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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>

 前回の続きです。ZARD史上最高傑作『OH MY LOVE』の、その最高傑作たるゆえんが、ラスト2曲。9曲目<来年の夏も>(#9)、と10曲目<あなたに帰りたい>(#10)です。

『OH MY LOVE』収録曲
#1 Oh my love
#2 Top Secret
#3 きっと忘れない
#4 もう少し あと少し…
#5 雨に濡れて
#6 この愛に泳ぎ疲れても
#7 I still remember
#8 If you gimme smile
#9 来年の夏も
#10 あなたに帰りたい

「強がり」と「本音」の間で揺れ動く

 #9は「来年の夏も大好きなあなたと一緒にいたい」というシンプルなテーマのラブソング。耳触りのよいボサノヴァ調のアコースティックギターもあって、ようやく平穏が訪れたかのように思うのですが、引っかかるところが2つ。

 ひとつは、冒頭の歌詞「同じ血液型同士ってうまくいかないというけど 私達例外ね 今も2年前の気持ちと変わらない」に出てくる「2年」という数字が、#7で出てきた数字とピタリと重なること。#7では、付き合ったけど結局別れてしまう(その悲しみはちっとも癒えない)までの時間として「2年」が出てきたので、不気味な符合です。

 そしてもうひとつは、この曲の異様な構成です。最初はボサノヴァ調で始まるこの曲は、中盤でハードロックに変化、ブリッジを経た大サビからさらにギアが上がり、最後は40秒以上にも及ぶ壮大なピアノソロになだれ込むという怒涛の展開を見せます。もはやプログレのような、異様なまでのハイテンション。

 僕はこのアルバムを初めて聴いたとき、最後に「ジャンジャジャンッ!」とピアノが締めた瞬間、「これでエンディングだな」と思いました。アルバムのストーリーとしても演奏のテンションとしても、「もうこれ以上はないだろう」と納得させるなにかがあるように感じました。

 ところが、これで終わらないのです。ラテン風の乾いたギターの音とともに#10が始まります。そしてギターがひとしきりフレーズを弾き終わると、今度はピアノが入り、なんとも寂寥感のあるメロディを奏で始めます。この曲のイントロは90秒。ZARDの全ての曲のなかで最長級です。

 そして歌が始まります。最初のフレーズは「泣いてばかりいた あなたと別れてからずっと」。そうなのです、なんとここで再び別れの曲になるのです。ただし、#5#7のように別れの直後ではなく、「もうすぐ桜の咲く頃 この頃変わりました」とあるとおり、別れてから一定の時間が過ぎたタイミングに視点が設定されています。

 そしてサビ。「髪を切って明るい服を着て 目立たなかったあの日の私にgood-bye」と、悲しみを乗り越えるためにあえてそれまでの自分とは違った外見になったことが綴られ、もし街であなたに「今度会っても そう気付かないでしょう」と続きます。そして締めのフレーズが「そしてもう一度 あなたに帰りたい」

「私に気付かない」ことが、なぜ「もう一度あなたに帰りたい」につながるのか。それは、気付かれないことで「あなた」との最後の繋がりが断たれ、その瞬間に私の中の未練も無くなる。そうなって初めてあなたのことが思い出に変わる。つまり「あなたに帰りたい」というのは、「復縁したい」という意味ではなく「あなたを乗り越えたい」という意味のレトリックなのだ。そう考えれば、痛々しさには満ちているけれど、とても力強く前向きな響きがあります。

 ところが、です(今回何度「ところが」「しかし」と書いただろう)。2コーラス目、そして大サビになるとこの肝心の部分の歌詞が変わるのです。「今度会ったら私に気付いてね そしてもう一度悲しい思い出にgood-bye(大サビは”そしてもう一度 あなたに帰りたい”

 やっぱり気付いて欲しいのかーい! いや、もちろん気持ちはわかる。むしろ「気付いて欲しい」と思うほうが自然だと思う。でも、「きっとあなたは気付かない(=それでいい)」で締めていれば美しかったのに、あえて「やっぱり気付いて欲しい」という本音をその後に持ってくるのは、良くいえば正直、悪くいえば身もふたもない。

