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「68点や43点の人生」だって
そんなに悪くはないはずだ


発売前に予約して買っていたのですが、
一度読み始めたら止まらなくなるだろうからと、
読み始めるタイミングを計っていたら、
実際に手に取るまでに2か月以上かかってしまいました。
でも、やはり予想通り読み始めたら止まらなかったです。
文句なしに面白かった。

今回はいつにも増して、映像が頭に浮かんでくる作品だったように思います。
雨田具彦の家のリビングやアトリエの様子、裏庭の祠とその背後にある「穴」、メンシキさんの自宅…。
読み終えた今、この小説のことを思い出そうとすると、
真っ先に浮かんでくるのはストーリーよりも、物語の舞台になった場所の方です。
そういえば、広尾、東北、そして小田原と、
具体的な場所の名前が登場する頻度も、他の作品に比べて多いように感じました。

以前、僕は村上春樹の小説について、
読者をいつの間にか現実とは異なる位相の世界へと迷い込ませ、
最終的には(たとえそこが物理的には元いた場所であっても)思いもよらぬ場所へと
連れられてきてしまうという点で、
「冒険小説」であると書きました。
(過去記事:『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』
今回の作品を読んで、改めてその思いが強くなりました。

ただ、今回は僕にとって、おそらく初めて「主人公がほぼ同年齢である村上作品」でした。
そのせいか、「冒険」のもつ意味についてより深く納得できるような気がしました。
何を納得したのか、うまく伝わるかわからないけれど、
絶望するほど年老いてはいないけど、楽観できるほど若くもない。
人生の分水嶺を間もなく超えようとしている年齢を迎えた僕らには、
『とことん腰を据えて向き合わなければならないもの』がある

というような、ある世代になると共通してもつであろう、一種の人生観です。
冒険とはその「とことん腰を据えて向き合わなければならないもの」のことです。

そして、冒頭に述べた「具体的な地名が多く登場した」というのは決して偶然ではないと思っています。
30代も後半に入ると、健康でも仕事でも生活のさまざまな面で、
本当に引き返せないポイント(point of no return)がそこかしこにあるのを実感します。
そういうポイントに差し掛かったら、腰を据えてとことんその「何か」に向き合わないといけなくて、
そのためには、まずは今いる場所へのコミットメントが必要です。
具体的な地名が登場するのは、主人公が腰を据えた決意であり、
同時に彼に対する「縛り」でもあるように思うのです。


こないだ、劇団を旗揚げしてから今年で17年にもなることに気づいて、ゾッとしました。
だって、この17年なんて本当にあっという間だったから。
この「あっという間」をもう1回繰り返したら、
僕はもう50代の後半で今1歳の娘は18歳になっていて、
そしてさらにもう1回「あっという間」を繰り返したら、僕は後期高齢者の仲間入りです。

自分の人生の残りは「あっという間」2回分しかないんだ。
そう思ったら若い頃には無数にあったはずの選択肢が、
驚くほど少なくなっていることに気づきました。
そして、「ありえたかもしれない別の人生」に対する未練が急に湧いてきて、
(馬鹿な話と笑われるかもしれませんが)とても苦しくなりました。

そんなときに『騎士団長殺し』を読んだのです。
この作品で描かれる「冒険」は、本人が好むと好まざるとにかかわらず、
人生のある局面で向こうからやってくる、一種の宿命のようなもののように感じました。
その宿命に対して、戸惑ったり迷ったりしつつも、
粛々と一つひとつの課題や作業をこなしていく主人公に、僕は心から共感したのです。
今いる場所がベストな場所ではないかもしれないけれど、
それでも今いる場所で生きていくしかない。
100点の人生ではないかもしれないけど、
68点や43点の人生だってそんなに悪くはないはずだ、と。








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