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見たことのないゴジラでありながら
「これぞゴジラ」だった


 昨年の11月、ゴジラを初めてアニメ化した映画『GODZILLA 怪獣惑星』が公開されました。正直、そこまで期待していなかったのですが、めちゃくちゃ面白かったです。

 期待できずにいたのは、ハリウッド版『GODZILLA』『シン・ゴジラ』と実写大作モノが続いた後だったので、「アニメ化」という切り口がスケールダウンに思えたから。でも、実際に見てみたら、アニメであることは弱点ではなく、むしろそこがこの作品の強みになっていました

 脚本の虚淵玄や監督の瀬下寛之「実写作品と勝負しても勝てない。アニメでしかやれないゴジラをやろう」という命題を出発点にしたそうです。その結果、実写はあくまで現実世界が舞台であるのに対し、アニメはぐっと空想を膨らませて「2万年後の地球」という途方もない遠未来が作品の舞台に選ばれました。

 20世紀の終わりに地球に出現したゴジラは破壊の限りを尽くし、人類はなす術もなく宇宙への脱出を決定。それから2万年後、環境も生態系も大きく変わった地球に人類が再び戻ってみると、(同一個体かは不明なものの)ゴジラはなおも生き物の頂点として君臨していた…というストーリー。この、アニメだからこそ表現できる極端に長い時間軸がとても効いていたのです。

 2万年も生きているゴジラ。300mもの体高にまで成長したゴジラ。ビルも道路もない、人類の文明が滅びた世界で暴れるゴジラ。過去の実写シリーズからすれば極端に映るこれらの設定は、極端だからこそ逆に、根本的な疑問を浮かび上がらせます。「ゴジラとはいったい何者なのか?」

 天変地異や外敵の侵略により人類が滅亡の危機に陥る映画を「災厄映画」と名付けるとすれば、ゴジラもそこにカテゴライズされるでしょう。しかし、ゴジラは『アルマゲドン』の隕石のような物理的現象ではありません。宇宙からやってきた侵略者でも暴走したロボットでもない。地球に元々住んでいた、独立した意思をもつ生き物です。

 宇宙からの侵略者であれば戦って倒してしまえばハッピーエンドが訪れます。なぜなら宇宙人は「外」から来たものなので、排除さえすれば世界は元通りに戻るからです。天変地異もそう。純粋な物理現象なので、基本的にはそれをどう乗り切るかということだけを考えれば済みます。

 しかし、同じ地球に住み、同じ生き物であるゴジラは、いわば人類の「内側」から現れた存在です。結果的に戦うことになったとしても、「なぜ現れたのか」「敵なのか味方なのか」「そもそもゴジラとは何者なのか」といった疑問がついて回ります。シリーズ化されてしまえばゴジラの存在は自明のものになりますが、第1作『ゴジラ』など人類とのファーストコンタクトを描いた作品には、このような疑問が物語の根柢に流れていました。キャラクターの核に「ゴジラとは何者なのか」というキャラクターそのものへの問いかけが含まれているのが、ゴジラの大きな特徴なのです。

 ハリウッド版『GODZILLA』、『シン・ゴジラ』、そして今回の『怪獣惑星』と、直近の3作はいずれも人類はそれまでゴジラの存在を知らないところからスタートします。その中でもっとも「ゴジラとは何者なのか」という疑問に迫ろうとするパワーがあったのは『怪獣惑星』でした。理由は前述のとおり、アニメだからこそ描ける遠大な時間や「人類を宇宙へ追い出す」という極端なストーリー、そして何よりも「初のアニメ版」というゼロベースからの挑戦だったことが挙げられるでしょう。異端であるはずの「アニメ版」が、むしろゴジラというキャラクターの核に迫っていたのです。

 アニメ版はこの『怪獣惑星』を皮切りに3部作のシリーズ展開を予定しています。第2作『決戦機動増殖都市』は5/18公開予定。『怪獣惑星』で大きく広げた「ゴジラとは何者なのか」という名の風呂敷を、2作目以降ではたたんでいく方向に舵を切ることになると思うのですが、今度はそのたたみ方に注目です。



※次回更新は5/10(木)予定です




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