分、時間があったとしてもやらないと思います。
それは、「数千枚の葉っぱを手作りで作る」ということに、もう高揚できないからです。
当時は、そういう意味不明な作業に(意味不明であればあるほど)熱中できたし、
それを仲間と一緒にやるということも楽しかった。
でも、今は多分、(少なくとも僕は)楽しめない気がします。



福岡を中心に活動する4ピース、Num Contena
昨年12月にリリースした1stフルアルバム『Smile When You’re Dead』
「ギターロックの金字塔」などといった鼻息の荒い宣伝文句とは裏腹に、
実際の中身はReal Estateなどを彷彿とさせる、
クリーンギターを基調としたミドルテンポ&良質メロディの柔らかなタッチの楽曲ばかり。
落ち着いた声質のボーカルとマッチすることで、アコースティックな印象すらあります。

Dead Funny Recordsの所属ということもあって(僕このレーベル大好きなんです)、
聴く前から絶対好きだろうなあと思ってたのですが、
聴いてみたら期待以上でした。



この『Smile When You’re Dead』というアルバムに収められた楽曲は、
そのどれもが「僕」「今はここにいない(どこかへ行ってしまった)君」の物語です。
かつての恋人を歌っているラブソング、というのが素直な解釈かもしれません。
けれど僕は、この「君」という存在は必ずしも異性とは限らない、
もっと違う解釈があるんじゃないかという気がします。

僕たちはいつも探している 君のことを
今は何も分からない 天気さえも
(中略)
僕たちは相変わらず探している 僕のことを
きっとずっと分からない 僕の目の前にいる何かのことを

<Follow Me Not Forget>

君のことは忘れていた 忙しくしてた
楽しい日々 バンドもある 仲間もいる
でもふとした瞬間 君のことがよぎる
スミスが天国で 僕に優しく笑う

<Smile When You’re Dead>

1曲目の<Follow Me Not Forget>は、最初は「君のことを探している」と言いながらも、
最後は「僕のことを探している」と問題が深く掘り下げられます。
何より主語が「僕たち」であることに、単純なラブソングに収まらない複雑さと深刻さがあります。

2曲目の表題曲も、「君のことは忘れていたけどたまに思い出す」というフレーズはラブソング的ですが、
その後の「スミスが」のくだりが入ることで、歌われているのは「君との思い出」などではなく、
「バンドもいるし仲間もいるのに満たされない自分」のように僕には思えるのです。

僕は、このアルバムで歌われている「君」を、
「かつての自分」と解釈しながら聴きました。
いつの間にか自分は「かつての自分」とは別の人間になってしまった。
そのことに対する鈍い痛みと、
それでも前を向こう(向く以外ない)とする姿勢との間で揺れ動く心のさまを歌った、
「永遠の喪失の物語」だと僕は感じるのです。


先週、For Tracy Hydeの記事の中で、
「16年の後半は自分の中の何かが失われてしまったことを痛感した」と書きました。
Num Contenaを聴いたのも、ちょうどフォトハイと同じ時期でした。
(そういえば『Smile When You’re Dead』のジャケットも青い)
僕が彼らの曲の「君」を「かつての自分」だと解釈したのは、
僕の心境がそういう状態だったからです。

数千枚の葉っぱを手作りすることに、いつの間にか熱狂できなくなっている。
そのことに気づいたとき、
僕は、人生の大半が既に過ぎ去ってしまったような錯覚に陥りました。
何を大げさな、と思われるかもしれませんが、
このまま何に対しても熱狂できずにいるとしたら、
それはもう「余生」以外の何物でもありません。

とはいえ、いくら努力したところで、
あの頃の自分が戻ってくることはありえない。
「あの頃」は文字通り「過ぎ去ったもの」であり、どんなに足掻いたところで、
再び数千枚の葉っぱを手作りすることに熱狂していた自分は戻ってこないし、
数千枚の葉っぱを手作りしてでも成し遂げたかった「何か」は永久にわかりません。
今の僕がすべきなのは、以前の自分を取り戻そうとすることではなく、
年々深くなる喪失感や虚無感を淡々と受け入れていくことなのでしょう。
(…ということに気づくまで、かなり長い時間がかかりました)

その先に「熱狂に代わる何か」が見つかるまで、
フォトハイやNum Contenaやその他の多くの音楽を、
僕は自分の「テーマ音楽」として携えていくのだろうと思います。








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