
81年生まれが感じる
「こちら側」の声
まず初めに言っておくと、僕は松田聖子というアーティストに特別興味はありません。僕がテレビの音楽番組やヒットチャートを見るようになったのは1990年代初頭でした。松田聖子が歌手デビューしたのは80年ですので、その時点で10年ほどのキャリアがあったことになります。アーティスト寿命が長寿化した現在では、10年選手などせいぜい中堅扱いですが、当時はベテラン歌手の一人といった印象でした。なので、(当時バリバリ新曲を出していて第2の全盛期を迎えようとしていましたが)僕の中では「懐メロ歌手」「大人が聴くもの」といったネガティブなイメージしか持てませんでした。そのまま今に至っています。
それなのに、なぜ今僕は松田聖子の『風立ちぬ』を聴いているのか。理由は単純。大滝詠一です。81年10月にリリースされたこの4枚目のアルバムは、表題曲含むA面5曲全てを大滝詠一が作曲・編曲を担当しているのです。
大滝詠一がアルバム『A Long Vacation』をリリースしたのは81年3月ですが、時期的な面だけでなく、サウンドから受ける印象という面でも、『風立ちぬ』はまるで『ロンバケ』の姉妹編のようです。実際、大滝詠一本人も「“女性版ナイアガラ”を意識した」と語っています。曰く、<冬の妖精>=<君は天然色>、<ガラスの入江>=<雨のウェンズデイ>、<千秒一秒物語>=<恋するカレン>、<いちご畑でつかまえて>=<FUN×4>、<風立ちぬ>=<カナリア諸島にて>。
ナイアガラサウンドというと音の分厚さやゴージャスさ、スケールの大きさがよく語られますが、僕はそれらのアレンジがメロディと高次元で結びついているところこそが最大の聴きどころだと思っています。<千秒一秒物語>のあのセンチメンタルさ、<いちご畑でつかまえて>のつかみどころのなさ、そして<風立ちぬ>の大河の流れのような官能性。メロディが先にあったのか、それともアレンジが先にあってメロディが生まれたのか、まったくわからないほどに両者は同じ方向を向き、曲の中で自然に溶け合っています。そういう曲としての密度の濃さみたいなものに、僕はナイアガラを感じます。
んで、大滝詠一という軸でこのアルバムを何度もリピートしていたのですが、しばらくするうちにあることに気づきました。かつて「古臭いもの」と思い込んでいた松田聖子が、実際には決して古くなどないということに。
このアルバムを聴く直前、僕は山口百恵を聴いていました。実は山口百恵は「古い」と感じたのです。でも、松田聖子は古くはなかった。ちなみに「古い」というのは「嫌い」という意味ではありません。わかる/わからない、近い/遠いといった、好悪とは別なところで感じる直感的な距離感のようなものです。
正確に言えば、松田聖子でも<青い珊瑚礁>は古いと感じます。じゃあ境目はどこなのか。アルバムでいえば、まさに『風立ちぬ』がそれにあたります。
じゃあ『風立ちぬ』と3枚目『シルエット』とは何が違うのか。それは、松本隆が登板しているところです。厳密には彼は『シルエット』期から参加してますが、当時はまだレコード会社に指名され、純粋に職業作詞家としてかかわったにすぎませんでした。それが、プロデューサー的な立ち位置で、より能動的に松田聖子というプロジェクトに関わり始めた最初のアルバムが『風立ちぬ』だったのです。そして、彼が自分の人脈から引っ張ってきた最初のメロディメーカーが、かつてのバンドメンバーである大滝詠一でした。…というのは知っている人には今更すぎるネタではあります。
初期の三浦徳子・小田裕一郎時代は、僕には古いと感じます。どこか70年代の時代がかったアイドル像を引きずってる気がするのです。でも、大滝詠一や南佳孝、財津和夫、来生たかお、そして呉田軽穂(松任谷由実)。このあたりの、当時の言葉でいえばニューミュージック出身の作曲家たちが参加し始めた以降の曲はまったく古さを感じません。完全に「こちら側」という感じがします。
実は、三浦徳子も小田裕一郎も古い作家ではありません。世代としてはニューミュージック勢と変わらない。でも、三浦・小田ペアがどこか70年代に規定された「アイドル」という枠の中で仕事をしていた(職業作家として仕事をしていた)のに対し、その枠を壊してアイドル像というものを80年代型へとアップデートしようとしたのが松本隆だったのではないかと思います。
ただ、ここで一つ強調したいのは、僕が「古くない」と感じる根拠は松本隆の歌詞ではない、ということです。むしろ、言葉の意味や使われ方は時代の影響をモロに受けるので、ニューミュージック勢の作るメロディに比べて当の松本隆の歌詞は(距離感ではなく、文字通り「今の時代とは違う」という意味で)古いと感じます。
では何が「古くない」のか。中川右介は著書で、松本隆の功績の一つに、日本の歌謡曲から「情緒」や「説明」を排除したことを挙げています。そうした志向をもっていた彼が松田聖子を選んだのは、彼女の圧倒的な声量とカラッと乾いた声質なら、それができると考えたからでした。松田聖子の歌の上手さに注目した人はそれまでにもたくさんいましたが、彼女の声に時代を見出して、それを歌詞という方法でプロデュースしようとしたのは松本隆が初めてだったんだろうと思います。つまり、僕が松田聖子を「古くない」と感じた一番の理由は、彼女の「声」だったのです。
彼女の声に時代の変化を見出した松本隆。その彼が積極的にイニシアチブを取り始めた『風立ちぬ』プロジェクト。そこに、81年生まれの僕が「古い」「古くない」の分水嶺を感じることは、決して偶然ではないと思います。
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