命はまるで
「流れ星」のように


 先月紹介した『雷電本紀』をきっかけに、作家・飯嶋和一の作品をひたすら読んでいます。とりあえずKindle化されている作品は全て読みました。一人の作家をここまでむさぼるように読んだのは、10年前の吉村昭以来かもしれません。久しぶりに「面白くて頭がおかしくなりそう」という感覚を味わいました。

 なんでこんなに面白いんだろう。読んだことある人には同意してもらえると思うんだけど、飯嶋作品って爽快感とはまったく無縁ですよね。むしろ、読んだ後は、何とも言えない重たい感覚が残ります。飲み込みづらいものを無理に胃に流し込んだような、疲労感に似たカタルシス。にもかかわらず、面白い

 飯嶋作品の特徴としてまず挙げられるのは、「悲劇」が多いということ。その最たる例が『神無き月十番目の夜』(1997年)です。


 慶長7年(1602年)に常陸の小生瀬村で起きた、女子供を含む300人もの村民全員が皆殺しにされた事件「生瀬一揆」を題材にしたこの作品は、物語の冒頭にまず結末が示され、その後は「なぜこのような事態が起きたのか」を丹念にたどるという構成をとっています。最後には全員が死ぬことを分かったうえで、その動かしようのないラストに向ってページをめくり続けるという、なんとも精神的にタフな読書を強いられる作品です

 しかし、この作品の悲劇性は、単に惨劇の規模や残酷さだけによるものではありません。傭兵集団として自治権をもっていた小生瀬村の人々の誇りや平穏な暮らしが、ほんのささいなボタンの掛け違えによって、無残なまでに破壊され尽くす様があまりに悲しいのです。

 権力者の横暴や怠慢(『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』など)、経済第一主義(『汝ふたたび故郷へ帰れず』)、戦争(『スピリチュアル・ペイン』)といった巨大なシステムによって、家族とのささやかな生活や夢を追い求める自由な心といった「個」の幸せが、徹底的に破壊される。飯嶋作品における悲劇とは、決まってこのように「システムが個を破壊する」という形を取ります。逆に言えば、飯嶋和一という作家は、常に弱い立場である「個」の側に立ってきたということでもあります。

 江戸時代後期に自作の凧で空を飛んだといわれる世界最初の「鳥人」、備前屋幸吉の生涯を描いた『始祖鳥記』(2000年)は、飯嶋作品における「個」の位置付けが、もっとも端的に表れている作品です。


 幸吉が空を飛ぼうとするのは、本人にとってはあくまで探究心や単純な好奇心によるものです。しかし「飛ぶ」という行為が当時の常識からすればあまりに奇抜で突飛なために、幸吉の行動は政治的な文脈で解釈され、ついには犯罪者に仕立てあげられます。

 賞賛や評価のためではなく、ましてや世間にメッセージを投げかけたいわけでもなく、子供が遊びに没頭するように、ただ純粋に自分の心が求めるものを希求していく。幸吉や廻船問屋の源太郎、船乗りの杢平、浦安の塩問屋・伊兵衛ら本書の登場人物たちは、そうした瞬間の中にのみ自らの「生」を燃やす場所を見出します。

 個人の魂の救済を描くのは、古今東西の多くの物語に共通している点ですが、飯嶋作品の特徴は、その「個」を前述の通り、システムと徹底的に対比させているところです。これでもか!というくらいにシステムに「個」を叩きのめさせることで、平穏な生活の貴重さや権力を前にした個人の幸福の儚さなどが際立ち、重たいカタルシスが生まれるのです。

 そうした「システム(=悪)のスケール」という点では、大佛次郎賞を受賞した『出星前夜』(08年)がもっとも残酷です。


 この作品では、江戸時代最大の民衆蜂起である島原の乱の一部始終が描かれます。民衆が蜂起した直接のきっかけは、領民を死の淵まで搾取し続けた肥前島原藩・松倉家の悪政ですが、何十年にもわたるキリシタンへの弾圧も大きな背景の一つにありました。さらにその背後には、幕府の貿易統制や強圧的な西国経営といった時代の大きな流れがあります。そうした巨大な存在によって、罪のない子供たちが次々と死んでいく(物語の冒頭は天草地方の子供たちに疫病が流行るというシーンなのです)様子は、あまりの不条理に胸が潰れそうになります。

 島原の乱は、最後は幕府軍によって鎮圧されます。2万とも3万とも呼ばれる蜂起軍は一人残らず殺されます。彼らは重い年貢に苦しみ、心の拠りどころだった信仰も奪われ、ついには権力に殺されるのです。殺された民衆の中には、キリストが誰かも理解できないような小さな子供もいます。

 物語のラスト、登場人物の一人が夜道を歩きながら、命というもののあまりの軽さに絶望します。命の本源は死という永遠の中にあり、生はまるで、死に向かう前に一瞬だけ見える流れ星のように儚いと。けれど、その一瞬の光芒こそ愛しく感じてしまう気持ちを認めて、物語は結ばれます。

 ここで述べられる、流れ星のような命の儚さは、システムを前にした個が常に潰されるという飯嶋作品の共通の型と重なります。その意味で、『出星前夜』は飯嶋作品の核の部分がストレートに出た、総決算的な作品のように僕は思います。

 飯嶋和一はこの後、15年に『狗賓童子の島』を、今年18年に『星夜航行』を上梓しています。『狗賓童子の島』は間もなくKindle化されるはず。今か今かと、首を長くして待っているところです。




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