 でも、強がりと本音の間で揺れ動くさまは、実はアルバム全体を通じて何度も繰り返されてきたことでした#1、#2と来て#3で落とすのも、直後の#4で歌われる情念も、#6のシリアスさの後で#7の身もふたもなさがくるのも、結局は人と人が愛し合うことの綺麗ごとだけではすまないリアルさを表しているように思うのです(ここまでくれば、前述の#7#9との「2年」の符合は意図的と考えるべきでしょう)。

 そして、それがもっとも凝縮されているのが#9#10の2曲でした。もっと言ってしまえば#9のアウトロから#10のイントロ終わりまでの2分強。歌詞こそないものの、終わった!と思っても終わらないというあの展開そのものに、今作のテーマが端的に表れています。この2分強こそ、ZARDというアーティストの創造性が、全キャリアを通じてもっとも発揮された瞬間だったと思います

「落差」をコントロールする職人芸

 それにしても、なぜこの『OH MY LOVE』というアルバムは前作『揺れる想い』とは真逆と言ってもいいトーンに変わったのでしょうか。しかも、明らかにコンセプチュアルな意思のもとに。

 まず挙げられるのは、第1回でも書いたように、プロデューサーの長戸大幸はじめビーイングのクリエイターの多くがロック畑出身で、トータルアルバム志向が自明のものとして共有されていたからだろうという点です。坂井和泉によるセルフプロデュースに切り替わった『Today Is Another Day』以降、ベストアルバム的内容に変わったことが、それを逆に証明しています。ビーイングのスタッフたちは、商売人として売れるシングルをガンガン切りながらも、一方でアルバムにはポップさを残しつつシングルとは異なる創造性を追求していた。個人的には、なんとなくそういうロマンを見たくなります。

 ただ、そのうえで、このアルバムを支えた重要なファクターとして挙げたい人物が3人。

 ひとりはアレンジャーの明石昌夫。実はこのアルバム、収録曲全てが彼のアレンジです。ZARDでアルバム1枚が丸々ひとりのアレンジャーに投げられたのは、後にも先にもこの1作のみ。前期ZARDのアレンジャーというと明石昌夫と池田大介、葉山たけしのトリオですが、明石昌夫が3人のなかでもっともロック寄りです。別の言い方をすれば、派手で、重たく、ケレン味が強い。前述の#9アウトロ〜#10イントロなんかはまさにこの「ケレン」の部分が生きています。全編、明石昌夫のトーンで統一されていたということが、このアルバムの世界観をより強固にしていると思います。

 ふたり目は、他ならぬ坂井和泉です。第1回からここまで、ほとんど彼女について触れてきませんでした。しかしZARDとは言わずもがな坂井和泉そのものであり、ここまでたびたび書いてきた「透明感」「さわやか」といったZARDのパブリックイメージも、つまりは坂井和泉のイメージということです。

 そのイメージの根拠となっているのは、彼女のビジュアル以上に、彼女の作る歌詞の力が大きいのではないかと僕は思っています。たとえば「負けないで」「揺れる想い」「きっと忘れない」のように、シンプルだけどインパクトのあるパワーワードをサビの頭にぶつけて、しかもそれを曲タイトルにまでしてしまうという、ある種キャッチコピーのような歌詞の作り方は、ZARDの都会的で清潔感のあるイメージを大きく支えていました。

 しかしここまで見てきたように、『OH MY LOVE』の歌詞には、個々の曲を1つのシーンとしながら、それをつなげることで大きなストーリーを作ろうという意図が見えます。しかも、新しい恋人のことを想像して「きっと私より素敵な人に違いない」と自虐的になったり、不倫相手の生まれた家を訪ねるというエキセントリックな行動を取ったり、あるいは「乗り越えた」と口にはするものの、やっぱりあなたのことが忘れられないと告白したりと、J-POPというよりも演歌に近いような情念的な世界で統一しようとしているところも、従来にはほとんどなかったことです。

