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「小劇場」という名の
不思議な世界について


 前回に続いて演劇の話です。

 東京で活動をする劇団の数ってどのくらいあるか知ってますか?諸説ありますが、僕は「2000」と聞いたことがあります。途方もない数字に思えるかもしれませんが、都内に大小合わせて100館前後あるといわれる劇場で毎週どこかの劇団が公演を打っているとしたら、ありえない数字ではありません。

 ただ、当然ながら、誰もが知っている人気劇団や、プロとして食えている役者はごく一握りで、他の大多数の劇団員たちは(プロ志向かどうかは別として)演劇以外の手段で糊口をしのぎながら細々と活動を続けています。そんな、東京で活動する無名の舞台俳優たちに、10年以上にわたって行われた追跡インタビューを基に書かれたのが本書。

 実はこの本、ルポタージュものではなく、歴とした論文です。著者の田村公人は社会学の研究者で、本書における東京の小劇団は、都市文化論の研究対象という位置付けです。

 都市は地方に比べて非通念的な文化(下位文化=サブカルチャー)が育ちやすい。「マニアック」とされるサブカルチャーでも巨大な人口を抱える都市では同好の士を求めやすく、そうした集団は他の世界と衝突を繰り返すことで成員間の結束やおのおのの信念が強化される傾向にある…というのが従来の都市文化論や下位文化論でした。しかし筆者は、東京の小劇場劇団では、他の世界との衝突はむしろ集団の凝集性を弱め、離脱を促すことさえある事例を引きながら、従来の都市文化論に対する再検証を試みています。

舞台俳優の中には定職に就く恋人が支援を行うケースも確認される。(中略)しかし支援の期間が婚期(たとえば、二十代後半)に達してくると、進路変更を求める恋人からの圧力は強まり、かつ結婚生活への移行の時期を巡り、双方の主張に隔たりが生まれることも珍しくない。

 上記のケースは、恋人による「経済的に自立してほしい」「適齢期になったので結婚したい」といった「外の世界」の慣習・常識とぶつかった結果、舞台俳優のなかで、劇団を辞めたり役者へのモチベーションが低下したりなど、劇団の凝集性や信念の強化とは真逆のリアクションを引き出す例として示されています。

 しかし、小劇場という世界にいささかなりとも関わったことのある身としては、上記のエピソードは本書の難しい論旨に照らし合わせるまでもなく、直感的に「ああそういうことか」と納得できます。詳しくは後述するとして、ひと言でいえば小劇場という世界があまりに特異すぎるのです。

 経済的な自立を求めることや適齢期に結婚を望む気持ちは、「異なる考え方」「他コミュニティの慣習」といった相対的なものではなく、ごく一般的な常識です。相対的なものであれば、成員は自分の感性を再確認し、お互いの結束を高めることにもつながるでしょうが、一般的な常識とぶつかったときには当然ながらローカルルール(=演劇界の中だけでの当たり前)の方が負けます。つまり、外の世界との衝突が劇団を弱めるのは必然的なのです(劇団という特異な存在だけを根拠にしているという点で、僕は本書の論旨に対しては正直懐疑的です)。

 要するにですね、この本は小劇場に関わったことのある身としては、なんとも耳の痛い本なのです。書かれている内容がいちいち突き刺さる。突き刺さりすぎる。

新たな進路に踏み出すタイミングについて逡巡を続ける舞台俳優の中には、結論を導き出すまでに時間を必要とするがあまり五年先、あるいは十年先まで公演への参加がさらに長期化していくケースも実在する。そしてここで看過しえないのは、時間が経過していくほど、結論を導き出すことをさらに困難とする舞台俳優自身の状況の推移が見られる点である。

 どうですか?こんなの涙なしに読めないでしょう?

