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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>〜
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<後編>

 年明けから延々書いてきたZARDの話も、今回でようやく最終回です。とはいっても、元々書こうと思ってた話は前回で終わっているので、今回は余談的な内容。「なぜ今ZARDのことを書いたのか?」です。

90年代に「思い入れが薄い」

 きっかけは、大きく二つあります。

 ひとつは、以前書いた『カセットテープ少年時代』の話に遡ります。あの記事で僕は「80年代ブームが過ぎればその次に90年代ブームがくるはず。80年代と違って90年代は自分が当事者として過ごした時代。ブームが到来したとき、自分は当事者として、何がそこで語られれば納得できるのだろう」と書きました。

 実は、あのときにはうまく書ききれなかったことがあります。それは、「当事者」と書いたものの、こと音楽に関して言えば、実は90年代に対して僕自身はそこまで思い入れが持てていない、ということでした。先日、たまたま自宅にあるCDを60年代、70年代、というふうにリリース年別に分類していたのですが、一番少なかったのが90年代でした。自分が青春時代を過ごし、世の中的にもCDがもっとも売れた時代だったにもかかわらず。

 そういう自分に、90年代という時代について納得できるものや、ましてや語れるものって何があるんだろうかという疑問が、折しも新元号への改元に伴い「平成の総括」が流行り始めたこともあって、むくむくと大きくなってきたのです。ちなみに、去年の暮れにサザンについて書いたときに、70〜80年代ではなく、あえて90年代の曲を取り上げたのも、実はこのことが頭にあったからでした。

 一方で、ここ数年「洋楽邦楽問わず、最近の曲って、メロディがあまり重視されてないんじゃないか」という感覚を抱くようになったことも背景の一つにありました。漠然とした言い方になりますが、「曲というものが歌(メロディ)ではなくグルーヴによって作られるようになった」「メロディは歌ではなくグルーヴの一要素になった」、そんな感覚です。

 音楽そのもののトレンドがグルーヴ重視になったのかもしれないし、アーティスト自身が曲を作って歌う自作自演が当たり前になり、メロディは他人に提供するものから自分で消化するものに変わったことで、アーティストのメロディに対する意識が相対的に低くなったといえるのかもしれません。ポップスにおけるメロディの位置づけの変化自体は歴史の自然な流れとしても、僕個人としては職業作曲家の手によってメロディが今よりも“立って”いた時代の音楽のほうに愛着があります。

 そう感じるようになったのは、ここ数年よく聴いている1950年代後半から60年代前半にかけて、リーバー&ストーラーやゴフィン&キングといった職業作曲家が活躍した時代のアメリカンポップス、俗に「ブリル・ビルディング・サウンド」とよばれる音楽からの影響があります、また、その日本版といってもいい松田聖子薬師丸ひろ子といった80年代アイドルの音楽からの影響もあります。

 以上に挙げた「90年代とは?」と「メロディはどこへいった?」という2つの関心のベクトルが、僕の中でちょうど交わったところにいたのが、ZARDだったのです。

「3つの時代」に分かれる90年代

 ところで、当時の空気を実際に吸ったひとりとして90年代という時代を振り返ってみて思うのは、音楽に関しては大きく3つの時期に分かれていたということです。

 まず前期は91年から94年の夏まで。米米CLUBの<君がいるだけで>が爆発的にヒットし、B’zがハードロック路線を定着させ、CHAGE&ASKAが怒涛の快進撃を見せ、ミリオンセラーが急速に日常化した時代です。僕らの世代の大半は、この時期にCDを初めて買ってるはずです(僕の年齢だとチャゲアスの<SAY YES>が定番でした)。ZARDもこの時期に含まれます。

 この時代に主力となって活躍したアーティストは、ほとんどが80年代にデビューした人たちでした。なので、90年代に入ったといっても楽曲のもつ雰囲気はどこか80年代の余韻が残っていたように思います。

 中期は94年夏から97年いっぱいまで。この時期はなんといっても小室哲哉です。94年の夏に出た篠原涼子<恋しさとせつなさと心強さと>とtrfの<Boy Meets Girl>が、まさに時代の幕開けを告げる号砲でした。ここから始まるえげつないまでの「小室時代」については周知の通り。

 小室哲哉自身は80年代から活動していましたが、彼がこの時代に手がけたアーティストはどれも新人ばかりでした。音楽的にもそれまでの邦楽にはないほどダンスミュージックに傾倒していて、実質的な「90年代」の始まりはこの時期だったと思います

 一方で、Mr. ChildrenやJudy And Mary、The Yellow Monkeyといった90年代に入ってからデビューしたバンドが人気を獲得します。これらのバンドは80年代のHR/HMの流れからは切り離された「90年代のバンド」と呼ぶべき一群で、彼らが認知されていくことで、ZARDをはじめとする80年代の流れを汲んだビーイング勢は徐々にその役割を終えていきます。

 よく覚えているのが、織田哲郎のプロデュースでデビューした相川七瀬です(95年)。当初2〜3枚のシングルは大ヒットしたし、未だに僕ら世代の女性はカラオケ行くとかなりの確率で彼女の曲を歌いますが、個人的にはああいう「ロック=不良」みたいなイメージ戦略は、当時の時点ですでに古臭く映っていました