 コピーライター的な歌詞が、一瞬のインパクトで鮮烈なイメージを残そうとする絵画的な手法だとしたら、『OH MY LOVE』の歌詞の作り方は、アルバムという長い時間軸のなかで統一された世界を作ろうとする映画や小説の手法です。坂井和泉のこうした作家性は、この作品を「トータルアルバム」にするうえでは不可欠なものだったはずです。余談ながら、僕は坂井和泉の評価すべきポイントは何よりも作詞家としての彼女だと思っています。

 そして、最後のひとりが栗林誠一郎です。このアルバムでは10曲中6曲が彼の作曲。1枚のアルバムに占めるひとりの作曲家の曲数としては、ZARD史上最多です。そして、前作『揺れる想い』は織田哲郎カラーに寄せていたと書きましたが、このアルバムでは栗林本来のテイストがふんだんに発揮されています。それは前回も書いた通り、コードでいうと「マイナーコード」のトーンで、#4#6にとても顕著に表れています。

 ただ、僕がもっとも「栗林誠一郎すげえ」と思ったのは、(しつこくてすいません)#9#10です。前述の通り、この2曲は連続することでアルバムのなかで最大の「落差」を作っており、それを演出しているのが明石昌夫のハイテンションなアレンジであり、坂井和泉による真逆の歌詞だったわけですが、実はそれを裏で支えていたのが彼の絶妙なコード進行でした

 2つの曲の、サビの部分のコード進行を比較してみます。

#9<来年の夏も>
E♭M7 F Gm7 
来年の 夏も
E♭M7 F B♭M7
となりに いるのが
E♭M7 D7 Gm7
どうか あなたで
Cm7 Dm7 Gsus4G
ありますように


#10<あなたに帰りたい>
B♭ C   Dm    F C  Dm
髪 を切って 明るい服を着て
B♭  C   Dm     Gm7 Am7   Dm
目立たなかった あの日の私 に good-bye
B♭ C   Dm     F  C    Dm
今度会っても そう気付かないでしょう
B♭   C   Dm     Gm7 Am7 D7sus4 D7
そして もう一度 あなたに帰 りたい

 楽器やっている人ならすぐに気付くと思います。実はこの2曲のサビのコード進行は、キーこそ異なるものの、IV(とその平行調)→V(とその平行調)→I(とその平行調)という同じ構造をしているのです

 明石昌夫と坂井和泉が#9から#10にかけて「落差」を作りました。しかし、2つの曲が「ただ違う」というだけなら、それは落差にはならず単なる「異物感」で終わったはずです。2曲のつながりが異物感ではなく、狙ったとおりの「落差」を演出できるように、裏にいる栗林誠一郎がコード進行を揃えるという手法で最低限の統一感が維持されるようコントロールしていたのではないでしょうか。なんという職人芸。書いていて震えてきます。

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 延々と書いてきた『OH MY LOVE』の話もこれでようやく終わりです。ZARDのことを書こうと決めたときに、まず触れなければいけないと思ったのが、このアルバムのことでした。

 このアルバムがリリースされた当時、僕は中学生でした。1枚3,000円もするアルバムは、中学生には何枚も買えるものではなくて、ZARDに限らず音楽に触れるメディアは必然的にシングルが主流でした。確かこのアルバムも、最初は友達に借りて聴いた気がします。

 しかし、ここでも繰り返し書いたように、アルバムを聴いた最初の印象は、それまでシングルを通じて思い描いていたものとだいぶ違ったものでした。そういう意味では、僕にとって初めて「アルバム」という概念に触れた最初期の1枚でした

 コード進行のことや、細かい歌詞のつながりなどは今回書くうえで改めて聴きなおしていて気付いたことです。その作業は、自分が四半世紀近く前に抱いた漠然としたイメージを、焦点を絞ったり余計な埃を払ったりしながら、鮮明な像にブラッシュアップしていくかのようで、とても面白かったです。

 ZARDの話はほぼこれでおしまい。次回はほとんど余談です。






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