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豊かな「カバー文化」が
かつて日本にもあったんだ


 最近どっぷりと聴いているのがシャネルズです。ご存知、鈴木雅之や田代まさし、桑野信義らを擁する、主に1980年代に活動していたグループですね。

 なんで今更シャネルズなのかという理由を一言で説明するのは難しいのですが、例えば去年からゴフィン&キングをはじめとする50年代後半〜60年代初頭のソングライターたちを横断的に聴いていて、そこからリーバー&ストーラー→コースターズ/ドリフターズというドゥーワップへの流れがあったり、一方で数年来続く大滝詠一への傾倒があったり、とにかく自分の中では必然的な帰結としてシャネルズがあったのです。

 ちなみに僕が聴いているのは基本的にはラッツ&スターに改名した後期の時代ではなく、前期のシャネルズ名義の時代。何が違うかっていうと、ルーツへのこだわりです。多様なジャンルを取り込んで最大公約数的なポップスを歌うようになったラッツ時代に比べ、シャネルズ時代はグループのルーツであるドゥーワップやR&Bへの強いこだわりが感じられます。

 ある意味ラッツはプロフェッショナルで、シャネルズはアマチュアともいえるかもしれません。「お前らもドゥーワップばっかりやってないでそろそろこういう大人な曲を歌え」という意味を込めて大滝詠一が<Tシャツに口紅>を書き下ろし、そのままラッツ名義での最初のアルバム『Soul Vacation』をプロデュースしたって話は象徴的な気がします。

 ただ、僕はあくまでドゥーワップという文脈で入った身なので(それはもちろん、ああいう古い音楽が好きだからなので)、頑なに原点に固執するシャネルズの方にシンパシーを覚えます。そして、ある意味武骨とすらいえるようなシャネルズのルーツ愛がもっとも爆発しているのが、81年7月にリリースされたアルバム『Live At "Wisky A Go Go"』です。

 タイトルのとおり、米LAにあるライブハウス「Whisky A Go Go」にシャネルズが出演したときのステージを収録したライブアルバム。出演日の情報がないのですが、YouTubeに残ってる映像を信じるのであれば、81年の5月28日のようです(だとするとわずか1か月でアルバム化して発売したってことになりますが)。いくらデビューシングル<Runaway>が大ヒットし、1st、2ndアルバムがともにオリコン1位を獲得していたとはいえ、デビューしてわずか1年の、それも日本から来た無名のアーティストが「Whisky A Go Go」のステージに立てるのは、80年代日本のオラついたエネルギッシュさゆえなのでしょうか。

 それはさておき、名門ライブハウスへの出演、しかもゲストには超大物コースターズということで、シャネルズの面々の気合の入りっぷりは、ありありとアルバムから伝わってきます

 収録曲のうちオリジナル曲は<Runaway>と<Hurricane>のみ(しかも前者は英語詞)であとは全部カバー。ドリフターズの<Fools Fallin’ Love>(桑野信義のボーカルが素晴らしい)やヴェルヴェッツの<Tonight (Could Be The Night)>、ジャクソン5の<Going Back To Indiana>といった真っ黒な名曲を、猛烈な熱量で演奏しまくります。名門ライブハウスにオリジナル曲ではなく、あくまで古いアメリカンポップスで臨むところに、シャネルズというグループがなんたるかが端的に表れているように思います。



 シャネルズは1stアルバム『Mr.ブラック』でB面全曲カバー、この3枚目で9割近くがカバーという荒業をやってのけます。そしてシャネルズ名義として最後のアルバムである6枚目『ダンス!ダンス!ダンス!』では、オリジナルとカバーを(ほぼ)交互に挟みつつ、カバーとつなげて違和感がないように“カバーっぽいオリジナル”を量産して「実質的には完全なカバーアルバム」をつくり、グループのもつアマチュアリズムの総決算を図りました(そういう曲作りができる田代まさしと鈴木雅之のソングライティングチームはもっと評価されるべきだと思います)。

 驚くべきは、最初の3枚のアルバムが全てオリコン1位を獲得している点です。繰り返しますが、1枚目はB面全部がカバー、3枚目は9割がカバー(しかもライブ盤)です。なんていい時代なんでしょうか。シャネルズももちろんすごいですが、それを受け入れていた世の中の感性もすごい。

 伊福部昭の『音楽入門』のなかに、15世紀前後のフランダース(フランドル)楽派の時代には、作曲家とは実質的には「編曲家」を指し、音楽において素材(=曲)に芸術的価値が置かれなかった、という話がありました。僕がこれを読んで連想したのは、50年代や60年代の欧米ポップスの「カバー文化」でした

 プレスリーの<Hound Dog>とかビートルズの<Please Mr. Postman>とか、かつてのポップスシーンにはオリジナルよりもカバーのほうが有名になったケースが山ほどあります。そこでは、いかにオリジナルよりもインパクトを与えるかというアーティストやアレンジャーの試行錯誤があり、同時にリスナーとしてはオリジナルを辿ったり他のカバーを探したりすること自体が一つの楽しみになります。

 伊福部昭は「音楽を単なる技巧と見なしている」として、フランダース楽派時代のマインドを批判的な立場で書いているのですが、これを欧米の「カバー文化」に置き換えて考えてみると、僕は意外と本質を捉えているんじゃないかという気になりました

 今の日本の音楽シーンでは、カバーというともっぱら、一番CDがバカ売れしてた90年代のヒット曲を今のアーティストにカバーさせて30代40代の中年にもう一度CD買わせようぜ!というような、マーケティング的発想で作られたものを指します。しかし、そういう“プロ目線”ではなく、「ドゥーワップってかっこ良くない?」「俺たちR&B大好きなんだけど、君も聴いてみない?」というようなアマチュアリズムを感じるカバー文化がもうちょっとあってもいいのにと、シャネルズを聴いてて思わずにはいられませんでした。






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