 なかでも、劇団の特異性をつくづく痛感してしまうのが「ノルマ」の話です。

 小劇団の大半が、公演のたびに「ノルマ」と称して、劇団員それぞれに一定枚数のチケットを売りさばくことを義務付けています。ノルマなので、与えられた枚数に到達しなかった分は自己負担になります。

 一人5枚とか10枚とかであれば、家族やごく近しい友人に声をかければ達成できますが、劇団によっては一人70枚というような枚数を課しているところもあります。70人なんて、知り合い全員が来てくれたとしても達成できるかわからない枚数です。チケット1枚2,500円だとしたら、なんとか半分の35枚を売ったとしても残りの35枚分87,500円は劇団員自身が払わなければいけなくなります

 ただでさえ劇団員の多くはバイトで生計を立て、しかも公演時期は稽古に時間を割かれるので収入は安定していません。そのなかで公演を打つたびに毎回10万円近い出費を強いられるのは相当な負担です。

 もちろん、そうなるのを避けるために劇団員は必死でチケットを売ります。家族や友人、中学や高校の同級生、バイト先の同僚。しかし、一度なら好奇心や応援の気持ちからチケットを買ってくれても、二度三度と続くとなかなか誘いには応じてくれなくなります。強く誘えば、お金の絡むことゆえ、その人との関係さえこじれてしまう恐れもあります。

 じゃあどうするのか。解決策の一つとして劇団員の多くが採用している方法が、同業者、つまり他の劇団の人間を観客として誘うことです。同じくノルマに苦しんでいる身として、一般の人に比べると度重なる誘いにも理解があり、誘う方も声をかけやすいのです。

 ところがこの関係はギブアンドテイクが前提です。相手もノルマに苦しんでいるので、自分の公演に来てもらったら、相手の公演の時には自分が観客として足を運ばなくてはなりません。もちろん、チケット代も交通費も自己負担。ノルマの自己負担と、もはやどっちが高くつくのかわからなくなってきます。

 本書には、ある小劇場劇団の団員が売ったチケットのうち、7割が演劇経験者とその知人だったという話が出てきます。お互いにノルマが大変なのはわかっているから、持ちつ持たれつの関係を維持するために、相互互助的にお互いの公演に足を運ぶ。そこには「作品が面白いから」「その劇団が好きだから」といった本来あるはずの動機はありません。

 今年ニュースになった高プロ制の導入や悪質タックルを選手に強要した日大ラグビー部を日本の悪しき縮図と見る向きがありますが、僕はあれらのニュースを見ながら、団員に「ノルマ」と称して金銭を負担させ、その金銭分のチケットを家族や友人に売りさばかせ、その結果として人間関係を破たんさせ、時間だけは拘束するから定職に就くことも許さないまま何年も束縛する「小劇場」という仕組みも、極めて日本的だなあと思っていました。そして、個人の人生を食いつぶして作られた芝居の客席は、「付き合い」のためだけに足を運んだ演劇関係者ばかりで埋まっている―。しびれるほどに不毛です

 この本はあくまで論文なので、著者の主観的な考えは入っていませんが、この本を読んで「舞台俳優やりたい!」「劇団入りたい!」って思う人はまずいないでしょう。(ネガティブな意味で)特異な演劇が、「外の世界」と衝突して結束や信念が揺らぐのは、あまりに当然なのです。

 ノルマをはじめとする、小劇場劇団で広く敷衍した仕組みや慣習は、まともにやるとあまりに個人への負担が激しいため、人生を食いつぶされて辞めるのが先か、その前に運よく売れるかという消耗戦的チキンレースになります。したがって、どうしても20代からせいぜい30代中盤あたりまでの若いうちしかできません。参加者の世代が圧倒的に若年齢層に偏っている点は、音楽やダンスにはない、演劇の極めて不健全なところです。

 じゃあ、人生を食いつぶされず、いわば消耗戦ではなく持久戦で演劇を続けるためにはどうしたらよいのか。その答えの一つが、生活の糧を演劇以外の場所で確保したうえで芝居をやる「社会人劇団」なんじゃないかと、本書を読んで改めて僕は思いました。

 そういうことをいうと「退路を断って臨まないと面白い芝居などできない」「仕事をしながら片手間でやる芝居が面白くなるはずがない」などと言い出す人が出てきそうです。ある種の覚悟が作品の質に影響を与えること自体は否定しませんが、以前この記事でも書いた通り、「プロかアマか」「仕事か趣味か」という二元論は、あまりに発想が貧しいと言わざるをえません。100or0のような極端な形ではなく、その中間にある多様な劇団のあり方、創作の方法を許容していかないと、小劇場という世界はいつまで経っても「人生を棒に振る覚悟がある人」しかいない、閉じた場所であり続ける気がします。

 …と、さんざん偉そうに書いてきましたが、以上のことは社会人劇団としての成功例が現れることが不可欠です。そしてそのことは、当然ながら「社会人劇団」と銘打って活動している僕自身の喉元に、ナイフとなって跳ね返ってくるのです






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