 そして、後期は98年以降の時代。98年に何があったかというと、まず2月にMISIAが<つつみ込むように…>でデビューします。続いて5月に椎名林檎が<幸福論>でデビュー。そしてなんといっても宇多田ヒカルの登場です。彼女が12月に<Automatic>でデビューします。

 宇多田ヒカルのデビューを小室哲哉自身が「自分の時代の終わりがきたと感じた」と語っているように、彼女たちのように豊かな音楽的バックボーンをもち、訓練された技術をもつ本格派SSWがデビュー当初から一気に支持を集めたのは、オーディションで選ばれた素人を歌手デビューさせて稼ぐ小室時代的スタイルに対する「そういうのはもういいよ」の表れだったと思いますハイスタミッシェルというモロに海外と直結したグループがこの時期に前後して人気を拡大したのも、やはり大きくはこの文脈だったんじゃないかと思います。

 個人的にインパクトが強く残っているのはMISIAです。当時僕が知るレベルをはるかに超えた歌の上手さでした。上手いというか、声の質も曲調も何もかもが、それまで聴いていた日本の音楽とは根本的に違っているように感じました。余談ですが、今から10年ほど前にMISIAの歌を生で聴く機会があったのですが、本当にすごかったです。CDよりも上手いと思いました。僕が生で歌を聴いたことのある歌手のなかでは、いまだにMISIAがNo.1です。

「職業作曲家」はどこへいった

 話を元に戻します。

 職業作曲家は、レコード会社や音楽出版社から依頼を受けて曲を作ります。そこで重視されるのは、曲を通じて作曲家自身が自己表現をすることではなく、いかにクライアントのニーズを満たすか、そしていかにターゲット層に聴いてもらえるかです。そのようにして作られるメロディは、必然的に狙いが明確で形がハッキリしたものになるはずです。僕が「メロディが重視されなくなった」と感じるのは、職業作曲家の減少と無縁ではないと思うのです

 90年代の中期から後期への流れを今振り返ってみて、つくづく悔しいな〜と思うのは、小室哲哉やつんくによって「プロデューサー」という職業が脚光を浴びたものの、それが音楽を聴く際の切り口の一つとしては根付かずに、「有名タレントがプロデュースした●●」みたいな形でしか発展しなかったことです。「プロデューサー」が宣伝文句の一つに矮小化され、その反動として椎名林檎や宇多田ヒカルといったSSWが一挙に人気を集めたことが、結果的には「職業作曲家離れ」を加速させたんじゃないかという気がします。

 そういう意味でZARDは、職業作曲家が裏方に徹していて、なおかつヒットを放っていた最後の時代に位置するアーティストの一人でした第1回でZARDの所属レーベルであるビーイングをフィレス・レコードに例えたのは、単に音楽の生産システムだけを指していたわけではなく、音楽そのものも僕には似ているように映っていたからでした。

 先ほど僕は実質的な90年代の始まりは、小室時代が幕を開ける中期からと書きましたが、僕個人の好みとしては90年代前期がもっともフィットするので、中期以降の「90年代の音楽」に思い入れが持てないのはそのへんが関係しているのかもしれません。

「意外なところ」に息づいていた遺伝子

 と、なんとなくネガティブなトーンで話は終わりそうなんですが、実はつい最近、(僕が個人的に考える)職業作曲家の空気を、ある人の楽曲に発見しました。誰あろう、米津玄師です。

 彼が作詞作曲した<パプリカ>という曲が、娘とよく見るEテレの番組で流れるのですが、この曲が不思議と耳に残るんですね。いい意味でサラッと聞き流せないというか、お風呂でついつい口ずさんじゃうようなフックがあって、娘もこの曲が流れると必ずTVをじっと見つめます。ということでパパはこの曲のコード進行を調べてみたんですが、とても面白い構成をしていたんですね。

<パプリカ>コード進行

 AメロはAで始まり、BメロはF#m(つまり平行調)に変わります。本来であればBメロラストでF#mもしくはAのドミナントのEとかに持っていくところですが、実際にはF#に切り替わって、そこから長2度上がってサビでBに転調するのです。つまり、BメロのF#mの同主調であるF#にまず移行して一瞬の「揺らぎ」を表現し、さらにそのF#をドミナントに利用してBに転調しているのです。



 非常にロジカルで、ロジカルだからこそとてもシンプルで、見ているだけで楽しいコード進行です。ちょうどブログを書いていたタイミングだったのもあり、織田哲郎栗林誠一郎がZARD楽曲でたびたび見せてきた職人芸の数々と<パプリカ>には重なるものを感じました。

 娘といえば、日曜朝9時にテレ東で放映している少女向け特撮ドラマ『マジマジョピュアーズ』では、今やあまり聴かなくなった「大サビ半音上げ盛り上げ転調」がガンガン使われていて、これも驚きでした。

 職業作曲家って減ったなあと勝手に思っていたけど、子供向けのプログラムにはちゃんと息づいていて、その職人技はちゃんと若いリスナーの耳に向けて発揮されているんですね。そのことを自分の娘から教えてもらったことにしみじみとしたのでした。はい。






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