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元をただせば
実は「メタル」だった


 新年1回目は「ZARD」です。そう、あの<負けないで>で有名な、坂井和泉のZARDです。今週から何回かにわたってZARDについて書きたいと思います。これまで散々インディーロックについて書いてきた後でなぜZARD?と訝しむ方もいそうですが、理由は追々説明していきます。

 第1回はZARDの所属レーベル「ビーイング」を切り口に語ってみます。

 僕は1981年生まれなので、10代というもっとも音楽を聴く時期とZARDの全盛期とがちょうど重なっている世代なのですが、こないだたまたま同い年の人と当時の音楽の話をしたところ、その人はビーイングという名前を知りませんでした。

 レーベルの名前こそ一般的じゃないのかもしれませんが、手掛けたアーティストは錚々たる面子です。ZARDをはじめT-BOLAN、大黒摩季、WANDS、FIELD OF VIEWなど、90年代前半のJ-POPを代表する名前ばかり。所属アーティストのCD売上枚数を合計したら、軽く3,000万枚は超えるはずです。まさに一時代を築いたレーベルでした。

 ヒット曲の量産を可能にしたのは、ビーイングの特殊な音楽生産システムでした。それはどういったものかというと、オーディションで別々に集めたボーカルやミュージシャンでその場でバンドを組ませ、お抱えの作曲家とアレンジャーに曲を書かせ、ビジュアルからメディア露出までレーベルが主導し管理するという、徹底的なトップダウンの手法でした。ひとつのアーティストを、あちこちから部品を集めて組み立てて、いわば工業製品のように売り出すわけです。ちなみに、日本最大のヒットグループの一つであるB’zは、ビーイングのこの手法で生まれたユニットがそもそものはじまりでした。

 仲間とのサクセスストーリーも情緒もへったくれもないわけで、保守的な音楽ファンは鼻白みそうですが、ある意味では究極に音楽主義的ともいえます。なかでも、明石昌夫池田大介、春畑道哉、川島だりあいった作曲家・アレンジャーたちの仕事は素晴らしかった。単にメロディがキャッチーでアレンジにフックがあってというだけではなく、アーティストをまたいで「ビーイングの音」として認知されるような共通のサウンドを、彼ら腕利きの職人集団が作り上げていました

 ところで、話はそれるのですが、アメリカだとこういう風に一つのレーベルがお抱えのクリエイターやミュージシャンを駆使してブランド感のあるサウンドを作り上げ、所属する大勢のアーティストを通じて世の中に供給するっていうスタイルはわりとよく見ます。フィレス・レコードなんていうのはまさにそうですよね。モータウンもそう。

 ところが日本だとそういう例は見当たりません。90年代半ばに小室哲哉が出てきますが、彼の場合はほとんど一人でコントロールしているので、集団でサウンドをマネージしていたフィレスやモータウンとは違います。そういう意味で中田ヤスタカもちょっと違いますね。

 ベビメタは複数のクリエイターをチーム制で回していますが、複数のアーティストに曲を提供しているわけじゃないので、これも該当しない。なので、フィレスやモータウンスタイルの、日本における唯一にして最大の成功例がビーイングなんじゃないかと僕は思うんですね。

 話を戻します。

 では、その「ビーイングの音」というのは具体的にどういったものか。ひと言でいえば「ハードロック」です。それも、80年代のLAメタルを継承した、歪み系よりも空間系を強調されたエレキギターを中心に据えたサウンドです。これはマーケティングによるものというよりも、プロデューサーでありレーベルトップの長戸大幸をはじめ上記の腕利きクリエイターたちの多くがロック畑出身で、且つ80年代から活動していたからということの自然ななりゆきのような気がするんですけど、どうでしょう。

 んで、ZARDも例外じゃないんですね。ZARDとメタルってイメージは結びつきづらいと思うんですけど、実は初期の頃の曲ってよくよく聴くとエレキギターがめちゃくちゃ強い。イントロなどでフレーズを奏でるのは大体ソリッドなギターの音だし、メタル色が顕著です。

 デビュー当初のZARDが「バンド」だったということはよく知られていますが、当時の曲を改めて聴いてみると、最初はビーイングももっとゴリゴリのロックバンドとして彼女たちを売り出したかったんだろうなあと感じます。2ndアルバムの『もう探さない』なんて、後年のさわやかなイメージが想像つかないほど暗くて重い。ジャケットもアルバムタイトルもえらいダークですよね。




 ただ、残念ながらこのハードな路線のZARDは売れませんでした。多分、この路線をそのまま突き進んだら、今我々の知るZARDはなかったでしょう。そのような状況を打破したのが92年8月に出た4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>でした。ZARDはこの曲でオリコンランキングのトップ10内に入り、ブレイクのきっかけをつかみます。

 ではこの曲の何が良かったのか。ここには、後にZARDとヒット曲を量産し、90年代を代表する大作曲家となる織田哲郎の素晴らしい職人芸が発揮されているのですが、長くなってきたのでこの話は次回。ちなみにこのあと、織田哲郎の話、アルバムアーティストとしてのZARDの話、そして「90年代」という話にまでいこうと思ってるんですが、おお、一体何回書けば終わるんだろう。






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