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「裏切ったやつら」に
もう一度会いたくなった


 少し前の話ですが、Ken Yokoyamaがアルバム『Sentimental Trash』をリリースした頃(15年)、横山健のメディア露出が急激に増えました。かつては「TVに出たら魂を売ったと思ってくれていい」とまで言っていた彼が、『ミュージック・ステーション』をはじめ、地上波の音楽番組に顔を見せました。

 その背景には、「ロックがこのまま廃れてしまうのを、ただ黙って見ていていいのか」という危機感と、そしてコアなロックほどメディアを忌避し、それが結果として一般リスナー層離れを生んでしまったことの一因が、「TVには出ない」と言い切ったかつての自分自身にあるのかもしれないという責任感があったと、横山健自身は語っています。
『横山健の別に危なくないコラム』Vol.89

 そういえば、これも少し前のことですが、こんなニュースもありました。
音楽離れは「有料の音楽」離れに限らず「音楽そのものから距離を置く」と共に

 確かに、僕自身の実感に即してみても、積極的に音楽を聴く人なんて、10人に1人もいない気がします。20人に1人いればいいくらいじゃないだろうか。

 僕が中学高校の頃は音楽、とりわけロックはまだクラスの話題の中心にいました。イエモンはいたしジュディマリはいたしミッシェルはいたし、もちろん、ハイスタもいました。でも、今クラスで音楽が話題に上ったとしても、バンドの名前なんて一つも上がらないんじゃないでしょうか。てゆうか、そもそも「音楽が話題に上る」なんてこと自体が起きえないのかもしれません。

 でも、同時にこうも思います。実は、「音楽を聴く人」なんて、当時からほんの一握りしかいなかったんじゃないかと。僕も含めクラスのみんなが追いかけていたのは、音楽ではなくただの「流行」であり、音楽ソフトの売上が減っているのは、単に「流行を追いかける層」が音楽以外のところへ去ってしまったからで、「音楽を聴く人」の割合は、昔も今も変わらないんじゃないかと。

 もちろん、たとえ20人に1人だとしても、そうしたコアなファンを若い世代に確保し続けなければ、そのジャンルはいずれ滅びてしまいます。そして、そうしたコアなファンは「流行を追いかける層」の中から生まれるのも確かなことです。フジロックが中高年おひとり様だらけだった、なんて記事がありましたが、ロックのレコード売上が初めてR&Bの総売り上げに負けたことでも明らかなように、若い世代におけるロックの存在感は薄れつつあるのは確かなのでしょう。だから、もう一度「流行」を呼び込もうとする横山健のチャレンジは、とても大事だとは思います。

 ただ、その一方で、CDが100万枚売れたからといって、「音楽を好きな人」が100万人いるわけではないし、CDが売れなくなったからといって、音楽へのニーズ自体が減ったわけでもないだろうとも思うのです。

 高校時代、文化祭でハイスタをコピーしてた知人は、今ではK-POPしか聴かなくなりました。自分の携帯アドレスに「music」「love」と付けてる知人が最後にCDを買ったのは、10年近くも前だそうです。

 もちろん、流行を追うのも何かに飽きるのも、個人の自由です。K-POPだって歴とした音楽です。昔のCDだけを繰り返し聴くことだって悪いことじゃない。それが彼なりの「music love」なのだから。

 でも、それら全部をわかったうえで、どうして僕は彼らを「許せない」と感じるのか。「裏切り者」と感じるのか。彼らがハイスタ18年ぶりのアルバム『The Gift』を聴いて「やっぱハイスタだよな〜」などと言おうものなら、この18年の間に活動してた全てのアーティストに土下座しろ!と言いたくなってしまうのか。

(僕はいったい何が書きたいんだろうと思いながらずっと書いています)

 峯田和伸が銀杏BOYZを始める前に出演し、彼の俳優デビュー作となった『アイデン&ティティ』(2004年)という映画があるんですが、その中で、首がもげるくらいにうなずきながら「わかる!わかるぞ!!」と激しく同意したシーンがあります。

 峯田演じる売れないミュージシャンの中島が、大学時代のバンド仲間で、今は就職して働いている友人と飲み屋で飲んでるシーンです。「今どんな音楽を聴いてるか」という話題になったところで、かつてのバンド仲間の一人がこう言い放ちます。「やっぱベスト盤だよね!女口説くならベスト盤が一番だろ!」と。

 これ、伝わるでしょうか。「え?こないだまで一緒に夢見てたじゃん。一緒に熱狂してたじゃん。なんでそんなにあっさり割り切れちゃうの?なんでそんなにすぐ醒めちゃうえるの?あの熱狂は嘘だったの?」という怒りと悔しさ。そして、未だに同じ場所にいる自分が、まるで一人で道化を演じてるかのように思えてきてしまう恥ずかしさ。このとき中島が感じたであろう気持ちが、僕にはすっごいわかる気がして、僕は画面の中に飛び込んで彼を全力で抱きしめたくなりました。

 それがいくら一方的な思い込みであると分かっていても、あいつが自分と同じように熱狂していないと分かったときに「裏切られた」と感じたり、相変わらず熱狂している自分がたまらなく恥ずかしいと感じたりしてしまうのはなぜなのか。

 きっとそれは、さみしいからなんじゃないかと思います『シン・ゴジラ』の記事でも書いたように、僕は「何かを好きになるということは、孤独になるということだ」と考えています。だから、僕は基本的には音楽が好きなことも芝居をやってることも他人に話しません。それが人付き合いのマナーだとすら思ってきました。でも本当は、他人と一緒に何かに夢中になることや、一瞬でも誰かと「つながった!」と実感できることを求めてるのかもしれません。

 10月に『The Gift』を初めて聴いたとき、僕の中には「裏切っていった奴ら」への怒りが、身がよじれるくらいの勢いで湧いてきました。ロックを聴かなくなったあいつらが、久しぶりにハイスタを手に取るのは許しがたいと思いました。でもこの文章を書き終えた今は、なんとなく彼らに久しぶりに会いたいと思い始めています。








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